018 リキッド=ロズワール
「すごい! 本当にお店あるところまで来れた!」
表通りまでやって来たユミルは目を輝かせて腕を上下に振っている。
そんなユミルの反応にジンは誇らしげに胸を張る。
「ほら、こっちも!」
ジンは楽しそうに笑うユミルに自分まで嬉しくなり、再びユミルの手を引いた。
「結構まわったね……」
「う、うん……」
夕陽が傾き始めるころ、商店街を回っていたジンたちの額には汗が浮かんでいた。
二人はお互いに顔を見合わせ、苦笑いを浮かべる。
「僕もそろそろ帰らないといけないかな……」
「そうなの……?」
「うっ……」
寂しそうに手を強く握ってくるユミルに、もっと一緒にいたいと思ってしまうジンだが、さすがにそろそろ孤児院に帰らなければ、ジンが孤児院を抜け出していることがばれてしまう。
名残惜しいがユミルとの時間はここで終わりだ。
「また遊びに行くから」
「ほんと……?」
「うん。今日と同じくらいの時間でよければ、明日も行くから」
「ほんとにほんと?」
「ほんとにほんと」
ジンは頷く。
寂しそうな表情を浮かべていたユミルもようやくジンの手を離す。
「また明日」
「うん、また明日!」
ジンは後ろ髪引かれる思いはあるものの、孤児院へと走った。
「な、なくなってる……」
ジンがユミルと出会った翌日、今日もユミルに会いに行こうとジンは午後の自由時間を利用して抜け穴のもとへやってくる。
しかしこれまで何度もジンを孤児院の外へ抜け出させてくれた穴は、どこにもない。
恐らく誰かがこの抜け穴に気付いて、穴を閉じてしまったのだろう。
「そ、そんな……」
これでは外へ行くことが出来ない。
「ユミルとの約束が……」
ジンは顔を青ざめる。
昨日あれだけ行くと言ったのに、嘘を吐いてしまった。
あれだけ楽しみにしていたユミルだ。
ジンが来るのを昨日のあの場所でずっと待っているかもしれない。
でもいくら待ってもジンは来ない。
きっとユミルを悲しませてしまうだろう。
しかしジンはそんなユミルに優しく手をさしのべることさえ出来ない。
「……ごめん、ユミル」
届かないことは分かりつつも、ジンは壁のずっと向こうにいるユミルに謝らずにはいられなかった。
「ジン、遊ぼうぜ!」
「ん、ごめん。そんな気分じゃないんだ」
抜け穴が直されてしまってからというもの、ジンはまるでやる気のない日々を送っていた。
遊びに誘われても、断る。
あの日、ユミルがどんな思いで自分のことを待っていたのかと思うと、どうしても誰かと遊ぶ気にはなれなかった。
「……抜け道さえあれば」
もしあの抜け道が直されていなければ。
もし今も抜け道があれば、また孤児院の外へ行けて、ユミルの下へ迎える。
でもジンを非日常へ連れ出してくれるような抜け穴はもうない。
ジンは改めてそのことを理解し、大きなため息を吐いた。
「ジ、ジンくん。ちょっといい?」
「……?」
そんな時、シスターが慌てた様子でジンを呼びに来る。
一体何事かとジンは不思議に思い首を傾げる。
しかしジンが何か反応する前に、シスターはジンの手を引く。
普段のおっとりしたシスターからは考えられない様子にジンはぎょっとする。
シスターをこんな風にしてしまうほどの何かがあったのだ。
それにジンが呼ばれたということは、少なからずジンに関係していることなのだろう。
一体何かしただろうか……。
ジンはここ最近の自分の行動を鑑みる。
シスターに何か怒られるようなことがあるとすれば、それは孤児院から抜け出したことくらいだ。
だがジンが最後に孤児院を抜け出してから既に数日が経っている。
今更何かを言われるとは思えない。
「お、お待たせしました。ジンを連れてきました」
不思議に思うジンを他所に、シスターはとある一室の前で立ち止まる。
そして中に声をかけながら、部屋の中へジンを引き連れながら入った。
「おお、君がジン君か」
「……?」
部屋の中へ入ると、そこには身なりのいい壮年の男が椅子に腰かけていた。
男はジンを目にすると、嬉しそうに立ちあがる。
だが当のジンは男のことを知らなければ、見覚えさえなかった。
しかし男の反応を見るに、どうやら男はジンを探していたらしい。
自分の覚えていないところで接点があったのだろうか、と首を傾げるが、こんなに身なりの良さそうな大人と知り合うことなんてそうそうないはずだ。
「あぁ、私自体は君とは初対面だからね。不思議に思うのも無理はない」
そんなジンの疑問を察したのか、男は微笑みながらジンに説明する。
最初は警戒していたジンだったが、男の柔和な表情に釣られて多少は肩の力が抜けてきた。
「君はつい最近、ユミルという少女と遊ばなかったかな?」
「……っ!」
「どうやらその反応はあたりだったみたいだね」
ジンの反応に嬉しそうな表情を浮かべる男。
だがどうしてそのことを知っているのか分からないジンは戸惑う。
そんなジンの表情を見て、男は頷く。
「私はリキッド=ロズワール。ユミルの父だ」
「え……」
ジンは驚かずにはいられなかった。
リキッド=ロズワールと名乗った目の前の男はユミルの父だと言う。
だが家名を持っているということは貴族であるということに他ならない。
それは幼いジンにとっても常識の範疇だ。
しかしリキッドがユミルの父であるというならば、ユミルもまた貴族ということになる。
てっきりユミルは自分と同じように孤児だと思っていたジンは驚きを隠せない。
だが確かに言われてみれば、ユミルの服はジンのそれとは違う綺麗なものだったし、もしかしたら他にも気付けるところは色々あったのかもしれない。
あの時はジンも高揚していたために気付けなかったのだろう。
「あ、あのユミルは……?」
しかしそれよりも今ジンの頭の中を支配していたのは、あの日一緒に遊ぶ約束をしていたユミルのことだった。
自分が約束を破ってしまったせいで、悲しませてしまったに違いない。
もしかしたらリキッドはそのことに対する文句を言いに来たのかもしれない。
「確か君と遊ぶ約束をしていたんだよね?」
「……はい。でも、色々あって行けなくて」
「色々、ね」
リキッドはシスターに視線を向ける。
二人の話を聞いてある程度事情を理解したのか、シスターは思い出したように「あっ」と呟く。
「そういえばつい先日、孤児院の塀が一部壊れていたので、そこを修理しました」
「……なるほど。ジン君はそこから抜け出していたわけか」
「…………」
ジンは無言で頷く。
後々このことをシスターに何か言われるかもしれないが、この際仕方ない。
貴族様に嘘を吐くよりかは良いだろう。
「実は君がユミルと遊ぶ約束をしたという日から、ユミルが引きこもっちゃって……」
「ユ、ユミルが……?」
「なんでも『ジンと遊んでくれるまで部屋から出ない!』と言って聞かないんだ。まあちゃんとご飯とかはお腹一杯食べてくれてるんだけどね?」
リキッドは苦笑いを浮かべながら頬を掻く。
「まあでもいつまでもそういうわけにもいかないから、私がジンという男の子を探して回っていたんだよ。ただ中々見つからなくて、数日もかかってしまった」
リキッドの言葉に、ジンはどうしてこのタイミングだったのかようやく理解した。
そして恐らくリキッドは自分をユミルの下へ連れて行こうと思っていたのだろう。
それはジンにとっても願ったり叶ったりの話だ。
でも……と、ジンは気まずそうにシスターを見上げる。
ジンが孤児院の外へ出るにはまだ年が足りない。
「シスター、午後だけでもいいのでジン君をお借りしたいのですが如何でしょうか?」
「そうですね……」
案の定、シスターはリキッドの言葉に難しそうな表情を浮かべる。
「ちゃんと送り迎えに関しては、家の者に任せるので」
しかしリキッドも引き下がる気配はない。
それは恐らくユミルのせいだろう。
ジンは黙って事の成り行きを見ている。
「……分かりました。そこまでしていただけるのであれば、ジンのことをお任せします」
貴族であるリキッドの真摯な頼み方に対して、シスターは長い熟考の末にとうとう折れた。




