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015 お風呂


「え、本当にリキッドさんたちは今日帰ってこないのか?」


「うん。そう言ってたよ? 着替えとかはお父さんの使っていいって」


「で、でもなあ……」


 まさかの事態になった。

 突然泊まれと言われても、さすがにすぐには頷けない。

 ジンが答えを渋っているとユミルは訝し気な表情を浮かべて、首を傾げる。


「前だってうちに泊まったこと一杯あるじゃん。今更遠慮したりしなくていいよ?」


「え、遠慮してるわけではなくてだな……」


 ジンは年頃の若い男女が二人きりで同じ屋根の下で一晩過ごすという状況に足踏みしているのだ。

 幼馴染だからとはいえ、どうしてユミルはそんなに平気な顔をしているのか分からない。

 確かにユミルに男として見られているかと聞かれれば、恐らく兄弟かなんかにくらいしか思われていないのだろう。

 だがジンの方はさすがにそんな二人きりの状況になれば、意識せざるを得ない。


「ほ、本当にリキッドさんは俺が泊まることを許したのか……?」


 確かにジンとリキッドの関係は一言では言い合わらすことは出来ない仲だ。

 しかしいくらなんでも愛娘のこの状況を許すなんて信じられない。

 ましてや相手は平民だ。

 少なくとも逆の立場だったら絶対にそんなことは許さないだろう。

 だがユミルはジンの質問に対して、首を縦に振る。


「というか、この件のことはジンに直接お願いするって言ってたよ?」


「え、リキッドさんが? そんなこと言われた記憶無いんだが……」


「うーん……? 私のことをよろしく頼む、とか言われなかった?」


「……あ」


 ユミルに言われてリキッドとの会話を思い返してみる。


『じゃあ私は仕事で出るけど、ユミルをよろしく頼むよ』


 確かそんなことを言っていた気がする。

 もしかしたらユミルが言っているのはそれだろうか。

 だとしたらあまりにも分かり辛すぎる。

 どういう捉え方をしたら、それで今夜泊まることになるのだろうか。


「た、頼まれた以上、泊まるしかないか……」


 いくら分かり辛かったとは言え、引き受けてしまったリキッドさんの頼みを今更投げ捨ててしまうわけにはいかない。

 それが例えユミルと二人きりという状況だったとしても、だ。

 いつまでも悩んでいても埒が明かない。

 今はむしろそれだけの信頼を得ているということを喜ぶべきか。

 ジンは何とかそうやって自分を励ますことで、今夜を乗り切ることにした。


「……えっと、じゃあまずは夕食の準備すればいい?」


 ユミル曰く、今夜の調理担当はジンらしい。

 それならば出来るだけ早い内に終わらせておいた方が良いだろう。

 勉強も終わって、ユミルもお腹が空いているはずだ。

 幸い、ロズワール家ならば色々な買い置きがあるだろうし、食材に困るということもないだろう。

 そして料理している間にでも、今夜この家に泊まる覚悟を決めればいい。

 考えれば考えるだけ、初めに料理するのが良い。


「それなら私、先にお風呂入って来るね!」


 しかしジンの企みを一瞬で崩し去るユミルの言葉。

 思わずジンは言葉を発するのさえ忘れて、じっとユミルを見る。


「ジンの手料理楽しみだなぁ」


 だがそんなジンの視線に一向に気付く気配のないユミルは、ジンの料理を楽しみにしながら部屋を出て行く。

 部屋から離れていく足音から察するに、どうやら本当にお風呂に向かってしまったらしい。

 ユミルが出て行った部屋のドアから視線が逸らせないジンは、しばらくその場に呆然と立ち尽くしていた。




「無心だ、無心。無心が大事」


 リビングの隣にあるキッチンで、リズミカルに野菜を刻みながら静かに呟くジン。

 その姿はさながら何やら危ない実験をしている研究者のようにも見える。

 今頃ユミルはお風呂で身体を洗っているのだろうか、それとも湯船に浸かっているのだろうか。

 どちらにせよジンは出来るだけそのことを意識しないように必死に無心を保っていた。

 幸い屋敷が広いだけあって、お風呂の音は聞こえない。

 本当にそれだけが救いだった。


 今日のメニューは挽肉のハンバーグと、それに温野菜を添えた内容となっている。

 さすが貴族の家というべきか色々な食材が揃っており、逆にメニューを決めるのが大変だった。

 しかし今日、勉強を頑張っていたユミルの姿を思い出して、結局はユミルの好物の一つのハンバーグになったのである。

 確かにハンバーグは美味しい。

 しかし好物の一つというあたりユミルの性格が出ているような気がした。


「えっと、とりあえず野菜は刻み終わったし、肉を焼いたりするのはユミルがお風呂から上がってからにするか」


 早く焼きすぎても、せっかくの温かい料理が冷めてしまう。

 とりあえずの下ごしらえを終えたジンは少し休憩しようと、コップに冷水を注いで、リビングにある椅子に腰を掛ける。

 作業して渇いた喉を冷水で癒そうと、口に含み――


「ふわあ、喉渇いたぁ」


 ――――盛大に噴き出した。


「きゃっ!?」


 ジンの視線の先では、お風呂上りで火照っているユミルが立っていた。

 その身体を隠すものは、一枚のバスタオルだけだ。

 あまりにも非常識な恰好にジンは混乱せずにはいられない。

 水を吹きだしたせいで驚いたユミルと視線が重なる。


「え……」


 てっきりユミルのことだから、ジンにこんな姿見られても構わないというていでやって来ているものだと思っていた。

 しかしジンを見て、同じように固まるユミルから察するに、恐らくジンがいることを忘れていたのか、それともここにいると思わなかったのかのどちらかだろう。


「き、きゃああああああああああっ」


「……っ悪い!」


 ユミルは状況を理解したのか叫び声をあげながら、その場に蹲る。

 そんなユミルらしからぬ反応に、ジンはようやく我に返った。

 慌ててユミルから視線を逸らすと、暑くて椅子に掛けていた上着をユミルに投げる。

 ユミルは投げられた上着を掴むと、それを羽織って出来るだけ見えないように努めている。

 しかしいくら頑張ってもやはり上着とバスタオルだけで全てを隠すのは難しい。


「…………見た?」


 いつもより少し低い声で聞いてくるユミルに、ジンはどう答えるか悩む。

 だがここで嘘を吐いて、それがユミルにバレたらと思うと正直に言う他なかった。


「……見えないわけがなかった」


 ジンが観念してそう答えると、ユミルは顔を真っ赤にして再び勢いよく蹲る。

 見ればその肩は羞恥からだろうが震えている。

 てっきり殴られたりするかもしれないと覚悟していたジンだったが、どうやら怒りの拳は飛んでこないらしい。

 恐らくユミルも今回の件についてはジンにはどうすることも出来なかったということを理解しているのだろう。

 確かに足音に注意を向けていればもう少し何か出来たのかもしれないが、ひたすら無心を貫き通していたジンには難しかった。


「うー……」


 ユミルは顔を手で覆いながら、羞恥に唸っている。

 普段では絶対に見れないだろうそんな姿にどうしても新鮮さを覚えてしまうジンだが、今はそれどころではないとかぶりを振る。

 どうしようもなかったとは言え、これは悪いことをしてしまったなとジンは罪悪感を感じずにはいられない。

 何かフォローしてあげたい気はあるのだが、今しがた恥ずかしい姿を見られた相手に励ましの言葉などかけられても追い打ちをかけてしまうだけだろう。

 だからジンはただ無言でユミルが落ち着くのを待つしかない。


「……今日のご飯、なに」


「ハンバーグ、だな」


 するとユミルは相変わらず蹲りながら、声だけでジンに聞いてくる。

 出来るだけユミルを刺激しないように小さな声を意識して、ジンは答える。


「……半分」


「……はいはい」


 ユミルの言わんとすることはジンにはすぐに分かった。

 それが今夜のジンの夕食が半分になることが決まった瞬間だった。


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