011 静かな憤り
「どうして先生に呼ばれたんだろ」
担任に呼ばれたジンが教室を出て行ったのを見て、ユミルが呟く。
せっかく放課後の時間をジンと過ごそうと思っていただけに寂しさが残る。
しかし一緒に帰る約束は取り付けることが出来たので、そこにはユミルも満足だ。
「そういえばこの前、私も先生に呼ばれたなぁ」
確か理事長先生と話をした記憶がある。
何でも成績が悪いとか言われたけど、そもそも学園には勉強しに来たわけではないと言ったら、それ以上は何も言ってこなくなった。
ユミルは頭の片隅でそんなことを思い出しながら、ジンを待つ。
「——剣聖様」
するとそこへ一人の男子生徒がユミルへ声をかけてくる。
ユミルが振り返ると、そこには微かに見覚えのある顔があった。
「あなたは確か……」
「キッシュ=キシリールです。以後、お見知りおきを」
「ああ、思い出した」
ユミルはキッシュの名前を聞いて、目を細める。
キッシュは確か、入学式の日にジンに絡んでいた貴族だ。
当然ユミルのキッシュへの心象もかなり悪い。
「それで、何か用だった?」
話したくもない相手との会話を早々に切り上げるため、用件を聞く。
とはいえほぼ十中八九、ユミルへの決闘の申し込みだろう。
ユミルに勝てば付き合える、というのはここ最近では話題の中心だ。
恐らくキッシュもそれを聞いて、ユミルに挑戦しに来たのだろう。
だがユミルはキッシュなどに負けるつもりは全くない。
キッシュには悪いが、一瞬で決着をつけてしまうのがいいだろう。
「剣聖様にはこれを」
そう言って差し出してくるキッシュの手には案の定、「果たし状」と書かれた紙が握られている。
ユミルはそれを特に感動もなく受け取ると、その視線をキッシュに向ける。
「それで、決闘はいつがいいとか希望はある?」
ユミルとしては出来れば早くに終わらせたい。
もし今からするつもりならば、ジンが帰って来る前には決着を付けなければ、下手したらジンが先に帰ってしまう可能性だってある。
せっかく久しぶりに一緒に帰れることになったというのに、その機会を失うわけにはいかない。
「それじゃあ決闘は明日、とかどうでしょう」
「明日ね、分かった。別に構わないわよ」
ユミルとしても決闘は今日じゃない方が都合が良かったので、すぐに了解する。
「それじゃあ、ジンという生徒によろしくお願いします」
「……? なんでジンの名前が出てくるの?」
しかし最後の最後で、キッシュの言葉に引っかかりを覚えるユミル。
自分との決闘を望んでいるのに、どうしてここでジンの名前が出るのかユミルは意味が分からなかった。
「なんでって、私が決闘したいのはジンという生徒の方ですよ? 剣聖様にはその仲介をしていただきたかっただけですが」
「え……」
キッシュの言葉に動揺を隠せないユミル。
てっきり自分に対する決闘とばかり思っていたものが、まさかジンに対するものだとは思うまい。
ユミルは思わず手元の果たし状を見るが、恐らくその中に用件を書いてあるのだろう。
「実はこれまでも何回か決闘を申し込んだんですが、全て無視されているんですよ。俺は平民だから名誉なんていらないなどと言って。まあ実力不足を皆に知られたくないというのも分かりますけどね?」
「……っ!」
呆れたように呟くキッシュに、ユミルは憤りを隠せない。
どうやらこのキッシュという貴族はジンに執着しているらしいが、それでも幼馴染へのその物言いを看過出来る程ユミルの精神は据わっていなかった。
「ジンはあなたなんかに負けない」
ユミルはそう言い放つ。
しかしキッシュはそんなユミルに肩を竦めると、まるで煽るように続ける。
「剣聖様、あなたが彼と親しいのは知っていますが、身贔屓で目を曇らせるというのは剣聖にあるまじきことではないですか?」
「私は別に身贔屓で言っているわけじゃない!」
ユミルの怒声にクラス中の視線が集まる。
キッシュはユミルの雰囲気に一歩後退るが、話を終える気はないらしい。
「それなら賭けてみませんか?」
「賭け……?」
「ええ。私と彼が決闘してもし私が勝てば剣聖様と付き合える、というのは」
キッシュの提案に教室にいた生徒たちがざわめきだす。
しかしそんな状況でもユミルの態度は変わらない。
「分かったわ。あなたがもしジンに勝てたらね」
ユミルの言葉にキッシュは内心ほくそ笑む。
ここまで自分の思い通りに事が進むとはさすがに思っていなかったのだ。
わざわざジンがいないタイミングでやって来たのも、この話をユミルだけにするため。
決闘で一人の平民に勝つだけで剣聖が手に入るのだから、こんなに簡単な話はない。
キッシュは自分の明るい未来を想像して、口の端を釣り上げた。
「————でもその代わりジンがあなたに勝ったら、金輪際私たちに関わらないで」
「っ……」
目を細めて静かに呟くユミルの雰囲気は普段のそれではない。
経験したことない嫌な雰囲気にキッシュは頷くと、慌てて教室から出て行く。
そしてその雰囲気にあてられた他の生徒たちも、あまりの威圧感に教室から逃げ出せずにはいられなかった。
「——っていうことがあって」
「……お、おいおい、まじかよ」
事の顛末を聞かされたジンは思わず頭を抱えずにはいられない。
一体どんなことがあったら、あの短時間でそんな事態になるというのだろうか。
それともあの場を離れた自分が悪いのか、とジンは唸る。
面倒なことをしてくれたな!? とユミルに言うのは簡単だ。
しかし自分のために怒ってくれたユミルに対して、そんなことを言うのはそれこそお門違いというものである。
だがそうは言っても、とてつもなく面倒なことになったのは間違いない。
恐らく今頃、学園内ではこの話題で持ち切りだろう。
何しろ貴族が平民と決闘して、勝てば剣聖と付き合うことになっているのだから。
これまでは剣聖に勝てたら付き合えると言う半ば非現実的な条件だったために、皆も野次馬感覚だった。
しかし今度こそはついに剣聖が誰かと付き合うかもしれないと皆思っているだろう。
なぜならキッシュの相手は、平民のジンだからだ。
もちろん諜報員としての実力から考えても、ジンが負けるなんてことはあり得ない。
しかし他の生徒たちや、ましてやユミルの前でそんな実力の一端を見せるわけにはいかない。
そもそもどうしてユミルが、自分がキッシュに勝てるなどと思ったのかジンには分からない。
ユミルはジンについて、あくまで軍に所属している程度の実力はあるという認識のはずだ。
それが学園の優秀な貴族に勝てるなど、普通は思うまい。
何故なら彼らは主に魔法を使う。
それは貴族の血にのみ許された特権とも呼べるもので、平民のジンには普通は使えない。
剣で魔法に勝つなど、超近距離戦でもない限り困難だ。
少なくとも世間的にはそう思われている。
だから皆、ジンに勝ち目などないと思っているはずだ。
ジンもそれを理解しているからこそ、これまで決闘を避けてきた。
しかしユミルがあんな発言をしてしまった以上、これはジンとキッシュだけの話ではなくなっている。
ここでジンが決闘を断れば、ユミルの名誉にも関わってくるだろう。
それはジンにとっては避けなければならない事態だ。
「……あー、もう」
「ごめんね……?」
「いや、ユミルは別に悪くない。少なくとも俺はお前に対して今回のことで怒ったりはしないから」
悪態を零すジンだが、ユミルの泣きそうな表情にその頭を優しく撫でる。
ユミルはジンに甘えるように身体を近づけてくる。
「安心しろ。お前があいつと付き合うなんて絶対にあり得ないから」
「……うん」
普通に考えて、剣は魔法に勝てない。
だから魔法が使えない平民は、貴族には勝てない。
この話を知っている者のほとんどがキッシュの勝利を確信しているだろう。
でも……とジンは心の中で呟く。
ユミルを引き金にしたんだ。
相応の報いは受けて貰わなくちゃいけない。
ユミルの頭を撫でながら、ジンは静かに闘志の炎を胸に宿らせていた。




