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前編

似非関西弁が出て来ます

ネイティブの方誠に申し訳ありません…orz

 

 

 

「あ゛?」

 

 ああ、後ろ姿美人って、本当に存在するんだな。

 

 振り向いた彼女を見て、そう思った。

 

 長い前髪で半ば隠れた顔の、下半分以上を覆う真っ白なマスクに、上半分を覆う黒縁くろぶちの、ゴーグルか?と問いたくなるようなゴツい眼鏡。分厚いレンズ越しの瞳は不格好に拡大され、その瞳は剣呑な色を宿して不機嫌そうにしかめられている。

 返された声も酷く不機嫌そうでドスが利いていて、決して背が高くない彼女なのに、すごく威圧的に感じた。

 後ろ姿は、緩くまとめられたさらさらの長髪が垢抜けた印象の、華奢で儚げなひとに見えたのに。

 

「あ、いえ、あの…」

 

 道を聞こうとしたことも忘れて、たじたじになる。

 彼女は俺の手元を見て、さらに目を細めた。

 

「ああ、迷子か」

 

 花粉症、だろうか。鼻声気味の低く掠れた声でダルそうに呟いて、僕の手元を覗き込む。よく見れば、目も赤く充血している。

 近付いた彼女から、ふわりと、季節外れの金木犀が香った。

 

「どこ行きてぇの?」

 

 この上なく面倒臭そうだが、道を教えてくれるらしい。

 

「あ、えと、授業の、教室に…」

「だからどこだよ。あたしはあんたの授業なんざ把握してねぇよ」

 

 ごもっともです。

 

「すみません、ええと、この授業で」

「3G706?お前、ここ全然違うぞ?」

「え、でもG棟って…」

「…あんたに良いことを教えてやろう」

 

 俺の腕を掴んで散りきった桜並木の下を歩きながら、彼女が言った。

 俺が持っていた大学のガイドマップをぺらりとめくって指差す。

 

「この大学に、G棟は4つある。1G棟、2G棟、3G棟、工学系G棟だ」

「…はい?」

「お前がさっきまで目指してたのは工学系G棟だ。大学院用の棟で、学部生の授業はまずやられねぇよ」

 

 とん、とん、と大学全体の地図が載ったページを指差しながら説明する。

 

 彼女が指差す先にはそれぞれGと名の付く棟があって。

 

「3G棟、真逆…」

「その通り。3G棟、と言うか、第3エリアは文理総合系のエリアだからな。ガチ理系の工学系とは、畑違いだ。あんた、何系?」

「理学系です」

「ん?ああ、自由か総合か」

 

 十中八九ここの学生なのであろう彼女は、なぜ理系の俺が文理総合系の棟での授業に出ようとしているかにすぐ気付いて頷いた。

 彼女の言う通り、俺が今から行こうとしているのは、自由科目として受ける他学部の授業だ。

 自由科目を一定数取らないと卒業出来ない。強制される、自由。自由ってなんだっけ。

 

「んー、まあ良いか。あのな、大学の校舎は系統別にエリアが別れてんだ。だから、どこ主催の授業かでだいたいの位置はわかる。次から気を付けな」

「はい」

 

 明らかに僕を思っての小言だったので、大人しく頷く。と言うか、


「あの、道、教えてくれたら、それで、」


 どうやら一緒に行ってくれるらしい彼女に、恐縮して申し出る。わざわざ案内してくれなくても、口で説明してくれれば…、

 

「3Gは口で説明する方が面倒なんだよ」

 

 舌打ち混じりに言われて、申し訳なくなる。


「誰が考えたか知らねぇけど、ややこし過ぎんだよな、この大学。作ったやつの気が知れない」

 

 ため息と共に吐き出したのは、俺にではなく大学に対する文句で。

 

「校舎ややこしい上にでかいくせに、休み時間短いとか、ふざけてるよな、まじで」

「確かに、休み時間は短いですね」

「だよな。教務のやつら、一回お前らが組んだ時間割実行して見せろっつーの」

 

 はんっと鼻で笑って、彼女が吐き捨てる。


「朝イチとか午後イチの授業なら早めに出りゃ済むけど、それ以外でエリア移動でもあろうもんなら、ちょっと授業が押したりもたついたりしたらアウトだもんなあ」

 

 肩をすくめる彼女は相変わらず目付きが悪いが、振り向いたときの印象とは異なり気さくそうに思えた。

 適当に済ませずこうして案内してくれているのだ。実際、面倒見は良いひとなんだろう。

 

 良いひとなんだろうとは、思うが、ちょっと、歩くのが速い。

 ざかざかと大股に、けっこうな速さで俺を引きずって行く。

  

「あれ、乗るぞ」

「へっ?うわっ」

  

 C棟と書かれた校舎に入るなり、彼女がぐいっと俺の腕を引いて走り出す。閉まりかけたエレベーターの中の誰かが気付いて、扉を開けてくれる。

 

 エレベーターには、すでに数人が乗っていた。

 

「すみません。ありがとうございます」

「ん?ローレじゃん。おはよ、今日も目付き悪いな」

 

 ぺこりと頭を下げて乗り込んだ彼女に、開ボタンを押していた男性が声を掛けた。彼女が頭を上げて、顔をしかめる。

 

「うるせぇ。お礼とか言って損した…七階押して」

「はいはい。って、そこは感謝しろよ。つか、なんでこんなとこいんの?」

「新入生が迷ってたから」

 

 男性が、握られたままの俺の手首に目を落とす。

 

「ああ、毎年恒例だよな。つったって、わざわざ同行とか、お人好しか!」

「3G七階なんだよ」

「あー、承知。あっこは口で説明すんの無理だわ」

 

 男性が苦笑して俺に目を向ける。

 

「どんまい。この大学、四年とかでも普通に迷うから」

「あ、はい」

 

 三階でひとが降りるのに、一度エレベーターから降りて道を譲る。彼女はうまくボタン前の男性の後ろに滑り込んでいたので、降りる必要がなかった。ずっと掴まれていた手首が離される。

 

「つか、あんたはなんでこんな時間にこんなとこいんの?」

 

 その間も彼女は、男性に話し掛けている。

 

TAてぃーえー。ウチ今余裕ある院生いないから、そう言うの全部オレに来るんだぜ?ほんと困るわ」

「いくつ持つの?」

「前期は座学と実験いっこずつと、夏の集中ふたつ。後期は座学にこと集中みっつ」

「儲かるな」

「儲かんねーよ。知ってんだろーが」

 

 胡乱な目をした男性に、彼女がふはっと笑う。笑うと目尻が下がって、かなり印象が変わった。

 …マスクと眼鏡、邪魔だな。

 

 遮るもののない彼女の笑顔を見たいと考えた自分に、少し驚く。出会ったばかりの相手に、なにを考えているんだろう。

 

「あ、オレここだから。じゃな」

「がんば。寝るなよ」

「寝ねーよ」

 

 六階で降りた男性を手を振って見送ると、彼女はまた俺の手首を掴んだ。

 

 エレベーターが七階に着いて、扉が開いたとたん俺の手を引いて歩き出す。また、速足はやあしだ。

 

 速足で歩きながら、説明してくれる。

 

「3G棟と3F棟は、事情で封鎖されてる階があるんだ。階段もエレベーターもそこで分断されるから、上の方の階に行くにはほかの棟を経由しないといけない。なら授業で使うなって話だけどな」

 

 気になることはあったが、ついて行くのがやっとで訊ねることは出来なかった。

 

「慣れないうちは封鎖された階段にぶち当たって、唖然とするからな。渡り廊下も隔階にしかなかったりするし、階全体じゃなく一部だけ封鎖のとことかもあるし…。あとでどこが封鎖かチェックして地図に書き込んどくと良いよ。あ、たまに封鎖場所変わってたりするから、情報の更新も忘れずにな」

 

 一方的に喋りながらずんずんと廊下を歩いて、向かう先はあまりひと気がない方だった。曲がって渡って降りて渡って曲がって曲がって昇って渡って昇って。俺は息が乱れて汗までかいているのに、なんで彼女は喋りながらで息切れもないのだろう。

 

「…間に合ったか」

 

 時計を見て呟くと、立ち止まって廊下の奥を指差す。

 

「706は一番奥だから」

「あ、…あり、がとう…ござい、ます」

 

 朝からへろへろになりつつも、どうにかお礼を口にする。

 

「いや、頑張れよ」

 

 掴んでいた手を離して、その手で俺の肩を軽く叩くと、ひらりと手を振って歩み去った。

 

「あ…」

 

 なにか返そうと思ったが言葉が出ない。

 彼女は少し振り向くと廊下の奥に向けて顎をしゃくった。

 

「急げよ、時間ギリギリだぞ」

「え、あっ」

 

 言われて時間を確認すれば、早めに出た甲斐もなく遅刻ギリギリの時間になっていた。いや、早めに出たから間に合ったんだから、無意味ではなかったのだけれど。

 

「ありがとうございましたっ」

 

 彼女にもう一度お礼を言って、急いで教室へ向かう。

 席に着いて教材を取り出したところで、チャイムが鳴った。

 

「ぁ…」

 

 彼女があんなに速く歩いたりエレベーターに駆け込んだ理由に気付いて、思わず声を漏らす。

 俺が遅刻しないように、急いでくれたのだろう。あのエレベーターを逃していたら、おそらく遅刻していた。

 

 …用もないのにこんなとこまで、付き合ってくれたんだしな。

 

 名前くらい、訊いておけば良かった。

 

 いまさら思っても、もう遅い。

 俺はため息を吐いてから、教師の話へ耳を傾けた。

 

 

 

麻井あさい颯音はやと

「はい」

「おや」

 

 点呼に答えると、少し驚いた顔をされる。

 

「よく初日から遅刻も遭難もせずに来られたね。きみ、他学部で、しかも三年次編入だろう?ここ、他学部だと院生でも来られなかったりするのに」

「え、あ、あの、道に迷って、案内して貰いました…」

 

 やっぱり迷うのかと思いながら答えると、納得したように先生が頷く。

 

「C棟かF棟で立ち往生したかな?道順聞いてもわけわかんなかっただろう」

「いえ、間違って、工学系G棟に行っちゃって…口で説明するのが面倒だからって、ここまで引っ張って来て貰いました」

「へぇ?それは、運が良かったね」

「え?」

 

 返された言葉に目をまたたく。いや、確かに彼女は親切だと思うけど。

 

「第1エリアで3G棟がわかる学生なんて、そうそういないよ?言ったろう、他学部だと院生でも来られないって。他エリアどころかうちの学科以外の生徒だと、第3エリア利用者でもこの教室に来られるかどうか…」

「なんでそんな教室使うんですか…」

「僕は、うるさいのが嫌いでね」

 

 ここはとても静かだから、と、その教師は微笑んだ。

 

 

 

 迷子になった日から、一週間以上が経過した。

 そのあいだ、彼女に会うことはなかった。出会った場所から言って第1エリアの生徒だと思うのだが、生活圏が被っていないのだろうか。

 

 もっとちゃんと、お礼しておきたかったな。

 

 勉強道具を鞄に詰め込みながら、そんなことを思う。

 

「あさいーあさいー」

「んだよ」

「一緒に、研究室見学、行かん?」

「ええー?」

 

 物思いにふけっていたところで同学年の男子に飛び付かれて、ぎょっとした。

 

 なんだその、中学生女子みたいなノリ。

 

「それくらいひとりで行けよ」

「いやいやいや。あっこセンセがめっちゃ怖いって噂やねん。オレ、ひとりじゃ無理やわー」

「なら行かなきゃ良いじゃん」

「やって研究はめっちゃおもろそうなんやもん。なー、あさいー、頼むわー」

 

 捨てられた子犬のような目で見られて、うっと詰まる。

 いや、まあ、俺も研究室見学行っとかないといけないのは、確かなんだよな…。

 

「…どこ?」

「毒草研」

「マニアックか」

 

 友人から飛び出した物騒な単語に、反射的に突っ込みを入れる。

 

 実際はなにやら長ったらしい名前の研究室だが、ざっくり意訳して毒草研と呼ばれるそこ。植物の持つ化学物質について研究する研究室らしいのだが、学生が研究しているのはもっぱら毒草ばかりと言う噂なのだ。

 

「いやいや、毒草めっちゃ熱いで!無限の可能性があるって!普通に、ハーブとかの研究しとるひともいるらしいしな」

「ハーブ、ねぇ」

 

 興味がない分野、と言うわけでもない。

 俺はため息を吐いて、友人に苦笑をむけた。

 

「わかった。行くよ」

「よっしゃ!ほな、ふたりで行くって教授にアポ取っとく。どっかの放課後でええよな?頼んだで!」

「はいはい。日時決まったら教えて」

 

 その日のうちに、その友人から二日後の放課後になったと連絡が来た。

 

 

 

 向かった先の研究室に、教授の姿はなかった。

 ごついヘッドフォンを着けた学生らしき女性が、カタカタとノートバソコンを弄っている。

 

「あれ?この部屋やったはずなんやけど…」

 

 携帯を確認した友人が、外を覗いて部屋番号を確かめる。

 

「おうとるわ。時間も間違うてへんし」

 

 首を傾げて、パソコンに向かうひとに声を掛ける。

 

「すんません」

 

 ヘッドフォンで気付かなかったのだろう。友人の声にそのひとは振り向かない。

 

「あの、すんません」

 

 それでも果敢に挑む友人。

 そのひとに歩み寄って、大きく行きを吸い込んだ。

 

「すんません!」

「ああ゛!?」


 間近で叫ばれてさすがに聞こえたのだろう。ドスの利いた声を出しながらそのひとが振り向く。

 

 顔に掛かる前髪。分厚い黒縁眼鏡。大きなマスク。

 

「あっ」

 

 思わず、声を上げていた。

 

「ローレさん!」

 

 エレベーターで呼ばれていた名前は、自分でも驚くほどあっさり口から滑り出た。

 

 ヘッドフォンを外した彼女が、不機嫌そうに目を細める。

 

「あ゛?誰だよ」

「あさい、知り合いなん?」

 

 友人にも振り向かれて、たじろぐ。

 

「いや、知り合いではない…この前、道案内して貰って。えっと、あのとき、すごく助かりました。ありがとうございます」

「道案内…?」

「工学系G棟から、3G棟の七階まで」

「………………ああ」

 

 長考の末ようやく思い出したらしい彼女が頷く。

 

「それ、言いに来たのか?」

「いえ、今日は研究室見学に…教授にアポ取って来たんですけど」

「研究室見学?聞いてねぇけど?」

 

 彼女が眉を寄せて、壁に目を向ける。壁に掛けられたホワイトボードは予定表になっていたが、確かに見学については書かれていなかった。

 

「えっ、やけど、メールには…」

 

 ばんっ

 

「ごめんナナちゃん、こっちに、ああ…」

 

 扉を盛大に開けて飛び込んで来た男性が、俺たちを見て息を吐く。

 

 弛くウェーブのかかった髪の、優しそうな男性だ。

 

「見学の子だよね?ごめん。教授が部屋番号間違えて送ってて…。ナナちゃんも、邪魔してごめんね」

「いえ。ともさんも大変ですね。お疲れさまです」

 

 剣呑な目付きのまま肩をすくめた彼女が、そう言って身体を戻す。ヘッドフォンをはめ直し、なにごともなかったかのように作業を再開した。

 

 男性が俺たちの方を向き、小さく手を合わせた。

 

「本当はこの一階上、僕のいる部屋で待ち合わせのはずだったんだ。時間になっても来ないから、まさかと思って確認したら…本当にごめんね。困ったでしょう?」

「あ、や、たまげたけど、すぐ来てもろたんで、そんな」

「そっか。ごめんね。教授が、ちょっとおおざっぱなひとなんだ。研究に関わることならそんなことないんだけど、忙しいと研究以外のことが適当になっちゃって…あ、場所移動するから、ついて来て貰える?」

 

 おいでと招かれて、素直に従う。

 

「この部屋も同じ研究室で使ってる部屋なんだけどね。きみたちがアポ取った教授とは違う先生の学生が主に使ってるんだよ。僕らも使わせて貰うこともあるんだけど、なんで間違ったんだか…」

 

 俺と友人を案内しながら、男性がぽりぽりと頬を掻く。

 

「あ、僕、修士二年(M2)佐藤さとうとも。ドクターに進む予定だから、もしこの研究室に入って来たら関わることになるね」

「あ、えっと、学部三年の、麻井あさい颯音はやとです」

「同じく三年の浅川あさかわとおるです!」

 

 男性、サトウさんが微笑んで、俺と友人、浅川を見比べる。

 

「もしかして、学籍番号が近くて仲良くなった?」

「やっ、惜しいことには惜しいんすけど、残念ながら違うんすよねー」

「俺、三年次編入で、浅川には、お前が一年の時からいればオレがクラス代表にされなくて済んだのに!って絡まれたんです」

「ああ、学籍番号でクラ代決めたの?」

「っす!」

 

 浅川の返事に、サトウさんが笑い出す。院生と言うことで少し身構えたが、すごく気さくで話しやすいひとだった。

 

 きっかけは乱暴な絡みだったが、三年次編入と言うことで孤立しがちな俺を気遣ってくれる浅川には、感謝している。

 今日の研究室見学だって、なんだかんだ言って俺への気遣いで誘ってくれた面もあるのかもしれない。あ、いや、実際、ここの教授が怖いと言う噂はあるらしいが。

 

 ひとしきり笑ったところで目的地に着いたらしく、さっきと似たような作りの部屋に通される。

 俺たちを座らせ珈琲を淹れてくれながら、思い出したようにサトウさんが言った。

 

「そう言えば、さっき、ナナちゃん、えっと、マスクの子、わかる?と喋ってだけど、びっくりしなかった?あのね、あれ、機嫌悪そうに見えるけど、怒ってるとかじゃないから、心配しないでね。見た目怖く見えるけど、本当はすごく優しくて面倒見良い子だから」

「あ、はい。大丈夫です」

「え?本当?初対面だと、たいていの子が怖がるんだけど…」

 

 サトウさん、それ、けっこう失礼だと思いますよ?

 

 内心突っ込みつつ、苦笑して言う。

 

「俺、この前学内で迷子になって、そのときに、彼女にすごくお世話になったんです。わざわざ教室まで、連れてってくれて」

「それ、もしかして、金曜日の朝?」

「はい?あ、そ、そうです。一限に行こうとして、迷って…」

「…なら理由言えば良かったのに」

「え…?」

 

 ぼそりと呟かれた言葉に、意識を引かれる。

 

「あ、いや、なんでもな…あー、うん」

 

 サトウさんが否定しようとしたあとで、言葉を止めてから苦笑いを浮かべた。

 

「この前ね、ゼミに遅刻して指導教官から大目玉喰らってたんだよね、あの子。うちのゼミ、金曜日の午前中にやってるんだけど、ナナちゃん自分の発表の日に遅刻しちゃってさ。ナナちゃんの指導教官、いろいろと厳しいひとなんだけど時間には特に厳しいひとだから、大激怒でね。普段ナナちゃん遅刻したりしないから不思議に思ってたんだけど、そう言うことだったんだなって」

 

 サトウさんの言葉に、固まる。

 

 …それ、完全に俺のせいだよな。だって、あんな遠くまで案内して貰って…。

 

「事情があったなら説明すれば良かったのに、大人しく怒られちゃって。ほんと真面目なんだか馬鹿なんだか…」

「あの、俺」

「ああ、ごめんね、気にしないで。きみは悪くないからね。でも、それくらい優しい子なんだ。でもって、彼女の指導教官は本当に鬼のように厳しくて怖い。自分に着いてる子以外を怒鳴ったりはしないけど、ゼミではかなり厳しい意見も言って来るから、うちの研究室入るなら、覚悟してね。…あんまり厳しく言われてゼミ中に泣いた女の子とかもいるから」

 

 隣で浅川が、顔を引きつらせた。

 

 取りなすように、サトウさんが続ける。

 

「と言っても、意地悪とかじゃなく、僕らのことを考えてのアドバイスだから。しっかり聞いてモノにすれば、すごくためになるんだよ。実際ここ数年、卒研とか修論の発表会ではうちの学生が最優秀発表者賞貰ってるし、学会発表とかも、すごく高く評価されてるんだよ?学生が出した論文も、メジャーなところに掲載されたりしてるし」

 

 向上心があるならすごく良い環境なんだよ!と主張するサトウさんの言葉は、逆を言えば腑抜けた学生には無理と言うことになるのではないだろうか。

 

「その先生は厳しいんだけど、うちの先生はそこまで厳しくないから!あ、や、研究とか実験記録とか適当だと怒られるけど、でも、そこは研究者として必要なことだから、ちゃんと教えて貰えた方がありがたいし」

「…ちょっとトモちゃーん?せっかく珍しく来てくれた学生、逃がさないでねー?」

「うわ。…坂城さかき先生」

 

 サトウさんの後ろから首をきゅっと掴んだのは、ひとの良さそうな笑みを浮かべたおじさんだった。白髪混じりの頭だが、顔は若々しい。

 

「どうも、そっちの子は授業で見た気がするな。そっちの子は、初めましてだね。応用植物機能研究室の坂城です。今日は見学に来てくれてありがとう」

 

 にっこりと微笑んだサカキ教授は、なるほど厳しそうには見えなかった。

 

梨原なしはらくんはねー、ちょーっと真面目過ぎるだけなんだよねー。実際飲み会とかで話してみると全然怖くないから、そんな身構えなくても、…まあ、うん、普段は怖いかな」

「先生も似たようなこと言ってるじゃないですか」

「あはは。でも良いじゃないか、梨原くん、美人だし。梨原くんに着いてる学生も、軒並み顔面頭脳ともども偏差値高いし」

「それ、梨原先生に聞かれたら睨まれますからね?」

 

 ぽんぽんと交わされる会話だけで、この研究室が仲の良い場所であることがわかる。

 

「んー、まあ、そうだね。ゼミは先生ごとじゃなく全体でやるし、いちど同じ研究室のほかの先生の話も聞いといた方が良いのは確かだね。一応、この研究室のドンはぼくだし、お望みとあらばセッティングするよ?」

「え、でも、怖いひとなんすよね?」

「うん」

 

 たじろぐ浅川に、サカキ教授がためらいもなく頷く。

 

「この研究室は教授のぼくのほかに、准教授の梨原くんと講師の高木たかぎくんがいるけど、ぼく以外はほんと真面目だよね。じゃなかったら、ぼくもここまでおちゃらけてられないし」

「自覚あるならもう少し真面目に生きて下さいよ…」

「研究はちゃんとやってるじゃん。学生の面倒も見てるし」

 

 悪びれもせずのたまうサカキ教授に、サトウさんは深々とため息を吐いた。

 

「…なら教授らしく、学生ゲットに邁進して下さい。資料、ここに用意しましたから」

「はーい。いやー、真面目な学生が着いてくれてると、楽で良いねー」

 

 へらっと笑いながら返事したサカキ教授は、そのまま軽いノリで研究室について説明し始めた。

 

 

 

「ほかに質問とかあるかなー?ない?そう。じゃー、もし興味あるんだったら金曜日の午前中に全体ゼミやってて、月曜日の夕方にぼくの学生のゼミやってるから、覗きに来ても良いよ。詳しいことは、たぶんそこのトモちゃんが教えてくれるから、メールなりラインなり教えておくと良い」

 

 思ったより丁寧にいろいろ話してくれたサカキ教授が、そう言って場を締める。

 

「ま、全体ゼミ見せると逃げられそうだから、本当はお勧めしたくないんだけどねー」

「…それでも見に来てと言う誠実さを汲んでくれると嬉しいな」

 

 ときどき突っ込みを入れたりお菓子や珈琲を差し入れたりしてくれていたサトウさんが、少し疲れたように言う。

 間違いなく突っ込み疲れだと思う。そして、サカキ教授はサトウさんが突っ込んでくれるのを良いことに、わざとふざけまくっていたと思う。

 

 それからサカキさんとアドレスを交換したり、研究室内をちょっと案内して貰ったりして、別れる。

 晩ご飯を奢ろうかとも言われたけれど、さすがにそれは申し訳ないので辞退した。

 

「んー、なんか、普通に、ええ感じのとこやったなー」

「そうだね。サカキ先生もサトウさんも、良いひとだったし」

「始めに会ったマスクのネーチャンは、めっちゃ怖かったけどな!振り返ったとたん、『ああ゛?』って、ヤクザか思ったわ」

「いやでも」

 

 俺のせいで、大目玉喰らってくれたらしいし。

 のわりに俺と気付いても、態度変わったりしなかったし。

 

「せやな。話し聞いたらなんや良いひとやん。見た目で判断したらあかんなー」

「まあ、見た目だけじゃなくて、口調もけっこう荒いひとだったけどね。でも、優しくて面倒見良いってのは頷けるよ」

 

 初対面の俺を、自分より優先してくれちゃったくらいだし。むしろ優しいと言うか、お人好しだと思う。

 

「お、ほな入ってまうか?毒草研」

「いや、それはほかも見てから決めるけど。候補としては、アリかな。浅川は?」

 

 サカキ教授のひとがらも良かったけれど、話しに出た研究に、単純に興味が湧いた。

 

「オレも、と言いたいとこやけど、梨原センセがなー。オレ、怒られんの苦手やし」

「怒られるの好きなやつは、危ないと思うよ?」

 

 こう、特殊性癖的な意味で。

 

 俺の返答に、浅川は噴き出して笑った。

 

「うっは。確かに。あー、なんや気ぃ抜けたわ。とりあえず、ゼミ見学行ってみるかなー。あさいも行く?」

「や、俺、金曜午前授業だし」

 

 じゃー無理かー、と笑った浅川と夕食を取ってから帰宅した。

 

 来週金曜にゼミ見学行くことになったわーと浅川から連絡が来たのが次の日。ちょうどその日の金曜午前の授業が休講だと言い渡されたのが、同じ週の金曜の授業中だった。

 

『…行けるわ』

『よっしゃ、一緒行こ!』

 

 その日の昼休みには、俺もゼミ見学に行くことが決定していた。

 

 

 

拙いお話をお読み頂きありがとうございます


続きも読んで頂けると嬉しいです

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