月夜のハンティングパーティー 3
すでに日は暮れている。といっても、ももんがオークが活動を始めるのは深夜という話なので、それまでに拠点を確保すれば問題ない。
この建物の屋上に陣取る予定なのはリリー・ドラグノフだ。サーチライトも搬入するらしい。
本来なら周辺で一番高いビルの屋上から狙撃したいところなのだが、高層ビルにはオークの巣が存在する可能性が高く、その排除に人員を割くかどうかは、今夜の戦果を確認してから決めるらしい。
もう長いこと生き物が活動した痕跡がない。そんなビルだった。割れたガラスウィンドウから内部に進入したリリー・ロングバールは、武器を背中の鞘に収納してしまった。ライトで一通り床を照らしてみたが、積もった砂埃に新しい足跡がないので、警戒する意味もない。
階段で一気に屋上まで上っても問題はなさそうだったが、いちおう各階の様子は確認しておく。オークの気配はまったくなかった。これなら、今夜の陣地としてはまずは問題ない。さっさと上を確保してしまおうと、リリー・ロングバールは少し早足になる。
屋上への扉に鍵はかかっていないようだった。薄く開いた隙間から、月明かりが漏れている。さび付いた金具の抵抗はあるものの、ドアはゆっくりと開いてゆく。
満月のおかげで、外は明るかった。視界の正面に丸く大きく輝くその姿はもちろん美しかったが、姫騎士の心の中はそれどころではなくなっていた。
全裸のももんがオークが、月光を浴びながら、リリー・ロングバールに優しい笑みを向けて立っていたのだ。翼のように広がった飛膜が、月の光に透かされて輝いている。
「いい月夜だね」
と声をかけられた瞬間、リリー・ロングバールは反射的に背中のバールを抜いたが、それを見たももんがオークは悲しげな顔になる。
「姫騎士が僕たちを憎んでいるのは知ってるよ。でも、僕たちは生まれたままの姿で空を飛びたいだけなんだ」
「吐き気がするわ」
「翼を開き、すばらしい風に乗れば、どこまでも飛んでいける喜びが体を満たす。そして高まった器官が、少しばかりの粘液を放出する。これは罪深いことなのかい?」
歌うようにももんがオークが問いかける。
「裸で死にたくないでしょう?せめて服は着なさい」
「美学的にも、空力的にも、それは絶対に許されないことなのさ!」
そう言い捨てたオークは姫騎士に背を向け、夜の廃ビル街に飛び立った。速度を上げ、気流に乗って一気に上昇し、空の彼方に消えたかと思うと、ターンを決めてリリー・ロングバールの前に再び姿を現し、軽く宙返りを披露する。そして遠い闇の中に溶けていくと、二度と戻ってこなかった。
「なんて邪悪な生き物なの……」
リリー・ロングバールは武器を握りしめつつおののいた。これほどの嫌悪感を抱かせるオークは久しぶりだった。独りよがりの価値観のなかで生き、周りにどれだけの不快感を与えるかをかえりみないこのオークには、迅速な粛正が絶対に必要だろう。妹たちにもよく言って聞かせなければならない。
作戦が始まった。三姉妹は姫騎士軽トラックの荷台に乗って、ももんがオークの密度が高いエリアを射撃して回る遊軍だ。運転手は偶然にもリリー・ナンブだった。
「本当なら姫騎士ハンヴィーがいいんだろうが、そっちは調査部付きの連中が優先でね。運転でできる限りのことはするから、すまないけど我慢してくれ」
「姫騎士ハンヴィーの乗り心地もひでえけど、この荷台は輪をかけてひでえな。まともに狙えるのかよコレ」
リリー・ガトリングは三脚にミニガンを乗せているのだが、地面のわずかなへこみで盛大に揺れる軽トラの車体の上では、走行中の射撃は厳しいと言わざるを得なかった。
「基本、停車時に撃つしかないかもね。当然敵には狙われやすくなるけどしかたない」
「だいたい調査部の仕事なんてなんで直で受けたんだよ姉さん。ひどい待遇だぜ」
黄色い雨合羽のフードをかぶりながらリリー・ガトリングがぼやく。これはももんがオークの粘液対策として支給されたもので、特殊なコーティングがしてあるという話だったが、効果の程は定かでない。
「あなた交渉ごと嫌いでしょ?色々あるのよ。それに今回のオーク、かなり危険な連中だから、二人とも気合い入れてね」
助手席から答えたリリー・ロングバールの声は真剣だった。
「まかせてください!大お姉様!」
と元気なリリー・チェーンソウは、強敵の予感に今にも荷台から飛び出て行きそうな勢いだったが、今回はサーチライトの操作がメインの仕事だ。
「上空の敵ってほとんど撃ったことねえから、勝手がわから、ウグッ!」
ちょうど、軽トラックが踏切の線路を乗り越えるところだった。段差による上下動のせいで、リリー・ガトリングは舌を噛んでしまう。
「無線で言ってるが、南側の比較的低層の地区に群れが集まってるらしい。まずはそこで腕試しだな。」
リリー・ナンブは大きくハンドルを切った。軽トラが横転しそうなほどの勢いで交差点を曲がると、ターゲットを狙ってせわしなく夜空を照らしているサーチライトの光が正面に見えた。
このあたりの受け持ちは、リリー・トンプソンなどの、射程の短い銃の使い手が多いと説明されていた。すでに戦いは始まっているらしく、連続した発射音があたりに響き渡っている。
「低層地域は飛行中のオークを狙うだけじゃなく、滑空の拠点になる屋上を潰して回るやり方で行くって言ってたわね。私たちはどうしようかしら」
リリー・ロングバールがそう意見を求めた時だった。
「伏せろ!」
リリー・ガトリングが妹の頭を抑え、荷台に倒れ込む。低空を高速度で飛行する二匹のももんがオークが、建物の陰から突如出現したのだ。二匹は大きく旋回すると、姫騎士軽トラの進路上に、粘液を続けざまに浴びせかけて、あっという間に遠くへ消える。軽トラは急停止した。
「編隊を組んでやがる!みんな無事か!」
リリー・ガトリングの呼びかけに、座席の二人は後部の窓を叩いて応えた。
「早く射撃体勢に入って!ももんがオークが戻ってくるわ!」
リリー・ロングバールの言った通り、ももんがオークのバディが姫騎士軽トラの前方で平行旋回し、こちらに向かう体勢を整えてきている。
「正面から突っ込んでくるのか?的にでもなる気かあいつら」
星明かりと車のヘッドライトを頼りに射撃を始め、真っ赤に光る弾丸が夜空に踊り始めた瞬間、二匹のももんがオークは散開し、それぞれが回避運動を取り始めた。シザーズと呼ばれる機動で、ランダムな旋回を繰り返しながら姫騎士たちに徐々に近づいてくる。
ミニガンの弾は虚空に消えていくばかりだった。ももんがオークたちの恐るべきマニューバだ。リリー・チェーンソウがようやくサーチライトのスイッチを入れたが、すぐにはももんがオークの激しい動きを追いかけることができない。
液体が地面を打つ音が聞こえ始めた。ももんがオークが粘液の連射を始めたのだ。このまま撃墜できないと、まともに溶解液をあびることになる。調査部支給の雨合羽の性能を試す実験台になるのはごめんだと、リリー・ガトリングの背筋が寒くなった。
「まずは一体落とすぞ!」
射手の姉のこの言葉通りに、リリー・チェーンソウは一脚スタンドのサーチライトを操作し始めた。もともとの動体視力のよさがあるので、ライトの操作にも急速に順応している。一体の動きを愚直に追うだけなら、なんとかなりそうだった。
ライトで捉えてしまえば、どれだけ動き回ろうとも限界がある。すぐにガトリングの連弾がももんがオークの体を引き裂き、肉のかたまりが地面に落ちる音が響いた。
だが、もう一体が、すでに対応不可能な位置まで近づいてきているのはほぼ確実だった。頭上を取られれば悲惨なことになるかもしれない。リリー・ガトリングが妹をかばう姿勢に移ろうとした時だった。
ももんがオークの体が、緑と赤に塗り分けられた鋼鉄の棒に貫かれ、力なく落下していった。悲鳴すら出ない致命の一撃を、リリー・ロングバールが与えたのだ。
「槍投げは久しぶりだったから緊張したわ。二人とも大丈夫?」
「外したらどうするつもりだったんだよ姉さん」
「忘れてもらっちゃ困るね」
拳銃を握ったリリー・ナンブが荷台の横に立っていたが、いずれにせよ間一髪だった。粘液がアスファルトを溶かしているのだろう。嗅いだことのない臭いがあたりに充満している。
「バックを取られないで本当によかったぜ。確保の済んでいる建物を背にして射撃するのがよさそうだがな……」
「それだと遊軍の意味がないわ。危険でも、オークの密集してる場所に行かないと」
ももんがオークの死体からバールを引き抜きながら、リリー・ロングバールはどうするべきか考えていた。
「あ、お姉様たち、あれ見てください!」
リリー・チェーンソウが指さした先には、滑空を終え、着陸したと思しき飛行オークの集団が、所在なさげに歩く姿があった。おそらく次の滑空を始める高所を探しているのだろう。
「私、行ってきます!」
いつものように戦意に満ち満ちている末妹は、得物の特大チェーンソウを持ち上げると、すばらしい加速で目標に向かった。独断専行をとがめる間もない。地上を走るのには向いていないらしいももんがオークたちはすぐに捕捉され、溶解液を発射する間もなく、リリー・チェーンソウの黄色い雨合羽を彩る、大量の血の供給元となった。
嬉しそうに戻ってきた小さなチェーンソウ使いの顔を見て、リリー・ロングバールは今後の方針を決めた。
「地上のオークを狙いましょう。空を飛んでいるオークに対しては逃げるか、防御するだけでいいわ」
「結局イモ引くのかよ」
「サーチライトの操作と射手の護衛は私が担当するわ。リリー・チェーンソウちゃんが白兵要員ね。荷台に3人は狭いけど我慢して」
消極的に思えたリリー・ロングバールの作戦は正しかった。滑空を始める地点がそれほど高くないこの地域では、ももんがオークも飛行状態を長時間は維持できない。そもそも空を飛ぶオークを狙うことに意識を強く向ける意味はあまりなかったのだ。
地面を移動するももんがオークはまさにカモだった。ガトリングガンが、何の苦労もなく飛行種たちを処理する。たまに軽トラで轢き倒していくこともあった。
とにかく停車さえしなければ、厳しい戦闘になる確率を低くできることがわかった。飛行中のオークと遭遇しても、手近な角を何度か曲がれば旋回が追いつかない。
リリー・ガトリングは、少々とは言い難い車体の揺れの上で、強引に射撃することを強いられるようになった。どれだけ命中率が落ちても、それを上回るメリットがあるのだ。
これは先ほどのような不意のコンタクトがない限りは安定した戦術だった。白兵要員に任命されたリリー・チェーンソウは、出番がなくてやや機嫌が悪い。
「だいぶ掃除したんじゃないか?」
リリー・ガトリングの感想の通り、この地区で生きたももんがオークを見る頻度は減ってきていた。友軍も効率的に狩りを遂行していたようだ。夜も更けている。
「いま無線があった」
リリー・ナンブが荷台に声をかける
「高層地区のリリー・ムラタジューが溶解液にやられてリタイアだそうだ」
リリー・ロングバールはリリー・ムラタジューとは遠い昔に面識があったので、やや顔が曇る。ブリーフィングの時も、互いに会釈くらいはした。
「受け持ちに穴ができたから代わりに入ってくれないか、だとさ。」
「断る理由もないわね。了解したと伝えて」
返事を聞いたリリー・ナンブは、無線にその旨を伝えると、高層地区へと向かうべく、姫騎士軽トラのハンドルを切った。やや風が出てきている。高層地区の戦況は、こちらとはまるで違うのではないかという予感が、姫騎士たちの胸に去来していた。