月夜のハンティングパーティー 2
手配の車が来るまでにやや時間があった。カーキ色の小さなトラックが正面入り口前にようやく横付けする。近場の運搬にはよく使われる姫騎士軽トラックだ。運転手一人で護衛もついていない。
「リリー・ロングバールさん?」
そう問いかける運転手に、リリー・ロングバールは何度か見覚えがあった。たしかリリー・ナンブとかいう姫騎士だ。自動車班にいたのは知らなかった。
「はい。リリー・ナンブさんでしたっけ?わざわざお疲れ様です」
リリー・ロングバールが軽く会釈する。
「覚えててくれたとは嬉しいね。戦利品の運搬と帰投だろ?車はボロだけど仕事はきちんとやるから安心してくれ」
「帰投?私が頼んだのは戦利品の運搬だけですけど」
逃げたオークを少しでも狩ってから帰るつもりだったリリー・ロングバールにはこれは意外な言葉だった。
「しかし上は帰投させろって言ってたね。間違いないと思うけど一応自分で確認してみたらどうだい?」
リリー・ナンブの言葉は確信に満ちたものだった。ホルダーに収められていた携帯電話を取り出すと、画面の表示が点滅しているのに気づく。メールだ。
「戦利品とともに帰校し、まず調査部に出頭すること」
司令部からのものだった。司令部は自動車班の動きを大体は把握しているので、リリー・ロングバールの要請を知っていてもおかしくはない。
入り口近くに積み上げておいた戦利品を二人で荷台に載せると、リリー・ロングバールは姫騎士軽トラの助手席に乗り込んだ。
リリー・ナンブは饒舌だった。二人の妹について、今日の戦いと戦利品について、かつて出会った強敵について、そしてバールの扱いについてまで、リリー・ロングバールに根掘り葉掘り聞きたがった。
「どうも調査部は大規模な作戦を予定してるみたいで、自動車班と鉄道研究会の日程を何日か抑えてるらしい。調査部への出頭ってのもそのあたりのからみじゃないかねえ」
リリー・ロングバールが聞いてもいないことまで教えてくれたが、リリー・ナンブのおしゃべりには、不思議としつこさを感じなかった。
学園の門をくぐり、調査部の入っている西棟の前で姫騎士軽トラは止まった。リリー・ナンブはまだまだしゃべり足りないような顔をしていたが、やがて窓から手を振りながら、倉庫のある方向へ向けて車を走らせていった。
古い紙と埃のにおいが、西棟に入ったリリー・ロングバールを迎えてくれる。この建物の大部分は、学園の図書館が占めている。組織の系統図で言えば、調査部も図書委員会の管轄下にあるのだ。
地下にある調査部の受付に名前を告げ、武器を預けると、ずいぶん以前からの馴染みとなっている薄暗い応接室に通された。調査部ではお茶は出ない。
オフィスとつながっているドアがノックもなしでいきなり開くのはいつものことなので、リリー・ロングバールは驚かなかった。勢いよく開かれたドアから、もう見飽きた顔となっている主任フェローの一人が姿を現す。
「『いい人オーク』どうだった?変な習性とかなかった?」
眼鏡の奥の瞳が純粋な好奇心に満ちているのは理解できるのだが、あいさつもなしに質問をぶつけるせっかちさは相変わらずだった。
「ごきげんよう、リリー・チューニングフォーク。それは司令部に報告を上げるので、そちらからお願いしますね」
質問に真面目につきあっていたらキリがないのはわかっていた。
「学園の連絡系統は破綻してるからなー。レポートも回してくれるかどうか。今日だって司令部経由で君をちゃんと呼び出せるか不安だったんだから。調査部の権限をもっと大きくしてくれれば解決してあげるのに。あ、そうだいい加減ケータイのアドレス教えてよ。それで『いい人オーク』なんだけどさー……」
このおしゃべりの主に携帯電話のアドレスを教えないでおいて本当によかったとは、リリー・ロングバールの常々思っているところだ。こちらが任務中だろうが、構わず電話を続けそうな強引な勢いがある。
「それはともかく、今日は何の用件でしょうか」
長口舌に切り込まれた眼鏡の姫騎士は、少し面食らったような顔を見せたが、すぐに調子を取り戻した。
「あ、そうそう。今日はねー、仕事の依頼なんだよ。今までは司令部通して依頼してたけど、今回は初めて直で受けてもらうから。いちおう司令部の了解もとってあるから、後で確認してね。というかこれを機会にフリーやめて姉妹まとめてウチに移籍しない?聞いてるよー妹さんたちもやたら優秀なんでしょ調査部は予算も潤沢だし最高だと思うけどなー」
リリー・チューニングフォークは持参の分厚い封筒の中をなにやら探しながらも、喋るのをやめない。
「実は急ぎの仕事なんだよー。欠員が出ちゃってねー。いつ?っていうか今晩って話なんだけど、腕の立つ姫騎士で、ウチとなじみで、捕まりそうなのがあとは君ら姉妹しかいなかったんで、どうしても受けてもらわなければ困るっていうか、もう上層部は受けなければ圧力かけろとか平気でいうからねー」
調査部の圧力という名の嫌がらせは、フリーの姫騎士の間では恐れられている。こういう微妙な話題に無神経なのも、この姫騎士の大きな欠点だった。おしゃべりの性質の悪さという点においては、リリー・ナンブのそれと大きな差がある。
「妹さんたちのスケジュールも確認済みだし、ウチは今回の件には全員乗り気だから、受けておいて損はないと思うけどなー。それにオークも滅多に会えないレアなやつだよ。お、あったあった」
リリー・チューニングフォークは目的の書類を封筒からとりだすと、テーブルの上に置いた。表紙には「極秘」の印が堂々と押されている。
「極秘ってあるけど、もう公然の秘密というか、バレバレなんだけど、いちおう極秘って形だけは守っておかなきゃなんで、これ読んだら仕事受けたってことになるんだけど、そこは大丈夫?」
圧力をほのめかされた時点でリリー・ロングバールには逃げ場がない。なにしろ悪名高い調査部のいやがらせだ。調査部は人事評価のレポート作成にからむこともあるので、妹たちの将来にも関わる。
少しは抵抗の素振りを見せたほうがいいかとも思ったが、無駄な試みであることは明らかだったので、ため息もつかずに書類の表紙をめくった。
「フィールドワーク 都市部における飛行種オークの調査」
と中表紙には記されていた。目を引くのはどう考えても「飛行種」の文字だ。
「フィールドワークとか調査ってのはまあ、知っての通り調査部独特の表現で、実質は作戦と変わらない。そこはいつもと同じ。でも『飛行種』は気になるでしょ。君の戦歴でもたぶん遭遇したことがないはず」
文字通りに読むなら空飛ぶオークということになる。たしかにこれは興味深い。例えばグライダーなどを製作する技術を備えたオークなのだろうか。リリー・ロングバールはページをめくった。冒頭にあったのは「飛行種オークとは」という文章だった。
「飛行能力を備えたオークについては、古文書にいくつかの記述があることが知られているが、いずれも情報の確実性に欠け、存在そのものが疑問視されてきた。
しかし、近年のリサーチにより、北の森に生息する、通称『ももんがオーク』に、限定的ながら飛行能力があることが確認されるに至った。
ももんがオークはその名の通り、腕の下から脚にかけて、翼のような飛膜を発達させたオークである。夜行性で、樹木から樹木へと、滑空して飛び移る習性がある。また、飛行中に強い溶解作用のある粘液を放出することがわかっている。
最近、このオークと思われる目撃情報が、都市部を巡回する姫騎士からも寄せられるようになっている。飛行能力を備えたオークが増えれば、特に近接戦闘系の姫騎士には重大な脅威となり得る。
学園の持続的発展のために、この飛行種オークの調査は絶対に欠かせない活動となるだろう」
にわかには信じがたい内容であった。通常のオークの概念を超えているというか、これはもう別の生き物ではないかという気さえする。
この文章に続いて、ももんがオークの想像図イラストや、日時すら定かでない目撃談、ピントのまったく合っていない写真などが掲載されており、報告書としての出来は極めて怪しかったが、巻末についていた調査予算の見積もりだけは、かなり綿密に組まれたものだという印象を与える。
書類から顔を上げたリリー・ロングバールを待っていたのは、主任フェローの満面の笑顔だった。
「どう?面白いでしょ。こいつらはもともと北の森で木の実かなんか食べて暮らしてたらしいんだけど、最近は廃ビル街に進出してきてるんだ。飛行中に出す粘液が超強力でねー。聖母の加護のある甲冑を溶かすから危なくて夜道を歩けないんだよー」
廃ビル街など重要区域でもなんでもない。ここへきてリリー・ロングバールはようやく理解した。これは調査部の恒例行事だ。たいしたことのないオークに大騒ぎし、作戦を隠れ蓑に余った予算を消化しているらしい、という噂は、姫騎士の間ではもはや常識だった。
「相手が相手だから、今回は銃使いの姫騎士をたくさん呼んであるんだ。リリー・カラシニコフやリリー・ドラグノフ、リリー・ムラタジューなんかが来てくれる予定だよ」
いずれも名うてのガンナーだった。自分たち姉妹が指名されたのも、おそらくリリー・ガトリングに期待してのことだろうということがすぐわかった。
長い長いおしゃべりに付き合う覚悟を、リリー・ロングバールはすでに決めていたのだが、オフィスから職員呼び出しの内線がかかってきたことで、幸運なことにその覚悟も無駄になった。作戦のブリーフィングは夕方6時からだ、と告げてリリー・チューニングフォークはドアの向こうに去って行った。
リリー・チェーンソウの喜ぶ顔と、リリー・ガトリングの渋面を同時に脳裏に浮かべた姉騎士は、司令部に顔を出したら少し仮眠を取ろうという気になっていた。