三姉妹登場 2
それにしても、速い。運んでいる武器の重量に差があることを差し引いても圧倒的である。直進してくれているから背中を追えているが、何度か角を曲がられればすぐに見失ってしまうだろう。妹の使っているのが大きな音を発する武器でまだしもよかったと、リリー・ガトリングは少しだけ自分を慰める。
しかし、恐れていた瞬間はあっさりと訪れた。妹の背中、そのさらに向こうに見えていた交差点の左側から、ランニングをしているオークの集団が姿を現したのだ。リリー・チェーンソウが一気に速度を上げたのが、さらに開いた二人の間の距離でわかる。
群れは隊列を組んでいた。そして近づいてくるリリー・チェーンソウに気づいたらしき先頭の一匹が足をとめると、他のオークもいっせいに走るのをやめた。規律を持った集団行動を取れる群れなのは間違いない。
オークは全員白い道着を身につけていた。(空手オークか柔道オークだ……)リリー・ガトリングは過去の経験からそうわかったが、妹にその知識があるとは思えなかった。
今のリリー・チェーンソウにはためらいというものがない。相手の様子を観察しようともせずに突進する。完全に頭に血が上っているのだ。
柔道オークに捕まると手の打ちようがないな、とリリー・ガトリングは懸念する。
リリー・チェーンソウがスロットルレバーを握り込んだのだろう。チェーンエッジに動力が伝達される音が、はっきりと強さを増した。
オークたちが構えをとる。拳を作っているところから考えるとおそらく空手オークだ。組み技系のオークでなかったのは運がいい。
「白い帯のやつから狙え!」と一応は叫んでみる。伝わっているかどうか疑わしいと思う間もなく、チェーンソウによって切り飛ばされたオークの腕が宙に舞うのが見えた。
正拳が突き出されたタイミングを見切って体をかわし、同時に刃を振り上げている。上腕の切断面から血液が噴出し、敵味方に区別なく降り注ぐ。リリー・チェーンソウはその勢いのまま一回転し、腕を失ったオークの上半身と下半身を、腰の部分で真っ二つにした。
しかし、これは悪い兆候だとリリー・ガトリングは感じた。先ほどの戦闘とは違い、一匹のオークを倒すのに大きく二動作使っている。冷静さを失って瞬間的な判断力が落ちているか、相手が強いか、その両方かだった。
仲間を仕留められたオークたちは、いったん距離を取るような動きを見せるが、リリー・チェーンソウはそれを許さず間合いを詰める。直線的に相手の懐に飛び込み、腹から背中まで一気にバーを貫通させたかと思うと、素早く引き抜く。
危険性の高い攻めだった。相手が退くタイミングだったからよかったものの、前に出るオークがいたら、武器を引き抜く隙に攻撃を受けていた可能性がある。いや、それだけではなく、現にオークたちはそのわずかな空白の時間を利用して、リリー・チェーンソウをなかば包囲するような体勢を整えている。
こちらに注意を向けさせる必要があった。リリー・ガトリングは急いで背中からミニガンを下ろそうとする。リリー・チェーンソウは、さらに一匹のオークの左脚を切り落とし、次に別のオークの脇腹を裂いたが、その間にオークたちによる包囲が完成しようとしていた。
リリー・ガトリングは、妹に流れ弾が当たらないように、群れの端の一角に向かって射撃を開始する。陽動が目的なのと、弾丸が少なくなっているので、断続的に発射ボタンを押す。地面に土埃が上がり、何匹かの敵が倒れる。オークたちがいっせいにこちらを見た。
一瞬でも注意が削がれた効果は大きく、リリー・チェーンソウは二匹のオークを仕留め、包囲から逃れる。
(このまま行けるかもしれないな)とリリー・ガトリングはやや楽観的な予想に傾く。士気を失い、逃走したり立ちすくむオークが出れば、恐怖の連鎖が始まり、集団が崩壊するかもしれない。そうなれば後はつまらないルーチンワークだ。現に何匹かのオークは明らかにうろたえている。
だが、その願望は実現しなかった。群れの後方に控えていた、ひときわ体格の優れたオークが大きく天を仰ぐのがリリー・ガトリングの目に入る。
オークはそのまま腰をゆっくりと沈み込ませ、あたりのすべてを揺らす大音声を放った。
「オス!」暴力的な音波が一瞬で膨れ上がる。街路樹の葉は激しくざわめき、周囲の壁という壁が、受け止めきれなかった衝撃を反響させる。暴威の発生源からは遠いリリー・ガトリングにも、痛いほどの空気の震えが減衰せずに走り抜けて行ったのが感じられた。
過酷な行を修め、武の高みに達したオークのみが発することのできるウォークライだ。ブラックベルトを許されたオーク、その中でも上位の実力を持つ個体に間違いなかった。
空手オークたちの目に炎が宿る。荒ぶる叫びによって闘争心は強引に呼び起こされ、眠っていた武への渇望が目を覚ます。
「オース!」「オスオスオスオース!」猛ったオークたちは鼓舞に応え、次々に大きな鳴き声を上げた。そのうちの何匹かは、あっさりとリリー・チェーンソウの餌食となったが、それでも戦意は高まるばかりだ。興奮を感知した外分泌腺から放出された、オーク特有の強烈な臭気が戦場にたちこめ、それがまたオークたちの本能を煽る。
少なくない数のオークが、リリー・ガトリングの方へ向かって走り出した。遮蔽物に隠れながら接近するなどという選択肢は最初から存在しないのか、ガトリングの射線上を最短距離で駆け抜けようとしている。リリー・ガトリングの放った弾丸が低進弾道を描き、先頭に立ったオークどもを当然のように次々と打ち倒した。これで二の足を踏むだろうと考えたリリー・ガトリングは、一度射撃を停止する。
しかし、闘争の魔境に入った空手オークたちにとって、今やある真実が明らかであった。日々の修練はこの死の道に至るために存在していたのであり、鍛えられた拳が破るべき天が、この道の終点に、輝く甲冑をまとった姫騎士として具現されている。届くはずのない極みが眼前に姿を現し、武を志すものを死とともに招く。我が武、達するや、達せざるや。すでに天命は与えられたのだった。狂戦士と化したオークたちは、リリー・ガトリングを目指し次々に突進する。
極上の殺戮体験が訪れる確信が、リリー・ガトリングの瞳孔を一瞬で全開にさせた。口元が期待に緩み、肩が小刻みにふるえだす。快楽の大波をもたらす生け贄の群れが、現実離れした蛮声をとどろかせながら迫ってきていた。
「豚どもが発情しやがって……」
悪臭を放つ醜いオークどものかたまりが、死の栄光を与えてくれと卑しくねだっているのが嫌でもわかる。嘔吐を催しそうなほど濃厚な感情だったが、リリー・ガトリングは、自分が獣たちの望みに応えてやらないわけにいかないことを知っていた。これは慈悲としか言いようがない……脳内物質の奔流が、リリー・ガトリングの精神を離陸させ、遙か遠くまで一瞬で連れ去っていく。
発射ボタンを押す、という行為の意味は、地平の彼方に消失した。ただ、自分と一体化した何かから、熱のようなものがあふれ出てている感覚があるだけだ。
炸薬の爆発的な燃焼の連鎖が、リリー・ガトリングを駆動している。完全被甲弾頭を超音速で疾走させ、オークの分厚い肉を切り裂くことだけが、この姫騎士の機能だ。
オークたちが膝をつき、こちらに手を伸ばしながらゆっくりと倒れる。一匹、また一匹と重力に抗う力を失うオークたちは、まるで混沌のなかに溶けていくようだ。
今や自分が全能に近い存在へ上り詰めようとしているということは疑いえなかった。炎を吐き出す鋼鉄の機構と融合し、オークどもに死の恵みをもたらす姫騎士の姿には、明らかな神性が宿っている。オークがオークとして生まれ落ちた瞬間に結ばれた契約が、分速3000発を超える勢いで履行されていく。
遠く、静かな世界だけが、リリー・ガトリングの意識にはあてがわれている。だが、到達の時は近づきつつあった。オークの集団はすでにまばらで、最後の幾匹かが、夕日を背に受け、自らの影の上に倒れようとしている。そして、その屍を乗り越えて歩むものが消えたとき、姫騎士は神として完成するのだ。
頂が見える。黒帯を締めた巨大なオークが近づいてくる映像が、スローモーションで再生されている。薄赤く輝く弾頭が、最後のオークの左腕の肉を、骨が露出するまでに削り取って行くのを見た。右脇腹を、左肩を、左大腿部を弾丸が通り抜けるのを見た。平衡を保つことができず、血を吐きながら崩れ落ちようとする巨体を見た。ついに、約束の時が訪れようとしていた。
急速に意識が戻ってくるのをリリー・ガトリングは感じた。閉じていた世界の殻が破られ、風景が色を取り戻した。目に映るものたちが次々に意味を回復し、脳に語りかけ始める。逆光の中、こちらに向かって走ってくるリリー・チェーンソウが遠くに見えた。終わったのだ。間違いなく生涯最高の戦闘だった。
だが、当然あるべき何かがなかった。絶対になければならない何か。それが何なのかはわからないが、違和感だけは残っている。リリー・ガトリングの意識は空白の前で立ち止まる。
「音だ」ということがわかった瞬間、リリー・ガトリングは信じられないものを聞いた。
自分自身の悲鳴だった。
「ひ、ひぃー……」
あまりに細く弱々しい声が、かき消されることなく聞こえた。そして消えてはならない音が消えていた。人によっては不快な羽音のように聞こえるあの音、M134が弾薬を発火させる炸裂音が消え、六連バレルが虚しく空回りしている。弾切れだ。
黒帯の空手オークが、すぐそこに荒い息を吐き出しながら立っていた。体から大量の血を流しているが、間違いなく生きている。これが、リリー・ガトリングに悲鳴を上げさせた恐怖の根源だった。意識が自己欺瞞を終わらせ、無意識の恐慌状態に追いつく。姫騎士の心は、すでに弾切れの瞬間に折れていたのだ。
オークがゆっくりと歩き出す。おそらく最後の力で一撃を放とうとしているのだろう。リリー・ガトリングはその場にへたり込んでしまい、動くことができない。腰の拳銃を抜く、という判断さえ不可能になっている。体の震えが止まらなかった。涙と鼻水が、まるで用意されていたかのように流れていた。
それでもなんとか恐怖に背を向けて這いつくばり、定まらない膝を頼りに立ち上がろうとしたときだった。息を深く吸い込んだ瀕死の黒帯オークは、見事なすり足で一気にリリー・ガトリングに肉薄すると、姫騎士の震える尻へ向けて、勢いよくタックルした。
リリー・ガトリングは前のめりに倒れ込む。そしてこの後永久に忘れることのできなくなる、空手オークの末期の言葉を聞いたのだった。
「結婚しよう……」
オークの体から力が抜け落ちたのがわかる。そしてすぐにリリー・ガトリングを猛烈な吐き気が襲った。最悪の不快感がこみあげ、胃液と混じったワンカップ大関が食道を逆流していった。強敵の死に安堵したのはその後だったが、リリー・ガトリングはしばらく体を動かすことができなかった。
地面の冷たさが脚に伝わってくる。鼓動が小さく体を押し上げている。顔にまとわりつく嘔吐物の感触と臭いも鮮明になった。自分の体と知覚が、ようやく通常の活動を始めたのを感じたリリー・ガトリングは、大きく一つ息をついた。
ふと顔を上げると、リリー・チェーンソウが心配そうにこちらを見下ろしている。死体の下敷きになっていた下半身を引きずりだし、顔の鼻水を袖でぬぐいながらリリー・ガトリングが立ち上がると、妹はゲロまみれの姉に勢いよく抱きついた。
「よかった!まだ戦えますね!」と嬉しそうに大声を上げた妹の精神構造は完全に狂っているが、それを叱る意欲も、資格も自分にはないのだと、リリー・ガトリングには嫌でもわかった。そう、これが姫騎士だ。これでやっていくしかないのだ。
ディーゼルエンジンの低く太い音がリリー・ガトリングの耳に入った。姫騎士ハンヴィー特有のエンジン音だ。たしかまだ自動車班には連絡していなかったはず、とリリー・ガトリングは不思議に思うが、かなたに見える車体の窓から身を乗り出して手を振っている人影が、長い金髪を大きく風に乱しているのを認めて笑顔になる。
リリー・ロングバールのさすがの姉ぶりだった。顔を見合わせたリリー・ガトリングとリリー・チェーンソウは、二人そろってハンヴィーに向かって大きく手を振った。
「おーい!」
「大お姉さまー!ここでーす!」
リリー・ガトリングは腹の底から声を振り絞ってみて、少し元気になったような気がした。なにしろまだまだ戦うつもりの妹を車に乗せなければならないのだ。
地面の凹凸をまともに尻に伝える最悪の座席の上で、三姉妹は今日の戦闘の反省会を開く。リリー・チェーンソウは戦い足りない不満をまともに顔に出していたが、黙って話を聞いている。リリー・ロングバールの話によると、黒帯の巨オークは以前からの賞金首だったらしく、死体の写真を撮り、帯を外して持って帰ったのは、その証拠のためだということだった。上に報告をして、森の魔女のカウンセリングを受ければ、今回の作戦は終了だ。
リリー・ガトリングはウエストポーチに入れたままだった焼酎を思い出す。ファスナーを開けると、透き通ったガラス瓶が健気にも割れずに残っている。別に飲みたいとも思わなかったが、手が自然とキャップをひねっていた。まあそれもよかろうと、冷たいのだかぬるいのだかわからない液体を喉に流し込む。
最低の酒だった。こんな酒を選んだ自分を、今後信頼していいのかわからない。そんな酒だ。どこかで聞きかじった知識と勢いで自販機のボタンを押したのだ。下を向いたまま沈黙するリリー・ガトリングを、二人の姉妹は不思議そうに見ている。
とは言え、リリー・ガトリングは姉妹とともに今日も生き残ったのだった。最後に無様な姿をみせたが、悪くない戦闘だったし、結局しっかり殺し切ったのだ。何の思い悩むことがあるものか。安酒の残した強烈なえぐみを味わいつつ、リリー・ガトリングは満足した。おそらく今夜はぐっすり眠れるだろう。女児の保護については心からどうでもよかった。




