クズレア 01
「パラドットシャムで攻撃」
学校の教室ほどもない狭い部屋に整列するように並べられた長テーブル。そのうちの一つを挟んで、緊張した面持ちの少年と落ち着いた表情の少女が対座していた。机の周りには彼らと同じくらいの年頃の子どもたちと数人の大人がぐるりと囲み、覗き込むようにして二人の手元を見ている。
テーブルには迫力のあるイラストが印刷されたカードがこれもまた整列するように並べられており、たった今少年がそのうちの一枚を指して冒頭の台詞を唱えたところだ。そう、これはとあるトレーディングカードゲームのジュニア大会の決勝戦の様子である。
少年の攻撃が少女に通れば少年の勝ち、通らなければ少女の勝ちがほぼ確定となるまさに決死の局面。ギリギリの攻防と削り合いによって、少年には手札がなく、少女の手札も一枚しか残っていない。少年が緊張するのは当然だが、少女が落ち着いているのは果たして……。
少年の声は続く。
「パラドットシャムが攻撃するとき、対戦相手の手札を一枚ランダムに選び捨てさせます。差し込みはありますか?」
声変わりする前の幼い声が、緊張に震えながらも少女に問う。
「ありません。捨てる手札を選んでください」
対して少女は静かに答えた。カウンターを行わないのは打つ手が無いからか、機会を伺っているのか、それさえも判断できないような感情の無い声音に、少年は身震いしそうになる。
「えっと、じゃあ、そのカードを……」
少年が彼女に残された最後の手札を指すと、少女はそれを相手に見えるように裏返してみせた。
「強欲な宝箱が対戦相手によって手札から捨てられるとき、強欲な宝箱を捨てる代わりに場に出します。差し込みはありますか?」
ギャラリーから、あっ、という声が上がる。続いて少女を褒めるような驚嘆の声(とはいえ多くはすげえだのやばいだのこの場では意味を持たない言葉だったが)が聞こえ、少年は緊張から解放された。
一呼吸を置いて少年が答える。
「ありません。どうぞ」
「強欲な宝箱を場に出します。パラドットシャムの攻撃を強欲な宝箱で防御。強欲な宝箱が防御するとき、対戦相手に一点のダメージを与えます。差し込みはありますか」
「ありません。ダメージを受けてライフがゼロです」
勝負が決した。最終戦にふさわしい一進一退の大接戦を制したのは少女の方だった。
互いに礼を言って、健闘を讃え合う二人。周りの子どもたちもいつの間にか拍手をしていた。
「この時からアマトは負け癖がついとったんじゃのう」
「負け癖なんてねえよ。あいつが別格なだけだ」
俺の昔の記憶を観ながら、隣に立つ珍妙な出で立ちの少女がため息をつく。
珍妙というのは文字通りの意味である。具体的には、チョコレートとシナモンが斑に混ざったような色の髪を肩まで垂らし、背に穴の空いた膝までのローブを被り、足には爪先と踵にスリットがある藁のブーツを履いている。それだけでも相当珍妙だが、さらに言うと頭に獣の耳のような形の羽があり、背中の穴からふわっとした翼を生やしているのだ。今は隠れているが、ブーツのスリットからは爪だって出る。端的にイメージしやすい言葉で表すならば、鳥人間である。
彼女は、名をサンボという。見た目の歳は十四、五といったところか。本人が言うにはどこぞのミミズク族の戦術参謀らしい。初めて夢に現れた際に適当に名付けてやったら何故か気に入られ、それ以来何度も夢に現れるようになった。
「大体、サンボには勝ってんだろ」
「戦の参謀として例え札遊びでも負け続きなのは歯痒いところじゃがの……アマトの夢なのじゃからアマトが勝って当然じゃろう?」
そう言ってサンボが鼻を鳴らす。
「ま、それはそうなんだけどな」
俺の夢の中での話し相手は今やほぼサンボしかいない。これがいわゆるイマジナリーフレンドってヤツなのだろうか。別に子ども時代を孤独に過ごしたわけでもないんだが、いつからいるのかも思い出せないくらいだし、ひょっとすると子どもの頃の自覚のないストレスがサンボを生んだのかも知れない。
ちなみにローブの丈も当初はぶかぶかだったのだが、どうやら俺の成長とともに夢の中の彼女もある程度成長したようである。
「俺がどうに関係なく、あいつは昔から強かった」
「じゃろうて、彼奴も当時こそ軽い気持ちで参加し優勝なぞするとは思わなんだろうが」
「今はちゃんと自分の才能を理解している。ひょっとしたら今世界でプロって言われてるカードゲームプレイヤーともまともに戦えるかも知れん」
そんなわけないのだが、それくらい期待してしまう。
「戦う機会に恵まれるかどうかは分からんがの」
サンボが嫌味っぽく笑って俺の足元にしゃがんだ。
機会についてはサンボの言う通りで、俺はあいつの才能を何とかして世に知らしめてやりたいと思うは思うんだが、いかんせん本人が大きい大会に出ようとしないのだった。
「能ある鷹は爪を隠すってことなのかねえ」
「なんじゃ、タカの話か! タカなぞは、タカなぞは阿呆ばかりじゃ! アホウドリじゃ! 猛禽の風上にも置けんやつらじゃ!」
「うるせえなただのことわざにキレんじゃねえよ。あとアホウドリに謝れ」
突然騒ぎ出したサンボを宥めようと振り向いた途端、耳元でバシンという大きな音が鳴る。
机と厚みのある冊子をぶつけたような耳障りな音に驚きつつ頭を上げると、化学教師の二つのギョロ目がそこにあった。
「銑屋、アホウドリより先に、先生に謝ろうか」
「あ……すみませんでした」
どうやら夢での会話が一部寝言として表に出ていたらしい。俺が謝ると、クラスメートが小さく笑い声を上げる。一方で先生はくすりとも笑わなかった。
「よろしい、目覚ましに洗面所で顔を洗ってきなさい」
「……はい」
お言葉に甘えて一旦離席することにする。先生は俺の答えを待つよりも早く教室の前へと戻り、何事もなかったかのように授業の続きを再開した。
まったく、サンボのせいで大恥をかいた。タカとミミズクの仲が悪いなんて初耳だっての。家で寝てる時ならまだしも居眠りにまで出てきて迷惑かけないで欲しい。サンボが聞けば「現実のことはウチには関係なかろうよ。そもそもアマトが授業中に眠りこけるのが悪いんじゃろ?」とかなんとか言うだろうが、理想と感情とは話が違うのである。
トイレの洗面台で両手に水を掬い、浴びるように顔を叩く。転た寝で火照った頰に冷水が心地よい。
授業中に寝てしまったのはこれで今日何度目だろうか。昨晩夜中までお気に入りのTCGで近々発売される新弾のコンボ研究をしていたのが原因である。情報化社会の恩恵とでも言うべきか、未発売のカードパックでさえ一週間前にはカードリストが公式サイトで公開される。便利で助かるのだが、残念なことにそれを利用する人間がダサすぎるのだった。夜更かししすぎて授業中に寝るってなあ。クラスメイトが影で笑うのも当然というものだ。
だが、そうして夜中に組み上げたコンボデッキは過去最高の出来のように思えた。発売前のカードなので試運転のようなことは出来ないが、試さずともカード同士が互いに連携し十二分に力を発揮するであろうことが容易に想像できた。ところがよいデッキが出来上がるとついワクワクし、さらによいデッキを作ろうとしてなおさら眠れなくなってしまうのだった。
悪い癖だなあと思いつつも、これが他に誇るモノのない俺の唯一の趣味なのである。やめるなんてもっての外だ。
「例えやめるにしても、あいつに勝ってからだよな……」
もう一度顔に水をかけて擦ってから、俺は蛇口を捻って水を止めた。
先生の「銑屋は放課後職員室に来い」という宣告で化学の授業が終わり、教室に弛緩した空気が流れ出す。前の席の葦原が教室から先生の姿が見えなくなるのを待ってこちらに身を乗り出してきた。眼鏡をかけた幼い顔が俺に笑みを見せる。
「……なんだよ」
不審げに俺が問うと「いやあ、災難だなと思って」などと言う。
「伏見先生の授業で転た寝すると、放課後に長時間お説教コースだってもっぱらの噂」
「噂かよ」
「まあ担当学年がそもそも違うからさ。他には怪しげな実験を手伝わされるだとか、その実験の成果で不死身だとか、怪談じみた噂が少し」
あの先生も大概大変だな……。不死身ってのはあれか、伏見とかけてんのか。面白くねえぞ。
「あのギョロ目が半分ホラーだからね、そういう噂がたってもおかしくないけど、それにしても幼稚というか成長しないというか」
葦原が呆れたように首を振り、眼鏡のブリッジを押さえる。
「噂好きなのはどいつもこいつも同じだろうよ」
「まあね、僕も好きで集めてるわけだし。同じ穴の狢ってこのことなのかな」
葦原は感慨深げに締めくくったが、全く感慨など浮かばない話だった。ざっくり言うとどうでもいい。
「用はそんだけか」
「まあまあ急かさなくていいから。相変わらず無愛想だねえ」
「男に振りまく愛想なんかねえよ」
「あらつれない」
まあ冗談は置いといて。
「転た寝の理由を聞こうと思ってね。もしかしてアレの新弾が出るんじゃない?」
「出る。御察しの通り、カードリスト見てたらデッキ作りたくなって徹夜」
「バカだねえ」
うるせえな知ってら。
「発売されたら呼んでよ。するんでしょ、シールド戦? いつも通りレア様の恩恵に預からせてくださいな」
この葦原も俺と同じくTCG好きである。ただしリミテッドと呼ばれる特殊な遊び方のみを好むという、変わった種類のプレイヤーだ。
「はいはい、レアも人数多い方が喜ぶだろうよ」
「僕はレア様が人並みに喜んだところ見たことないんだけどね」
「…………」
表情は変わらないが喜ぶはずだ、多分。
「そういや報道部の方は良いのか?」
「問題ナシ。新入部員結構入ったし、教育の意味もあって今月は上の学年の仕事が少ないんだよね」
「へえ」
それは今月丸々こき使っても良いという意味でもある。
「……なんか企んでない?」
「人聞きが悪いな。まあシールド戦する時は呼んでやるよ。もう一人くらい呼びてえな」
「僕が入っても三人だもんね」
「まあその辺はまた考えるか」
「四人ならドラフトでトーナメントやりたい! 期待してるからね」
そう言って葦原は俺の肩を叩き、前に向き直る。
あ、休憩時間中に少しでも寝ようと思ってたのに。
☆サンボの『これってなんじゃ』のコーナー☆
「…………」
「どうしたサンボ」
「なんじゃこれは」
「おまけだよおまけ。ひょっとしたら読んでる人の中にTCG分かりません!って人がいるかもしれんだろ」
「こんな星飾りつけるほどテンション上がらんわ!」
「古風な口調でテンションとか言うな」
「本編とは別じゃから良かろうよ」
「良くねえよ。……あ、今回は俺もいるけど、次回からはサンボ一人だからな」
「一人!? アマトがおらんとウチは何を話せば良いやら分からんのじゃが!」
「カンペがある。問題ナシ」
「棒読みで読んでやろうかの……」
「で、今回は何を解説するのかの?」
「今回はカードゲームは関係ない。サンボの頭についてるその耳みたいな羽の話」
「これか? これは『羽角』じゃな」
「正式名称あったのか」
「そりゃあるじゃろ。フクロウのうち、この羽角がある種類を総じてミミズクと呼ぶわけじゃ」
「へえ、その羽角ってなんのためにあるんだ?」
「分からん」
「は?」
「生物学のどの文献にも載っとらんのじゃ。いわゆる未解明の領域じゃな」
「案外飾りだったりしてな」
「獣耳は一時期流行りじゃったからのう……」
「鳥には耳がないから丁度いいや」
「そんなところで今回はお開きじゃ」