公爵領ファミリア
丘陵に建てられた辺境都市、それがこの商都を含むファミリア領だ。
イミジア大陸の西北西にある半島、そこは中小国が常に領土を奪い合い、戦国乱世と成り果てている。
エカテリーナのファミリア領があるリオンズクライン王国は、そこの南東に位置していた。敵対国は北にあるのみで他は海に面した国だ、立地的には恵まれているだろう。
ただ、商都を北に30㎞進めば、そこには敵の国境と砦が存在する。敵の精鋭軍団2000人が詰めており、虎視眈々とリオンズクラインを狙っている、ファミリア領はリオンズクライン国でもっともホットでデンジャーな地帯だと言える。
商都の居城でエカテリーナは欠伸をする。
巨大な長テーブルには無理矢理取り寄せた魚のバター焼きや、イチジクのゼリー、コッケコーのモモ肉ソテーや白パンなどの高級品が並べられていた。ちなみにゼリーは18世紀の発明である。
「エカテリーナ殿下」
執事のカマスが声をかける。
「殿下はよしなさいカマス、私は今閣下よ」
エカテリーナの容姿は黄金のように輝くウェーブロングヘアを携えた絶世の美少女だ。小振りだかツンと上を向いた乳房に、キュッとしまった腰、元気な赤子を産んでくれそうな尻は置いといても、空色の輝く瞳がはまった意思の強そうな釣り目と、まるで大理石を削ったように端正な鼻で、顔は小さい。まぁ、奇跡の産物と言ってもいいだろう。
「殿下、悪魔の討伐に出した獣牙騎士団から報告書が届いております」
エカテリーナの叱責も意に帰さず、カマスは一枚の羊皮紙を献上する、カマスのいつもの無礼さに嘆息しつつも、エカテリーナは渡された書状を受け取り広げる。
「……へぇ、病魔を捕獲したのね」
形のいいピンク色の唇を歪ませて、エカテリーナは笑う。
「面白くなりそうじゃないの、カマス。一週間後にアリスレアをここに」
新しい玩具を見つけた子供のようでもあり、政治家が汚職をするようでもある清濁併せきった笑みを浮かべた主に、カマスは深々と頭を下げた。
監禁されて一週間が経過した。
アリスレアという少女は職務以外自堕落な女だと言うのが分かった、大体起きてくるのは昼過ぎになるし、起きたら起きたでソファに寝っ転がりつつワインを飲むか、綾取りをしているかで遊んでいる。
それで思い出したかのように木剣を振りつつ、100かそこらを振ったら飽きて水浴びに行ってしまう、彼女曰く。
「訓練なら騎士団みんなでやるのが一番」
らしく、この一週間は休暇と捉えているらしい。
いつもならそれでいいのだが、今日は昼前に公爵との謁見が待っている。彼女はそこそこの身分だから、身支度を整えなければいけないのだろうが……休暇気分が抜けきっていないのかまだぐっすりと寝ている。
「……ったく」
先に起きて鍛錬を済ませていたニートは、まだ惰眠を貪る駄猫を見て、呆れる。
女性の部屋に無断で入るのはマナー違反だろうが、流石に目上の人との約束事に寝坊は言語道断だ。
「おい、アリス。朝だぞ、起きろ」
後で怒られる事を覚悟して無断で侵入して声をかける。
ベッドではアリスが頭まで毛布をかぶって寝ている、毛布の端から飛び出た耳がぴこぴこと動いて反応を示した。
「後ちょっと~……」
そのちょっとで遅刻したら可哀想だから起こしてやっているのだろうが、なんて言葉を飲み込む為に、ニートは頭を激しく振る。
「いいから起きろ!」
このままだと、確実に遅刻コースなのでベッドから毛布を引っぺがす、そこで知った事がある。アリスの褐色肌は日焼けであり、シャツの下は真っ白な肌が広がっていた事と、この国の人間は全裸で寝る習慣がある事……そしてアリスの乳房が年の割にはたわわな果実であり、グレープフルーツ大で合った事だ。
「……やべぇ」
ニートの額から冷汗が流れると同時に、アリスの目がカッと開かれる。
目はまずニートが持つ毛布へ動き、そこから自分の一糸まとわぬ裸体へと動き……瞬間湯沸かし器のように顔が赤くなった。
「あわわわわわ!」
情けない悲鳴の割には彼女の動きは早かった、ベッドの上で体を回して重心を安定させ、いつの間にか掴んでいた鞘付きの剣を振り上げたのだ。
ニートは、情けない事に跳ねるグレープフルーツに目を奪われていた。
「この、スケベ!!」
罵倒と共に振り下ろされた剣は、ニートの目に火花を散らせた。
火花を散らせたニートはそのままアリス用の寝室から蹴り出され、彼女が着替えている最中に、自己嫌悪に陥る羽目になった。
「はぁ~……リア充になるとこだった」
女人の裸体を見た事への後悔でもなく、キモオタとしての道を外しそうになった事への嫌悪だった。いくら可愛くても、女の中身は姉のアレと一緒だ、あんなおぞましい性根相手に媚を売る自分を思い浮かべて、ニートは恐怖した。
だが、三次元だと言うのに萌えパワーが何故か僅かながら溜まっていた。
出来た瘤を摩りながら待つ事十分、身支度を整えたアリスが寝室から出てきた。
「……お金稼いだら、僕に酒場で一杯奢る事」
出てきていきなりの言葉である、だが意味はわかる、その一杯でアリスが感じた羞恥心を水に流してくれると言うことだろう。
「ああ、いいのを奢らせて貰う」
安堵したように微笑むとニートはそう答えた。
「よし! それじゃ登城しようか。公爵様との謁見だから失礼がないようにね!」
アリスに釘を刺されて隔離されていた小屋から出る。どうやら、ニートには地球由来の病原菌が住み着いてなかったのか、誰かが病気になると言う事はなかった。
この事についてニートは、
(悪魔とか邪鬼とか名前が残る位には召喚されているんだろうから、此奴らに耐性が出来ていたのだろうな)
と予想をつけているが、真実は何てことはない、ニートの体内環境が過酷過ぎて病原菌すら生息出来ないだけである。
屋敷の使用人や騎士団の面々に見送られ、ニートは初めて自分の足で商都を歩く事となる。
商都のど真ん中に城が建っており、城に行くには八本ある坂道、大通りにあたる道を登っていくこととなる。
「……丘陵に建てられた城か、攻めるのは億劫だな」
山に築かれた城に次ぐ頑強さじゃないだろうか、ここの城は。
「へぇ、ニートは城攻めの知識があるんだね。召喚される前は軍人やってたの?」
基本、古い時代では軍事的な知識は軍人、というか戦を生業にする貴族や武士位しかしらない、戦慣れした農民が今回の戦は長引きそうだと言うのはちょっと違う。
「いや、学生だった」
底辺高校に通う社会の底辺予備軍を学生と言っていいのかは、大変疑問の残る問題だが、言及するのは止しておこう。
「学者やってたんだ……意外」
小馬鹿にするような声色、と、言ってもチンピラが煽り文句を言うような雰囲気ではなく、友人同士のじゃれ合い的な感覚だ。
「おい、今俺の事馬鹿だと思ったろ?」
それを解っているニートも、乗ってやる。
「あはははは、ソンナコトハナイヨー」
アリス当人は白々しい位の棒読みで否定しているが、確実にニートの事を馬鹿だと思っている。
確かに、否定する必要も、否定する事も出来ない位の出来だったので、ニートは口を噤んだ、底辺高校でも下から数えた方が早い成績だったからだ。
余談ではあるが商都は三枚の城壁をもった城郭都市である、外から行商人達が滞在する宿や商品を買い取る商会がある商業街。
商業街から一枚城壁を城側に越えれば、市民権を持つ者達の家々や商店などがひしめく市民街。
最後の城壁を越えればアリス達が住む文武官街となっている。ここには城もあるが、構造上、ここまで来るのにやけに時間がかかる。
八本の大通りと聞けば聞こえはまあいいが、商業街は大通りですら螺旋を描く様に作られており、小路地は必ず袋小路にあたるようになっており、大通り以外に市民街への城壁へ辿り着く術がない。
市民街に入れば入ったらで、クランクのように曲がった大通りが続いていて、中は四つの壁で区切られており、隣の区に行きたければ一度商人街へ戻らなくてはならない。
文武官街に入れば、城までは一直線だが、頑強でデカイ城がそこには待っている。
閑話休題。
「しかし、厄介な街並だな」
文武官街に入るまで、一体全体どれだけの兵力が削られるのか非常に謎である。上の街から下の町は見下ろせる造りになっていて、どこに戦力集中すればいいかは一目瞭然だ。
「この堅牢な街があるから、商人たちは集まってくるんだ。隣国との国境線にある都市ってのもあるかもしれないね」
いざこの街が責められても、最初に死ぬのは外様の人間と言う辺り、領主の計算高さが窺える。自国民に多少の被害と他国民に多量の被害を出して、士気高揚を狙っているのもあるのだが、ニートにそこまではわからなかった。
「市民街の一区は全部農地になってるんだな」
「農地じゃないよ、あそこは牧畜地。植わっているのはニートが荒野で見た苦牛蒡だよ」
苦牛蒡とは、あの苦い芋を作る黄色い草の事らしい、葉の形は明らかにイネ科の植物なのに、食用になる苦い地下茎を持つ変わった植物だ。
「苦い芋を食うのか?」
籠城戦でそれは士気が下がるのではないかと予想する。
「いざとなればね、でもコケッコーを引き入れて増やすのが目的なんじゃないかな」
随分と考えられた街風景だった。
「さ、無駄話してないでちゃちゃっと謁見するよ。君の滞在許可をもらわないと」
封建制では、領主の領土は全て領主の物であるから身分不確かな者が身分確かな者の屋敷へ逗留する時は謁見して許可をもらわないといけないらしい。
アリスは後ろにニートを引き連れて、城門から城内へと入っていく、城内もこれまた、出るのは楽そうで、入るのは億劫な造りだった。
謁見の間は二階にあるが、この城は四階建てで、領主の私室や執務室は四階にあるのだとか。
謁見の間に通されるとアリスはその場で傅く、片膝をついて首を垂れ、帯剣していた剣を眼前に置き、目を閉じて右こぶしを左胸に付ける騎士の礼。
(これは、見事だ。俺もJapanese Reigiを見せつけなくてはなるまいな)
そして変な対抗心を燃やすニートは腐りかけた灰色の脳みそから日本の礼儀を引っ張り出して実践するのだった。
「エカテリーナ・リオンズクライン・ダチェス・ド・ファミリア様のおなーりー」
文官らしき人間が、女公爵エカテリーナの来訪を告げる。
しゃなりしゃなりと頭の高い所を歩く音が聞こえ、その内、ふわりと謁見の玉座に座り込み、威厳たっぷり、かつ、女の妖美さを残しつつ。
「表をあげプフッ」
吹きだした。
アリスが驚いて顔を挙げた後て隣の異様な格好をしているニートを見て、思わず頭を引っ叩いた。
「いてぇ! あにすんだよ!」
ニートが抗議の声を上げる。
「バカ! その格好は女が閨に行くときの挨拶だよ!!」
ニートがやっていたのはJapanese Mithuyubi、大体は旅館の女将がやる挨拶だが、この国では閨に行くときの挨拶らしい。
「え、えぇ……」
ニートはとんでもない恥をアリスにかかせてしまったらしい。
「し、失礼しましたエカテリーナ様! 何分、この男は召喚されてから日も浅く、宮廷作法などに疎い所がありまして!」
アリスは、それでもニートを庇ってくれている。思わず、映画版ガキ大将の如く、心の友よーと言いたくなった。
「アリス、いいのよ。外来人が作法に疎いのは今始まった事じゃないわ」
エカテリーナも懐が深いようで、無礼を働かれても容易く許す。
活きるアリスをやんわりと収めて、ニートへと顔を向けた。
「外来人、名を教えなさいな」
優しいが、拒否できない声色で命ぜられる。
「新戸猛太、と申します」
この辺りで挽回せねばと思ったニートは、普段使わない敬語を使う。
「ニィト・キモータ……違うわね、ニィト・モォタ……ニィト・モーター。でよろしいのかしら」
ミニ四駆の部品みたいな名前になってしまったが、大体合っている。その大体合ってることをどうやって敬語で伝えようかと脳内検索をしてる最中に、
「いえ、彼はニート・キモオタと名乗っておりました」
アリスが勝手に答えてしまった。
「そう、ニート・キモオタさんね」
もうこうなっては頷くしかない。
「……はい」
こっちの世界に来てからは女の禄を食んでるだけのキモオタニートと化していたし、強ち間違いでもないので頷いておく。
「変わった名前ね。古代オルゴン語で働かざる・傾奇者という名をつけられるなんて」
驚きの事実、この世界の古代に現代日本人が存在していた。
遊び心を出した古代現代日本人にもし会うことがあったら、たっぷりと拳をごちそうしてやると心に深く決める。
「へへぇ」
まるで三下のような返事に、再びエカテリーナが噴き出す。エカテリーナは一代、それも三年で辺境の町を国一番の商都へと成り上がらせた傑物である。英雄なんて呼んでも遜色ない人物だ。
そんな傑物である、ニートがどんな人間であるかも見抜いていた。
「アリスレア」
適度にニートと談笑した後、ニートの後ろで控えている騎士に声をかける。
「滞在許可なんてケチな事は言わないわ。私はこいつが欲しい」
まるで大蛇に巻き付かれたような感覚に陥り、ニートは思わず自分の体を抱く。アリスはそんなニートを尻目に一歩出ると、エカテリーナの真意を問う為に口を開く。
「欲しい、とは?」
情夫として欲しいのか、それとも仕官させたいのか、はたまた面白いから道化師にでもしようと言うのか、アリスには判断がつかなかった。
「臣下としてよ、ここまで裏のない人間はアリスレア以来よ。この実直さに素直さは……私が今求める人材よ」
エカテリーナの真意は、無能でも操りやすい人間が欲しいと言っているようなものだった。だが、無能な味方を好む御仁とは思えない、何か裏がありそうだが……アリスも有能だが腹芸の出来ない配下である。
「アリスレア、大丈夫よ。私は無能はいらないわ……だから、ニート。貴方の力をここで示しなさい」
エカテリーナは指を鳴らす。
謁見の間にある六本の石柱から、完全武装の騎士が六人出てきた。
もし、ニートが怪しい人間であり、アリスを手玉に取っていたらこの六人に殺されていたのだろう。
驚いたのはアリスだ、完全武装の騎士、しかも最精鋭の近衛騎士団……獅子牙騎士隊から引き抜いてきた選りすぐりの精鋭をニートにぶつけようと言うのだ。
「エカテリーナ様! 無茶です!」
アリスは声を荒げるが、危険な奴らと喧嘩させられようとしているニートは余裕だ。
ニートは低くしていた腰を伸ばすと、凝り固まった首を回して小気味よい音を響かせる。
「心配するな、アリス。仕える為に数学のテストとか言われてたら泣いて謝るところだが……こいつら程度なら余裕だ」
挑発するニートに対し、挑発された騎士達は手加減する気など微塵も失せて、剣を抜いている。
その様子を見ているアリスは大変困惑しながら騎士達とニートを見比べ、青い瞳に涙を湛えている。
「フフフ、面白い男」
エカテリーナは虚勢を張った様子でもないニートを見て、笑うのだった。