猫耳と巨人
古代遺跡と呼ぶべき趣の神殿を、ニートが歩く。
手には壁から引っこ抜いた松明を持ち、ただっぴろい広間を革靴の音を立てながら闊歩する。
(これ以上ない位に、変な奴だった)
一本道しかない神殿のようなのでニートは迷うことなく考え事をする事が出来ている。
(学校の便所で糞してたらいきなり風景が変わって、変な奴が居て、なんか杖の端っこから雷飛ばしてきやがって、ついついぶっ飛ばしちまった)
革靴の音を響かせながら、ニートは歩く。
神殿内部は苔むした石で造られており、どことなく畏怖の感情を思い出させるように造られている。
しかし、この遺跡は随分と古い物のようだ。所々床は抜けているし、風化して消え去りかけている木製の椅子や机がそこら中に転がっている。建造されてから、十年や二十年じゃこうはならないだろうと思える位の寂れっぷりである。
(……ついついぶっ飛ばしちまったが、あいつのあれ。なんだったんだろう?)
あいつのあれとは、サンダーエッジと呼ばれた魔術の事である。
ニートがぶん殴ってきた奴らにあんな技を使うやつは存在しなかった。
(ラノベの、ゼロのパシリみたいに異世界に召喚されたとか?)
ツンデレ美少女に召喚されて、ペットのような扱いを受けながらも愛を育んでいく、ファンタジーノベルを思い出す。
「はっはっはっはっは……」
思わず笑ってしまう。
現実ではそんな事はあり得ないからだ。
(何が異世界召喚だ、多分これはあれだ。便所でボーっとしてる最中に床が抜けて、便座ごと地下の遺跡に落ちただけだ。で、そこには狂人が居て、多分。あの雷っぽいのは俺が幻覚を見ていただけだ。そうだそうだ。そうに違いない)
心の中で一気に捲し立て、沸いた疑念を振り払う為に、強く頭を振る。
(ないないないない。異世界召喚なんて絶対にない)
否定すればするほど、その説は自分の中で強くなっていくが、どちらにせよさっさとここから出るべきだとニートは歩みを早める。
しばらく道なりに進んでいると緑色の巨人と、鎧を着た騎士らしきものが鎬を削っていた。
「くっ! 冷却魔術で足を止めろ!」
「了解! 30秒後に発動する!」
とかなんとか、目の前でドファンタジーを繰り広げられたニートは、現実を受け入れる。
「マジか、マジで俺召喚されたのか……」
フラフラと暴れる巨人へと近づく、足取りは夢遊病患者のようだ。
「お、おい、君! 危ないぞ!」
それに気がついた騎士が悲鳴のような警告を叫ぶ。
無論、ニートの耳にも届いているが、気にせずに巨人へと歩み寄る。巨人は一つしかない目玉をニートに向けると、ニヤリと笑った。
「グオオオオオオオオオオオオオ!!」
脳天へと振り落とされる巨木のような棍棒、ただの人間であるならばぺしゃんこになってしまう程の大質量が、ニートの頭へと落とされた。
棍棒は砕け、ニートの額を鮮血が伝う。
「……痛ぇ。夢でもねぇ」
手を伸ばして額を触ると、掌は血でべっとりと汚れてしまっている。血に濡れた掌を見て、ニートは疲れ切って何も考えてないリストラされたリーマンのような表情から、ゆっくりと憤怒の表情へと変わる。
「痛ぇじゃねぇか、でくの坊!!」
轟と、発した怒気が積もった誇りを吹き飛ばし、その吹き上がる怒気に騎士と巨人がたじろいだ。
つかつかとたじろいだ巨人に歩み寄ったニートは、
「オラァ!!」
とボディに正拳をご馳走した。
蝋で煮込んだ革鎧のような皮膚は大きく内側へと拉げ、大砲の弾位なら弾き返す筋肉を折り曲げ、その二つを経由して拳は内臓をぶっ叩く。
「ヒギィ!?」
巨人は閨で操を失った少女のような悲鳴を上げて7~8メートル程、ゴム毬のように跳ねて飛んでいった。
血泡を吹いて痙攣する巨人に、我に返った騎士達が駆け寄り、斧で首を切り落とした。首を落とすまでの手順は随分と手際がよかった。
(殺し慣れてやがるな)
ニートはその様子を見ながら騎士達の手際を評価する。
「き、君!」
巨人の首に楔を突き刺し、引きずるように鎖を持った騎士が声をかけてくる。
「助かったよ! コイツはここの魔術師に召喚された古の悪魔でね。早く始末しないと病気をまき散らすとこだったんだ」
病気、細菌やウイルス、はたまた寄生虫等によって引き起こされる身体の異常だ。基本病原菌と言うのは身近にある物程弱く、未開の地など、人間が行かない場所にあるもの程強い。人間が耐性を持てるかどうかの差らしいが。
「ああ、お疲れさん。その魔術師とやらなら奥で伸びてるから、好きにしなよ」
自分で言って気が付いた。失言だった。
これではまるで、魔術師に召喚された新たな悪魔は自分ですと言っているようなものだ。案の定、騎士達はニートを取り囲んでいる。
「……そうか、君は新たな悪魔なんだね?」
血に濡れた武器が、松明の明かりによってテラテラと嫌な光を反射している。
「だったらどうした、あのでくの坊に苦戦する程度の奴らが、俺を殺そうってのか?」
拳を握り込むと小気味よい音が響く。
「勝てないにせよ、僕たちは戦わないといけない。王に剣を捧げて、禄をもらってる恩を返さなくちゃいけない」
武士道に似た騎士道と言う奴だろうか。
その言葉を聞いてニートは歯を見せて笑う、現代では誰かの為に、恩返しのためにと命を張れる奴は少なかった。
「嫌いじゃないぜ、その精神。名を聞いてもいいか?」
ぶちのめす価値が十二分にありそうな奴の名前は、憶えておく事にしているのだ。
「アリスレア・ダブルカラー、君の名前は?」
その名を聞いて、ニートの笑みが引っ込んだ。
「……え、女だったの?」
呆気にとられたニートに対し、アリスレア……アリスは荒々しく、フルフェイスの兜を脱いだ。
「僕たちは全員女だよ!」
投げつけられた兜を受け止めながら、ニートはアリスの顔をじっと見つめる。
茶色と白のまだら模様の髪に、爛々と輝く青い大きい目、顔立ちや物腰から判断するに、年下の少女であろうか。とびきり、と言う訳ではないが、学年で5番目位に可愛いと言われる位には美少女だった。
猫耳さえ生えてなければ。
「……猫耳だとう!?」
ショートカット故に、人の耳が生えていない事は確認している。
異世界説を強調させる姿に、ニートはこれ以上ない位の衝撃を受けた。
ニートは無職ではない、ただキモオタである。猫耳美少女の出現に喜ぶべきである、だがしかし、それは普通のオタクの反応だ。
ニートはキモオタだった。
「なんで三次元なんだーーーーーーーーーー!!」
魂の雄叫びによって、遺跡が揺れた。
「な、なんだよぅ! いきなり訳のわかんない言葉叫んで! いいから名乗れよ! 僕だって名乗ったんだから!!」
アリスが当然の如く抗議する。
「あ、ああ……新戸猛太だ」
三次元の猛威を見せつけられたニートは、動揺を隠さずに名乗りをあげる。
「ニートキモオタ?」
アリスは案の定、聞き間違える。
「……ニートでいいよ、もう」
先ほどのへリングとやらもそう呼んだ、と言うか、学校でもあだ名はニートだったのだから、もうそれでいいやと割り切り始めている。
後はもう戦うだけだが……ある事を伝えねばなるまい。
「アリス、悪いが俺はお前とは戦えない」
ニートは拳を下ろして、両手を上げた。
その様子をみたアリスの片眉が跳ね上がり、ニートへ食ってかかるように質問する。
「それは僕が女だからか? そうだとしたら、酷い侮辱だぞ!」
曲がりなりにも、アリスは騎士だ。戦う事を生業とする者に女だから戦えませんと言ったら確かに侮辱だろう。
「ああ、それはお前が女だからだ」
まるで温度計のように、アリスの頭に血が上る。
「何故だ!! 戦いの場に男も女も関係ないだろう!」
剣を抜き放ち、今にも斬りかかって首を刎ねてやると言いたげな表情だ。
「……死んだ親父がな。いい女は殴っちゃいけねぇって言ってた。だから殺されようと俺はお前を殴らん」
いい女と言うのは、美女であるとか、そう言ったいい女ではなくて、悪い事をしてない女という意味だ。悪人は容赦なくぶん殴っていいのだ。
「えっ!? いい、女? 僕が?」
構えた剣を下ろして、自分を指差しながら、アリスは尋ねる。
「ああ」
両手を挙げたまま、ニートは頷く。
「悪いが、俺はお前らを殴れん」
そして勘違いを加速させる。
アリスは違う意味で頬を朱に染めて、動揺し始める。そんな様子を見てニートは、
(ふっ、無抵抗の相手を斬る訳にはいかないってか。なんて誇り高い騎士なんだ)
と、別の勘違いを加速させていた。とんでもないバトル脳である。
「お、お前、ちょっと待ってて! 話し合うから!」
両手を挙げて降参のポーズをしているニートに対し、アリスはそう宣言する。
(まさか! 俺の為に仲間を説得すると言うのか!? 見上げた奴だぜ……)
自分の立場もあろう、だがそれを無視しても無抵抗の相手は殺せないと言った見上げた誇りだった、ニートからしても素晴らしい騎士道だ。
勘違いでなければ。
「ああ、待ってるぜ」
穏やかな表情で微笑を浮かべて見せるニート、齢17にして、28歳に見られる老け顔が効果を発揮して、アリスを焦らせる。
これで相手が男だったらいつも通りのオラァで済んだのだが、相手は女。もう成るようにしかならない。
(死んだお袋も女の子には優しくしなさいって言ってたからな)
一人でうんうんと納得しているニートを尻目に、アリスの一団はひそひそと会議をしていた、なんか、
「僕は殺したくない」
だの、
「でも病気が」
だの、
「褒められたの初めて」
だの、どうも女子の会話的な方向へシフトしつつあるようだった。
たぶん、彼女達はトイレに一緒に行く人々なのだろう、間を大切にするらしい。
女子的な黄色い会話を30分、ニートをどう誤魔化して延命させる会議が5分、仕事終わったらどこで打ち上げをするかで一時間の時間を要し、ニートに沙汰が下される事になった。
「君は一度商都へ連れ帰って隔離する」
これがニートに対する沙汰だ。
「……ご随意に従うよ」
いい加減、うんざりしていたので、皮肉たっぷりの返事を返すのだった。
誤字脱字などがありましたら、指摘をお願い申しあげます。