エピローグ
エピローグ
「ミューは、これからどうする? 僕と一緒に聖勇者を抜けるっていう手もあるけど」
僕の言葉に、ミューは頭を振り、それを断った。
「そりゃお二人さんに悪いしね。何より士気に関わることだし、私は人間側に残るとするよ、撤退も、指揮者がいないと混乱が起こるだろうし。教皇様も私の反乱については不問にするだろうしね、逆に聞くけど、今回の件を不問にするって言われて、あんたは残るかい?」
それは難しい質問だ、だけど僕も頭を振って断る。
「悪いけど、エラがいるから出来ないよ。なにより、僕は魔界に暫く残っていたいし、エラが見てきた景色を僕も見てみたい」
ミューは、重い体をよろよろと上げて、小さく手を振った。
「お熱いねぇ、んじゃ、ここでお別れだ。さらばハンドレッド、また会う時は人間界で、と言うことになるのかな?」
ズリズリと、壁を這うように歩いて行くミュー。心配だが、歩けるようなら大丈夫だろう、一応、砦の中にも神官はいる。
「そうだね、僕が『転移』で帰ってきた時にでも」
「それじゃぁ、また」
「ミューさん、ありがとうございました、貴方がいて、ハンドレッドは良かったと思います」
エラが差し込んできた言葉に、ミューは背中で笑って。
「そりゃ、こっちの台詞だよ、ありがとうよ」
ミューは去っていった。僕とエラの二人が残る、しばらくは戦うことも出来ない、せめて体力と魔力が少し回復するまで休まないといけない。
「というわけで、暫くは人間の軍が撤退するまで周辺で様子を見ようと思うけど」
エラの顔を見ると、灰だらけの塵だらけなっていた。
「そうね、それがいいと思う」
そう言う僕は、血まみれだ。自分が流した血に、返り血に、大事な血も、そうでない血もたくさん浴びている。
「まずは、魔人の人里に行って、エラのお金で宿をとって……」
僕は、魔力不足で眠りそうになるのを堪えながら呟く。
「そうね、まずは乾杯かしら」
「いや、それより先にお風呂に入りたい。また二人で」
「また!? そこから!?」
ボロボロの僕達は、やっとの思いで夜遅くに魔人の街まで辿り着いた。魔人の街は大きな集落といった感じであり、大きな塀などは一切ない。
「宿はあっちよ、あの看板の店、酒場を兼ねてるのは人間と一緒ね」
僕は流れるようにノックして、扉を開けた。
「すいません、二人ですけど、宿は開いてますか?」
宿の中は、重苦しい空気だった。置いてある酒には皆が口をつける程度で、店の中央にあるボードを睨んでいる。ボードの上には、周辺の地図が書かれている。
ボードを眺めていたいかつい男の一人が、僕の方に尋ねる。ちなみに僕は現在皮のジャケットにスボン下にはエラの肌着を借りていると言う服装だ。
「坊主、お前悪魔の爪痕の方から来たのか?」
「そうだ、ここじゃ、酒場が作戦会議所を兼ねることが多いのよ」
エラが、小声で助言してくれる。
「はい、そうです」
「あっちの方で今日の昼、大きな騒ぎがあったが詳しいことは知らないか?」
「……あ、私たちは」
エラが何かを言いかけるのを切って、僕は言う。
「二人で攻め込みました、あの砦の強い人間はだいたい倒したかと、今は撤退をしています」
どよっと魔人たちが色めき立つ。
「お前達がか? とてもそうには見えねぇが」
訝しがる男に、僕は告げる。
「確かに、僕は彼女の連れですし、彼女は――」
「灰かぶりのエラです」
僕の言葉をついでエラが答えてくれる。その言葉に、酒場のどよめきが大きくなる。
「確かに、灰かぶりならその戦果でも理解できる。坊主、お前は何の異能を使うんだ」
「僕は単純な身体能力強化だと思います、腕力なら大人にも負けません。得意の剣は戦闘中に折れました」
いかつい男は鼻で笑うと、顎で奥のほうを指した。
「そりゃ随分地味な能力だな、おい。誰か腕比べでもしてやれ」
奥から三メートル近い体格の髭の男が出てくる。
「まぁ、こんなチビ相手に期待はできんが腕相撲でもしてみるか」
「疲れてるんですけどね、出来れば先に風呂に入りたいのですが……まぁいいか。後、チビって言うな」
渋々と了承するふりをする。
硬いテーブルを一つ借り、男と手を合わせて――もっとも掌の大きさが三倍近く違うが――セットアップ。
「本気で行きますんで歯を食いしばってください」
そのまま、テーブルごと男の体を床に叩きつける、轟音とともに部屋が埃まみれになり床に盛大に穴が開く。
「あ、しまった。文無しなのにやっちゃった」
そうだ、僕はこっちの世界でのお金はない、修理代は後でエラに借りるしかない。
男は、丈夫だったようで、「あいててててて」と言いつつ、穴から這い上がった。
「こいつは本物ですぜ、ワシが言うから間違いない」
まぁ、これくらいの嘘はつける、聖勇者の戦闘力は伊達ではないのだ。
「これで証明になりましたか? 正直お腹も空いたんですけど」
いかつい男は、懐から何かを取り出して、それを僕の手に置いた。
「おう、お前はいい戦士になるな。それで明日の朝一番に鍛冶屋叩き起こして一番上等な剣を買いな。修理代は気にするな、俺につけとけ!」
それは、財布だった。
周りから、金の粒やら銀の粒が投げ付けられる。
「おおー! 二人でよくやったなぁ!」
「お前ら英雄もんだぞ!」
「砦潰しの英雄にカンパーイ!」
会議モードだった酒場は一転して、宴会モードに、勿論主役は僕達なのだろうが。
「それより、お風呂へ、僕達このナリですし」
「おい、主人沸かしてやれ! 灰かぶりの嬢ちゃんが入ってる間、坊主、飲もうぜ。血化粧ってのはこのあたりじゃ勲章だ、悪くない」
「あ、いえ、一緒に入るので」
あたりで囃し立てる声が上がる。ついでに真っ赤になって顔を抑えるエラ。
「まぁ、多分今回ばかりはその判断は間違ってないと思うわ」
彼女が、多少恨み声だったのが気になる。
翌朝、酒場の中は会議室になっていた。
要するに撤退する人間に対してどう動くか、の会議である。
「今こそ反撃の時だ! 人間どもの尻に噛み付いて一泡吹かせてやろう!」
「いや、それだけでは足りん、ゲートを越え奴らの世界に乗り込み、我々と同じ目に合わせなくては!」
「反対」
議長である僕の意見は、簡潔だった。
何故議長にされたのかは意味不明だが、エラの話では魔人の世界は実力社会であるということらしい。要するにこの場において一番強いとみなされたのだ。
エラは、あんまり強くないらしい、さもありなん。
「そんな腑抜けたことでどうするのか! えー……」
そういえば名乗ってなかったっけ、しかしここで本名を出すというのも何だ。
「じゃあ、レタスで」
「ぶっ!」
あ、エラが牛乳吹いた。
「レタス、どういうことか説明してもらおうか」
それを拭いてあげながら僕は説明をする。
「最初に、人間には危険な敵がいる、聖勇者と呼ばれる連中だ。青ローブの連中でも特に強い奴らだといえば分かるか?」
いかつい男は一つ、頷いた。
「ああ、我々も連中には手を焼いている。そこで、その連中の相手をレタス殿にはお願いしたい」
あ、エラがゴホゴホ咽ている。その背中をさすってあげる。
「それを断ると言っている。正直僕は、彼女が囚われたから助けに行ったのであって無駄な戦いで命を危険に晒したくはない」
「では、レタス殿はこの戦いに赴く気がないと」
それに鷹揚に頷いてみせて。
「だから、街の皆にも危険を冒して欲しくはない。だからこの意見には反対だ」
そこで議会に参加している一人が声を上げる。
「だが、人間はゲートに砦を建設している。再び攻める準備が整ったらやってくるかもしれない、それをどうするのだね」
僕はエラに席を立たせ。
「そこで彼女の出番だ、灰かぶりのエラの力を以って、ゲートを破壊する」
そこで議会全体がどよめく。
「確実で完璧な方法だと思う、我々は、この戦争に遺恨を出さない。この戦争を根本から根絶する」
それでも噛み付いてくる一人の魔人、恐らく強行派なのだろう。
「しかし、それではいささか弱腰すぎるのでは! 我々が人間から受けた屈辱は決して拭えるものではなく」
「その為に子供を戦場に送り、更なる遺恨を生み出すと、そう言いたいのかい、君は、この僕に」
これが大方の大勢をつけた言葉だった。最強である僕が子供なのだ、それに、今まで魔人と人間は互いにそれぞれで繁栄していたのだ、お互いに手を取り合えばそれは素晴らしいが、今はその時ではないだろう。そう、議会は決着付いた。
「それじゃあ、僕は他の街にも声をかけてくる。もう出発している魔人もいるかもしれない、止めないと」
「それには及ばない。騎竜を出そう、それでも強行派が出るようなら、仕方があるまい」
「ああ、その時は最強の聖勇者にこてんぱんにされるさ」
フッと僕は鼻で笑って見せた。
それから一週間が経った。
それにしても、宿に泊まるたびエラは一緒の風呂を断りたがる。何度か手伝いもしたのだが、恥ずかしいらしいのだ。彼女の身体は綺麗だし、醜いところなんてどこにもないのだから、もっと誇れば良いと思うのだけど。そこは良く分からない。
人間軍の撤退は、恙無く行われた。特に死傷者もなし、魔人の中にはあくまで追撃をしてくる強行派も残っていたが、それは全て謎の覆面の聖勇者に蹴散らされていった。ぶっちゃけると、覆面をした僕だ。
そして『門の砦』内、巨大な見あげるような『門』の前。
最後の人間の撤退を確認して、聖勇者である僕とエラ、教皇がそこに立っていた。
「普通、真っ先に逃げるべき立場の人間がどうしてここにいるんですか」
その言葉に教皇は唇を歪め。
「何、私が責任の敗戦だ、私が殿を努めさせてもらっただけだよ。優秀な聖勇者もついてるし、『転移』もあるしな、何より、この歴史的な瞬間を私が見届けないというのは嘘だろう」
その言葉に、僕は目を細めて。
「止めてくださいよ。『転移』を使って改めて攻めてくるなんて」
教皇も、その言葉には冷たく反論。
「そちらこそ、だ。空を飛べる魔人も少なからずいるからな、ゲリラ作戦では魔人のほうが有利であろう」
そう、完全に交流がなくなったわけではない。まだ、その手段は少なくとも存在する。
「だが、大規模な戦乱はこれで終わるでしょうね」
そう答えたのは、エラ。
その手は黒く染まっていき、次第に灰と塵の風が吹く。
目の前には、数百人が同時に通れる巨大なゲート。この戦乱の発端であり、二つの世界を通じる唯一の通り道だ。
彼女が、手を触れることによって、それは大量の灰になって消えていく。音もなく、ただ崩れ去っていった。
「なんというか、感慨も何もないクライマックスだな」
つまらなさそうに言う教皇にエラが答える。
「どう盛り上がれというのよ、これで」
周囲は、一面の灰となる、幾多の歴史を繰り返した巨大建造物も、これで終わりとなった。恐らく、人間界側のゲートもこれで活動を停止したはずだ。
「さて、私はこれで帰還する。勝てるはずの戦乱に終止符を打ってしまった教皇として、私にはさぞや試練の日々が待っているのだろうな」
自嘲気味にいう教皇に僕は。
「いつか、平和の象徴と呼ばれる日が来ますよ。二つの世界は、近すぎるけどこれで遠くなった。距離が開けば、お互いに恐れる必要もなくなるはずです」
教皇は微笑みを残し、手を差し出し握手を求めてきた。
「では、その英雄はいつか君だということになるのだろう。ハンドレッド、君の活躍を決して人間は忘れない」
その手を握りながら、僕は他のことを考える。心ここにあらず、というやつだ。
「では、また会えることもあるだろう」
そう言い残し彼女は転移し、帰っていった。
エラは振り返り、僕に話しかけてくる。その間も僕は、ある一点を見続けている。
「それじゃあ、行こうか、ハンドレッド」
その言葉に、首を振り僕は答える。
「ハンドでいい」
闇も解け、見える彼女の真白い手を。
「これから、偽名も使わなきゃいけないだろうし……なんてのは言い訳にすぎないか。僕はキミの手になりたいと思った。だから、ハンドでいい」
一つ頷いて僕はさらに続ける。
「それに、僕は君の手を握りたい。それが僕の夢だ、だからその時まで一緒に行こう」
うん、僕は、彼女の手に触れたい。ただ、そう思ったんだ。
そんなことなのに、彼女は涙を溢れ出せつつ。
「それは……大変な旅になるよ」
その涙に、僕は精一杯の笑顔で答える。笑顔の作り方は、『先生』が教えてくれた。
「そうだね、一生かかるかもしれない。でも、やりたいんだ」
だから、手を繋ごう。そして一緒に歩こう。
そのためには、彼女の手を治し。異能を消さなければならない。
それは苦難を伴うだろう。
それでも、そこには価値があると僕は思った。
だから、僕は泣きじゃくる彼女に、手を差し出した。
<END>




