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第二章「二つの世界は近い」

第二章「二つの世界は近い」


 あれから僕たちは半日ほど歩きまわった。

 目的は次の街である。街道を通れば辿り着く、簡単な道中だ。

 エラは、何かあるとすぐに赤くなったり泣きそうになったりする。こういうタイプの人間は初めて見るものだった。いや、良く怒りもするのだけど。

 師匠には当然男性も女性もいたが、みんな毅然とした人間ばかり――当然先生を除く――だったし、正直、女性の涙なんて見たのは初めてだ。

 僕は、いつも泣いていた。三歳の時聖別を受け、僕は最も才能のある人間として選ばれた。それからの肉体改造と修練の日々は、僕が知るかぎり極限を超えていたのだと思う。『先生』がいなければ今頃とっくに壊れていたか、壊れなくても別の何かとして機能していたのだと思う。

 先生の命令は他の何よりも優先される。それは、何度でも言い聞かされたことだ。今迄はその機会はなかったが、今はそれが楽しいと思う。先生は、多分ここまで考えて僕にいろいろ教えてくれたのだ。――その殆どが、役に立たない雑多なことだったとしても。

「エラ、大丈夫? 疲れない?」

 後ろで歩いている『女の子』に声をかける。訓練仲間でも、聖勇者でもない女の子に声をかけるのは初めてである。少し浮ついてる感が自分でもわかる。

「大丈夫、二本しかない足だもの。これしきじゃ堪えないわよ」

 エラは微笑み返してくれる。

「あ、見えてきた、あれが次の街だね。このペースだと門が閉まる前に辿り着けそう」

 先程までいた街よりは、少し小さな街だ。農業を主な生業としているのか周囲に村が乱立しており、そのどれもが小麦の畑を揺らしていた。

「金色で綺麗な景色ね」

「そうだね、僕も初めて見た」

 金色に覆われた街道を二人歩く。

 夕方、金色に照らされたエラは、なんとなく綺麗なものに見えた。


 門は開かれており、門兵もいない。その門を見上げながら、エラは呟く。

「人間界の街って大抵門と塀があるのね、何のためなのかしら」

「それは当然だよ、大地の夜が来れば空を飛んで魔人がやってくるかもしれないじゃないか。そのために人間は篝火を焚いて、兵士を置き、警戒するのさ」

 二つの世界は近い。それこそ、二つの世界を渡る渡り鳥がいるほどだ。空を飛ぶ魔人ならば、二つの世界が近づいた時に飛んでやってくることもあるだろう。

 今だって夕日を背景に二つの世界は横並びに並んでいる。二つの世界は、まるで最初から双子だったように、くっつき、離れることはない。

「そんなに警戒するほどのことかしら、空を飛ぶ魔人なんて、他に特に何かできるわけでもないし」

 エラは不思議そうに首を傾げながら言う。

「それは魔人を知る魔人の台詞だと思うよ。大抵の人は魔人であるというだけで恐れる、そう、お互いに知らないからお互いが恐ろしくてしかたがないんだ。もし、戦争を終わらせるというのならば、その認識を正さなきゃいけないんだろうね」

 街を歩いているとこちらを見る人が多い。影でコソコソ話もされているようだった。一瞬自分のことを話されてるのかと思ったが、視線はエラの方を向いている。

「なんか噂になっているわね、やっぱり聖戦士って、それなりに目立つものかしら」

「いいや、見られてるのは君だね、エラ。でもどうしてだろう」

 エラは、目立つことは目立つが、特に気にする点は多いわけではない。まさか魔人だとバレているわけではないだろうが、警戒はしていたほうがよさそうだ。

「とにかく、今日の宿を探そう。食事も取ってないし」

 宿を探していると、リンゴを売っている行商を見かける、近隣の村から馬車でやってきたようだった。

「いいね、それ、いくつか貰おうかな」

 リンゴは好きだ、よく、先生と遊びに出た時に丸かじりしてたのを思い出す。行商人のおじさんは、笑顔でそれに答える。

「へい、助かりやす。今日はあんまり売れなくってね、残っちまったら村に帰るのにも面倒になりやすし、いくつくらいお詰めしましょう」

 背負い袋から、財布を取り出し、銀貨を三枚取り出し渡す。

「じゃ、残ってるの全部頂戴、旅の間に食べてしまおう。長旅になると思うし」

「旅の二人連れ、良いですねぇ。貴方様は聖戦士様とお見受けしましたが、子供の聖戦士様とは珍しいですなぁ、そちらのお方は?」

 それに対して僕はむっとしながら答える。

「僕は子供じゃない、あと、聞くだけ野暮だよ、旅の連れさ」

「そうですかい、旅の連れですかい。聖戦士様も隅には置けませんな、サービスしときやした」

 ずっしりと重い袋を四袋たっぷり渡しながら、おじさんは答える。エラはなんだか後ろの方で赤くなりながらもじもじしている……なんだろう? トイレかも知れない、早く宿を探したほうがよさそうだ。

「リンゴをそんなにどうするの、私も持とうか?」

 エラが聞いてくるが、それは両手を何とかしてから言う台詞だと思う。

「その手で何言ってるのさ、ほら、リンゴくらいは普通に食べれるよね、二袋くらいは旅用に持っておいて、残りはそのへんの子供にでも配っちゃおう」

 四袋片手に抱えながら、エラに一つ投げてやる。エラはそれを両手でキャッチして、一口かぶり付いた。

「さぁ、そのへんの子供たち、リンゴをやるから集まってこいー」

「聖戦士様だー」

「わーい」

 と、わらわら集まってくる子供、それを見ているエラは、なんだか穏やかな微笑をこちらに向けていた。


「そういえば、先生は剣で空中に投げたリンゴ切ったりして大道芸してたなぁ。ウサギさんの形に」

「なにそれすごい」

 感心するエラを見つつ、酒場兼宿屋の扉を開ける。

 人でごった返しており、中は賑わっていた。

「そういえば旅慣れてるけどこういう場所はよく使うの? まぁ、私はよく使うほうだけど」

 確かにエラは他人の介護なしでは生きられないので、こういう場所の厄介になることは多いだろう。

「僕は先生と授業の終わりによく来ていたよ。『本当は歓楽街にも連れていきたいがお前には十年早いな』とは言われてたけど。あと、『お前におっぱいの良さが分かるのにはまだまだ経験が足りんな』とか」

「それは一生行かなくてよろしい」

 エラは頭を抑えながら言う。

「エラはおっぱい大きいよね、すごく」

「~~~~~~~~!!」

 エラは真っ赤になってその場にしゃがみこんでしまった。

「いらっしゃい! お二人さんだね、旅の人のようだが泊まりかい」

 陽気そうなおじさんが出迎えてくれる、どうやらこの人が宿の主人のようだ。

「うん、二部屋、空いてるかな? あとは食事も摂りたい」

 宿の主人は言われると、笑顔で答える。

「もちろん! ……って、あれ」

 後ろのエラの顔を見て、目を瞬かせる宿の主人。一拍置いたあと、その表情が凍りついた。転がるように後退りながら、指を突きつける。

「まっまっ魔人だぁーーーー!!!」

 一瞬にして、パニックになる酒場の中。そして、涙目のまま立ち上がるエラ。

「え? なんで? 私は何も……」

 していない。彼女が魔人だとバレるような要素はまだ一つもない。

 その次の瞬間、乱暴に扉が蹴破られた。入って来るのは抜剣した兵士。

「ここに魔人『塵芥の少女』と裏切り者の聖戦士がいると聞いた!」

 その言葉を聞くと同時に、判断を後回しにして行動に移る。――ここでの思考は命を落とす原因になりかねない――床を強く蹴り弾丸のように鎧を着た兵士の腹に体当たりを仕掛ける。

「がっ」

 兵士は、体当たりされた勢いのまま数メートル吹き飛ぶ。後続の兵士達も驚いて一瞬動きを止める。

「エラ、逃げるよ!」

 エラの腕を取り走り始める。兵士の囲いは隙があり、簡単にすり抜けることができた。慌てて追いかけてくる兵士達。

「なんでこんな事に……」

 走りながら言うエラ、エラの足は特別遅くはない。むしろ、一般人よりはかなり速いほうだ。その横を、少し遅れるように僕は走る。

「分からない、情報が漏れたにしたって早すぎる」

 荷物の袋を開け、さっき買ったリンゴの袋を一袋ぶちまけてみせる。

「うわっ、何だ!」

 足を取られ、もしくは警戒して足を止め一塊になる兵士達。

『物質作成』

 唱えるやいなや作った物を投げる。兵士達の真上に。

 作った武器はネット、投網とも言う。金属で作り、更には刺もついているそれは、簡単に外れるものではない。無論、切るのも至難だ。

「くそっ、投網か、外れない!」

「逃がすな、追えっ!」

『火炎陣っ!』

 更に炎の壁を作り出す。これでそう簡単には追えないはずだ。


 完全に兵士を撒き、小さな路地に入る。

 エラは慣れない町中での逃走で息が切れていたので、ここで一息入れることにする。水袋を差し出して、飲ませる。

「……はぁっ……ありがと、でもなんでこんな事に」

「大通りでこんなものを拾った、多分これが原因だろう」

 そこには、エラの――しかもかなり正確な――人相書きと、その特徴、懸賞金の書かれた紙があった。懸賞金の額は金貨で一万枚、一般人ではまず一生稼げない額である。それは、見紛う事のない手配書であった。

「なんでそんなものが出回ってるの……私ってそんなに有名になってた?」

「有名なことは有名だけど……おかしすぎる。第一、『塵芥の少女』は戦場でしか見かけられていないから、こんな街に手配書が回っているのはおかしい。第二にそもそも君の顔なんて最初に見つけるまで、知らなかったんだ。こんな情報、聖勇者が知る前に出回ってるなんてことがおかしい。それにどう考えても早すぎる、これじゃ事前に準備されていたとしか……でも、なんでだ?」

 そう、どう考えてもおかしすぎるのだ。情報の前後が逆になってしまっている。

 これが僕の手配書なら納得も行ったが、エラの手配書だという点が謎を残す。

「ともかく、街を出よう。そうしないと話にならない」

 その時、松明の明かりが路地を照らす。

「見つけたぞ! 増援を呼べ!」

「もう見つかったか、逃げるよエラ!」

 エラと一緒に駆け始める。


「街を出るには塀をよじ登るか、門を通るしか無い、しかし、門の周りは兵士で囲まれてるだろうね」

 言いながら、道を駆ける。気配では気がついているが、時折後ろを見て、エラがきちんとついてきているか確認する。

「どうする? 塀を消すくらいなら簡単にできるけど」

 たしかにそれは上策だ。だが、それでは逃走経路まで丸見えになってしまう。結果としては、今ここを逃げまわっているのと変わらない、下策になってしまう。

「いや、塀は乗り越えよう、その為には……」

 エラを掴んで抱える。エラは意外と軽く、そして柔らかかった。

「きゃっちょっ……何するの」

「当然、壁を乗り越えるには高い所に登るのが一番だ」

 近くの壁を蹴り、一気に建物の屋根に駆け上がる。

「おい! 屋根に登ったぞ!」

「誰か、はしごを持って来い!」

 それでは僕が塀を乗り越えるまで間に合わない。残念だが、このまま塀を越えさせてもらうとしよう。

 次々と高い建物を目指して塀の近くまでやってきたところで。同じように屋根を伝ってきたのか、二人の人影が前後を挟むように現れる。

 青い聖衣に身を纏わせた、聖戦士だ。

 紋章を見れば階級は……前が赤で上位士官、後ろが黒で平士官か。

 動きも、上位士官は長剣を持っており、隙はない。後ろの下位士官は、モーニングスターに大盾を構えているが、若干の隙がある。

 抱えていたエラを下ろし、荷物も足元に置く。前方に一歩足を進める。

 それで、お互いの相手が決まったと見て、後ろのエラが頷くのが見える。エラは腰の鞘に腕を入れて、ギプスを外す。

 前の上位士官の聖戦士が剣を構えたまま言葉を放つ、まだ間合いには入らない。

「子供とはいえ聖戦士の面汚しが、魔人などに加担しよって」

 僕は、その言葉を我慢して聞き流しつつ、槍を作る。長さは六メートルにも及ぶ長槍、パイクである。

「魔法か、それが貴様の武器なのだな、ならば神官ということであろう。その神官が何故魔人になど加担する。今なら申し開き次第では命は許してやらんでもないぞ」

 その言葉に僕は唇を歪めて。

「神の声を聞いたことの無い人間がよく吠える。――神は魔人を殺せなどとは一言も言ってはいない」

 そう、塵の神は魔人を殺せ、魔界を侵略しろなどとは言ってはいない。それは、教皇をトップとした人間が勝手にやっていることなのだ。

 魔法の使える人間、人間の祈りを一身に引き受けた神官ならば分かるのだ。この戦いに悪がいるとすれば、それは人間のほうだと。

「ほざくな! 行くぞ!」

 相手の武器は剣、戦場の華にして象徴たる武器だ。その特徴は、とにかく汎用性の一つに尽きる。最強の人間が持てば、最強になりうる武器が、剣なのだ。

 弱点は、とにかく中途半端なこと、そこを長所として生かせないようではこの武器を持つ資格はない。

「来い!」

 対する僕の武器は槍、戦場の王として君臨する武器だ。人が人であった頃から存在する武器であり、最も血を流してきた武器でもある。

 特に僕が持ちだした武器は長槍、そのリーチに長所のある武器だった。集団で持てばそれは脅威となるだろう。

 弱点は、狭い場所では全く役に立たないことと懐の弱さ。しかし、それを以って余りある武器だ。

 相手の一歩目に合わせて長槍で突きかかる。左肩を狙ったその一撃を、避けることができずにその場で受け止める。

「やるな――!」

 相手は一歩も動いてはいない、この距離を保てば僕の勝ちは決まるだろう。

 だが、僕にはもうひとつの勝利条件がある。エラが負ける前に勝利すること、その速度こそが最重要だった。


 ぎゅががががががががっ!

 後方からは槍と剣が打ち合う激しい音が聞こえてくる、今のところハンドレッドが優勢なような気がする。だけどその速度は、もうこちらの目では捉えられるようなものではない。

「名のある魔人のようだが、所詮小娘、一気に方をつけてくれるわ」

 モーニングスターを振りかざした大柄な男は、一息にこちらに向かって走ってくる。私はそれを迎撃する形をとった。

 振り下ろされる猛槌の一撃に両手を振り上げる。

 触れた瞬間に、モーニングスターは影も形もなくなり、塵となって消え去った。

「行ける―――!」

 これで相手の武器は無くなった。相手もこちらのことを恐れてくれるはず、膠着していれば、その間にハンドレッドが何とかしてくれるはず――。

「ふんぬっ!」

「きゃあっ!?」

 相手が、その意図も組まずに大盾を振り下ろしてくる。

 しまった、防具だとばかり思っていたあれも立派な武器だった。私はバランスを崩していて、それを避けれない。

 次の瞬間、私は完全にバランスを崩して、その場に膝をつく。

「ぬおっ!?」

 大盾は目標を見失い、屋根に叩き付けられる。私は慌てて立ち上がって、その盾に触れた。塵に還っていく盾。

 私が後ろを見るとこちらの方をちらりと見るハンドレッド。多分私の足を払ったのは彼の槍だろう。

「私との戦いの間に女のほうをかばうとは余裕だな小僧――!」

 その隙にハンドレッドに一気に詰め寄る長剣の聖戦士。

 しかし、私にそれを気にしている余裕はなかった。

「なんの、こうなれば―――!」

 玉砕覚悟を以って真っ直ぐ素手で突っ込んでくる、聖戦士。

 まずい、このままでは私が人を『消したくない』のがバレてしまう。

 だが、次の瞬間。

 ハンドレッドの槍が、私に向かってくる聖戦士の胸に突き刺さっていた。


 エラの足を払ったあと、僕には一瞬の隙ができる。その隙に乗じて上位士官の聖戦士は、こちらへと詰め寄ってくるだろう。

「私との戦いの間に女のほうをかばうとは余裕だな小僧――!」

 当然だ、そっちの方が優先度は高い。走りこんできて自分の刃圏に身を置こうとするのも当然のこと――そこまで考えて、罠を置いた。

 いや、それは罠というほど複雑なものではないかもしれない。単純に、僕は彼との戦いで、力を抜いていた。

 手を抜いたわけではない、それぐらいなら一瞬で仕留めてしまったほうがエラの安全度が増す。

 だが、力加減を極限のぎりぎりまで抜いていた。

 『こいつは技で押してくるタイプで、力はない』と思わせる程度に。悔しいが、僕の体格や見た目も影響したのか、相手はそれにあっさり引っかかってくれた。

 次の一手、相手も予想しているであろう槍での『払い』の前に一言唱える。

『筋力強化』

「なぁっ―――!?」

 全力の一撃に更に上乗せされた魔力による膂力は、相手の想像を遥かに超えていただろう、剣を叩き折り、そのまま胴を骨ごと砕きながら薙ぎ払う。

 屋根をバウンドしながら転がって、落ちていく姿を確認し、槍を後ろに向かって振り上げる。槍は、平士官の胸に突き刺さっていた。

「なん、だと――」

「パイクは全長六メートル、そりゃあ、余裕で届くさ。自分の戦いばかり見て、こちらを見なかった君の負け」

 後ろを見ないまま、手応えだけで勝利を確信する。

 槍を消すと同時に、相手の倒れる音がする。

「行くよ、エラ、ちょっと荒っぽくなるかもしれないから覚悟して」

 エラを抱きかかえる。腕が当たる可能性を配慮してか、エラは腕を中央で組んで大人しくしていた。

「うん、分かった」

 屋根を登ってくる兵士ももう現れ始めている、時間をかけたら取り囲まれてこちらの負けだ。だが、壁の方にももう兵士は回っている、だから当然。

「ここから跳ぶよ――」

 筋力強化で上がっている脚力を生かして、数十メートルの走り幅跳び。一息で、壁まで足を届かせる。壁に足が引っかかったら、もうひと跳び、そのまま塀を乗り越える。

 十メートルほど自由落下して、小麦の畑に着地した。

 エラは、悲鳴ひとつ上げなかった。あ、いや、硬直してる。

「立って走れる?」

「無理、腰が抜けちゃった」

 プルプルと首を振るエラに僕は頷いて。

「分かった、このまま森まで行こう、それなら平気な筈だ」

 そう言って、僕はザンザンと小麦の畑をかき分けて走る。

 僕の言葉に頷いたあと、エラは不思議そうに首を傾げて。

「この間みたいに、転移はしないの? それとも魔力が尽きた?」

 そんなことを言ってきた、そんな訳は当然無い。

「まさか、僕の魔力量は尋常じゃないんだ。先生からは『人より多く祈りを貰っているだけだ』なんて言われたけどね。でも、とにかく森まで向かう。走って逃げた痕跡が欲しいんだ、単純に転移で逃げたと思われると、捜査の範囲が無駄に広がる可能性があるから」

 転移は高等魔法の一つである、聖戦士とはいえそうそう使える人間がいるとは思わないだろう。

 とにかく時間を稼いで、何と戦うべきか決める、それは今僕がすることだった。


第三章「師匠と先生」

「真反対ばかりじゃ芸がないんで、中途半端な場所に転移してみた。こっちは昼みたいだね」

 爽やかに言うハンドレッドだが、私としては、流石になんか時間間隔がおかしくなってきた。

「転移って、なんか便利だけど……気分悪くなるわね」

 出た場所は、草原。遠くの方には凄まじく高い山脈があったりする、上の方は雲で見えない。

 景色は壮観だったが、ちょっと寒い気もする。

「突然高原に出ちゃったからかな? 気分が悪いなら治癒魔法をかけるけど?」

 その言葉に、私はふるふると首を振る。

「大丈夫、そこまでじゃないから。それより私の鞄からマントを取り出してかけてくれないかな、なんか寒くって」

 ハンドレッドはカバンからマントを取り出して私にかけてくれる。私はその間に、ギプスをはめ直した。

「まぁ、ここは世界で一番高い霊峰レギアスだからね、気温が低いのも確かだ。多分山の中腹には雪も残ってるんじゃないかな」

「ここがあの悪名高いレギアス? 魔界じゃ、ここ『悪魔の山』って呼ばれてるわよ。あれのお陰で魔界じゃ大きな建物も立てられる場所が限られてるんだから」

 二つの世界は近い、その象徴とされるのがこのレギアスなのだった。灰の世界は起伏に乏しいのが特徴であるが、下手をすれば手が届くところまで近くにくる山の頂などアレくらいのものだと思う。

「はは、確か、魔界に立てた砦もやられてた」

「地元民はあんな丘に建物なんか建てないわよ、あの悪魔の山は上手くやれば飛び移れるって噂なんだから」

 レギアスは、過去いろいろな建物を壊してきた、昔はもっと高くて魔界の運河や何やらはレギアスが削った痕だ、なんて言われている場所もザラにある。

「こっちはレギアスに登れば、魔界へ飛び移れるって噂だけどね。そんな危険を犯すよりゲートを使ったほうが安全なのは確かだけど」

 ゲートは、二つの世界をつなぐ唯一の扉である、これが発見されるまでお互いの人種はお互いを知らなかったほどに。

「危険なの? あれ。いや、まぁこっちじゃ別の意味で危険だけど」

「危険も危険、高さは他の山の数倍もあるくせに、氷と雪で登りにくく野生動物も危険なものがいっぱいいる、それに、かなりの風が吹くんだ。レギアス登頂はこっちじゃ英雄的行為だよ」

「へぇ、で……とにかくどうしようか」

 ハンドレッドは一つ頷いたあと、答える。

「とりあえず村や集落を回って逃げまわる。何をするべきか、何が敵なのか考えてる暇がないからね。村や集落ならば、識字率も低いし、そこまで手配書を回す余裕もないはずだから比較的逃げまわりやすいと思う」

「なんか、ごめんなさい。私のせいでこんな事になっちゃうなんて」

 それをハンドレッドは首を振って否定して。

「いや、それはない。僕が命令違反で指名手配されることがあっても、君がこちらで指名手配されるはずはないんだ」

 先ほど手にしていた手配書をビッと破り捨てながらいう。

「なんで? 私は言うのもなんだけど、かなり怖い魔人だよ」

「悪いけど、十三勇者にとって君はそれほど脅威になる魔人じゃない。無論君の性格のことを知らなくても、だ。ならば、聖勇者を使って秘密裏に討伐するのが定石。こんな大事にするのは下の下の策だよ」

「私がそんなに弱い? まさか、触れちゃうだけで消えちゃうんだよ? そんなわけないじゃない」

 ハンドレッドは、ふっと鼻で笑ってみせる。

「弱い、下手をすると聖戦士と比べても弱い。証拠を見せて上げようか」


 私は、頭の上にリンゴを括りつけられていた。

「これは……何の真似?」

 ハンドレッドは距離を測りながら、それを見ずに答える。

「そりゃ、決まってるじゃないか。僕が君の頭を吹き飛ばす訳にはいかないだろう、君は僕にその林檎を壊されたら負けってことで。逆に、君は僕に触れたら勝ちでいいよ。……十歩もあればいいか、うん、この位置から」

 ハンドレッドは、さぁ来いと身構えもせず私を待っている。

「ギプスが重いって言うなら外してもいいよ」

「いや、さすがにちょっと……行くよ!」

 と、私が一歩目を踏み出した瞬間、ハンドレッドは片膝をついて両腕を構える。

『物質作成』

 二歩目、ハンドレッドは棒状の武器を取り出した、木と鉄が組み合わさった棍棒のようだが、持ちからが逆だ。なんとなく、クロスボウを構えているようにも見える。

 ばぁん! という大きな音がして、私が三歩目を踏み出す前に頭上のリンゴは粉々になり、バラバラと落ちていく。

「う……ぇ?」

 何が起きたかは分からないが、耳をつんざく音に暫し驚く。その間に、彼はゆっくり立ち上がって私に近寄った。

「はい、僕の勝ち。今使ったのはフリントロックマスケット銃、銃と呼んでくれても構わない。火縄を使ったものもあるけど、今回は細かい説明はいいや。小石くらいの鉄の玉を火薬の力で打ち出す兵器さ」

 なるほど、私の頭のリンゴはそれで壊されたというわけだ。それにしても頭が果汁でたっぷりである。

「別にクロスボウを使っても良かったんだけどね、君には最新の武器を見せておこうと思って。今現在、兵士は弓からこれらの武器が扱いをメインに移しつつある。弓に比べて扱いが簡単で、訓練期間が短くて済むんだ」

「でも、それが私の戦闘能力の低さと何の関係があるのよ」

「正直、君は一般人に比べたら動きは悪くない。聖戦士と戦っても動きを追って武器を壊す、もしくは君のその精神的トラウマがなければ相手を殺すことも可能だと思うよ」

「うっ」

 確かに私が人を殺せないのは、トラウマのせいだ。しかしそれを彼に見破られるとは思わなかった、少し、落ち込む。

「確かに、上位の聖戦士や聖勇者の動きを追うのは難しいだろうけど。問題は、そこじゃないんだ、戦争ってやつは四方八方から君じゃ見えない流れ矢や弾丸が飛んでくる。君の体の傷、殆どが矢傷だろう? 古傷は直すのが難しいけど今度やってあげるよ。君の異能はたしかに建造物を攻める点では、味方との連携が取れれば脅威だ。だけど、君個人の戦闘力は戦争中に行われる戦闘向けではない。一対一ならまだ誤魔化しようもあると思うけど、それでも、上位の者には敵わない、君の位置づけは正直『ちょっと厄介な魔人』程度なんだ」

 彼は、作り出した武器を見せながら言う。

「他の魔人なら相手にもならない、こういうものを持った普通の兵士にも君は負けるようになる。銃の威力は鋼の板を打ち抜く程度のものだけど、これを何とか出来る魔人は多いだろう。対して君はこういうのものに対して人間以下の対応しかできない」

 ハンドレッドは作った武器を消しながら、言い放った。

「結論として、君は戦争向けではあるけど、戦闘向けではない。弱い、と分類づけてもいい。君は人に触れば消せると言ってたけど、そもそも触れないんだ、物理的にね」

 私はむきになって口論する。

「それでも、やってみないと……!」

「できると思うかい? 君が」

 それを言われてしまっては、私は言葉が出ない。

「うぅ……」

 私は、項垂れるだけだった。


 僕が後を片付けていると、エラが話しかけてきた。

「そういえば、さっきの人たちはどうなっちゃったのかな」

 エラは、そんなどうでもいい事を心配そうに聞いてくる。多分心根の優しい女の子なのだ。しかし、その点においては『よほど力の差が逼迫している相手でない限りお前は手を抜いて殺さないでやってみろ』という先生の言葉とも合致する。

「大丈夫、殺してはいないよ。あの街に治癒の出来る神官がいれば、二人ともまぁ、なんとか生きてるんじゃないかな?」

 自信満々に答えてみせる。正直僕のやってることは、先生から言われたことを忠実に実行しているだけだ、優しさなどとはかけ離れている。そんな僕の言葉に彼女は苦笑いを浮かべて。

「運が良ければって……まぁ、確かにそんな状況じゃなかったのも確かだし、私が生きているのも貴方のおかげだから、ありがとうとしか言えないけれど」

 僕は、その言葉に対してはある種の憤懣を持って答えた。

「それは違うよ、僕と出会ったから君は命を狙われてるんだ。そこに礼を言うのはおかしい。なにより、僕に君は殺されかけたじゃないか。僕と出会って無ければ今も君はいつも通りの日常を送っていたはずだよ」

 そう、僕があの時砦を消した彼女を見ていなければ、こんな事にはならなかったのかもしれない。

 しかし、それを彼女は首を横に振って答えた。

「ううん、確かにそうなんだけど。それを含めてお礼を言いたい、多分私はあのまま日常を送っていても死んでいただろうから、ありがとう。貴方が、ハンドレッドがいてくれて私は、助かった」

 目を瞬かせる、そんなことは言われる義理ではない。ましてや、僕の敵である魔人に言われるなんて思っても見なかった。

 人生、どう転がるかわからない、は先生の言葉だったか。

「リンゴまみれでいうセリフじゃ、ないね」

「分かってるわよ! ベッタベタで気持ち悪いのよこのリンゴ! 洗えるものなら洗ってるわ!」

 確かに、リンゴは汁気たっぷりでおいしいものだった。なんで売れ残ってたのか不思議なくらいだ。背負い袋から一つ取り出して齧ってみる、うん、甘い。

「塵に変えたらいいじゃないか、髪は変わらないんだろう?」

「それはそうだけど、それはそれで髪が塵だらけになって気持ち悪いし」

「うーん、じゃあ。ああ、いい場所があった。」

 その場所を教えると、彼女は一つ頷いて。

「うん、確かに、助かるわね、それ」

 そう答えた。


 僕たちは、その場所にやってきた。

 程遠くない森の中に、不思議な泉がある。

 山の中にあるのに真冬でも凍らずこんこんと水を出し続ける泉だ。

 泉の水はいつも人肌に暖かく、澄んでいた。

「へぇ、こんな場所もあるんだ。魔界じゃ絶対にお目にかかれない場所だわ」

「魔界には無いのか、人間界になら所々にあるらしいよ、僕は行ったことはないけど、それだけを売りにして人を集めている街もあるらしい。なんでも病気に効くんだとか」

 通称、温泉と呼ばれるらしい場所だった。

「それじゃあ、私は浴びるから……って、なんでハンドレッド君、脱いでるの?」

 そんな質問、答えるまでもないと思うけど。

「だって、濡れるじゃないか」

「なんで一緒に入ろうと思うの?」

 それも、答えるまでもないと思うけど、エラは時々不思議な事を言う。

「だって、エラ一人じゃ水浴びも難しいだろ? 触れたら塵に変わっちゃうわけだし」

 エラは俯いてから顔を真っ赤にして答える。

「私を何でもかんでもできない人みたいに言うなー! それくらい出来るっ! ギプス使って、お湯を水袋で汲んでっなんとかっ!」

 エラは本当に不思議な事を主張する。

「ほら『なんとか』じゃないか、それくらいだったら僕が手伝うよ。僕はよく先生の背中流してたから得意なんだ」

 エラは真っ赤になったまま、大声を張り上げ続ける。

「だから、君はその先生に女性の扱い方とか習わなかったの!?」

「いや、習ったよ、きちんと大事に扱ってあげないと、か弱い生き物だからって。一部近寄るもの皆傷つけるような奴もいるがって言ってたけど。エラはそのタイプじゃないだろう、なんというか、ふにゃふにゃして弱い感じ、身体柔らかかったし」

 彼女はその場でプルプルと震え、終いには絶叫した。

「うううううーーーーーーー! 『先生』めぇーーーー!」

 とりあえず、落ち着くには時間がかかりそうだったので、彼女のマントを外して拭いてあげるところから始めることにした。

 結局問答は小一時間続くことになったが、最終的にエラは僕のお世話になることに決めたようだった。うん、良い事をした。


 私は酷い目にあったあと、ハンドレッドの提案のもと、私たちは周辺の村や集落を回って見ることとした。

 あと、追記だが、私の身体の矢傷はほとんどが消えた。これは、嬉しいことと思って、素直に彼に感謝すべきだろう。

 村は、畜産を主にやっているようで、動物の鳴き声がここからも聞こえてくる。

「山村ねぇ、人間はこんな所にも住むのね。寒いのに」

 魔界は温暖湿潤ゆえ、こう言った気候の変化にはあまり縁がない。良く言えばどこに住んでも同じ、悪く言えば変化がないということだけど。

「この村では羊毛を主に作ってるんだ。寒いなら寒いなりに過ごしかたはあるということだよ」

「羊毛……羊さんかぁ。魔界ではあまり見かけないわね」

「魔界には羊はいないんだ?」

「いないって訳じゃないんだけど、野生化してるし、食肉として狩るにはメジャーじゃないかなぁって感じ、主な家畜は牛かなぁ」

「家畜はいるんだ。魔界のことはあんまり知らないからなぁ」

「ぶっちゃけ聖勇者が知ってたら怖いです」

 などと和気あいあいと語りつつ、村に入る。策に囲まれた羊だのを眺めると壮観なものがある、魔界では群れの羊なんて見たことがない。いや、魔界でも群れてはいるそうなんだけど、私狩りとかしないから。

 などと思ってると、第一村人発見。おばちゃんである。当然、以前のおばちゃんとは別人であるのを明記しておきたい。

「……! ――――! ッッ!」

 おばちゃんは私達を見かけると、何やら村の奥に呼びかけている。

「まさか、ここまで……」

「いや、違うみたい、僕のことを言ってるみたいだ」

 どうやらハンドレッドは耳もいいようだ。


 それから十分ほどで、村人総勢五十名ほど(赤ん坊一名含む)が村の中央に集まった、我々は取り囲まれている。

 その中から、一名の老人が一歩踏み出し、私達の目の前にやってきた。

「こんにちは、聖戦士様。わたくし村長のマーカスと申します。こちらの村に何か御用でも? レギアスに登るのならガイドをお付けいたしますが、流石にその頂までは登ったものはおらず……」

「いや、違うんだ。で、疲れていてね、この村に少し滞在したい、宿はあるかな」

 ハンドレッドは手を振り答える。しかしこんな所でも聖戦士の権力は絶対である。余程人間界の教会の教えは行き届いているのだろう。

「申し訳ありません、この村に宿はございません。当方の家でしたらお泊めして差し上げることはできますが」

「ああ、それで構わない。よろしく一つ頼むよ」

 ハンドレッドが頭を下げると、村長は慌てて。

「そんな、滅相もございません! 何もない村ですがどうぞごゆるりとお休みください」

 と言う、村人もざわめきだし。

「よぉし、みんな、今日は聖戦士様の歓迎の宴だ! 盛大に行くぞ」

 おー! などと盛り上がったりしちゃっている。私は、ハンドレッドにぼそぼそと耳打ちをする。

「ねぇ、こんなに派手なことになっちゃって。大丈夫かな? また追われることになるんじゃ……」

「大丈夫だよ、何より、こういう小さい村では物々交換が基本で貨幣はあまり扱われないんだ。金貨とか大きな貨幣だと特にね、何しろ金貨は食べられないから」

「さいですか……と言うか、やっぱり貨幣って役に立たないじゃない。金の粒のほうがよっぽど使い勝手がいいわ、魔界では」

「それは原始的な経済体制だと思うな。まぁ、こういう小さい村は何かと不便なんだよ、特にこのあたりは、近くに大きな街もないし、自給自足が基本だからね。まぁ、時折街から大きな馬車が食べ物と羊毛を交換したりしに来るんだけど」

「うん、まぁそういう村は魔界にもいくつかあるよ。ここまで不便なのはそうそう無いけど……ただ、そこでも金の粒は使えたからね!」

「……こだわるね」


 歓待の宴は盛大に行われた。

 酒を開けよ、杯を鳴らせ、炎を焚けといった具合である。

 因みに今日の祝宴のために羊を三頭潰したそうだ。

 丸太を切っただけの椅子に、荒っぽい作りのテーブルにつかされて、私たちは酒宴の主役だった。

「明日には移動しないとこの村潰れるね」

 とはハンドレッドの談。私にもそれには賛成です。

「さあ! 聖戦士殿、子羊の一番いい所が焼けましたよ。お連れの方もどうぞ!」

「子羊も潰してたのか、哀れな子羊の命に祈りを」

 半ば嫌味なんじゃないかと思う祈りを捧げるハンドレッドを尻目に、私は続ける。

「ま、まぁありがたく頂きましょう、せっかくのご好意ですから」

「ん」

 まぁ、これが来ると分かってましたよ、ええ、避けられないと思ってました。

「眼前に肉を突き出すのはやめよう」

 まぁ、突き出されたお肉を齧ってみるしかないわけで。

「……! 美味しい」

「へえ、ほんとだ」

 そこで何の抵抗もなく私が口をつけた上からかぶりつきますか、まぁ、そういう子ってのはもう分かりきってるんだけど。

「こっちの羊のチーズも美味しいよ、ほら」

「今度は齧った方を正面に突き出してくるんですか」

「……?」

「はい、そこで首を傾げるのは止めてください。分かりましたから、もう。あら、本当に美味しい」

 村の喧騒の中――一応、無視していたのだが、九割九分が私達の仲を囃し立てる声だ。――一人の女性が赤ちゃんを抱えてやってくる。

「あの、聖戦士様、少しよろしいでしょうか。この子は先日生まれたばかりの子です。聖戦士様から祝福を与えてもらって、名を授かってもよろしいでしょうか」

「あー、うん。女の子?」

「いや、男の子でしょ。あと油まみれの手で頭撫でるのやめなさい」

 ハンドレッドは顔をあげ、一言呟く。

「んじゃ、レタス」

 ちょっと待て。

「ありがとうございます! 聖戦士様のような強く神の祝福を受けた子になるでしょう」

 それでいいんだ!?

 女性は何度も頭を下げながら、大事そうに髪の毛油まみれの赤ちゃん(命名:レタス君)を連れて行った。

「レタスくん、それはそれであんまりなような」

「そうかな、エラはお酒飲む?」

 渡された瓶を手に持ちつつ、レタスというネーミングセンスを持つ子供は聞いてくる。

「良いや、やめておく、強くないし」


 篝火も弱くなり祭りもそろそろ締めに入ろうという頃だ。

 村人も後片付けや酔っぱらいなどで殆ど私達を見なくなっている。

 星空を見上げながら、私は呟いていた。なんだか、陸が高いせいか、星も近くに見える気がする。

「守ってもらっていて言う立場じゃないんだけど……本当は、私はあんまりハンドレッドに戦ってほしくないんだ」

 二人は、傍らに葡萄のジュースを置いている。弱くなった火に照らされたハンドレッドの顔を見ると、やはり納得していないようだった。

「なんでだよ、僕は君より強いじゃないか」

 不満そうに私を見上げるハンドレッド。だが、私もこの話はしておかなければならないのだ。

「私は、貴方くらいの歳より前から戦場に立っていたわ、それしか方法がなかったから。私の力って戦争以外では殆ど役に立たないでしょう? だから、結果的にそうなったの」

 ハンドレッドは、黙って私の話を聞いてくれている。

「だから、私にはそういう人生しか無かった。怪我をしたことも何度もあったし、戦争の度に死ぬんじゃないかと怖くて眠れなかったわ」

「でも、僕はそんなんじゃない」

 ハンドレッドは、胸に手を当てて反論する。

「うん、君がそんなに弱くないことは私が保証する。でも、出来れば私は子供に戦場に立って欲しくないのよ。それが例えどんなに効率的だったとしても、そんな悲しい現実は欲しくない。戦場に立っている子供は殺したくないし、死んで欲しくもない。私は人を殺せないけど、特に子供には死んでほしくないと思っているわ」

 ハンドレッドは自分の掌を見て、顔を上げる。

「それは、僕が子供だからいけないのかい?」

 私は、「ううん」と首を振り、答える。

「戦争そのものが私は嫌いよ。本当に、なんでこんな事になっちゃうんだろうと私は思う。もっと賢い手段は、もっと正しいあり方はなかったのかしらって」

 ハンドレッドは俯いたまま考えこんでしまった。

「ごめんなさい、難しい話だったかしら」

 ハンドレッドは逆に「ううん」と首を振り。

「参考になったよ、それに、僕はそんなに頭悪くないよ。むしろ、教養という面では君よりずっと色々知っている。戦争についても、君よりきっとずっとたくさん知っている……でも」

 ハンドレッドは遠くを見るように、遠い星空を見るように。

「考えたことはなかった」


 あれ、僕は何を見ているのだろう?

 ……一人の子供がいた。

 最初はその子供は孤児院にいて、そこで聖別を受け、その子は『特別』として扱われた。

 その子供はすぐに訓練施設に押し込まれ、まずは教養と魔法の授業から教えられた。

 常人なら一分野を修得するだけで人生をかけるだけの知識量だ、詰め込むには、時間を要した。だから僕は二十四時間中の二十四時間を常に『授業』に費やした。疲労は全て魔法で回復する形で、その授業は数年続いた。そこには何人かの僕と同格の人間がいたが、着いてこれないものは全て置いていかれた。

 ああ、これは僕だ。僕は僕の夢を見ている、そして結果も知っている。

 その後、身体はまだ未成熟だったが、とにかく時間が先に置かれたため、僕は肉体改造の手術を複数回に渡って行われた。その苦痛は今考えても常識では考えられないレベルのものだった。ここで死んだものも少なくはない。

 常人をはるかに超えた能力を手にした僕に、次に待っていたのは常識を遥かに覆した、訓練の日々だった。これにも、二十四時間中の二十四時間を使い、百の武器を扱うための半ば殺し合いにも似た修行が行われた。着いてこれないものは、容赦なく死んでいった、ここで死んだ人間がもっとも多いだろう。

 何しろ、最後に気がついた時には、僕は一人になっていたのだから。

 周りは僕のことを『天才』と称したが、正直運が良かっただけだ、泣きながら武器を振るっていたこともあったし、死にかけたのも十回や二十回ではきかない。

 だから、僕が生きていたのは、たくさんの選ばれた人間の中で一番運がいい人間だっただけだ。

 僕が『先生』に出会ったのは、十歳の頃だった。

「俺が、お前の最高責任者になった、これからは俺の命令に従うように」

 その頃から、練習量は三百倍になった、時間は変わらないので、訓練の濃度と速度が三百倍になっただけだ。僕はそれに必死で追い縋った、止まったら、死んでしまう。その結果を、僕は痛いほど知っている。

 その時の僕は、世界の誰よりも努力していたのだろう。だけど、世界が面白いものだなんて知りもしなかった。世界は、修練で塗りつぶされたものだと思っていた。

 それを破壊したのは、先生だった。

「それじゃあ、今回は訓練の終わりに公衆浴場に行くとしよう」

「風呂ですか? 僕は『浄化』の魔法を受けているので必要ありません」

「いやいや、そう言うなって、風呂の一つも入らないようじゃ女に嫌われるぞ『浄化』の魔法じゃ限界があるだろ」

 先生は、無理やり僕に理由と時間を付けて訓練から抜けださせた。

 僕の世界は、面白いように広がっていった。

 ああ、それは僕も先生が好きになるわけだ、先生に会うまでは、僕は生まれていなかった。先生に会って、初めて僕という存在が生まれたんだ。

 訓練量は、増えていく一方だったが、人生は楽しかった。

 先生は、毎日僕に新しい楽しみと、人生を増やしてくれる。

 先生がいなければ、僕は機械になっていただろう。

 だから、僕は先生に依存してよかったんだと思う。

 そして、この世に『ハンドレッド』が生まれた。


 この山の朝は深々と寒い。

 僕が目を覚ますと、僕は暖かく柔らかい感触に体を包まれていた。

 身体は毛布の中、僕が抱きしめているのは――ああ、彼女だ。僕は体が小さいので抱きしめているというより抱きしめられているように感じになっている。

 特に頬が柔らかい、彼女の胸に抱きしめられているのだ――これは、なんというか未知の心地よさだ、ベッドから起きたくないなんて考えは初めてだった。

 なので、この心地よさを、もう少し味わっておくようにした。何か良い匂いがする。それと、昨日の葡萄酒の香りと灰の香りが混じって、彼女独特の香りになっていた。

 それを感じながら、不意に先生と一緒に眠っていた頃のことを思い出す。先生は汗と煙草とお酒の匂いがしていた。ああ、腕枕は、柔らかくはなかったけど頼もしいものがあったっけ、あれはいつの話だったか……。

 もう一度目を閉じようとした時に、不意にギュっと抱きしめられた。少し息苦しくてまどろみから覚醒する僕。

「うぅん……」

 体の動きから、何となく彼女が半分覚醒状態にあることがわかった。だがこの体勢では体を動かすことも出来ない。

「はっ………………え?」

 寝起きは良い方ではないらしい彼女は、たっぷり時間をかけてから状況を確認する。腕の力を早く抜いて欲しい、溺れる。

「……ハンドレッド?」

 僕は毛布の中に完全に包まれているので彼女がどんな顔をしているかわからないが、なんとなく、呆然としてるんじゃなかろうかと声色から感じる。

「ん、別に離れたくなければいいんだけど、出来れば離してくれると嬉しい」

 離れたいわけではなかったが、このままでは、息苦しい。腕の力をもう少し柔らかくしてくれると嬉しい。

「うわ! なんでこんな事に!」

 なんでと言われても事は簡単である。

「そりゃ、昨日寝る時に一人で寝ると寒いから二人で寝ようって、エラが誘ってくれたから、僕がエラのベッドに行ったんだ」

 ゆっくりエラは離れて――少し部屋の寒さに身を震わせつつ――顔を手で覆う。

「――記憶にない」

「エラ、お酒飲んだしそのせいじゃない? 先生とか知らない女性と寝てたとかよくあることだったそうだし」

 その言葉にエラは必死そうに反論する。

「その人とは一緒にしないで! うわー、いつ飲んでたんだろ私、行動覚えないから絶対飲まないようにしてたのにー」

「最後の方に、ちょっと飲んでたね。まぁ、何かあったってわけでもないし」

「ナニかあったら困る!」


 その後私たちは朝食を取り、私たちは総勢五十名にちょっと足りない(流石に二日酔いで出れない人とかいたのだろう)に見送られ、村を出る。

「あ、レタスくんも手を振っている。あの子も、聖戦士になったりするのかしらね」

 母親に手を振らされているその姿は、見ていて微笑ましいものだった。ハンドレッドはそれを聞いて。

「だとしたら、この村初の快挙だろうね。出世頭だ」

「そんなに凄いものなんだ、聖戦士」

 レタスくんに手を振りかえす、ギプスだけど。

「エラ、いまいち僕の凄さわかってないだろ」

 うん、と素直に頷く。人間界基準ははっきり言ってわかんない。

「世界で十三人なんだぞ、むちゃくちゃ強いんだぞー」

 地団駄を踏むハンドレッドも可愛い。私はクスッと笑ってそれを見つめていた。

「さて、次はどこに行くの?」

 ハンドレッドは少し拗ねたような顔で、私を睨み。

「こっからだと下るしかないよ、この上に人里はないからね。もっともレギアスに登るっていう手もあるけど、人それを遭難と呼ぶ」

「それはご遠慮したいわね」

 振り返ると、村人の姿は見えなくなっていた。声だけは聞こえてくるので、聖戦士の実力というのも多少は分かった気がする。


「――と、いうわけでこの世界が作られたのはもう何億年も前の話になるんだ、これは地質学的に見ても明らかで――」

 昼下がり、少し眠気を覚えつつも足を進める。眠気の講釈はハンドレッド先生の世界の始まりについての授業。

「聞いてる?」

 時折、首を傾げて聞いてくるのが私的にはちょっとツボだ。話は難しいがこの顔を見るためなら少しは苦労にも耐えられようというものです。

「少し昼寝でもしようか?」

 それはそれで魅力的だが、私達が逃亡者だということを忘れてはいけない。首を横に振るとハンドレッドは「そうか」と答えた。

「んじゃ、続けると、僕ら人類が生まれたのが約1万年前。魔界のことはよく知らないけど、多分ほぼ同時期だという学説が有力だね。で、ゲートができて僕らがお互いを知ったのが約五百年前、それまでは、お互いは知りえなかったわけだ。その頃丁度、灰の神は塵の神によって追放されている」

 ――ゲート、お互いの世界を繋ぐ、あまりにも巨大な『門』である。見上げるだけで数百メートルという建造物が、お互いの世界に一つずつ存在すると言われている。ただし、ここ数百年は人間優勢ということもあり、私はその存在を見ていない。

「無ければ、こんな戦争も起きなかったんでしょうね……神様は相争え、ということなのかしら」

 ハンドレッドは、少し考えてから、私をじっと見つめる。

「でも、僕はそれがあったことに感謝するかな」

 私は首を傾げ、答える。

「……でも、戦争がないのよ」

「うん、君の言い分もわかる。でも、戦争がなかったら僕はハンドレッドじゃなかったろうし、『先生』に出会うこともなかった。何より、君に出会えないじゃないか」

 見上げるハンドレッドは、可愛い。と言うかはっきり言って私はこの子にかなり惹かれている。ハンドレッドは基本的に可愛いし、時々凄く格好いいのだ、これが惚れずにどうしろというのか。

「ええ、そうね。私もこの出会いだけは神様に感謝しないと」

 高鳴る胸を抑えつつ、私は他人の神に祈りを捧げる――願わくば、この瞬間が永遠に続きますように、と。


 僕たちは夕刻になって幾つかの小屋と、その煙突から立ち上る煙を見かけたので今夜はそこに厄介になろうと思った。

「エラもそれでいいかな?」

 エラに確認をとってみる、エラは、軽く頷いてくれた。

 ノックをすると、暫くのあと。

「はいはい、何だこの時分に」

 と、ドアを開くと同時に、老人が出てくる。昨日の村長に比べ、随分とがっしりした体格だろうか。

「悪いけど、この辺りで宿を取りたいけどどこか空いてないだろうか」

 老人は、いきなり腰を抜かしてしまう。

「せっ、聖戦士様!?」

 あんまりと言えばあんまりな何度目かの反応にさすがの僕もげんなりしつつ。

「僕、この服脱ごうかな」

「替えの服無いでしょ」

 即、突っ込まれる。

「で、どこか空いてないかな? 夜露が凌げればどこでもいいんだけど」

 その言葉に老人ははっと気を取り戻して、慌てて首を縦に振る。

「し、暫く使っていないですが、裏の小屋があります。ただ今準備をいたしますので少々お待ち下さい!」

 老人は、慌てて掃除道具を持って、裏の小屋へ向かっていった。

「あ、今湯を沸かしたところです。どうぞご自由にお使いください!」

 振り返りつつ老人は大声で言う。

「お風呂、沸いてるみたいだね。昨晩はなんだかんだで入ってないし、汗もかいたし丁度いいかも」

 笑顔でエラの方を見る。

「ひっ」

 何故そこで引きつる。

「手伝ってあげるから、一緒に入ろう、そっちのほうが手間も省けるし」

「ああ、やっぱそうなるのか……」

「なんで嫌がるのかな? ひょっとしてエラ、僕以上にお風呂嫌い?」

 ちなみに僕は克服した。先生の言いつけだから仕方がない。

「い、いや、むしろ好きな方だけどね、女の子には見られたら困る部分が……」

「もう全部見てるじゃないか」

 うん、見てないところはないと思う。

「ですよねー」

 諦めきったエラの声だけが響くのであった。あ、泣いてる。


「お客様―、痒いところはないですかー」

「いいえ、気持ちいいですよー」

 シャッシャッと音を立てて彼女の髪をブラシで梳いていく。

 最初は石鹸をつけてワシワシと洗っていたのだが、それは女の子の髪の扱い方ではないらしい。だから二度目以降はこうやって丁寧に洗っているが、これがなかなか面白い。まず、この長い髪を丁寧に洗うという行為が好きだ。最後の仕上げに髪を梳いていく所なんて好感触が持てる。

 女の子を洗うというのはなんか宝石や調度品を磨くのと似たような感覚がある。なんというか、苦労に見合った報酬がある気がするのだ。

「そういえば、先生とはよく公衆浴場に行ったなぁ」

 エラは、首を傾げる。

「こーしゅーよくじょー?」

 なんだか、言い方からすると分かってないようだ、どうやら魔界には公衆浴場はないようだ。

「沢山の人が入れる大きなお風呂だよ、大きな街じゃよっぽどのことがない限りそこでお風呂に入るんだ」

 目を見開き、エラは驚愕の表情を浮かべる。

「そんな恐ろしい所が人間界には……!?」

「だけど、男女別だからエラとは一緒に入れないねー」

「あ、男女別なんだ」

 ホッと安堵の息を漏らすエラ。

「さて、次はどこを洗おうか」

「ひぅっ!?」

 彼女は毎回同じ反応をする。僕が肌に手を触れようとすると、嫌がるのだ。お風呂嫌いもここまで来ると徹底して矯正してやりたくなる。そのせいか、最近僕にとってお風呂はなんとなく楽しみなイベントに思えてきた。うん、だんだん先生の気持ちが分かってきた気がするぞ。お風呂嫌いを矯正するってこういう気分なのか。

「……んじゃ、まずは背中側から流すね、しょうがないなぁ、エラは」

 石鹸をスポンジに馴染ませながら――因みにお風呂のセットは最初の町で真っ先に買った――僕は言う。

「言っておくけど、本当に、私はお風呂が嫌いなんじゃないんだからね。普通男の子とお風呂に入るとこういうものなの、女の子は」

 彼女の背中を柔らかく丁寧に磨きながら僕はそれを聞き流す。女の子の肌はデリケートなので、ゴシゴシーという訳にはいかないのだ。最初の頃はよく力加減を間違えて怒られていた。

「うん、お風呂っていうのも奥が深いものだね、本当に」

「だからね、ハンドレッドくんも他の女の子とお風呂に入ろうだなんて言ったらダメよ! わかってる?」

 そう言い、振り向く彼女。

「……今日は、先に前を洗う?」

 静かな山に響き渡る彼女の悲鳴、だからなんで毎回そこで悲鳴なのかと。


「しかし、聖戦士様がいらっしゃるとは思いませんでした。何のおもてなしも出来ずに申し訳ない」

 それでも、この辺境では精一杯のご馳走なのだろう。ソーセージやハム、黒パンなどが並べられている。ワインも開けましょうかと聞かれたが、流石に丁重に断った。僕にはお酒はまだ早いと先生の教えだ。

「いや、それはそれ、急に訪れて悪いね。旅の途中なんで」

「ところで失礼ですが、お二人は恋人なので?」

 僕は相変わらず甲斐甲斐しくエラの面倒を見ている。これは僕の仕事なので他に譲るつもりは一切ない。

「い、いふぇいふぇ、そ、そんっんぐっ」

 あ、エラがソーセージ喉に詰まらせた。

「エラ、水、水」

 水を飲ませて一息落ち着かせてあげる。

「そ、そんなことは断じて一切ございません! と言うか普通この体格差だったら姉弟とか考えるでしょう!」

 老人は、その勢いに少し押されつつ。僕は多少不機嫌になる。

「そ、そうですか、余りにも仲がよろしいのでつい」

 などと答えるのだった。

「まぁ、そう思わないのはこの服のせいもあるかな」

 青い、ローブを摘みながら言う彼。洗っても1時間もあれば乾くし、なんかやたら丈夫だし不思議な生地だった。

「聖戦士っていうのは絶対的に少ないんだよ。それが、こんな子供だって言うのがおかしいと思うから、基本的に目上においてしまうんだ。もっとも、僕は子供じゃないんだけどね」

 言いながら、パンを頬張る彼は紛れもなく、子供だと……思う。


「うん、……多分、そんな関係ではないはず、多分」

 私は、貸してもらった家に屋根の上に登る階段を見つけたので登ってみた。その上に腰を下ろして、ランプを器用に手首に引っ掛けて景色を照らして楽しんでみる。

 特に『上』の景色は絶景だ。

「そうか、今日は『大地の夜』か」

 そんな所に、ひょこっと現れたのは私専用の目か耳でもついてるのではないかと思うハンドレッド君じゅうさんさい、途中で年齢を確認したから間違いない。

 そう、今日は大地の夜。とは言っても、そう珍しいものではない、二つの世界は近過ぎるのだ、近すぎれば、お互いの大地が日を遮る。だから、こういう影のような夜は別に珍しいものでもなんでも無かった。

 お互いの大地まで山一つ分、手を伸ばせば届いてしまいそうな距離。上を見れば生活の営みの灯が見えるし。森や川もくっきりと見て取れる。私は今まで、逆の風景を見ていたのだけど、こちらから見る自分の世界も悪くはない。

「どうしたの? 私のことが気になった?」

 それに、彼はコクリと頷いて――いつでも素直なのは彼の美徳である、私は見習うと最後の一線を越えてしまいそうなので遠慮したいが――。

「いや、エラも向こうでの生活があったんだろうから、本当は帰りたいんじゃないだろうかって……その、良ければ僕が帰してあげても良いんだけど」

 私は、その言葉には素直に首を横に振る。

「戻っても、私は身寄りもないしね――言われるままに戦争に赴いて、言われるままに動いていただけ。だから、こんなに充実した日々は珍しいわ」

 それに対して首を傾げるハンドレッド。

「身寄りはないって、両親は?」

 少し俯いて、私はできるだけ辛く見えないように笑顔を見せる。

「そういう君はどうなの?」

「僕はもともと孤児だったから。たまたま才能があっただけで、今こんな位置にいるけど……そんなのはどうでも良いんだ、エラ、君の両親はどうしてるの?」

 彼の目は真剣だ、私の表情の機微を読み取ったか、それとももっと深い部分を読み取れるのか。彼は、私の答えが『両親』にあると思っている。そして、それは正しいことだった。出来れば、話したくはないが、彼には話してもいいのかもしれない。

「魔人はね、生まれた時から異能を持っているんじゃなくて、ある日突然覚醒するの。私の場合は九歳の誕生日だったわ、その日、私は両親の手を取っていてそして、気がついた時には両親は『消えていた』……私が、自分の異能の能力に気がつくまでそう時間はかからなかったわ、何しろ触れるもの触れるもの全て灰になるんだもの。私は、灰まみれになって泣きじゃくった、その涙も灰に変えながら、泣きに泣いた……。その日から私は一人よ、私に近づく事さえ怖がるのが普通だからね、ハンドレッドみたいなのが普通じゃないの、本当の話、私を怖がらないなんて最初は驚いたものよ」

 彼は、その言葉を聞いて、考えた、考えに考えた。多分自分にその境遇に置き換えているのだ。人生経験の足りない彼なりに、私の感傷に同情してくれようと努力する。

「それが、どの位の恐怖だったか、悲しみだったかなんて本当は僕にはわからないかもしれない。でも、僕が考える限り、君は不幸だったんだと思う」

 本当に泣きそうな顔で、ハンドレッドは私のことを見上げてくれる。彼の中で一番悲しいことと比較して、それでもまだ及ばないと。私に同情しようと、必死に追い縋ってくれようとしてくれている。

 でも、それは不要な感傷だ、私の感傷で彼が傷ついて良い道理はない。

 だから私は彼を抱きしめた、思い切り、力いっぱい。

「ううん、良いの。それは終わったことだし、私だけの不幸だから、私が乗り越えるしか無いってわかっている。だから、私のことでハンドレッドが傷つく必要なんて、どこにもないよ」

 彼は、私の胸で泣きじゃくりながら、それでも、それでもと続けた。

「それは悲しいことだよ、とても、とても悲しいことだよ。僕がエラだったら、きっと僕は生きていけない。君は強い人だから、それでも生きていかなくちゃいけない」

 ――いえ、貴方も強い子だから、きっと生きていけるわ。

「それでも、これは私のことだから、安心して、私が貴方を傷つける必要はないの」

 彼は、私を振りほどき、立ち上がって、彼らしい強さでぐいっと目元を拭った。そこには涙はなく、何かの強い決心がある。

「分かった、僕が何から君を守るのか、僕はそれから君を守るよ。君を取り巻く悲しみから、君を傷つける全てから、僕は君を守る」

 私は、彼の強さに、呆れ、微笑むしか無かった。だってこんなにも心が暖かい。彼が守ると宣言したのならば、その宣言の瞬間にもう約束は守られているのかもしれない。

「――それは、とても大変なことよ」

 彼は、胸元にぐっと拳を握って宣言する。大地と大地の隙間から、太陽の陽が漏れる。そうか、今日は短い太陽の日でもあったのだ。二つの大地が太陽に照らされ、その明かりを頼りに渡り鳥は、一斉に大地と大地の間を行き来する。それを背景にして、私と彼は見つめ合う。

「誓う――僕は先生の命令の名に置いて君を守るよ」

 私には、もうその言葉を信じるしか、彼を信じて生きるしか残ってなかった。だってこれまで、一度も折れなかった頑固な彼の言葉だもの。

「分かったわ、じゃあ、私は全てをあなたに委ねる。貴方がもう良いと思うまで、私が本当に幸せになるまで、私を、守って――」

 その言葉に、彼は頷く。短い太陽の時間が終わる。その光に彼は照らされて、とても輝いていた。


 僕はそう誓った――そうなればやることだって決まってくる。

「でも嬉しいわね、世界最強の聖勇者様が私を守ってくれるなんて」

 それには、僕は黙りこむしかない。いや、否定しなければいけないだろう。

「悪いけど、僕は最強じゃないよ。十三勇者のうちの十三位だ――まぁ、僕の場合はなったばかりで何の功績も立てていないっていうのもあるけど」

「百の武器を使うんでしょう? それに魔法だってたくさん使える、十分に最強になれる資質はあると思うんだけど」

「百使えることになんか意味はないよ。第一、似たような、ほとんど同じ用途の武器だってたくさんあるんだ。先生曰く『百使えることに意味は無い、だがお前は百知っておくべきだ』だそうだけど、その百の武器だって、それを習った師匠から勝つことはできない。僕は扱い方を教わっただけで『極めて』はいないからね――それに」

 続けて、遠い地平線の向こうの空を見つめながら言う。

「どんな手を使っても、『先生』――サウザンド――には勝つことはできないと思う」

 顔を顰め、不思議なものを見るような目でエラは僕を見る。

「サウザンド? ――ハンドレッドの師匠が、千?」

「うん、例によってコードネームだけど、『先生』の本名は僕も知らない。最初に『先生と呼べ』って言われたから呼んでる」

「それって、例によって千の武器を使ったりするの?」

 それには僕が顔を顰める番だ。

「――多分だけど、武器って、そんなに種類ないと思う。師匠の使う武器は剣だよ、特に片手長剣を好んで使う。――サウザンドって名前の由来は知らない」

 それに、教皇だっている。教皇が戦闘派かどうかは知らないが、一番の神の使徒を名乗る以上、僕以上の魔法の使い手であることは確かだ。

「――っ!?」

 敵の気配を感じる。まさかこんな所にももう手が回ってるなどとは思えないが、こちらに向けられた殺気は確実に敵のものだろう。

「――エラ僕からできるだけ離れないで、屋根を降りるよ――敵だ」

「……わかった。」

 エラは、コクンと頷いて、僕の後をついて屋根を飛び降りる。エラの足がこれくらいでは堪えないことは今までの旅で実証済みだ。

 エラも僕もいつでも逃げれるように荷物を持ち歩く癖はついていた。服装も、夜ではあるが夜着ではなく、普段着だ。

 森から出てきた敵は一人、気配からして伏兵もいない。

 敵は、女性だった。聖勇者の聖衣を着ている。

 それも、よく知っていた。

「師匠――」

 エラが後ろから声をかける。

「え? あれってハンドレッドの師匠の一人?」

「ああ――十三勇者が一人第七位のミューティレイト、ワイヤーブレードの使い手だよ、はっきり言ってリリィとは比べ物にならない。エラ、できるだけ僕から離れて。僕じゃ君を庇いきれない」

 それに対して女性は口を開く、赤毛で燃えるような瞳をした女性だった。右腕には、ハンドレッドと同じ腕輪をつけている。

「ミューって呼んでくれて結構さ、そんな物騒なこと言わなくても、そこのお嬢ちゃんは生きて連れて帰れって言われてるからね、残念ながら、そういう訳にはいかない」

 ミューはキリキリと音を立ててワイヤーを伸ばしながら、ハンドレッドを問いただす。

「ハンドレッド、アンタの目的はたしかそのお嬢さんをエスコートして教皇のもとに連れて帰る事だよね。さ、命令だ、大人しく従いな」

 それに対してヒュンと風を斬りながらワイヤーブレードを一振りで伸ばして、ハンドレッドは答える。

「断る、それはより上位の命令に反する」

「またサウザンドかい。あいつもつくづく厄介な弟子を作りやがって――第一、私相手にワイヤーブレードで勝てると思ってるのかい?」

「ハンドレッド……」

 ミューの言っていることは正しい、恐らくエラの心配事もそれだろう。

「間合いと柔軟性でこの武器に勝る武器を僕は知らない。その間合いを選ばれた以上、僕はこの武器で対抗するしか、無い」

 彼我の距離は十メートル以上、正直、隙を突いて間合いの内側に入れるものなら入りたいが、ミューティレイトともあろう者がそれを許すとは思えなかった。

『魔剣』

 ならば、足りないものを、補充する。魔法の剣を作り出す魔法で、ワイヤーブレードを強化する。今の僕のワイヤーブレードなら岩山だって切り裂けるだろう。

 それで威力で互角。彼女は元からそれが出来る。

 後は腕前の勝負だが――。

「まさか、それで勝ったっていうんじゃないだろうね」

「とんでもない」

 そう言うと、その意気を買ったようで、彼女は一つ口笛を吹き。

「なら、死なない程度に切り刻んでやる。後悔することだね!」

 その得物を、大上段から振りかざしてくる。

 僕は、それをすんでのところで避ける、地面が切り裂かれ、風にちぎれた草が舞う。その隙を狙って僕は横に大きく切り裂くように振り回した。

「甘いっ」

 だが、それよりもミューの切り返しのほうが速い。上に振り上げたワイヤーブレード同士がぶつかり、バチィっと火花を散らした。

 しかし、それで諦める僕でもない。弾かれたワイヤーブレードを巧みに操って逆方向からの攻撃を試みる。

 それでも――ミューのほうが一段速い。反撃を諦めて、守勢に回るハンドレッド、魔剣で強化したはずのワイヤーが悲鳴を上げる。

 速度は一段ずつ上がっていく、基本的に遠心力を利用するワイヤーブレードは打ち合えば打ち合っただけ早くなる。

 銀の閃きだけが暗闇を照らす。その合間に火花が散り、二人を照らしていく。状況は、膠着状態だ。無論、このまま第七位のミューティレイトが膠着状態を続けるとは思わない。

(恐らく、こちらには使えない『手段』で来る――!)

 ミューが一旦ワイヤーブレードを退く。その隙に攻勢に回るほど、僕も愚かではない。恐らく来るはず――。

「ハァッ――!」

 ワイヤーブレードは基本的に遠心力を使った、横と縦の攻撃である。しかし、彼女はそれ以外にも僕の使えない攻撃を持つ――。

(来た――!)

 ワイヤーブレードによる、刺突。必殺のピアシングであった。

 直線で向かってくるワイヤーは先程までの数倍速く、強い。それを、三発の迎撃を持って弱め、最後にギリギリのところで腕輪を掠らせて逸らす。ワイヤーと同時に腕輪も強化してあったのが、役に立った。通常だったら腕ごと吹き飛ばされていただろう。

「外したか、腕を上げたわね――」

「そっちのが断然有利なのによく言うよ」

 やはり、同じ武器同士では勝てない。かと言って違う武器を持ってくれば相手の思うつぼだ、そもそも、初期条件がワイヤーブレードに適していたのだ。

 そこに勝機がある――そう、僕は確信している。

「じゃあ、こういうのはどうかしら」

 翻るワイヤーブレード、狙うは――。

「くっ!」

 エラを狙ったワイヤーブレードを止める、止めるしか無い。彼女では、この攻撃を見ることさえできない、エラの眼前で火花が散る。

 こちらの体勢が崩れた。

 もう一度アレが来る、こちらには迎撃の用意はない。

 まっすぐ突き出されたピアシングが狙うはこちらの腹――。

 ならば――。

 ザシュッ!

 真正面から喰らって、腹を貫通させる。辛うじて身体をよじって重要器官を貫くのは避けた。

「なっ――」

 驚いたのはあちらだろう、恐らく『光壁』あたりを使って防御に出ると思っていたはずだ。確かに、あちらに使えない手で攻撃するのが、こちらの常套手段だ。だからこそこういう使い方もできる。

 腹は重傷だが、無理を押して動けないことはないレベルだ。いや、無理を押して動くべき所だ。

『念動』

 この隙にワイヤーブレードを見えざる手で動かして、絡ませる。これで、ミューはワイヤーブレードを使えない。

「くそっ!」

 ミューは慌てて片手でナイフを取り出してワイヤーブレードを切り裂く。ワイヤーブレード自体の全長は二十メートル程だ、切れば、長所である射程が短くなるが使えないわけではない。

 だが、それでは遅い――。

 僕はすでに地面を蹴り、十数メートルあった距離を一瞬で詰め寄った。眼前に迫るミューティレイト、慌ててワイヤーを構えるがそれは無駄だ。

 ワイヤーブレードの弱点は刃圏では存分に戦闘力が振るえるが、その内側では全く威力をなさないことだ。だからギリギリの位置、お互いの息が届くほどまで近寄った。

 そこで腹をめがけて拳打。拳の特徴は武器を持たずとも鍛えていれば使えることと、あらゆる武器より射程が短いこと。

「かはぁっ……!?」

 ミューの口からありったけの吐息が漏れる。まだだ、ただの拳打で打ち破れるほど、聖勇者の聖衣は甘い作りをしていない、ぶっちゃけると最強の防具だ。

『筋力強化』

 一言唱え、更に腕の三倍の筋力がある脚を使って攻撃する。蹴りは拳打よりは射程が長く、威力も高いのが特徴だ。この二つを持って、格闘術とする。

 もとよりワイヤーブレードでの決着は敗北するだろうと僕は読んでいた。その上で、相手の持ってないものを使って勝利する。それが僕の定石だ、相手の弱点を常に突き、足りない分は魔法を使ってでも補う。

 蹴りは一度撃ち抜いた腹を正確に捉え、骨を砕く手応えがこちらに響く。そのまま、地面に向かって蹴り落とす。

 それで十分だった、勝負はあった――。

 ――あった、はずだった。

 倒れた彼女を、見て、ひと息安堵の溜息を漏らす。

 だから、次の瞬間の不意打ちには対応できない。

 ミューが瞬時に体を起こし、ワイヤーブレードを振りかざす。

 それが首に絡まる、締まる前にギリギリのところで掴んだが、手を離せば首は落ちるだろう、その前に手を落とされかねないが。

「坊やが、真正面からこない事くらいは長い付き合いでわかってるからね、小細工はさせてもらったよ」

 腹から落ちる、分厚い板が一枚。

希少金属(ミスリル)の板か――」

 砕いた手応えはこれか、ミスリルの板は、地面に落ちると粉々に砕けた。

「教えといただろう? 落とすなら首か心臓だって」

 ミューは笑う、しかし、その笑いはなんだが憂いを含むものだった。

「生かしとかないといけない理由があったんでね、残念ながら、殺すわけにはいけない」

「いや、生きちゃいない蹴りだったけどね、あんたは本当に手加減ってものを知らない」

「それは、習ってないからね。で、この状況だけど、悪いけど戦いは終わりにして、僕は聞きたいんだ」

「そうだね、勝負としては引き分けだ、坊やが私にとどめを刺すつもりなら私は死んでた、何よりの証拠に私の胴にワイヤーブレードが絡んでるしね」

 その通りだ、拘束のために、と思い、絡めておいたのが役に立った。

「……教皇のことを聞くつもりか?」

 息を呑みながら、僕は頷く。

「その短絡思考、何とかならないものかね、それとも『先生』譲りかい?」

「違うよ、僕はいつも一番効率がいい方法を取るだけだ」

 その言葉に、ミューはため息をつき

「……教皇なら」

「そうかい、なら、私はここにいるよ?」

 それは、余りにもの不意打ち、真横に突然現れた女性は……。

 教皇、それが、両手に光弾を構えている。

『光壁っ』

 だから、避けようなどと叶うはずもなく、むしろ間に合ったのが奇跡。

 光弾の威力は、凄まじく、直撃したらどうなっていたかどうかは分からない。体は宙を舞い、僕は数メートルも吹き飛ばされる。視界が二転三転し、地面に転がった。

 一撃はミューを狙ったものらしく、彼女もその場で崩れている。

「ハンドレッド!? このっ!」

 エラが、両手を振りかざすのが見える。視界が霞んでくるのが分かる、強かに打った頭が、これ以上の意識を保つことを拒絶する。

「いけない、エラ、君じゃ……」

 僕が最後に見た光景は、エラが、教皇に殴り倒されてるところまでだった。


 また、僕は夢を見ていた。

 あれはいつもの、剣訓練の最中の話しだ。

「ピクニックに行くとしよう」

 その言葉は先生から唐突に告げられた、訓練中のことである。

「ピクニックってなんですか?」

 剣戟の中、会話を交わす。

「ああ、ピクニックってのは、山とか景色の良い所に行って、弁当広げることだ」

 そこで剣を落とされる。一本、剣の腹で頭をどつかれ再び拾い直し、再開。

「ああ、そうなると弁当が作れる奴が必要だな」

 再び、激しい剣戟の音が鳴り響く。僕の額から玉と散る汗と、涼しい顔の先生。

「料理だったら出来ますが」

「お前のは、堅っ苦しいから嫌だ。もうちょっと下手な奴がいいな」

 剣を飛ばされる、もう一本。


「バッカじゃないの! バッカじゃないの! もう一つおまけにバッカじゃないの!?」

 ミューティレイト――女性、師匠の一人、先生の友人でもある――は、猛吹雪の中、叫んでいた。

 ここはレギアスの中腹、人はここを地獄の一丁目とも呼ぶらしい。

「いやー、人間界で景色が一番良いって言うのはここだろう、ミュー」

 バスケットを抱えて普段着姿のミューが吠える。

「ここは景色がいいんじゃなくて、ただ高いっていうのよ!」

「先生ーこの獣強いですー」

 僕は遠くの方ででかい獣と戦っていた。牙を大盾に齧り付かせる。

「おお、そいつは二足歩行のトカゲだな、五メートルくらいあるなー、ここのやつは脚力も強いからキックに気をつけるんだぞー」

 はーい、と返事をしつつ、牙を防いでる盾を押し返し、槍で突く。

「だいいちあんな化け物が出るような場所でピクニックってのがおかしいのよ! ピクニックでレギアス登山っておかしいでしょどう考えても!!」

「大丈夫だろ、頂上まで行くわけでもあるまいし」

「行った時点でおかしいのよ! ……と言うか寒い! あまりにも寒い! ピクニック日和から百万キロ離れてるわよ!」

「はっはっは、ミューは短気だなぁ」

「怒らせてるのはお前だー!」

 そんな言葉を聞きつつ、なんとかトカゲを屠る。

 トカゲは、断末魔に悲鳴を上げてその場に倒れた。

「できましたー」

「よし、これで今晩の肉には困らないな」

「キャンプ!? ってかこれでバーベキューするの!? っていうかビバークでしょこれ!」

 その声につられてか、今度はバサバサと羽音が聞こえる。

「あ、今度はでかい鳥が来ました」

「あれは、象をも片足で持って行くという逸話のある鳥だな。まぁ、もっとも実際に見たらそんなにでかくないな」

「ですね、精々象より大きいくらいです」

 鳥を槍で突きつつ言う僕。

「どう考えても、魔境でしょうここ! いい加減帰らない!?」

「まぁ、第一帰り道わかんないしな」

「遭難!? それって遭難っていうわよね!」

「あ、大丈夫ですよ、僕転移魔法使えますから」

「あんたがいて本当に良かったわ……」

 鳥を突っつきつつ数分。帰れるという安堵感からか、ミューの話は益体のないものに変わりつつあった。

「そう言えば、リリィは聖勇者入りしたらしいわよ」

「お、そうですか。一緒に訓練した中では数少ない生き残りですからね、それは良かった」

 僕の同期は主に三種類に分けられる。最初の授業についていくのが精一杯で学者になったもの。魔法の素養が存在せず、一種類の武器にのみ専念して修業に入ったもの、あとは死んだものだ。

「で、あんた自身の完成度はどうなのよ」

「一応、全項目は履修しました。あとは訓練だけかと」

 崖際で鳥と突っ突き合ってる僕は答える。

「ああ言ってるけど、そっちとしてはどうなのよ」

 それに対して、煙草を咥えながら先生は答える。

「化物は完成しつつある。あと必要なのは本人の『意志』次第だな……ライターが着かねぇな、ここ」

「『意志』ねぇ……」

「あ、鳥がいっぱいそっち行きましたー」

『!?』


 がさがさ。

 僕と先生は茂みの中を掻き分ける。

 二人共身体は鳥の羽まみれだ。

「先生、これ、何の意味があるんですか?」

「しっ、いいから黙っておけ」

 大量の鳥に襲われ、なんとか撃退した僕たちは、返り血と鳥の羽をベタベタくっつけていた。

 それを嫌っ帰ろうというミューに。

「まぁ待て、いい場所がある」

 と先生が言ったのは少し前、今は、何故かその場所に忍び隠れしながら近づいていく。

「さすがに、女が風呂に入ってるのに覗きにいかんとは失礼に当たるしな」

「見るなら堂々と行けばいいじゃないですか」

 首を傾げながら僕は答える。

「それが許されるのは、まぁ、お前くらいだな。俺はそんなわけにはいかんのだ」

「許されないんですか?」

「ああ、まぁ普通は許されんのだ、まぁ見てろ、よし、ここから見えるぞ」

 湯を浴びている、ミューの姿が見える。

「全く、あの阿呆は本当に……」

 先生についてぶちぶち言っているようだが、と言うか、この状況でどうすればいいのだろうか。

「で、先生。どうするんでしょうか」

「さて、どうすっかな、よく考えたらあいつを覗いてもつまらんし。やっぱり女の価値はおっぱいで決まるだろう、おっぱい」

「そんなもんなんですか?」

「いつかお前にも分かる日が来るって、わっはっは!」

 ワシャワシャと頭をかき回されるのが、少し嬉しい。

「ってーか、お前わぁっ!」

 頭の上の茂みがワイヤーブレードで切り裂かれていく、うわお。

「なんでバレた!」

「丸聞こえだわ! そんな大声で話してれば!」

 ワイヤーブレードを更に振りかざすミュー。

「ちょっと待て! 一つ間違えたら死んでたぞ!」

「こっちは殺すつもりでやってるわよ! ってかワイヤーブレードを素手で掴むなんて人間離れしたことをするっ!」

「と言うか風呂に入るのにワイヤーブレード持ち込むとか無粋な真似を、お湯でもぶっかけてろ!」

 ……先生と師匠が剣呑な雰囲気の時は、あまり良くないことになる。

 よし、逃げよう。

「アンタは待ちなさい、だけどその前に、こいつと決着つけるから」

「ふっふっふ、ついにこの日が来たようだな」

「いい加減にしないとその手五枚に下ろすわよ」


 結果として、僕は嫌いなお風呂に入れられていた。

「『浄化』の魔法で十分なのにー」

 頭をワシワシされ逃げ出す僕をミューは押さえつける。

「なー、俺も風呂に入りたいー」

 煙草を吹かしながら、背を向けた先生が言う。

「あんたは私が良いって言うまで死んでもそこで待機、振り返るな。あとあんた、風呂はいいって言うけど、だいぶ汚れてるわよ、何日くらいお風呂入ってないわけ?」

「んー……」

 指折り数える。

「そんな事しないといけないくらい入ってないのか!」

「んーと……」

 先生も指折り数える。

「お前もかっ! いいから後であんたも入れ!」


「結局レギアスには登れんかったな、つまらんもんも見たし」

 サンドイッチを齧りつつ言う先生。

「それ以上何か言ってみろ、切り刻んでやる」

 暗く笑うミュー。

「先生ー、このリンゴ凍ってます」

「こっちも半解凍だなぁ、うむ、中途半端にまずい」

「正直、僕が作ったほうが良かったのでは?」

「それもそうだなぁ」

「あんたたちは揃いもそろって、ねぇ」

 ため息をつくミュー、だが今思い返すと、それがなんとなく笑っていたように思えるのだ。

 多分だが、それを見ていた自分も笑っていたような、そんな気がした。


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