七夕のあと
この小説は、僕が依然書いた短編小説「七夕」の続きの話になります。当初は続きを書く予定ではなかったので短編小説として投稿しましたが(どちらにせよ短編ですが)続きが思い浮かんだので執筆しました。よろしければ「七夕」のほうもご覧ください。
夢を叶えるためには、まず "夢と現実はまったくの別物であるということを受け入れなければならない" 。現実の中に夢は存在しないし、夢の中に現実は存在しない。だが、それらがぱっと同じものになることがある。二つの差を埋める決定的な要素が、 "偶然" として自分の目の前に現れるのだ。夢を叶えるには、それをひたすら待つしかない。そしてそのために、夢に夢としての価値を持たせておく必要がある。決して現実の中で夢に触れようとしてはいけないし、夢の中で現実に触れようとしてもいけない。もしも触れてしまった場合、現実と夢は存在意義、そして存在自体を曖昧なものにしてしまい、自分はふやけた無価値の中で生きていくことになるだろう。
窓縁に腰をかけて、開いた窓から入ってくる夜の涼しい空気に浸りながら、おれは部屋の中を眺めてそんなことを考えていた。おれが座っている窓縁の正面には机があって、その上にCDラジカセと灰皿がある。机の隣に本棚があって、中にはたくさんのCDと漫画が数冊ある。部屋の真ん中には布団が敷いてあって、まだ夏用のタオルケットだけが丸まっている。そして、おれが座っている窓縁には七夕のときに書いた短冊が吊るされた笹があった。部屋は子どもの頃から変わっていないが、灰皿とこの笹だけが増えていた。短冊には『「涙がキラリ☆」を聴きたい』と書いてあり、その願いは七夕の夜に叶った。
しかしあの七夕以降、おれはなんだか生きた心地というものを失ってしまって、気がついた頃には十月になっていた。おれの心は七夕の夜に浮かんだまま、戻ってこなくなってしまった。七夕の夜に「涙がキラリ☆」を聴いて、そのときはそれでいいと思っていた。だが、ありもしない過去の映像だけはおれの頭の中で鮮明になっていき、現実は現実感を失った。おれは焦った。おれは夢に触れそうになっているのだ。
おれはタバコを吸った。落ち着いて、早く現実に戻らなくてはならない。煙が肺の中に入っていき、ゆっくりと吐き出されるとおれは落ち着きを取り戻した。現実感を思い出したのだ。だが、次の瞬間自分の中に依然残る焦燥感に気づき、大きな恐怖を感じた。タバコを見て、あのときはこんなものも持っていなかったな、と思った。もうおれはだめなのかもしれない。
「涙がキラリ☆」のギターの旋律が遠くで流れているように感じた。でもその音がおれの心に落ちることはなく、遠ざかって消えてしまった。短冊ももう、おれに必要なものには見えなかった。おれは短冊を破り、笹と一緒に窓の外に捨てた。灰皿とタバコも窓の外に投げ捨てた。
もう夢を見ることはできない。そう思って、おれは布団に飛び込んでタオルケットにしがみついた。