境(さかい)
この小説のジャンルが僕には解りません。
誰か教えてください(笑
僕は目の前にいる何かが、自分に何か語りかけてきている気がした。
直感だから具体的には何とも言えない。でも、その何かは、確実に僕の目の前に存在している。
人間にしては、何かが違う。テレビで見る人間と、現実で見る人間がなんとなく違うように、そいつも何かがなんとなく違っていた。
見た目はただの人間だ。服も普通に着ているし、顔も普通の人間だ。だが、何かが違う。
人間では絶対にないという確信を持つことはまだできないが、絶対に違う。
僕はただ、それを見て混乱していた。
僕は目の前のそれを見てどれくらいの間、混乱していたのだろうか?
気づけば白く激しく光を放っていた太陽も、今は紅の幻想的な空間を作り出していた。
目の前のそれは、まだ僕の目の前にさっきと同じ姿で立っていた。
人通りの多い道で僕がこんな風にしていたら、さぞ怪しかったことだろう。だが、ここは生憎ほとんど人の通らない裏道だ。と、言うより、ここは僕の秘密の空間なのだ。人がココに来るなんてことはありえない。
そう、目の前にいるものと僕を除けばココには誰もいないのだ。
どうして、それが目の前にいるのかが、未だに理解することが出来ない。
目の前にいるそれが僕に何かを伝えようとしているのは解ってきた。これも直感だが。
でも、それは何も僕に語りかけてはこない。ただ黙って僕の目を見つめている。
僕もそれに習って、それの目を見つめているが、その目からは何も伝わってこない。それどころか、自分がその瞳の中に閉じ込められてしまっているのではないだろうか?などという、不思議な疑問を抱いてしまったりしている。
目の前のそれは、ただ僕を見ている。僕もそれを見ている。
世界を紅く染めていた太陽も、すでに地平線の果てに沈んでいた。僕の背中には、ほのかな優しい光を反射する満月の姿が浮かんでいることだろう。
僕等はいつまでこうしているのだろう。
世界はだんだんと夜の闇へと包まれていく。月の光を反射する僕の目の前にある瞳以外に光るものは何一つとしてない。
しかし、その瞳の光もだんだんと強さを失っている気がする。満月が少しずつ欠けていくように僅かに、少しずつその瞳の力は失われていく。
そして、僕の目の前の瞳が光を失うにつれて、僕の意識もだんだんと薄れていく。同時に、自分が今なにをしているかという疑問を抱くようになっていた。
僕はどうしてここにいるの?ココは僕のお気に入りの場所。僕の秘密の場所。いや、違う。ここは僕がいつもいる場所じゃない。何かが違う。
まるで夢の中で、いつもの世界を見ているような幻想的な錯覚を起こしている。
錯覚、それは本当に錯覚なのだろうか。本当はこの世界自体が大きな夢の世界なんじゃないだろうか?
いつの間にか、目の前のそれだけでなく周りの世界までもが異常な気配を発している。僕をこの場から追い出そうとしているかのような気がしてしまう。
目の前の唯一の光源だった神秘的な瞳も、完全に力をなくしている。さらに、僕の意識もここに立っているのが限界だと感じるほど薄れている。
僕はこの大きな夢から覚めることができるのだろうか。目の前にいるそれも僕と同じように、この世界から離脱しようとしているのかもしれない。
僕はもう限界だった。瞼が岩のように重たい。足が地面から浮いている。体中の感覚がなくなっている。五感が失われていく。
僕はゆっくりと意識を失った。何かが僕に囁いた気がしたが気のせいだろう…。
声が聞こえる。誰かの声が聞こえる。
僕に囁く声が聞こえる。僕に訴えかける声が聞こえる。
それは、なかなか聞き取れない。短い言葉をただ繰り返している。
その声はだんだんと遠ざかっていく。だけど、それと並行してその声は大きくなる。
僕は耳を澄ます。消えそうな声を聞き取るために、ひたすらに耳を澄ます。
僕は耳を澄ます。最後の言葉を聴き取るために、ひたすらに耳を澄ます。
最後に僕の耳に僅かに聴こえた言葉があった。僕はその言葉の意味を理解できなかった。
目を覚ますと見覚えのない天井が薄っすらと視界に入り込んできた。
頭が痛い。強く頭を打ったのかもしれない。記憶が曖昧で何がなんだか解らない。
小さな窓から外を見ると、暗闇の中に真ん丸の大きな満月が浮かんでいた。その満月は暗闇の中で嫌な光を放っている。
なぜだか解らないが、誰かが僕の耳元で何かを囁いていたような気がする。ずっと、繰り返し何かを囁いていた。
それより、僕はなぜこんなところにいるのだろうか?自分がなぜココにいるか解らない。この疑問を今日は何度も抱いた気がする。直感だから具体的なことは何ともいえないが。
僕の頭は混乱している。自分で混乱していると解るくらいだから、そこまで取り乱していることはないのかもしれないが、とりあえず落ち着きたい。
僕は一度大きく息を吸って肺の中の空気を入れ替えた。入ってきた空気も出た空気と同じくらいに淀んでいた。
窓から外をみると月の姿は愚か、暗闇の世界すらどこかに消え失せていた。窓からは目に沁みる紺碧の空と、それと対照的な色合の白い雲が映っていた。
いつの間にか僕は眠っていたらしい。頭痛も夜中と変わらないし、記憶も曖昧だが、なぜだか頭の中がスッキリしている。
そこに突然、僕の背の方からドアを叩く音が聞こえた。同時に聞きなれた声も、僕の耳に飛び込んできた。母親の声だった。
だいたいの状況は把握できた。僕は何かの事故に遭いこの病室で寝ていたんだ。そうであれば、この見慣れない天井。異常な頭痛。欠落した記憶。全ての説明がつく。
ドアをノックして部屋に入ってきた母親は案の定、僕の見舞いのためにここにやってきていた。
そして、僕は母親から全てを聞かされることとなった。
まず始めに僕は交通事故に遭っていたらしい。これは割と予想通りだった。
しかし、予想外だったのは、その交通事故までの経緯だった。なんと、僕は車道にいる子供を助けようとして交通事故に遭ったのだという。何かの間違いではないかと思うほど意外な真相だった。
僕は他人のために自分が犠牲になるような考え方ができる人間だったのだろうか?そんな疑問を胸の中に抱いてしまう。
実際、子供のために飛び込んだということを聞いたからには、それを信じることしか残された道はないのだが…。
しかし、僕が助けようとした子供は昨日の夜更けに亡くなったそうだ。それならば、僕は無意味にこんな怪我を負ったことになる。なんとも虚しい話だ。
母親は僕のことを誇りに思うだとか、色々なことを僕に言っていたがそのほとんどを僕は聞き流していた。そんな言葉を僕は必要としていなかったからだ。
それよりも、もっと気がかりなことがあった。それは、僕が見ていた長い夢だ。曖昧にしか思い出せない不思議な夢の世界。
もしかしたら、僕の目の前に立っていたのは僕が助けようとした子供だったのではないだろうか?こんな非現実的なことを考えるのは嫌いだが、そう考えるのが今の僕には、一番妥当な気がした。
あそこは、死の世界と生の世界の瀬戸際だったんではないだろうか?きっと、きっとそうだったんだ…。
そして、僕はこちら側の世界に舞い戻った。しかし、その子はあちら側の世界に引き擦り込まれた。それだけのこと。あそこは、それだけの世界。
今なら、あの言葉の意味をちゃんと理解できる気がする。
「ありがとう。生きて」
僕の耳元でずっと囁かれていた言葉。簡単だけど何よりも重たい言葉…。
僕の目からは熱いものが溢れ出ていた。生きていることへの安堵。その子への同情。死の恐怖。たくさんのものが込められたそれは、僕の枕に冷たい雫となって落ちていった。
境を読んでくださってありがとうございました。
前半は特に読んでいて苦痛だったと思います…。最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございました。