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異相の理  作者: 赤鰯 はこぼれ
第一章 思い出の花
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第七話 お花摘み

孝輔くんが家をこっそり抜け出した理由は、彼の友人である伊藤春樹の安否確認のためだったと、本人の証言から判明した。

子どもたちの精神衛生上、穂坂小学校では、失踪ではなく体調不良と生徒に知らせていたそうだ。学校の対応自体は間違っていないため、なんとも形容しがたい気持ちになる。


「――本当に、ご迷惑をお掛けしました……」


河合詩織は深く頭を下げ、孝輔くんの手を引いて交番を後にした。

母との再会早々、拳骨を食らっていた孝輔くんの目には涙が浮かんでいたのは、少し可哀想だった。


一連の出来事は、橋部さんから既に署の方へ通達されており、交番内は漸く静けさを取り戻そうとしていた――のだが。


「いやはや、皆さん、お疲れさまでした~」


一人の男が静寂をぶち壊す。

にこやかに笑いながら、男――御子神さんが手を叩いた。


「一時はどうなるかと思ったけど、見付かって良かった」

「……県警の御子神さん、でしたっけ? 今日はどんなご用向きで?」


佐伯先輩が珍しく畏まりながら声を掛ける。

橋部さんに聞いたところ、佐伯先輩と御子神さんは初対面だそうだ。


「そりゃあ、もちろん仕事だけど?」

「……仕事、ですか?」

「おい、御子神。ふざけてないで端的に話せ。こちとら疲れてんだからよ」

「それもそうですね。――じゃ、端的に」


御子神さんは肩を竦める。


「実は俺もこの事件の捜査を行うことになりまして。皆さんに伺いたいことが、二つあります。まず、一つ目――穂坂小学校での事情聴取時にどんな証言があったか」

「そんな昔の話を聞いてどうすんだ」


橋部さんが訝しげに片眉を上げた。


「所轄と県警の間で、情報の”行き違い“があったらしいんですよねぇ。なので、念のため確認を、と。確か、担当してたのは、佐伯君と栗花落君だっけ」

「そうっすね。俺と栗花落君と、二人でした」


佐伯先輩が頷く。


「県警は、この時の子どもの証言は全て削って報告を上げてきた。でも、俺が聞きたいのはこの削られた部分。――”花のオバケに食べられる”。この証言は確かにあったこと?」

「……ああ、えっと、聴取を行った小学生の二人がそう話してましたね。なあ、栗花落君」


助けを求められるように佐伯先輩に視線を送られ、俺も困惑しながら口を開く。

こんなことを聞いて何になるのだろう。


「はい。失踪している穂坂小学校の生徒――高坂蓮が、失踪前に生徒たちにそういった話をしていたそうで……」

「へぇ」


御子神さんは、どこか楽しげな様子で笑みを浮かべていた。


「じゃあ、二つ目。この交番は穂坂小学校周辺のパトロールを担当しているけど、その時に何か気になることはなかった?」

「……気になることって言われても……」


俺と佐伯先輩は顔を見合わす。


「うーん、聞き方を変えるけど……例えば、”花のオバケ”のようなものは視た?」


一瞬の沈黙。

橋部さんは眉間に皺を寄せ、佐伯先輩はきょとんとした顔をしている。

俺は喉が渇くような感覚に襲われていた。

御子神さんの問いは、まるで”花のオバケ”が存在しているような、そんなニュアンスを含んでいるような気がした。


「え、ええ? いや、流石に……そんなもん見るわけないでしょう。ねえ?」


一番初めに現実に戻ってきた佐伯先輩が、半笑いで口を開く。

俺も釣られて苦笑いした。


「……そうですね。視た覚えは――」


ないです。

そう言葉にしてみたが、妙な罪悪感に苛まれる。

虚言と言えば、虚言である。しかし、それは自分に対しての虚言であって、アレを視ることができない人々にとっては――真実だ。


「御子神、お前本当に仕事で来てんだよな?」

「はい、そうですけど」

「それにしちゃ、意味分かんないことばっかり聞きやがって……。こんなんで解決できんのか?」


疑っているような言い回しの割に、橋部さんの声色は何故か柔らかい。


「どうなんでしょうね?」

「どうなんでしょうね――じゃねえんだわ。お前らが動いてるってことは、碌な事件じゃねえんだろ」

「嫌だなぁ、橋部さん。逆ですよ。碌でもない事件だから、うちが動くんですよ」

「一緒じゃねえか!」

「あっはっは」


御子神さんの笑い声が詰め所内に響いた。橋部さんは、やれやれと肩を竦めている。


「――ま、直ぐに解決すると思いますよ?」

「ほう、目星は付いてるのか」

「目星というか、元凶と言いますか……。ところで、橋部さん」

「何だ」

「ちょっと、この新人を借りてもいいですか?」

「は?」


御子神さんが唐突に、俺の肩に手を置いた。


「……別に構わねえけど、理由はなんだ」

「ちょっと人手が欲しいだけなんですけど。駄目です?」

「栗花落、問題ないか?」


問題ないかと聞かれても困ってしまう。


「……構わないですけど、人が欲しいって――何かされるんですか?」

「ただのパトロール。じゃあ、ちょっと借りまーす」

「え、あの、ちょっと!」


御子神さんは反論の余地など与える気がないのか、強引に俺の肩を掴んだまま詰め所の外に出た。

相変わらず、外気は湿気を含んでいて、じっとりと肌に纏わりつく。


「じゃあ、行こうか」


何事もなかったかのように、あまりにも爽やかな笑顔を向けられ、俺は困惑した。

御子神さんが何を考えているのか、全く分からない。


「……どこに、ですか」

「そこら辺。ただのパトロールだよ、パトロール」


そう言うと、御子神さんは歩き出した。

俺は仕方なく、そんな御子神さんの後に続く。


「……で?」


御子神さんは歩きながら、何でもない調子で言った。


「さっきの質問。もう一回聞いていい?」

「……質問ですか?」

「うん。パトロール中に、何か視たかってやつ」


俺は一瞬、言葉に詰まる。


「……さっき、答えましたよね」

「答えてくれたねえ」


御子神さんは立ち止まらず、肩越しにちらりとこちらを見る。


「でも、あれは嘘でしょ」


その言葉に、心臓がどくりと音を立てた気がした。


「……」

「栗花落君ってさ、もしかして嘘吐くの下手?」


どう返事をすればいいのか分からずに、俺は視線を地面に落とす。

パトロールというのはただの口実で、発言の嘘を指摘するために、御子神さんは俺を外に連れ出したのだろうか。


「あ、一応言っておくけど、別に責めてるわけじゃないよ?」


御子神さんは笑顔を絶やすことなく、淡々と言う。


「何も視ていないって言った時の君、目が泳いでいたから単純に気になって」

「……そう、ですか」


よく見ている。

それは経験からくるものなのか、それとも彼の直観なのかは分からない。


「というのもあるんだけど、一番不思議に思っているのは、何で持ち場を離れてあんな場所にいたのかってところなんだよね」

「え?」


言葉の意味が分からずに、俺は思わず首を傾げた。


「君と佐伯君が捜索に出ている間、橋部さんと一緒に報告を聞いてたんだけどさ。君は河合宅周辺の捜索をしていた筈だよね? なのに、何で持ち場を離れてあんな場所に居たのかなって」

「……それは、」


――あの異形が、子どもを攫ったのではと考えたから。

そんなことは口が裂けても言えない。

俺は必死に言い訳を探す。


「捜索の範囲を広げようと……」

「上司の指示もなく?」

「……ど、独断です。すみません」


俺が謝ると、御子神さんは急に腹を抱えて笑い出した。


「あっはっは!」

「……あ、あの」

「あはは、ごめん。いや、こんなに嘘吐くの下手な奴、初めてで」

「…………」


御子神さんは一頻笑い終えると、一息吐いてから口を開いた。


「そんなに言いたくないならいいけどさ。俺は、君が何かを知っていて、あの場を訪れたんじゃないかなって推測してたんだよね」

「何かって……」

「一連の失踪事件に関わる何か。強いて言うなら、”犯人を知っていた”、とかさ。犯人を知っていて、慌てて孝輔君を担いで逃げた――だから、あんなに汗だくで息も上がっていたんじゃないかって」


軽い口調ではあるが、彼は的確に核心を突いていた。

犯人と思しきモノは知っている。しかし、俺がそれを口に出したとして、世間一般的にそれは戯言だ。


「……偶然、だと思いますけど」

「うん。分かった。そういうことにしておこう」


御子神さんは、相変わらずの笑顔を俺に向ける。

それ以降、特に失踪事件に関する話題に触れられることはなく、日が落ちた穂坂の街のパトロールを行うに留まった。


穂坂小学校前までたどり着くと、御子神さんがふと口を開いた。


「――確か、河合孝輔が発見されたのは、ここから少し行った場所だっけ?」

「え、はい。そうですね。住宅地の方で……」


正直、思い出したくない。

そんな俺の気持ちとは裏腹に、御子神さんは住宅地の方へと足を向ける。


「失踪者の共通点って分かるかな?」

「え?」


唐突な問いに、俺は一瞬思考が停止する。


「……えっと、共通点ですか?」

「そう」

「……年齢と性別ですかね。失踪者は七歳から八歳頃の男子生徒ですから」

「もう一つ――自宅の位置かな。失踪した子どもたちの自宅は、穂坂小学校と岡平小学校の間の区画にあるからね。だから、一課はこの近辺のパトロールを強化していたみたいだけど、結果はこの有様。有力な目撃情報と言えば、子どもが証言した”目の前から忽然と消えた“という、俄かに信じがたいものだけ」


住宅地の家々には明かりが灯り、周囲は静けさに包まれている。

夕飯時ということもあってか、人通りも殆どない。


嫌な汗が背中を伝う。

また、あの花の匂いが漂ってきたら――そう思うと、胃が締め付けられるような思いだった。

けれども、御子神さんはその歩みを止めることなく、通りを進んでいく。


「これだけ捜査を行っても、何も得られていない。可笑しな話だよね」

「犯人が巧妙な人物である可能性も……」

「それは勿論、あり得る。だけど、白昼堂々――人目がある場所で、小学生を連れ去るなんて芸当が果たして出来るだろうか」


失踪者の中には、集団下校中に失踪した者もいる。少し目を離した隙に――と口を揃えて皆言うが、それは不可能に近い。御子神さんは、それを指摘しているのだろう。


「というのは、一般的な考え方なんだけど。これが”誰にも視えない犯人の仕業”だったら、どうだろう?」

「……どういう意味ですか?」

「それこそ、”花のオバケ”とか」

「……いや、あり得ないですよ……」

「高坂蓮という失踪者が、”花のオバケに食べられる”って証言してたんだよね? それなら、可能性としてはゼロじゃないでしょ?」


俺を揶揄っているのか、本気で言っているのか――御子神さんの表情からは一切判断が付かない。


「警察が子どもの戯言を真に受けるのは……」

「戯言じゃなかったら?」


ふわり。

風に乗って、あの甘い匂いが鼻を掠める。


俺は咄嗟に周囲に視線を巡らした。


――来る。


背筋が粟立ち、喉の奥がひりつく。

甘い香りは、次第に強くなる。


数メートル先の街灯が、チカチカと点滅する。薄暗い通りの先から、布を引き摺るような音が近付いてきた。

そんな状況など露知れず、御子神さんは足を止めない。


「あ、あの!」


思わず、彼を引き留めようと声を上げた。しかし、その後に続く言葉が出てこない。

御子神さんは気が付いていない。だって、アレは俺にしか視えないのだから。


アレはよくないものだ。だから、今すぐにでもこの場から逃げなくては――。


「……なるほど。確かに花のオバケだ」


御子神さんは鼻で笑う。

街灯の下。袴を引き摺りながら、三度俺の前に姿を現した異形。その白い花弁は夜闇にぼんやりと浮かんで視えた。花の中央には、先程と同じく、力なく人の腕が垂れ下がっている。


「わあ、こりゃ和解は無理そうだ」

「……あの、御子神さん」


御子神さんは俺の言葉を無視して、徐に腰に下げた警棒を取り出した。


「今日は観客も居るから、張り切っちゃおうかな~」

「……っ、何、して――」


止める間もなかった。

御子神さんは何の躊躇いもなく、地面を蹴る。そのままの勢いで、”何もない筈の空間”へと警棒を突き出した。


ぐしゃり、と。

湿ったものを貫く、不快な音が耳に届く。


「……え」


思わず、間抜けな声が漏れた。

警棒の先には、異形の頭部。御子神さんが警棒を引き抜くと、白い花弁の中央から、黒ずんだ液体が噴出した。


「フローラル系の香りって苦手なんだよね」


御子神さんが、何事もなかったかのように呟く。

それに被せるようにして、耳を塞ぎたくなるような、悲鳴にも似た音が通りに響いた。


白い花の頭が大きく揺れ、黒い液体と共にそこから、ずるりと何かが地面に落ちる。


「……うっ」


花の香りとは異なる、えずきたくなるような不快な悪臭。

地面に落ちた何か。それが何であるか――答えを出すことを、俺は反射的に拒絶する。そうしなければ、今にも吐いてしまいそうだった。

その何かは、この事件の真相を雄弁に物語っているのだから――。


異形は後退るように身を引いた。

しかし、御子神さんはそれを許さない。


警棒が迷いなく、再度花の中心を刺し穿つ。


<……ッ、ギ……ギッ>


小さな音を上げながら、異形は地面に崩れ落ちる。伏したその体は、ゆっくりと塵となって崩れていく。


<……ナツ、……キ……さま……>


そう最期の言葉を残して、異形の体は完全に塵と化した。


「なつき? 想い人でもいたのかね」


警棒を腰に納めながら、御子神さんが呟く。

甘い香りは急速に薄れ、夜の住宅地にただの静寂が戻る。


俺は、その場に立ち尽くしたまま、放心していた。

目の前で起こった一連の出来事は、俺の脳が処理できる許容範囲を越えていた。


「さて」


御子神さんがこちらに振り返る。


「とりあえず、それは回収しないと、だね」


肩を竦めながら、彼は地面に残された――かつて”人だったであろう黒いそれ”を示した。


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