第七話 お花摘み
孝輔くんが家をこっそり抜け出した理由は、彼の友人である伊藤春樹の安否確認のためだったと、本人の証言から判明した。
子どもたちの精神衛生上、穂坂小学校では、失踪ではなく体調不良と生徒に知らせていたそうだ。学校の対応自体は間違っていないため、なんとも形容しがたい気持ちになる。
「――本当に、ご迷惑をお掛けしました……」
河合詩織は深く頭を下げ、孝輔くんの手を引いて交番を後にした。
母との再会早々、拳骨を食らっていた孝輔くんの目には涙が浮かんでいたのは、少し可哀想だった。
一連の出来事は、橋部さんから既に署の方へ通達されており、交番内は漸く静けさを取り戻そうとしていた――のだが。
「いやはや、皆さん、お疲れさまでした~」
一人の男が静寂をぶち壊す。
にこやかに笑いながら、男――御子神さんが手を叩いた。
「一時はどうなるかと思ったけど、見付かって良かった」
「……県警の御子神さん、でしたっけ? 今日はどんなご用向きで?」
佐伯先輩が珍しく畏まりながら声を掛ける。
橋部さんに聞いたところ、佐伯先輩と御子神さんは初対面だそうだ。
「そりゃあ、もちろん仕事だけど?」
「……仕事、ですか?」
「おい、御子神。ふざけてないで端的に話せ。こちとら疲れてんだからよ」
「それもそうですね。――じゃ、端的に」
御子神さんは肩を竦める。
「実は俺もこの事件の捜査を行うことになりまして。皆さんに伺いたいことが、二つあります。まず、一つ目――穂坂小学校での事情聴取時にどんな証言があったか」
「そんな昔の話を聞いてどうすんだ」
橋部さんが訝しげに片眉を上げた。
「所轄と県警の間で、情報の”行き違い“があったらしいんですよねぇ。なので、念のため確認を、と。確か、担当してたのは、佐伯君と栗花落君だっけ」
「そうっすね。俺と栗花落君と、二人でした」
佐伯先輩が頷く。
「県警は、この時の子どもの証言は全て削って報告を上げてきた。でも、俺が聞きたいのはこの削られた部分。――”花のオバケに食べられる”。この証言は確かにあったこと?」
「……ああ、えっと、聴取を行った小学生の二人がそう話してましたね。なあ、栗花落君」
助けを求められるように佐伯先輩に視線を送られ、俺も困惑しながら口を開く。
こんなことを聞いて何になるのだろう。
「はい。失踪している穂坂小学校の生徒――高坂蓮が、失踪前に生徒たちにそういった話をしていたそうで……」
「へぇ」
御子神さんは、どこか楽しげな様子で笑みを浮かべていた。
「じゃあ、二つ目。この交番は穂坂小学校周辺のパトロールを担当しているけど、その時に何か気になることはなかった?」
「……気になることって言われても……」
俺と佐伯先輩は顔を見合わす。
「うーん、聞き方を変えるけど……例えば、”花のオバケ”のようなものは視た?」
一瞬の沈黙。
橋部さんは眉間に皺を寄せ、佐伯先輩はきょとんとした顔をしている。
俺は喉が渇くような感覚に襲われていた。
御子神さんの問いは、まるで”花のオバケ”が存在しているような、そんなニュアンスを含んでいるような気がした。
「え、ええ? いや、流石に……そんなもん見るわけないでしょう。ねえ?」
一番初めに現実に戻ってきた佐伯先輩が、半笑いで口を開く。
俺も釣られて苦笑いした。
「……そうですね。視た覚えは――」
ないです。
そう言葉にしてみたが、妙な罪悪感に苛まれる。
虚言と言えば、虚言である。しかし、それは自分に対しての虚言であって、アレを視ることができない人々にとっては――真実だ。
「御子神、お前本当に仕事で来てんだよな?」
「はい、そうですけど」
「それにしちゃ、意味分かんないことばっかり聞きやがって……。こんなんで解決できんのか?」
疑っているような言い回しの割に、橋部さんの声色は何故か柔らかい。
「どうなんでしょうね?」
「どうなんでしょうね――じゃねえんだわ。お前らが動いてるってことは、碌な事件じゃねえんだろ」
「嫌だなぁ、橋部さん。逆ですよ。碌でもない事件だから、うちが動くんですよ」
「一緒じゃねえか!」
「あっはっは」
御子神さんの笑い声が詰め所内に響いた。橋部さんは、やれやれと肩を竦めている。
「――ま、直ぐに解決すると思いますよ?」
「ほう、目星は付いてるのか」
「目星というか、元凶と言いますか……。ところで、橋部さん」
「何だ」
「ちょっと、この新人を借りてもいいですか?」
「は?」
御子神さんが唐突に、俺の肩に手を置いた。
「……別に構わねえけど、理由はなんだ」
「ちょっと人手が欲しいだけなんですけど。駄目です?」
「栗花落、問題ないか?」
問題ないかと聞かれても困ってしまう。
「……構わないですけど、人が欲しいって――何かされるんですか?」
「ただのパトロール。じゃあ、ちょっと借りまーす」
「え、あの、ちょっと!」
御子神さんは反論の余地など与える気がないのか、強引に俺の肩を掴んだまま詰め所の外に出た。
相変わらず、外気は湿気を含んでいて、じっとりと肌に纏わりつく。
「じゃあ、行こうか」
何事もなかったかのように、あまりにも爽やかな笑顔を向けられ、俺は困惑した。
御子神さんが何を考えているのか、全く分からない。
「……どこに、ですか」
「そこら辺。ただのパトロールだよ、パトロール」
そう言うと、御子神さんは歩き出した。
俺は仕方なく、そんな御子神さんの後に続く。
「……で?」
御子神さんは歩きながら、何でもない調子で言った。
「さっきの質問。もう一回聞いていい?」
「……質問ですか?」
「うん。パトロール中に、何か視たかってやつ」
俺は一瞬、言葉に詰まる。
「……さっき、答えましたよね」
「答えてくれたねえ」
御子神さんは立ち止まらず、肩越しにちらりとこちらを見る。
「でも、あれは嘘でしょ」
その言葉に、心臓がどくりと音を立てた気がした。
「……」
「栗花落君ってさ、もしかして嘘吐くの下手?」
どう返事をすればいいのか分からずに、俺は視線を地面に落とす。
パトロールというのはただの口実で、発言の嘘を指摘するために、御子神さんは俺を外に連れ出したのだろうか。
「あ、一応言っておくけど、別に責めてるわけじゃないよ?」
御子神さんは笑顔を絶やすことなく、淡々と言う。
「何も視ていないって言った時の君、目が泳いでいたから単純に気になって」
「……そう、ですか」
よく見ている。
それは経験からくるものなのか、それとも彼の直観なのかは分からない。
「というのもあるんだけど、一番不思議に思っているのは、何で持ち場を離れてあんな場所にいたのかってところなんだよね」
「え?」
言葉の意味が分からずに、俺は思わず首を傾げた。
「君と佐伯君が捜索に出ている間、橋部さんと一緒に報告を聞いてたんだけどさ。君は河合宅周辺の捜索をしていた筈だよね? なのに、何で持ち場を離れてあんな場所に居たのかなって」
「……それは、」
――あの異形が、子どもを攫ったのではと考えたから。
そんなことは口が裂けても言えない。
俺は必死に言い訳を探す。
「捜索の範囲を広げようと……」
「上司の指示もなく?」
「……ど、独断です。すみません」
俺が謝ると、御子神さんは急に腹を抱えて笑い出した。
「あっはっは!」
「……あ、あの」
「あはは、ごめん。いや、こんなに嘘吐くの下手な奴、初めてで」
「…………」
御子神さんは一頻笑い終えると、一息吐いてから口を開いた。
「そんなに言いたくないならいいけどさ。俺は、君が何かを知っていて、あの場を訪れたんじゃないかなって推測してたんだよね」
「何かって……」
「一連の失踪事件に関わる何か。強いて言うなら、”犯人を知っていた”、とかさ。犯人を知っていて、慌てて孝輔君を担いで逃げた――だから、あんなに汗だくで息も上がっていたんじゃないかって」
軽い口調ではあるが、彼は的確に核心を突いていた。
犯人と思しきモノは知っている。しかし、俺がそれを口に出したとして、世間一般的にそれは戯言だ。
「……偶然、だと思いますけど」
「うん。分かった。そういうことにしておこう」
御子神さんは、相変わらずの笑顔を俺に向ける。
それ以降、特に失踪事件に関する話題に触れられることはなく、日が落ちた穂坂の街のパトロールを行うに留まった。
穂坂小学校前までたどり着くと、御子神さんがふと口を開いた。
「――確か、河合孝輔が発見されたのは、ここから少し行った場所だっけ?」
「え、はい。そうですね。住宅地の方で……」
正直、思い出したくない。
そんな俺の気持ちとは裏腹に、御子神さんは住宅地の方へと足を向ける。
「失踪者の共通点って分かるかな?」
「え?」
唐突な問いに、俺は一瞬思考が停止する。
「……えっと、共通点ですか?」
「そう」
「……年齢と性別ですかね。失踪者は七歳から八歳頃の男子生徒ですから」
「もう一つ――自宅の位置かな。失踪した子どもたちの自宅は、穂坂小学校と岡平小学校の間の区画にあるからね。だから、一課はこの近辺のパトロールを強化していたみたいだけど、結果はこの有様。有力な目撃情報と言えば、子どもが証言した”目の前から忽然と消えた“という、俄かに信じがたいものだけ」
住宅地の家々には明かりが灯り、周囲は静けさに包まれている。
夕飯時ということもあってか、人通りも殆どない。
嫌な汗が背中を伝う。
また、あの花の匂いが漂ってきたら――そう思うと、胃が締め付けられるような思いだった。
けれども、御子神さんはその歩みを止めることなく、通りを進んでいく。
「これだけ捜査を行っても、何も得られていない。可笑しな話だよね」
「犯人が巧妙な人物である可能性も……」
「それは勿論、あり得る。だけど、白昼堂々――人目がある場所で、小学生を連れ去るなんて芸当が果たして出来るだろうか」
失踪者の中には、集団下校中に失踪した者もいる。少し目を離した隙に――と口を揃えて皆言うが、それは不可能に近い。御子神さんは、それを指摘しているのだろう。
「というのは、一般的な考え方なんだけど。これが”誰にも視えない犯人の仕業”だったら、どうだろう?」
「……どういう意味ですか?」
「それこそ、”花のオバケ”とか」
「……いや、あり得ないですよ……」
「高坂蓮という失踪者が、”花のオバケに食べられる”って証言してたんだよね? それなら、可能性としてはゼロじゃないでしょ?」
俺を揶揄っているのか、本気で言っているのか――御子神さんの表情からは一切判断が付かない。
「警察が子どもの戯言を真に受けるのは……」
「戯言じゃなかったら?」
ふわり。
風に乗って、あの甘い匂いが鼻を掠める。
俺は咄嗟に周囲に視線を巡らした。
――来る。
背筋が粟立ち、喉の奥がひりつく。
甘い香りは、次第に強くなる。
数メートル先の街灯が、チカチカと点滅する。薄暗い通りの先から、布を引き摺るような音が近付いてきた。
そんな状況など露知れず、御子神さんは足を止めない。
「あ、あの!」
思わず、彼を引き留めようと声を上げた。しかし、その後に続く言葉が出てこない。
御子神さんは気が付いていない。だって、アレは俺にしか視えないのだから。
アレはよくないものだ。だから、今すぐにでもこの場から逃げなくては――。
「……なるほど。確かに花のオバケだ」
御子神さんは鼻で笑う。
街灯の下。袴を引き摺りながら、三度俺の前に姿を現した異形。その白い花弁は夜闇にぼんやりと浮かんで視えた。花の中央には、先程と同じく、力なく人の腕が垂れ下がっている。
「わあ、こりゃ和解は無理そうだ」
「……あの、御子神さん」
御子神さんは俺の言葉を無視して、徐に腰に下げた警棒を取り出した。
「今日は観客も居るから、張り切っちゃおうかな~」
「……っ、何、して――」
止める間もなかった。
御子神さんは何の躊躇いもなく、地面を蹴る。そのままの勢いで、”何もない筈の空間”へと警棒を突き出した。
ぐしゃり、と。
湿ったものを貫く、不快な音が耳に届く。
「……え」
思わず、間抜けな声が漏れた。
警棒の先には、異形の頭部。御子神さんが警棒を引き抜くと、白い花弁の中央から、黒ずんだ液体が噴出した。
「フローラル系の香りって苦手なんだよね」
御子神さんが、何事もなかったかのように呟く。
それに被せるようにして、耳を塞ぎたくなるような、悲鳴にも似た音が通りに響いた。
白い花の頭が大きく揺れ、黒い液体と共にそこから、ずるりと何かが地面に落ちる。
「……うっ」
花の香りとは異なる、えずきたくなるような不快な悪臭。
地面に落ちた何か。それが何であるか――答えを出すことを、俺は反射的に拒絶する。そうしなければ、今にも吐いてしまいそうだった。
その何かは、この事件の真相を雄弁に物語っているのだから――。
異形は後退るように身を引いた。
しかし、御子神さんはそれを許さない。
警棒が迷いなく、再度花の中心を刺し穿つ。
<……ッ、ギ……ギッ>
小さな音を上げながら、異形は地面に崩れ落ちる。伏したその体は、ゆっくりと塵となって崩れていく。
<……ナツ、……キ……さま……>
そう最期の言葉を残して、異形の体は完全に塵と化した。
「なつき? 想い人でもいたのかね」
警棒を腰に納めながら、御子神さんが呟く。
甘い香りは急速に薄れ、夜の住宅地にただの静寂が戻る。
俺は、その場に立ち尽くしたまま、放心していた。
目の前で起こった一連の出来事は、俺の脳が処理できる許容範囲を越えていた。
「さて」
御子神さんがこちらに振り返る。
「とりあえず、それは回収しないと、だね」
肩を竦めながら、彼は地面に残された――かつて”人だったであろう黒いそれ”を示した。




