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異相の理  作者: 赤鰯 はこぼれ
第一章 思い出の花
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第四話 変わった男

子どもの頃の記憶は朧気だ。

祖父母に引き取られる以前の記憶に関しては、思い出せない、というより、思い出そうとすると、どこかで思考が途切れてしまう。


――それは、事故による後遺症。

俺と両親を乗せた車に、速度超過した信号無視の対向車が突っ込んだ。運転席に座っていた父と、助手席にいた母は即死。後部座席に乗っていた俺は、辛うじて一命を取り留めたと聞いている。


この事故の後、俺を引き取ったのが母方の祖父母だ。

祖父母の自宅がある北陸地方の白嶂(はくしょう)は、冬になると膝丈まで雪が積もるような場所で、娯楽施設などは殆どなく、山に囲まれた長閑な場所だった。


最初は本当に穏やかな日々だったと思う。

――俺が”視てはいけないものを視るまでは”。


人の顔をした山羊。

首がないのに走り回る犬。

人の形をした黒い靄。

宙に浮かぶ白い手。


気付いた時には、視えていた。

それは俺の中では当たり前の景色で――けれど、他人には視えない景色だった。


そのことを理解する頃には、俺は既に周囲から孤立していた。

学校では気味悪がれ、何度嘘吐きだと後ろ指を刺されたことか……。

子どもというのは、純粋無垢であるが故に、その言葉は鋭く残酷だ。今となっては笑い話だが、当時の俺の性格を卑屈に歪めるには十分だった。


小学校、中学校とそんな生活を送り、俺は県外の高校へと進学することになる。

その頃には多少の処世術というものが身につき、”得体のしれないあれら”は事故による後遺症が生み出す幻覚として受け入れられるようになっていた。

そうして蓮原大学への進学を機に、こちらに単身越してきて今に至るのだが……。


花の頭をした異形。

あれは未だ残る後遺症の一つで、単なる幻覚だと――そう思いたい。しかしながら、鼻を突くような甘い花の香りは、あれが”実在するもの”であると示しているようで、俺は酷く気分が悪くなった。


単なるパトロールの筈が、夜勤明けと同じくらいの疲労感である。

気持ちを切り替えるように、頭を振った。今は仕事に集中しなければ。


甘い香りはもう残っていない。路地も、サッカーコートも、いつも通りの静けさを取り戻している。


――考えるな。


自分にそう言い聞かせて、俺は踵を返した。

来た道を戻り、再び穂坂小学校まで戻る。集団下校で騒がしかった校門も、今は嘘のように静まり返っていた。


交番が視界に入ると、漸く肩の力が抜けた。

ここに戻ってくれば、さっきまでの出来事もなかったことと思える。そんな気がした。


入り口の引き戸に手を掛ける。すると、中から聞き慣れない声が漏れてきた。

佐伯先輩もこの時間はパトロール中だった筈なので、橋部さんが何かの対応をしているのだろうか。


ゆっくりと引き戸を開けると、詰め所の中にはスーツ姿の男が一人立っていた。

何やら橋部さんと話し込んでいる様子だ。


「お、戻ったか」


橋部さんがこちらに気付き、軽く顎をしゃくる。

それと同時に、男もこちらを振り返る。


――整った顔立ちだな。

それが第一印象だった。長い睫毛に、通った鼻筋。眉目秀麗とはこういう人のことを指すのだろう、と思うような外見だ。


「こいつは御子神(みこがみ)。県警の――今は警部補だったっけか?」

「え、あ、お疲れ様です!」


県警の警部補という単語に、呆けていた頭が急速に回転し出す。

勢いよく敬礼をすると、男――御子神さんは愉快そうに笑う。


「話通りの真面目くんだね」

「最近の若手には珍しいタイプかもな」

「……えっと」

「さっきまでお前の話をしてたんだよ。期待の新人が来たってな」


そう言いながらにやりと笑う橋部さんを見て、これは揶揄われているなと理解する。


「……そうですか。それで、県警の方がどうしてこちらに?」

「近くを通ったから顔出しただけ」


御子神さんはそう言って、肩を竦めた。


「通りかかっただけで交番に顔出す警部補がどこにいんだよって」

「はは。橋部さんの顔を見たら、つい」


二人は長い付き合いなのだろうか。やり取りの端々から、気安さが滲んでいる。


「それと、穂坂は事件も少ない方だし、少し暇なんじゃないかなって」

「馬鹿言え。こっちは今大忙しだっての」

「へえ?」


御子神さんはそう返しつつ、興味深そうに首を傾げた。


「お前も知ってるだろ。ここんところ、子どもの失踪が相次いでる」

「あー、そんな事件もありましたね。確か、一課が出しゃばりに行ってるとか」

「そうなんだが、まだ犯人の手掛かりも出ちゃいない。お陰で俺らもパトロール強化だなんだって、駆り出されてる最中だ」


一連の話を聞いて、御子神さんは顎に手を当てる。


「うちが受けてる報告とちょっと違うんですけど、まだ手掛かりはないんですよね?」

「……ああ、上からはそう聞いてる。なあ、栗花落」

「はい。今朝も進展なしと報告がありましたので、間違いないです」

「俺のところには、問題なく情報収集をしているとか何とかって話が来てたけどなぁ」

「そんなわけないだろ」


橋部さんが鼻で笑う。


「お前の記憶違いじゃないのか?」

「それならいいんですけど。記憶違いじゃなかったら、ちょっと面倒かも」


県警に上げられている報告と、現場の状況とで食い違いが起きているのだろうか。

一課が介入してきている段階で、そんなことはまずあり得ない――と思うのだが。


「ま、帰ったら確認しますわ。何かあったら、うちに連絡してもらえれば」


そう言って、御子神さんは腕時計に視線を落とした。


「――っと、もうこんな時間か。長居しちゃいましたね」

「甘崎の奴にどやされるぞ」

「わー、それは嫌だなぁ」


心の籠ってない言葉を呟きながら、御子神さんは詰め所の引き戸に手を掛ける。


「それじゃ、俺はこれで」

「おう。気を付けて帰れ」


引き戸が開き、外の湿った空気が流れ込んできた。


「栗花落君、だっけ? 橋部さんの下で働くのは大変だろうけど、頑張ってね」

「は、はい」

「大変ってなんだ、大変って!」

「橋部さんったら、こわーい」


橋部さんの不満の声を笑顔で躱しつつ、彼は颯爽と外へ出ていった。

引き戸が閉まり、詰め所に静けさが戻る。


「……何なんだ、あの人」


思わず本音が零れると、橋部さんが苦笑いする。


「変わってるだろ」

「……ええ」


県警の警部補と言えば、お堅いエリート。そんな風に思っていたけれど、彼はその真逆――飄々として掴みどころがない印象を受けた。


「ほら、前に話したよな」

「?」

「特異案件捜査課。あいつはそこの人間だ」


――普通の刑事が手を出せないような、特異な事件を取り扱う課。


「……例の、特案ですか」

「そうだ。まあ、あんまり関わり合いにならねえ方がいい連中だな」

「……そうなんですか」

「あいつらが出てくるってことは、それなりに厄介な事件ってことだからよ」


それは確かに、積極的には関わりたくない。


「栗花落、お前も食うか?」


橋部さんは徐に、デスクの上の紙袋から平たい箱を取り出す。


「何ですか、それ」

「御子神からの差し入れ。黒浜(くろはま)まんじゅう」

「え、いいんですか」

「俺一人じゃ食えんからな」

「ありがとうございます」


黒浜埠頭名物の黒浜まんじゅう。

主にお土産として重宝される蓮原市の銘菓であるが、市民の間でも人気がある。


「じゃあ、お茶入れますね」

「おう、気が利くな」


そんなことをしている内に、”花のオバケ”の存在は、いつの間にか頭の片隅に追いやられていった。

――俺はまた、いつも通りに、”視えるものに蓋をした”。


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