第一話 余韻
蓮原署前の大通りにあるイチョウ並木が見頃を迎え、季節はすっかり夏から秋へと移り替わる。
窓から見える黄色く色付いた木々を眺めつつ、俺は先日対応を行った事件に関する報告書の仕上げに取り掛かっていた。
内容は、蓮原大学近くの商店街で起きた傷害事件について。
事件の発端は、商店街を歩いていた通行人の数名が、刃物のようなもので切り付けられたという通報だった。
白昼堂々、人目の多い場所でありながら犯行時の目撃情報はなく、付近に設置されていた監視カメラからも犯人の情報は得られなかったそうだ。それからというもの、度々似たような傷害事件が発生し――ということで、特案に仕事が回ってきたわけである。
この事件の元凶は、商店街近辺に住み着いた『貉』という怪異だった。
貉――アナグマのような姿のその怪異は縄張り意識が非常に強く、縄張りとした商店街内の人間に危害を加えていたのだ。
俺と御子神さんの二人掛かりで貉は捕獲。事なきを終えたのだが――。
「この前の報告書、書き終わった?」
不意に隣から声が掛かる。
顔を上げると、御子神さんが資料の山から顔を覗かせていた。
「粗方は終わってますけど、貉が急に死んでしまったことはそのまま書けばいいんですかね」
「視たものをそのまま書けば問題なし」
「……分かりました」
本来、貉は山に住む怪異で、人里に降りてくるのは稀だと言う。
そもそも、蓮原区周辺で貉が目撃されたのは、十数年振りとのことだ。恐らく、貉伝承が残る南山区から何らかの理由で蓮原まで移動してきたのだろうと推測された。
そのため、南山まで貉を移送しようと話を進めていた矢先に、捕獲していた貉が突然死したのである。
原因は分からない。玄曰く、元々衰弱していたのではないかということだったが、なんとも言えない事件の幕引きだった。
「もしかして、商店街の鎌鼬事件?」
向かいのデスクの世良さんが口を開く。
今日の内勤は御子神班と村上班の四人だ。今朝は甘崎さんもいたが、玄と共に外に出ている。
「はい。移送する前に、死んでしまって……」
「言ってたねぇ。弱ってたのぉ?」
「俺たちが捕獲した時は大暴れしてたので、弱っているようには視えなかったんですけど……」
「もしかして、その顔の怪我って貉のぉ?」
世良さんが俺の右頬を指さす。
「……はい、ちょっと引っ掛かれまして」
「こいつ、通行人を庇って一人で突っ込んだんだよ。本当に馬鹿」
御子神さんが至極不機嫌そうに言う。
貉が通行人の方へ逃げようとしたので、俺はそれを防ごうと思っただけ。彼の中では、その行動はあまりよろしくなかったらしい。捕獲後もチクチクと車の中で怒られてしまった。
「あらら……。一般人を守るのも勿論大事だけど、怪異相手だと危険も多いから、気を付けてねぇ」
「……はい。気を付けます」
「うんうん。それで、話を戻すけど、急に弱った貉かぁ。やっぱりちょっと気になるよねぇ。まだまだ、僕たちが知らないことっていっぱいだなぁ」
怪異について分かっていることは一割にも満たない。特案内ではよく聞く言葉だ。
「それにしても変よね。数十年振りの貉でしょ?」
「縄張り争いとかで負けたとかかなぁ」
黙々と仕事をしていた村上さんが顔を上げて、眉間に皺を寄せながら腕を組んだ。
「あり得なくはないけど、ここまで下りてくるのがちょっと不思議」
「南山と蓮原はそこそこ離れてますしねぇ」
「怪異が何を考えてるかなんて、俺たちに分かるわけないだろ」
御子神さんが気怠そうに口を開く。
「分からなくてもちょっとは考えなさいよ」
「妄想に体力を使いたくないんで」
「なんでアンタは毎度捻くれた返事しかできないのかしら?」
「お二人ともぉ、また喧嘩するのやめてくださいよぉ? あんまり酷いと甘崎さんとチクっちゃいますからねぇ」
一触即発の気配を感じたのか、世良さんが先手を打って二人に釘を刺す。
御子神さんは世良さんを軽く睨みつつ、溜息を吐いた。
「――とにかく、報告書はそのまま書いて出すでいいから」
「分かりました」
御子神さんの言う通り、玄のような意思の疎通が図れる怪異ならまだしも、下級怪異の考えることは俺たちには分からない。
報告書の最後の一文を打ち込み、保存ボタンを押すと、ようやく肩から力が抜けた。
「――はい、栗花落君。次はこっち」
気が緩んだのも束の間、御子神さんが俺のデスクにどさっと紙束の山を置く。
見ただけで目が痛くなる量だ。
「……これ、どこの資料ですか」
「刑事課から回ってきた資料」
「相変わらず多いですね……」
「そりゃね。ほら、頑張って」
思ってもないであろう励ましの言葉を投げながら、御子神さんは自分の席に戻ってしまった。
「栗花落君、嫌だったら嫌って言っちゃいなね」
「そうそう。少しは御子神にも返しちゃっていいからさぁ」
村上さんと世良さんの茶々に、御子神さんは顰め面をする。
俺は絶対にやらないからな、と顔に書いてあるようだった。
「大丈夫です。御子神さんはこういうの苦手でしょうし、俺が頑張ります」
「……栗花落君、言うようになったね」
御子神さんは顰め面から顔を引き攣らせた。
二ヶ月も一緒に働いていれば、嫌でも御子神さんの性格が分かってくる。この人は事務作業が苦手なのだ。それでどうやって警部補なんて地位まで昇りつめたのかは、全くもって謎である。
「アンタもちょっとは栗花落君のこと見習いなさいよ」
「……煩いなぁ」
「煩いって何よ」
「二人とも、いい加減にしてよぉ。流石にくどいって」
再び御子神さんと村上さんが口論を始めようとしているのを尻目に、俺は資料の山を整えていった。




