第二十三話 人の想いは移ろいて
真司との待ち合わせ時間まで、あと三十分。
夜勤から帰宅して直ぐに仮眠を取りたかったのに、目の前の男の所為で俺の計画は頓挫した。
「……御子神さん、俺出掛けるんですけど」
「うんうん。知ってるよ」
ソファに仰向けになりながら、スマートフォンをいじる御子神さんはちらりとこちらに視線を寄越す。
「……そろそろ、帰ってもらえませんか」
「栗花落君が出るタイミングで俺も出るから」
「…………」
初めて俺の家に招いてから、御子神さんは時々ここに訪れるようになっていた。
というのも、夜中遊び歩いて終電を逃した際のホテル代わりだとかなんとかで――身勝手にも程がある。
ちなみに、今日は家に帰るのが面倒くさいからという理由で、俺の家を休憩所として使っていらっしゃる。勘弁してほしい。
抗議の眼差しを向けていると、御子神さんが怪訝そうに眉間に皺を寄せた。
「何?」
「……何でもないです」
これじゃあ、どっちが家主だか分かったもんじゃない。
文句一つ言うことができずに、俺は内心で唇を噛み締めた。
「で、今日はどこに行くんだっけ?」
御子神さんが椅子に座り直しながら聞いてくる。
「駅前の飲み屋です」
「誰と?」
「大学の友人です」
「へえ……女?」
「男です」
「なんだ~。女の子だったら紹介してもらおうと思ったのに」
「やめてくださいよ」
後輩の友人に手を出そうとするなんて、何を考えているんだ。
ぎろりと睨むと、御子神さんは楽しそうに笑う。
「怖い顔しないでよ、栗花落君」
「その女癖、どうにかしないと痛い目見ますよ」
「俺だって手あたり次第ってわけじゃないって。ちゃんと、あと腐れない関係を築いてるから大丈夫」
何が大丈夫なのか全然分からないけれど、何を言ったところで御子神さんには無意味だろう。
御子神さんの下に就いてそろそろ一ヶ月経つが、彼の貞操観念の低さは呆れを通り越して逆に心配になるほどだ。一応、一定の線引きはあるようだが、俺からしてみれば全く理解ができないものである。
「……そういう関係の女性って、何人くらい居るんですか」
興味本位で聞いてみる。
「そういう関係って、セフレのこと?」
「……まあ、はい。そうですね」
御子神さんは、少し考え込むような仕草をした後、口を開いた。
「続いてるのは四人くらいかな? 単発だと覚えてないや。顔とか名前もよく分かんないし」
「…………」
村上さんが御子神さんを毛嫌いしている理由が、なんとなく分かった気がした。
あまりにも――あまりにも、不誠実な男である。
「本当、いつか痛い目見ますよ」
「合意の上だし、誘ってくるのは相手だし。お互いに楽しんでるんだから、いいでしょ」
「……別に悪いとは言ってないですけど」
言ってはないが、曲がりなりにも警察官なのだから、もう少しどうにかならないものなのか。
「栗花落君はお堅いねえ」
「普通ですよ」
ぴしゃりと言い返すと、御子神さんは笑いながら肩を竦めた。
「俺だって遊んでるだけで、普通なんですけど」
「遊び方が普通じゃないんですよ」
「え~」
不満の声を上げながらも、彼はどこか楽しそうにしている。
「――まあ、俺の話はさておき、飲み会って何時からなの?」
「十九時ですね」
「じゃあ、そろそろ出ないとじゃん」
御子神さんはスマートフォンをポケットに突っ込み、立ち上がった。
「ほらほら、栗花落君。早くしないと遅刻だよ」
「……まだ時間ありますけど」
「ギリギリに出ると面倒くさいじゃん。ほら、駅まで一緒に行こ」
先程まで呑気に寛いでいたくせに、これである。
切り替えが早いんだが、マイペースなんだか……。
思わず溜息が零れた。
「鍵とスマホと……あと、財布持った?」
「持ちましたよ」
「飲みすぎて二日酔いになるなよ~?」
「……分かってますよ」
そんな会話をしながら、俺たちはドタバタと玄関から外に出た。
***
前回、真司と会ったのは半年前くらいだろうか。
就職してから毎日忙しくしていると聞いていたが、運ばれてきた料理を黙々と口に運ぶ姿を見るに、元気にやっていたようである。
「それで、最近どうよ。警察の仕事は」
「どうも何も、九月からこっちに異動になってさ。ここ一か月はかなり大変だったよ……」
「え、穂坂じゃなくなったんだ」
真司はビールに口をつける。
「二年目で異動って何かやらかしたん?」
「何もしてないよ。急な異動」
何かしたと言えばしたのだが……。
「じゃあ、蓮原の交番勤務? めっちゃ立地最高じゃん。家からも近くなったろ」
「交番じゃなくなって、今は蓮原署内で働いてる」
「蓮原署って大通りの先のあそこか! いいじゃん、いいじゃん」
「立地はね」
「通勤時間が短くなるだけでも、人間の幸福度は上がるんだぞ?」
「なんだよそれ」
思わず怪訝な顔をすると、真司はへらへらと笑った。
「でもさ、交番から署内勤務って出世なんじゃない? なんかすげえな」
「出世なのかな……」
「違うの?」
「ちょっと特殊な職場だから、出世なのかは怪しいかも」
「へえ。でも、抜擢されたってことじゃん? すげえよ」
純粋にそう言われると、何だかむず痒い気持ちなる。
「で、新しい職場って忙しいの?」
「うーん、事件があると帰れなかったり、事務作業もあったり――穂坂に居たときよりも忙しいかな」
「あらら。じゃあ、彼女とはどうなんだよ。会ったりしてる?」
「……まあ、時々はね」
言葉を濁したのが自分でも分かる。
彼女――夕奈は、連絡は取り合っているものの、あまり会えていないのが現状だ。
俺の心情を察したのか、真司の箸が止まった。
「何だよ。もしかして、うまくいってないの?」
「いや、そういうわけじゃないとは思うけど……。お互い忙しいから、なかなか会えないだけ」
「仕事忙しくても仲いいカップルは仲いいだろ。お前ら、前は結構ラブラブだったじゃん?」
痛いところを突いてくる。
「……まあ、すれ違い気味っていうか」
「森本さんって外資に就職したんだっけ? それにお前は警察官――すれ違うわな。でも、ここまで来たんだから、結婚も考えてるんだろ?」
「……それなりには」
――結婚。
漠然とではあるけれども、多分、このままいけばそうなるだろうな、とは思っている。
けれど、あまり想像ができないのは、今の状況の所為なのか。
「――結婚と言えば、翔太って覚えてる?」
「山田?」
「そうそう」
真司は焼き鳥を串から外しながら頷いた。
「ほら、あいつも彼女いたでしょ。水瀬さんだっけ」
「あ~……」
俺は学生時代の記憶を辿る。
翔太は同じ学部の奴で、真司と同じく仲がよい友人だった。そんな彼にも、大学時代からの彼女がいた。
名前は――。
「水瀬やよいさんだっけ?」
「あの眼鏡っ子ね」
「思い出したわ。それで、翔太がどうしたの」
「いや、それがさあ……」
真司が急に神妙な面持ちになる。
「あいつら、別れたんだよ」
「え、マジで? それこそ仲良かったんじゃないの?」
「マジ。しかも、理由がやべえんだわ」
「今のお前に話す内容じゃないかもだけど」と、前置きしつつ続ける。
「――浮気されたんだと」
「は? 浮気?」
思わず眉を顰める。
記憶の中の翔太は、面倒見もよく一途で――それこそ、恋人を大事にしているような男だった。
そんな奴が浮気されるなんて、想像もつかない。
「でさ、水瀬さんのお相手、既婚者だったらしいんだわ。だから、結構揉めたらしいよ」
「揉めたって……」
「話し合い中に相手の奥さんがキレちゃって、手が付けられない状態になったんだと。なんでも、他にも何人か関係を持ってたとかで、遂に堪忍袋の緒が切れたってやつ」
真司が肩を竦める。
「いや~、怖いよな。人間関係ぐちゃぐちゃだったみたいだよ」
「……怖いな」
翔太の顔が頭に思い浮かぶ。
あいつがどれだけ傷ついたか、想像するだけで胸が重くなる。
「お前も気をつけろよ? 仕事にかまけて彼女を放置してたら、そうなるぞ」
「……分かってるよ」
「ま、森本さんは浮気とか絶対しないと思うけどね。お前ら二人とも、真面目を絵に描いたカップルだもんね」
「そう思われてたんだ」
「皆羨ましいって言ってたぞ? お前は知らないかもしれないけどさ。あーあ、俺も彼女ほし~」
真司はビールを飲み干し、次のジョッキを店員に頼む。
「お前も飲め飲め。悩んでもしゃーないって。な?」
そう言って笑った真司に少し救われた気になったが、それでも胸の奥に重く沈んだ何かは晴れないままだった。
二章完結でございまする。




