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異相の理  作者: 赤鰯 はこぼれ
第二章 その渇きは癒えることなく
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第二十話 未知要素

「――以上が、現場で確認した内容になります」


 俺が言い終えると、甘崎さんは眉間に皺を寄せながら腕を組む。


「……瀕死の状態の群蜘蛛か。気になる話だな」

「現場を確認しましたが、原因は不明ですね」

「何も手掛かりがない、か」


 甘崎さんは椅子に沈み込むように息を吐いた。

 デスクの上には、別の事件資料であろう書類が山積みになっている。そこに新たな未知要素が放り込まれたわけだ――困り顔にもなる。


「衰弱した群蜘蛛が集団で現れるなんて聞いたことがないな」

<儂の記憶にもないぞ>

「お前の記憶はあてにならないからなあ」

<……少なくともお主らよりは長く生きておるのだ。その儂が言うのだぞ!>

「記憶喪失の奴に言われても……」


 御子神さんが小馬鹿にしたように言うと、玄は悔しそうに鋭い牙を剥き出しにして唸った。


「御子神さん、言い方」

「だって、事実だから」

「……事実?」

「こいつが作られたのは平安頃って話をしたけど、所々記憶がないんだと。つまり、記憶喪失ってのは事実」

<……少し忘れているだけだ。何れ思い出す予定だからな>

「そう言い続けて早何年経ったんだか」


 玄は珍しく反論できないようで尻尾を垂れていた。

 どうやら記憶喪失というのは、御子神さんの皮肉ではなく本当に事実らしい。長く生きているが故のことなのだろうか。

 昔のことを思い出せない――俺と同じような境遇の怪異に、少しだけ親近感が湧いた。


「群蜘蛛の異常行動、衰弱の原因――これ関しては、引き続き調査は必要だろうな。……御子神、他署の資料も洗って事例を確認してくれ」

「了解です」

「とは言え、今回の件で群蜘蛛はほぼ一掃された。再発の兆候があるなら別だが、優先度は低い」

「俺たちの出番は一旦終わりですね。栗花落君、初仕事お疲れ様」


 御子神さんが椅子の背に凭れながら労いの言葉投げかけてきたが、正直、胸の奥の靄は晴れずにいた。

 そんな俺の気持ちを代弁するように、玄がゆっくり口を開く。


<しかし、腑に落ちぬ点が多い話だ>

「仕方ないだろ。手元にある情報が少なすぎるんだから」


 御子神さんは肩を竦める。

 彼の言う通り、ここで議論を繰り広げたところで、根本的な原因については分からず仕舞いなのには変わりない。




 ***




 業務報告を終え、時計を見ると丁度日付が変わろうとしていた。定時は疾うの昔に過ぎている。

 俺が帰り支度をしていると、椅子から立ち上がった御子神さんは、悪戯っぽい笑みを浮かべながら仁王立ちする。


「栗花落君、ちょっと付き合ってよ」

「え、付き合うって――まだ仕事が……?」

「違う違う。事件解決祝い。まあ、全部解決したわけじゃなさそうだけど……とりあえず、飲みに行こうって話」


 あまりにも唐突な発言に面食らう俺を他所に、御子神さんは颯爽と椅子の背凭れに掛けていたジャケットを手に取る。


「安心しなよ。俺の奢りだし」

「え、いや、それは悪いと言うか……」


 そもそも、行くとはまだ一言も言っていないのだが……。

 断られるとは微塵も思っていなさそうな御子神さんの表情に、俺は内心で溜息を吐く。

 明日は昼出勤と言うこともあり、断る理由は確かにないのだけど、それでも何故この人はこんなに自信あり気なのか不思議だ。


「ほら、早く」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ」


 強引に腕を掴まれ椅子から立たされる。

 そんな俺たちの様子に、甘崎さんは苦笑いしながらひらひらと手を振る。その机の上には、蜷局を巻いて寝息を立てる玄の姿が見えた。


「御子神、節度は守れよ」

「甘崎さんも来ます?」

「行きたいのは山々だが、俺はこれから打合せだ」

「うわあ……毎度、お疲れ様です。ちなみに、どこと?」

「南山署とだよ。幣原参事官(しではらさんじかん)が亡くなって、各署バタバタしてるんだ」


 参事官といえば、刑事部の部長代理――甘崎さんの上司にあたるポジションだ。


「あー、ついこの前、事故で亡くなられたんでしたっけ?」

「そう。俺は行けないが、二人とも羽目は外さないように」

「は、はい」


 課長ともなると、現場仕事以外にも仕事は山積みのようで、甘崎さんが俺たちより早く帰る姿は未だ見たことがない。正直、家に帰れているのかも謎だ。

 そんな彼を置いて飲みに行くのは、少々忍びない気持ちになる。


「栗花落君、早く」

「行きますから、引っ張んないでくださいよ。――甘崎さん、お先に失礼します」

「お疲れさん」


 御子神さんに引き摺られるようにして、執務室を後にする。強引にも程があるだろう。


「マスターが栗花落君を連れてこいって煩くてさ」

「……マスター?」

「ほら、聞き込みしたでしょ。俺の行きつけ」

「ああ」


 そこまで言われて、記憶が蘇る。

『The Lull』――御子神さんの行きつけのバーのマスターということらしい。

 その節はお世話になったわけだし、お礼も兼ねて飲みに行くのは賛成である。


「そう言えば、彼女からバーに行くなって言われてるんだっけか。別の場所にする?」

「い、いえ……それは学生時代の話なので……」

「ならいいんだけど」


 御子神さんは心なしか楽しそうである。


「栗花落君って結構飲める方なの?」

「酒は嫌いじゃないので、割と飲めますよ」


 アルコールには強い体質なため、酒は寧ろ好き寄りだ。ただ、一人で飲むという楽しみ方がいまいち分からず、結果的にあまり飲む機会に恵まれないのだ。


「いいね。うちは酒飲めない奴が多いから、つまんないんだよね」

「勅使河原さんとか飲みそうですけど……」

「見た目はね。でも、あの人、下戸だから。ちなみに、志木さんと世良は泣き上戸。一緒の席につかすと大変だから覚えておいて」

「……い、意外過ぎる。村上さんと甘崎さんは?」

「甘崎さんは――昔は飲んでたみたいだけど、健康診断に引っかかってから禁酒中。村上さんは基本飲まない」

「へえ……」

「ま、あんまりプライベートで飯食ったりも少ない職場だから、そういうのが苦手な人にはいい職場なのかもね」


 蓮原署内は付き合いなどが多いと、穂坂署に所属していた時から話に聞いていたが、特案は意外とドライらしい。

 そんなことを考えながら、俺は御子神さんの後に続いた。


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