第十七話 蜘蛛の糸
「あんたが絡むとどうしてこう大事になるのかしらね」
現場に到着した村上さんは開口一番に、怪訝そうに呟いた。
御子神さんはそれを適当にあしらいつつ、従業員の男を交えて状況の共有を始める。
「それにしても、初仕事がこんな事件になるなんて、栗花落君も大変だねぇ」
御子神さんたちの様子を遠巻きに見ていた俺の肩に、世良さんが手を置く。
「僕の時は魚屋泥棒の猫又捕獲とかだったからさぁ」
「猫又ですか?」
<尾が二股に分かれている猫の怪異だ>
「猫の怪異……」
「――あ、そうそう。御子神から頼まれてたんだけど、これ渡しておくね」
そう言って差し出されたのは、黒いリュック。受け取ってみると、その大きさに反して軽かった。
「それ、杉皮と香炉ね」
「香炉?」
「ほら、お香とか焚く時に使う道具。今は携帯用とかもあって便利なんだ」
「へえ……」
群蜘蛛退治に杉皮を焚くとは聞いていたが、そういう物を使うのか。
そんな話をしている内に、班長たちの情報共有が終わったらしい。
村上班はビルから飛び出して来た従業員の男性に付き添って、病院へ向かうとのこと。そのまま事情聴取を行う流れになるようだ。
「じゃ、栗花落君、頑張ってね」
「はい、ありがとうございます」
車に乗り込む世良さんたちを見送り、俺は御子神さんに向き直った。
「これからどうしますか」
「あの男が言うには、中の従業員は全員死亡しているって話だからなあ」
御子神さんは韴で地面を叩きながら、ビルを眺める。
「そうですね。従業員五名が、まだビル内に居るそうですが……」
「開店前だったのが不幸中の幸いなのかな。まあ、とにもかくにも中を視ないことにはなんともね」
<先程の群蜘蛛だが……やはり、様子がおかしいのは間違いない。”中身が殆どなかった”からな>
「中身……?」
<腸と言えばいいのか? まあ、体の中に本来あるべきものが”空”ということだ。あの状態で動いていたのが不思議なくらいだぞ>
つまり、臓器がない状態で動いていた――ということらしい。
それは明らかに異常である。
「瀕死の状態でも、なお餌を求める、か」
<それ程までに奴らを駆り立てる何かがあるのだろうよ>
「栗花落君、韴ちゃんと出しておいてね。中がどうなっているか分からないから」
「はい」
俺は貸与されたばかりの警棒――韴を右手に握る。
特殊な石が使われているというだけで、見た目も手触りもただの警棒だ。
左手には懐中電灯を握り、俺たちは半開きの自動ドアを潜り、ビルの中に足を踏み入れた。
***
塚野が遺体で発見されたという話は、直ぐに耳に入った。
俺が酒と女に溺れたクソ野郎から逃げる時も、暴行事件を起こして犬の世話になった時も、こうして商売を立ち上げることになった時も、奴は俺の隣で下卑た笑いを浮かべていた。
幼馴染という言葉は聞こえが良すぎる。腐れ縁――俺たちの関係はそういうものだったのだ。
そんな奴の訃報を聞いても、故人を悼む気持ちは一切湧いてこない。
あるのは――そう、怒り。こんな茶番を受け入れた、自分自身への怒りだった。
違法風俗は無論犯罪の部類であるが、その分の儲けはいい。
客は頭のイカれた嗜好の持主ばかり。日常では満たされることのできない人の道を外れた快楽を求めてやってくる。それ故、ただの風俗客よりも、格段に金払いがいいのだ。
無論、それに比例してリスクも高い。根本的には違法であるからして、犬に見付かればお縄である。
実にスリリングな商売だ。
だからこそ、一頻り儲けた後、犬に嗅ぎ回られる前に俺は店を畳んだ。
何事においても引き際を誤れば地獄に落ちる。かつて、あのクソ野郎がそうだったように。
このまま隠居生活も悪くない。塚野から連絡が入ったのは、そんなことを考えている矢先の話だった。
――助けて欲しい。
塚野は第一声そんなことを言っていた。
なんでもあの風俗店で稼いだ金をギャンブルで全て擦った、と。
馬鹿か。
俺はそう返したと思う。
ただ、奴の口元につけられた大きな傷を見て、どれ程の深みに落ちたのかは想像がついた。
――うまい話があるんだ。今度は支援者が居る。だから、もっと稼げる。
塚野は下卑た笑みを浮かべながら、そう提案をしてきた。
うまい話には裏がある。
そんなことは分かっていたのに、奴の提案を最後まで聞いた俺は、首を縦に振っていた。
腐れ縁の塚野への同情もあったかもしれない。が、決定打は奴の言う支援者だった。
こいつは面白い経歴の持ち主だった。
俺たちのように、地中で生きる土竜のような奴じゃない。
清廉潔白。そんな人物が、何故こんな商売に手を出すのか。
絶対に裏がある。しかし、それ故、興味がそそられた。
風俗店は順調に回っていた。
前回同様、犬が出てくる前に店を畳めば何ら問題はない。
そう思っていたのに――。
「ひ、ひぃ!」
開店前の店内に、俺の情けない悲鳴が響く。
目の前で従業員が一瞬にして干からびていく光景に、腰が抜けて動けない。それでもなんとか地面を這うようにして二階へと続く階段を目指す。
――クッソ! クッソ!
どうしてこんなことになったのか。
そんな思考は、肌に感じた虫が這うような奇妙な感覚とともに、一瞬で白く塗りつぶされてしまった。




