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異相の理  作者: 赤鰯 はこぼれ
第二章 その渇きは癒えることなく
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第十一話 第一発見者

 教授が講義の終わりを告げると、教室の空気がふっと緩んだ。

 一気にガヤガヤと学生たちの声が、雪崩のように押し寄せる。


 その騒めきに紛れながら、ノートパソコンを閉じて参考書を鞄にしまう。

 今日の講義だけでも提出が必要なレポートが三個も追加されてしまった。家に帰る前に、図書館で少しでも進めておかないと……なんて、ぼんやりと考える。


 ぞろぞろと他の学生と共に講義室の扉を抜けた時、唐突に名前を呼ばれ、私は反射的にその方向へ顔を向けた。


「よかった。まだ、帰ってなかった……」


 扉のすぐ横に、見覚えのある女性職員が立っていた。

 学生支援課の――確か、相談対応の担当の人だ。何度か履修について相談をしたことがあったから、顔は覚えている。

 しかし、そんな彼女が講義室までわざわざ来るなんて、何事だろう。まさか、後期の履修に何か不備でもあったとか……。

 そんな不安が過る中、職員は口を開く。


白井遥(しらいはるか)さん、ですよね? 探してたんです」

「……あ、はい。私です。あの……何か、ありましたか?」


 職員は微笑んでいるけれど、その表情には別の感情が混ざっているように感じた。


「ええっと、大したことではないんですけど。ちょっと、確認したいことがあって……」

「確認ですか……?」

「ええ。とりあえず、支援課の相談室に来ていただいてもいいですか?」

「……は、はい」


 “確認”という言葉の曖昧さが余計に胸をざわつかせる。

 一体、何についての確認なのだろうか。


 大学に入学してから真面目に講義も受けていたし、単位だって落としたことはなかった。問題行動だって起こしたことはないし、自分で言うのは少し恥ずかしいが、模範的な大学生の部類だと思う。

 だからこそ、相談室に近付くにつれて、胃の辺りがじわじわと締め付けられるような不安に襲われた。

 ――身に覚えのないこと程、恐ろしいものはない。


 相談室の前に着くと、職員が軽くノックをしてからドアを開けてくれた。


「白井さんをお連れしました」


 職員はそう言いながら、私を室内へ促す。

 小さな机と椅子が向かい合って置かれた、よくある相談室。

 でも、その椅子には見知らぬ二人の若い男性が座っていた。


 一人は黒髪で、どこか柔らかい雰囲気の人。

 年齢は……私より少し上くらいだろうか。目鼻立ちがしっかりしていて、眉目秀麗。そして、非常に好青年に見える。


 そして、もう一人。


 ……これは、ちょっと反則だ。

 恐ろしく顔が整っている。

 この大学にも、それなりに顔が整った人はいるけれど、それとは比較にならない程に桁違いだった。

 長い睫毛に、幅の広い二重の瞳。鼻筋はすっと通っており、けれど凛々しさというよりも、どちらかと言えば幼いような顔立ち。でも、どこか艶やかで――とにもかくにも顔が良かった。


 そんな二人の容姿から、芸能関係の人なのだろうかと、真っ先に頭に浮かんだ。けれど、自分との共通点が全く浮かばず、ただただその端正な顔立ちに、私は見惚れることしかできなかった。


「では、私は外でお待ちしてますので……」


 職員の方が隣で頭を下げたところで、はっと我に返る。

 私が何かを言う前に、彼女はそそくさと扉の外に出てしまった。せめて、この状況について説明してから出て行って欲しかった――というのは、後の祭りだ。

 このよく分からない状況に取り残された私は、どうしてよいのか分からずに、その場に立ち尽くす。

 そんな心情を察してくれたのかは分からないが、黒髪の人が優しげな声で言った。


「どうぞ、こちらに座ってください」

「……え、あ、はい」


 私は促されるままに、彼らの向かいの椅子に腰を下ろす。


「突然お呼び立てしてしまって、申し訳ありません。まず最初に、自己紹介から……」


 その声は落ち着いていて、こちらの緊張を解くような柔らかさがあった。

 彼は胸ポケットから手帳を取り出し、こちらから見えるように軽く開いた。


「凪浜県警刑事部の栗花落と言います」


 そう言うと、男は優しげに目を細める。

 隣の男性も彼に続いて、ゆっくりとした仕草で手帳を取り出した。


「同じく、刑事部の御子神です。今日はあなたに少し、お話を伺いたくて来ました」


 ふっと笑い掛けられたが、あまりにも整った顔の所為で、彼の顔を直視できなかった。変に緊張してしまう。

 ――って、緊張している場合ではなくて。


「け、警察の方なんですか……」


 私は絞り出すように声を出す。

 芸能関係者なのかな、なんて馬鹿なことを考えていた数秒前の自分を殴りたい。


「あ、あの、私……何かしましたか……?」


 言葉を口に出す度に、変に声が震えた。

 警察に話を伺われるようなことは、本当に身に覚えがない。


 栗花落と名乗った黒髪の男性が、落ち着いた声でゆっくりと言った。


「安心してください。あなた自身が何かをしたわけではありません。ただ、確認したいことがありまして……お時間をいただきました」

「……は、はあ」


 とりあえず、自分が何かをしでかしたわけではなさそうで安堵する。でも、“確認したいことがある”なんて言われたら心穏やかではいられない。


「先日、蓮原駅近くであった事件のことは御存じですか?」

「……え? ああ、えっと……北口の方で遺体が発見されたっていう……あれですか?」


 ここ数ヶ月、大学内でも噂になっていたから、話は知っている。ただ、詳細については全く知らない。


「実は遺体の第一発見者の方が、”あなたの名前を名乗っていたんですよ”」

「はい?」


 その言葉の意味を理解するまで数秒かかった。


「え、わ……わた、私ですか!? し、知らないです、そんなの! だって、あんな場所、滅多に行かないですし……そんな、第一発見者なんて、私……」


 遺体なんて見たこともないし、見たいとも思わない。

 何の話かさっぱり分からず、頭の中がぐわんと揺れた。


 そんな私を宥めるように、栗花落さんが口を開く。


「俺たちも、第一発見者が白井さんではないことは分かってます。ですから、まずは落ち着いてください」

「え? ああ……そ、そうなんですね……」


 安堵と混乱が入り混じって、胸の鼓動がうるさい。

 じゃあ、なんで私の名前が出てくるのだろう。

 そんなぐちゃぐちゃな思考の中で、御子神さんが一枚の写真を机に置いた。

 私の視線は、その写真に吸い込まれる。


「白井さん、この女性に見覚えはありますか?」


 御子神さんの声が遠くの方で聞こえた。

 背筋を冷たいものが走り、喉が張り付いて上手く呼吸ができない。


 机の上に置かれた写真。

 そこに写る人物に、私は見覚えがあった。


「――沙耶(さや)……?」


 唇から漏れた声は震えていた。

 そこに写っていたのは間違いなく、私の妹である”白井沙耶”だった。


 どんなに背伸びをしても、どんなに化粧をしていても、幼い頃から一緒に育った妹の顔を見間違える筈がない。

 胸の奥がぎゅっと締め付けられ、椅子の背に凭れたくなる程脚に力が入らない。


「ご存じなんですね?」

「……はい。妹の沙耶です……」


 御子神さんの問い掛けに、私は掠れた声で返す。


「……もしかして、妹が、第一発見者なんですか……」

「この方が妹さんということなら、そうなります」


 淡々とした御子神さんの言葉が、耳の奥へ落ちていく。


 沙耶が――第一発見者?

 あの子はそんなこと一言も言ってなかった。確かに先週、何度か帰りが遅くて気になってはいたけれど、まさか事件に関わっていただなんて、知らなかった。

 昨日だって、普通に家で過ごしていたのに。


「……なんで、沙耶が……」


 そう呟いた声は自分のものでないみたいだった。


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