第十話 刑事課の頼み事
群蜘蛛の被害者は三人目。
刑事課と、県警から来た捜査一課は、毎日のようにいがみ合いながら捜査を続けているそうだが、事件の進展はない。
「――御子神さん、ミイラ化事件の資料届いてますよ」
「へーい」
間延びした御子神さんの声が部屋に響く。
この事件の捜査権が中々渡されないことに、御子神さんの機嫌は下り坂だ。そして、その相手をする俺は辟易としていた。
今日は玄が甘崎さんに連れ出されているのが、せめてもの救いだ。あの怪異が居ると、何かと御子神さんに突っかかるし、逆も然りなのだ。
「……しっかりしてくださいよ」
「しっかりしてますよー」
「机に突っ伏しながら言われても説得力ゼロですから」
書類に埋もれながら突っ伏す先輩の扱い方なんて分からない。
「コーヒー淹れますか?」
「紅茶がいい」
「分かりました。その代わり、ちゃんと仕事してください」
「砂糖はたくさん入れて」
「……はいはい」
注文が多い……。
それでも漸く上体を起こして資料に目を通し始めてくれたので、百歩譲ってよしとする。
「こうして見ると、どっちが先輩だか分かんねえな、お前ら」
はっはっは、と豪快に笑いながら志木さんがお茶を啜る。
志木さんは、御子神さんや村上さんの先輩にあたる人物だ。
「シャキッとしないとあっという間に栗花落君に追い抜かされるぞ、御子神」
「勅使河原さん、冗談でもやめてくださいよ、それ」
御子神さんは盛大に溜息を吐いて、勅使河原さんを睨んでいた。
現在、蓮原署駐在の特案で甘崎さんに次ぐポジションにいるのが、この勅使河原さんだ。勅使河原班として、志木さんとバディを組んでいる。
この二人は外回りが多く、あまり署内に居ることは少ないのだが、今日は珍しく内勤ということだった。
「お前たちが担当しているのって、駅前のミイラ化事件だろ?」
「そうですね。先週の土曜日に三人目の被害者が出てしまって……」
「そりゃまた大事になってそうだな」
「ええ。ただ、こっちに捜査権がもらえないみたいで、自由に動けないんですよね」
電気ケトルがカチャリと音を立てて、湯が沸騰したことを知らせる。
俺は棚からティーパックを取り出した。
「でも、原因は群蜘蛛だったよな? まだ刑事課の奴は粘ってんのか」
「刑事課はお手上げで、こちらに投げたがってますよ。問題は、一課の方」
御子神さんが苦虫を嚙み潰したような顔をしながら言う。
「あ~……いつもの……」
勅使河原さんは顎髭を撫でながら天井を仰いだ。
同じ刑事部ではあるが、他の課と特案は仲が悪いらしい。それもその筈――怪異事件は特案が片付けるが、その”後始末”は他の課が行うのだ。
原因不明の事件を、何とか世間が納得できるような形に収める彼らからしてみれば、俺たちは良いとこ取りをするハイエナのように思えるのだろう。
「それにしても、お前が黙って決定に従ってるのは珍しいな。普段なら、捜査権関係なしに裏で動くだろ」
「……人聞き悪いっすね」
「後輩の前では真面目装ってんのか」
先輩二人に弄られて、御子神さんは不服そうに眉間に皺を寄せる。
「俺は昔から真面目にやってますよ」
「どうだかな。栗花落君も聞いたことあるだろ?」
「何をですか?」
甘ったるい匂いを漂わせるマグカップを御子神さんの机に置きながら、俺は勅使河原さんの問いに首を傾げた。
「こいつのあだ名だよ」
「あだ名?」
「”県警の異端児”ってやつ」
どこかで聞いたような言葉に、俺は記憶を掘り起こす。
そう言えば、穂坂署でそんなことを言っていたような気がする……。
「確かに聞いたことはありますけど、由来とかあるんですか?」
「その名の通り、捜査権もないのに独自で動いて事件に介入したり、現場を荒らしたり――凡そ組織の人間とは思えないってことで、他の刑事部の奴からそう言われてんの。要注意人物って意味合い」
「……流石に現場は荒らしてないですって」
御子神さんが不満の声を上げる。
しかしながら、彼なら全然やり兼ねないだろうな、という内容に俺は苦笑いをした。
「そんな奴が、今回は大人しくしてるから珍しいなって話」
「……そういう話、本人目の前にしながら言うことじゃないですよね?」
紅茶を啜りながら、御子神さんは怪訝そうな表情を浮かべる。
「でもまあ、そろそろどうにかしますよ――」
***
「――とは言ったものの、回されてくる情報だけじゃなんともなぁ」
御子神さんは定食が乗ったトレイを少し乱暴にテーブルに置いた。
部屋に居ても煮詰まるばかりということで、昼休みに入ると同時に御子神さんを連れて食堂に来たが、相変わらず、不機嫌モードのままのようだ。
「違法風俗店に繋がる手掛かりはなし、ですからね」
「あんな方法で集客してる時点で、足が付かないように立ち回ってたんだろ。仲介人を逃したのは痛いな」
三人目の被害者である男の口元には、大きな傷の痕があった。後日、『Drip』のバーテンダーにも確認を行ったが、やはり遺体は例の仲介人とのことで、捜査は振り出しに戻ってしまったのだ。
「仲介人の件、一課の方に流したら、動いてくれますかね?」
「話すなら一課じゃなくて、真田さん達かな。あの人の方が、話が通じる」
御子神さんは皿の上の焼き鮭を突きながら、唇を尖らせる。
「ただ、怪異が関わっている以上、俺たちが何もしないわけにもいかないんだよね。対処の仕方を間違えると、被害が大きくなる場合もあるからさ」
「……確かにそうですね」
と返したところで、横から低い声が飛んできた。
「お前ら、ちょっといいか」
声の方へ顔を向けると、刑事課の真田さんが、トレイを片手にこちらに向かってくるところだった。
目元には深い隈、髪は乱れており、今にも倒れそうな様子でぎょっとした。
「噂をすればなんとやらだな」
御子神さんが呟くと、真田さんは片眉を上げつつ俺の隣に腰を下ろした。
「こんなところで人の噂話してたのか」
「いえ、例のミイラ化事件について、話していまして……」
「……ああ」
俺の答えに、疲労困憊というような表情を浮かべながら、真田さんが溜息を吐く。
「その様子だと、一課とかなり揉めてるみたいっすね」
「揉めるなんてもんじゃねえよ。昨日なんか深夜までやり合ってたわ。あちらは成果を上げたいらしいが、こっちはこっちで捜査は息詰まってる。二進も三進もいかずに、胃に穴が開きそうだ」
「相変わらずですねえ」
御子神さんが少しだけ笑う。
「笑い事じゃねえっての……」
真田さんは味噌汁を一口飲み、そして静かに俺たちを見る。
「お前たちの見解は?」
「見解ですか?」
「どうせ何か掴んでるんだろ」
その言葉には、どこか確信めいた色が滲んでいた。
「そうですね。まあ、十中八九、俺たちの領分の案件ですよ。でも、今回は一課さんが解決しようと頑張っているようなのでね」
「……はあー、やっぱり――そうだよな」
ガシガシと乱暴に頭を掻きながら、真田さんは天井を仰ぐ。
「鑑識からも特案に回して欲しいと言われている。こんなの手に負えないってな」
「でしょうね」
被害者の死因は群蜘蛛によるものだ。それを科学的な視点から炙り出すのは不可能。
真田さんは、ゆっくりとした動作で俺たちに向き直る。
「……なあ、もう正直に言うわ。これ以上、こっちで抱えてても時間の無駄だ。被害者が増える可能性もある。流石の俺だって、これは普通の事件じゃねえってことだけは分かる。だから――」
少し、言葉を探すように唇が動く。
そして、あきらめにも似た覚悟を滲ませながら呟いた。
「――お前らに、この件を任せたい」
御子神さんが、わざとらしく首を傾げる。
「俺たちに?」
「ああ。お前たちに、だ。一課は体裁があるから意地でも手放したがらねえ。刑事課の連中はもう半分諦めてる」
「それって、刑事課としての依頼ですか?」
「……いや、」
真田さんは言葉を濁しかけたが、直ぐに言葉を続けた。
「――俺個人としての頼みだ」
「珍しいっすね」
「大体、普段ならお前が裏で終わらせるだろ。それなのに、今回は何もしてこねえ。そっちの方が珍しいわ」
「……俺は、組織のルールとやらに従っているだけですよ」
御子神さんが澄ました顔で言うと、真田さんは一瞬きょとんとした表情を浮かべた後、盛大に笑い始めた。
周囲の職員から視線が一気に集まる。
「アッハッハッハ! お前が、組織のルールに従う? マジかよ」
「…………」
「ぐふふ……いや、悪い。そんなに睨むなって。はあー……マジで笑ったわ……」
一頻り笑い終えると、笑い涙を拭いながら真田さんは一息ついた。
勅使河原さんも言っていたが、真田さんのこの反応を見るに御子神さんは相当な異端児らしい。一体今までどんなことをしでかしてきたのだろう。気になる。
「お前さ、後輩の前だから真面目ぶってんだろ」
「俺はいつでも真面目ですけど?」
「いやいや、冗談キツイわ。後輩ができると人って変わるもんだなあ」
「馬鹿にしてますよね、それ」
「してない、してない。まあ、でも、そういうことなら――」
そう言いながら、真田さんは俺の方へ視線を寄越す。
「新人にこんなことを頼むのは、正直気は進まない。が、事件を解決するためには特案に動いてもらう必要があると、俺は考えている。一課の奴らは勿論反発するだろうが、協力を依頼したい」
真田さんの目は、冗談を一切含まないものだった。
疲れ切ってはいるが、現場を見続けてきた刑事特有の覚悟が滲んでいる。
けれど、そんなことを俺が決めていいものなのか……。勝手に首を突っ込めと言われているようなものである。無論、俺としては事件を解決したいという気持ちはあるが――。
助けを求めるように御子神さんを見ると、彼は盛大に溜息を吐いた。
「動くのはいいですけど、責任はどうするんです?」
「そんなもんは上が取るだろ」
「……あんたも大概ですよね」
御子神さんは苦笑いする。
「――っていうか、栗花落君を通して頼むの、やめてくださいよ」
「使える手は使うさ」
「真田さんらしいっすねえ」
ぶつぶつ言いつつも、御子神さんの声にほんの僅か和らいだ色が混じっているのが分かった。
そして、ゆるりと俺の方へ顔を向ける。
「栗花落君、やる気はある? もしかしたら、一課にどやされたりもするかもしれないんだけど」
「もちろんありますよ。できることがあるなら、やりたいです。どやされるのは嫌ですけど……」
「正直でよろしい」
若干の不安はあったが、それ以上に――このままこの事件を放置はできないと思った。
「すまん。本当に助かる」
「この貸しはどっかで返してもらうんでね。――じゃあ、昼から本格的に動きましょうか、栗花落君」
食堂に来るまでの機嫌が悪かった御子神さんはどこへやら。
先ほどまで机に突っ伏していた人間とは思えないほど、御子神さんはすっかり仕事モードの顔に戻っていた。
「――でも、何から始めます? 今のところ、目ぼしい情報はないですよね」
違法風俗店を探すにしても、蓮原にはそう言った店は山ほどあるのだ。いずれ辿り着くにしても、時間がかかりすぎる。
「三人目の被害者の男と一緒にいた若い女。彼女について、もう少し調べたいかな」
「第一発見者の女のことか? 現場近くの監視カメラ映像を確認した一課が、早々に捜査対象からは外してたぞ」
「別に彼女が犯人とは考えてないですよ。あの錯乱振りからも想像つきますし」
御子神さんはほぐした鮭の身を頬張る。
「ちなみに、どうして二人が事件当時一緒にいたのか、聴取の時に聞いてますよね?」
「男から声を掛けられたと言っていたな。所謂、ナンパってやつか」
特案に回ってきた資料の中にも、同様の内容が記載されていた。
「その手の話、あの辺ではよくある話ではあるんですけど、ナンパされたにしてはちょっと気になることがありまして。なので、まず彼女から話を聞こうかなと」
「気になることってなんだよ」
真田さんが食い気味に尋ねる。
「俺たちと出会った時の彼女、被害者のこと”苗字”で呼んでたんですよね」
「――苗字?」
俺は当時の記憶を辿りながら、思わず声を上げた。
言われてみれば、彼女は被害者の名前を呼んでいた。――”塚野さん”と。
「ナンパって言っても名乗るくらいするだろ」
「まあ、そうなんですけどね。大抵は下の名前を名乗るんですって」
「……それはお前の経験則か?」
一瞬の沈黙。
御子神さんは顔を引き攣らせながらも、言葉を続ける。
「……何でもいいですけど、そういうパターンが多いんですよ」
「なるほどな」
「そんなわけで、飯食ったらその女の所に行こうかと。栗花落君、あとで彼女の資料集めといてね」
「は、はい」
内容は何にせよ、そんな小さなところまで観察していたのか、と少し感心してしまった。
事件捜査に関しては、きっと多分優秀な人なのだろう。――まだ、その本当の底は分からないけれど。
そんなことを思いながら、俺は手早く目の前の食事を掻き込んだ。




