第七話 酒の席の噂話
日が落ちきった蓮原の街は、昼間とは別の喧噪に包まれていた。
普段見慣れた街並みの筈なのに、夜の色に染まるだけで印象ががらりと変わる。
<この前よりも人間が多いではないか>
「この時間は仕事帰りのサラリーマンが雪崩れ込むから、ごった返すんですよ」
<……ふむ>
人混みに入ると、玄は肩の上で縮こまりながら辺りを見渡している。
俺も学生時代に友人たちと飲みに来ることもあったが、正直この繁華街の雰囲気は好きになれなかった。
「人が集まる所には、それだけ情報も集まる。こういう場所の方が、捜査はし易い」
御子神さんはそう言いながら、慣れた足取りで雑踏を抜けていく。その足が、何故か事件現場とは少し離れた方向へ向かっていることに気が付き、俺は御子神さんの背中に声を掛けた。
「御子神さん、事件現場はあっちですよ」
「現場には行かないよ」
「……例の店に行くんですか?」
「そう。昔からお世話になっている店」
御子神さんは軽く笑いながら、颯爽と人混みの隙間を進む。
俺は慌てて後を追いながら、ちらりと事件現場の方へと視線を動かす。
大通りから外れた裏路地への入り口――そこには、黄色いテープが張られ、喧噪の中で妙に静かに浮いて見える。
「栗花落君。ほら、こっち」
不意に御子神さんに呼ばれて、視線を戻す。
彼が指差したのは、裏通りにある建物だった。地下へと伸びる細い急な階段からは、柔らかな灯りとジャズの音が漏れていた。階段の横には、木製の小さな看板『The Lull』の文字。
「……あの、ここって……」
「俺の行きつけ。北口の噂なら、大体このマスターに聞くのが早い」
「行きつけ……ですか」
<女絡みの匂いがするぞ>
「ただのバーだよ」
嫌そうな顔をする玄を一瞥した後、御子神さんは軽やかな足取りで階段を下っていく。
階段を降り切った先に現れたのは黒塗りの木製扉。鈍く光る真鍮の取っ手と、曇りガラス越しに漏れる柔らかな灯りが、夜の空気の中でぼんやりと滲んでいる。
御子神さんは躊躇うことなく、店の扉に手を掛けた。
軋むような音を立てて扉が開くと、外の喧噪が消え去り、代わりに低く流れるジャズが空気を満たす。
店の中はしっとりと落ち着いた雰囲気だった。
壁も天井も深い色の無垢材で覆われ、灯りは必要最低限に抑えられている。カウンターには磨き上げられたグラスと琥珀色のボトルが並び、奥のテーブル席には革張りの椅子が静かに影を落としていた。
そんな中、身なりのいい客が二名、テーブル席に腰を下ろしてそれぞれ酒を嗜んでいる。
「――こんばんは、マスター」
御子神さんが口を開くと、カウンターの奥に立つ男が、布でグラスを磨いていた手を止めた。
五十代ほどの穏やかな顔立ち。白髪が混じる髪をオールバックに撫でつけ、黒のベストを着こなしている。
「おや、御子神君じゃないか。珍しい時間に来たね」
「仕事で来たんですよ」
「それこそ珍しい」
マスターが口元に笑みを浮かべたあと、ちらりと俺に視線を向けた。
「……それに、君が男連れとは」
「やめてくださいよ。言ったでしょ、仕事だって。こいつは俺の後輩」
「となると、彼が”噂の新入りくん”?」
「そうそう。栗花落君ね」
俺が軽く会釈をすると、マスターはにこやかに笑った。
「御子神君の下で働くのは色々大変だと思うけど、頑張ってね」
「……は、はい」
「それ、どういう意味ですか、マスター」
御子神さんは苦笑いをしながらカウンター席に腰を下ろした。俺も促されるまま横の席に腰を下ろす。
こういった店には慣れていないため、何だか落ち着かない。
「――それで、今日はどんな用件かな? 仕事ということだから、何となく見当はつくけど」
「お察しの通り。昨日あった事件について、何か情報が転がってないかなぁと思いまして」
マスターは片眉を上げると、磨いていたグラスを棚に戻した。
「事件のことは詳しく知らないが……最近、この界隈で変な噂が流れているって話ならあるかな」
「変な噂?」
「少し前――七月頃だったかな。北口に”会員制の店”が出来たって話がちらほらあってね。招待された人しか入れないとかなんとか。最初は、高級志向の店なんだろうと思っていたんだが……」
そこで、マスターは少し言葉を濁す。
「……暫くして、妙な噂が出始めたんだ」
「妙な噂?」
「あの店に関わった奴は、みんな殺されるってさ。何でも、元従業員とか言う奴がそんなことを吹聴していたらしくってね。まあ、酒の席での与太話かもしれないがね」
「その元従業員の情報ってあります?」
「うーん、流石にそこまでは分からないな」
御子神さんがちらりと俺に視線を寄越す。
その元従業員とやらが、ミイラ化事件について何か知っているかもしれない。
「それは残念ですね」
「まあ、そもそも信憑性が薄いけどね。本当に噂を流した奴が従業員だったのかも分からないしさ。同業者の潰し合いの一環ということもあるし。ただ――」
マスターはふと、奥のテーブル席に目をやった。
そこでは、五十代ほどの男性客が一人、グラスを片手にぼんやりと氷を回している。
「そう言えば、トクちゃんもあの噂、聞いてるんじゃなかったか?」
「ん?」と顔を上げたその男は、ほろ酔いの頬を緩ませて立ち上がると、ゆらりとした足取りでカウンターへと近付いてきた。
「なんだ、御子神じゃねえか。例の会員制の店の話だろ?」
「どうも、トクさん」
どうやら彼と御子神さんは顔見知りらしい。この店の常連同士なのだろう。
「トクちゃん、例の会員制の店の噂、知ってるでしょ? 御子神君が話聞きたいって」
「ははっ、お前みたいな顔のいい奴には無縁の店だぜ?」
「ってことは、風俗系か」
「お前、少しは謙遜したりしろよ。まあ、謙遜したらしたでムカつくけど」
トクさんは一頻り笑うとカウンターに肘をつき、声を落とした。
「俺も知り合いから聞いただけの話だけどよ。繁華街の外れに『Drip』っていう、汚ねえバーがあるらしい。そこにな、土曜日になると例の店の関係者が来るんだと」
「Drip……?」
「そう。そいつに声をかけりゃ、店を紹介してもらえるって話だ。もっとも、会員制だからな。選ばれた奴しか入れねえらしい。嘘かホントかは分かんねえけどな」
「へえ……」
御子神さんは顎に手を当て、にやりと笑う。
「貴重な情報、ありがとうございます。今度、一杯奢りますよ」
「お~、そりゃ楽しみだ。ま、こういう話はあんまり首突っ込まねえ方がいいぞ?」
「首突っ込むのが仕事みたいなものなんで」
「そりゃそうか!」
ゲラゲラと笑いながら、トクさんはご機嫌な様子で席に戻っていく。
その背中を見送り、マスターがふっと笑みを零した。
「何か仕事の役に立ちそうかな?」
「まあ、行ってみないとなんともですね。土曜日に覗いてみますよ」
「面倒事にならないといいけどさ。栗花落君も気を付けてね。御子神君、無鉄砲なところあるから」
「マスター」
「ごめんごめん」
マスターの軽口に、御子神さんは苦笑いする。
「――それじゃ、俺たちはそろそろ」
「はいよ。今度はお客さんとして来てくれると嬉しいな。栗花落君も一緒にね」
「そのうち、暇を見て連れて来ますよ」
「情報ありがとうございました」
御子神さんが軽く手を挙げ立ち上がるのを見て、俺もマスターに会釈して席を立った。
外に出ると、夜の湿った空気が肌を撫でた。
店の階段を上がり切ると、街の喧騒がまた耳を包み込む。車のクラクション、誰かの笑い声、そして無数のネオンが濁った光を滲ませていた。
「Drip、ね」
「一応、本当にある店っぽいですよ。サイトもあるみたいですし」
俺はスマートフォンの検索結果を御子神さんに見せる。
話の通り、繁華街の外れにあるバーのようで、写真からの判断は難しいが、外観は少々寂れた雰囲気を漂わせていた。
「店の外だけ確認して、あとは土曜日に回すかね。丁度、俺らのシフトだと土曜日は当直だし」
<おい、新入り。その”どりっぷ”とやらは何の店なのだ?>
「お酒を提供しているお店ですよ」
<ほう! 酒か! 酒など久しく飲んでおらぬからな……>
店内では大人しくしていたと思ったらこれである。
玄は酒だ酒だ、と舌なめずりをした。
「飲みませんからね、酒。仕事中ですし」
<少しくらいなら良かろう?>
「栗花落君、そいつのことは無視でいいからね」
<無視とは何だ! 無視とは!>
御子神さんは玄の言葉を聞き流しながら歩き出す。
「じゃ、栗花落君、店までの道案内よろしく」
「了解です」
<おい、無視するでない!>
騒ぐ玄は無視して、スマートフォン上の地図を頼りに、俺は繁華街の中を進む。
『The Lull』とはちょうど裏手にある――飲み屋が連なる通りを抜けて、細い路地に入る。
暫く歩いて四つ目の角を曲がると、小さな立て看板が一つ――白いペンキで『Drip』と書かれた文字が浮かび上がっていた。
<酒を出す店にしてはくたびれておるな>
「こんな店あったんだなあ」
古びた木製の扉。塗装は剥げ、取っ手の金具もくすんでいる。
扉の脇に張られたメニュー表らしき紙は、ところどころ雨に濡れて文字が滲んでいた。
『The Lull』を訪れた後だからというのもあるかもしれないが、それにしても店構えは雲泥の差があるように思えた。
御子神さんは腕時計をちらりと見て、直ぐに踵を返す。
「よし、今日はここまで。あんまり深入りしすぎると、仮眠の時間が取れなさそうだし」
「そうですね」
夜風が吹き抜け、繁華街のざわめきが遠くで揺れる。
そのざわめきの奥に、目に視えぬ何かが潜んでいるかと思うと、底知れぬ気味悪さがあった。
ここまでお読み頂きありがとうございます。
近況報告でもお話しましたが、何事も経験ということで、OVL大賞11に応募いたしました。
よろしければ、応援頂けますと嬉しいです!




