第六話 申酉戌
被害者の身元と検視結果が出揃ったのは、遺体が発見された翌日の夕方頃だった。
刑事課から流れてきた資料を読み込んでも、目ぼしい情報は殆どない。隣で同じ資料を読んでいる御子神さんも険しい表情を浮かべていた。
「――二人とも昼間っから辛気臭い顔してるわね。空気が悪いわ」
ふと、向かいの席の村上さんが、盛大に溜息を吐きながら声を掛けてきた。
今朝、甘崎さんから紹介されたのだが、彼女は御子神さんの先輩にあたる人物で、特案唯一の女性刑事だ。
黒髪は後ろでざっくりとまとめられており、凛とした見た目故に、彼女に対する第一印象は”気が強そう”だった。
「村上さんと違って忙しいのでね、俺ら」
御子神さんは資料から顔を上げることなく、さらりと言う。
「……本当にいつも一言多い。栗花落君、こんな奴の下について大丈夫? いじめられてない?」
「……ええっと、大丈夫です」
「そう? 何かあったら私にちゃんと言うのよ? 左遷させるから」
物騒なことを口走りながら、村上さんは御子神さんに眼光を飛ばす。
「村上さんにそんな権限ないでしょ」
「権限はなくても、伝手はあるから」
「……おー、怖い怖い。伝手頼りの村上さん、怖いなー」
「はぁ!?」
書類の束が宙を舞いそうな勢いで、村上さんが机を叩いた。
口論が始まりそうな予感がして、俺は静かに椅子を引いて御子神さんから距離を取る。
案の定、直ぐに村上さんと御子神さんの激しい言葉のドッジボールが始まった。
「――ごめんねぇ、栗花落君。村上さんと御子神、顔を合わせるといつもこうで……」
苦笑いをしながら二人の様子を見守っていると、村上さんの隣に座る世良さんが申し訳なさそうに眉を下げていた。彼は村上班の巡査部長で、少しおっとりした口調の人物である。話によると、御子神さんとは同期らしい。
「……甘崎さんとか勅使河原さんが居れば多少はまともなんだけど、午後は二人ともいないからさぁ……」
<猿みたいな連中だからな。治まるまで待つしかなかろう>
俺の机の上で蜷局を巻いて眠りこけていた玄が、薄目を開けながらぼやいた。
「誰が猿ですって?」
村上さんの視線が机の上の玄に向けられる。
玄はびくりと体を揺らし、目にも止まらぬ速さで俺の膝の上に退避した。何をやっているのだか。
「村上さん、そろそろ仕事しましょうよぉ」
「……元はと言えば、こいつがッ……」
「そうですね。御子神が全部悪いですね。でも、今は仕事しないと甘崎さんに怒られちゃいますからぁ」
世良さんの穏やかな声色で、村上さんの怒りが鎮められていく。
隣で御子神さんが、「俺は悪くないけど」と小さく呟いていたが、どう考えても吹っ掛けたあんたが悪い――と、内心突っ込みを入れつつ、俺は溜息を吐いた。
「……ほんっと、可愛げがない男」
「村上さん、どうどう……」
村上さんはまだ少し頬が引き攣っていたが、世良さんの宥め方が上手いのか、何とか怒りの炎は鎮火したようだ。
「――で、貴方たち、何の資料を見てんのよ」
「えっと、先日、蓮原駅の方で見つかったミイラ化遺体の資料です」
御子神さんが口を開く前に、すかさず答える。この人に喋らせたら、いつまた村上さんの地雷を踏み抜くか分かったもんじゃない。
「あー……八月にも似たような遺体が上がってたやつね」
「さっき被害者の身元情報と、検視結果が出たそうで――」
俺は資料を村上さんに渡す。
村上さんは視線を走らせながら、資料の内容を読み上げる。
「――被害者は四十六歳の男性。遺体の皮膚表面に、微細な穿孔多数。穿孔の形状は節足動物の顎器類似。全身の水分含有率、異常に低下。腐敗反応なし……」
「……虫に噛まれた感じですかねぇ? 僕、虫苦手なんですよぉ……嫌だなぁ」
世良さんが至極嫌そうな表情を浮かべた。
「遺体の状況からして、群蜘蛛によって体液を吸われたんじゃないか、というのが俺たちの見解です」
「群蜘蛛? ミイラ化するまで体液を吸う奴なんて、聞いたことないわよ」
村上さんは眉間に皺を寄せながら、資料をぺらぺらと捲る。
「他の可能性は?」
「栗花落君と玄が、現場で群蜘蛛を目撃している。検視結果からも、群蜘蛛が原因である可能性が高いと思いますよ。ただ、その群蜘蛛がどうして人を干からびさせるまで体液を吸ったかは、調べる必要があるかな」
御子神さんは手元の資料を指で叩いた。
「怪異が本能以上の行動を取る場合、大抵何かしらの要因があるからさ」
「――それにしても、群蜘蛛の出現域ってもっと西の地域じゃなかった?」
「それが蓮原で視かけるようになったっていうのは、かなり気になりますよねぇ」
世良さんがうーん、と小さく唸る。
古常泉市は、凪浜県の最も西に位置する市である。蓮原とは最も離れている市で、緑豊かな温泉街があり、観光地として有名な場所だ。
「何にせよ、被害者の身辺を洗って地道に調べていくしかない――ってことで、俺たちはこれから現場付近の確認に行くんで」
「え、今からですか?」
御子神さんの発言に、俺は声を上げた。
時刻は十八時を回ったところだ。これから街に繰り出して、何か情報が得られるのだろうか。
「繁華街なんだから、賑わっている時間帯に行かなきゃ意味ないでしょ」
「……なるほど?」
言われてみれば、と納得してしまった。
「ま、あの辺は顔見知りも多いし、何かしらの情報は出てくるよ」
そう言うと、御子神さんは椅子から立ち上がって外出の準備を始める。
「栗花落君、あんまり深入りしないようにね。夜の繁華街なんて、何があるか分かったもんじゃないんだから」
「肝に銘じます」
「それと、御子神。余計な店に顔出したりしないこと」
「”余計な店”の定義によりますね」
「……あんたそれ分かってて言ってるでしょ」
「さあ?」
村上さんが御子神さんを睨みつける。
<小僧、こいつらのやり取りに一々振り回されていたら気が滅入る。無視するのが得策だ>
膝から肩の上に飛び乗った玄は、呆れたような声色で言う。
それもそうだと、俺は再び二人の言い争いが始まる前に、御子神さんの背中を押して部屋を出た。
「やる気満々だね、栗花落君」
先程までの出来事がなかったかのようにけろりとした顔をしている御子神さんに、俺は溜息を吐きかけて飲み込む。
「初捜査なので、それなりにやる気はあります」
「頼もしいね」
「どうも。それで、現場付近ってどこに行くつもりなんですか?」
「宮本が最後に行ったらしい”行きつけのバー”を当たろうかなってさ。場所はまだ特定されてないけど、心当たりがある」
御子神さんはにやりと口角を上げた。
廿楽重工に勤務する宮本亘は、非常に勤勉な男で、職場の人間からの評価も悪くない人物だそうだ。
一昨日、彼は仕事終わりに同僚らと北口の飲み屋に来店後、二十二時頃には解散した。彼は別れ際、同僚らに行きつけのバーに行くと話していた――と、刑事課の資料に記載があった。
閉店時間前にはその店を出たそうだが、宮本は自宅に戻ることはなく、あの路地で遺体として発見されたらしい。
「心当たりですか……?」
「まあ、昔からお世話になってる店があってね」
玄が肩の上で小さく尾を振る。
<……また女絡みの厄介事を持ち込む気ではないだろうな>
「……女絡み?」
「人聞きが悪いなぁ。そこら辺はちゃんとしてるって言ってんだろ」
<――新入り、気を付けろ。こやつは女にだらしない軽薄な男だ。村上も言っていたが、巻き込まれそうになったら逃げることだ>
「どういうことですか……」
「別にただの聞き込みだって言ってんだろ。余計なことを言うな、駄龍」
<口を開けば駄龍、駄龍と……>
ギリギリと玄が歯軋りを始める。
村上さんの次は、玄と言い争いを始めるつもりなのかと、軽く頭痛がした。
次話はまた週末に。
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