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異相の理  作者: 赤鰯 はこぼれ
第二章 その渇きは癒えることなく
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第四話 龍と事件

この部屋に最初に足を踏み入れた時、確かに龍の置物は、ホワイトボード横の棚に置いてあった筈だ。

ちらりと棚を見やると、確かに置物はそこにあった。

では、俺を凝視しながら声を発している置物そっくりのこの龍はなんなのか。置物の化身なのだろうか、などと馬鹿げた考えが脳裏に過る。


――うん、全くもって意味が分からないな。


動けずにいる俺を前に、龍が首を傾げた。

その仕草は妙に滑らかで、置物とは思えない。


次の瞬間、ふわりと軽やかに龍が書類の山から飛び降りた。

龍は俺の机の上に着地すると、ちょこんと書類の上に座り、長い尾をゆらゆらと揺らしながらこちらを見上げてくる。


<おい、新入り>


間近で聞こえたその声に、俺はびくりと肩を揺らした。

本来発せられる筈のない場所から聞こえてくる。驚くなというのは無理だ。


<――それにしても、何とも貧弱そうな男だなぁ。下僕としてはぎりぎり及第点だぞ>


龍は首を動かしながら、品定めをするようにじろじろと俺を眺めまわす。

こいつは一体何なのか――思考したところで分かる筈もなく、俺は直ぐに考えることを諦めた。

この部屋に居ると言うことは、恐らく悪いものではないのだろう。


<下僕として手始めに、甘味を儂に捧げよ。今すぐに>

「……は?」


思わず間の抜けた声が出た。


<何だ、新入りのくせに口答えか?>


咄嗟に出た声だったが、どうやら龍の気に障ってしまったようだ。

龍は目を細めながら尾の先で机をとん、と叩く。


<儂に楯突くとは、どうなるか分かっておるのか? お主のような軟弱者など、儂のこの手で――>


小さく唸り声を上げながら、龍が俺に威嚇し始めた瞬間、部屋の扉が音を立てて開いた。

俺と龍は同時にそちらに視線を向ける。


扉の前には御子神さん。

彼は俺と龍を交互に見ると、怪訝そうに眉を顰めた。


「――おい、お前……」


低い声色は机の上の龍に向けられる。


<……お、お主、戻ってくるのが早いではないか……>


先程の威勢は何処へやら――龍は身を低くして耳はぺたんと寝かせる。

御子神さんは黙って自分のデスクの前まで来ると、逃げようと飛び上がった龍の首根っこをひょいと掴んで持ち上げた。


<何をする! 無礼者ーッ!>

「随分と大人しくしているなと思ったら、人の目を盗んで新人いびりでもしてたのか?」

<人聞きが悪いぞ。我がそのようなことをするわけがなかろう!>


短い手足をばたつかせながら抵抗する龍の姿は、威厳の威の字も感じられない。


「――栗花落君、悪いね。こいつに何かされなかった?」

「……い、いえ。下僕がどうのと言われたくらいで……」

「下僕、ねぇ……」


御子神さんは呆れたように溜息を吐き、龍の首根っこを掴んだまま机の上にぽんと戻した。

龍は不満げに尾でデスクを叩き、顔を逸らす。


「静かにしてたから、てっきり眠りこけてるもんだと思ってたけど」

<縄張りで儂が何をしようと勝手であろう>

「はいはい。縄張り縄張りって、お前が言ってるだけだから」


御子神さんが軽い調子で言うと、龍は悔しそうに喉の奥で低く唸った。


<ここは儂の縄張りだ!>

「お前は居候でしょ。ほら、用がないなら寝床に戻れよ」

<……小癪な>

「ほらぁ、早くしないと甘崎さんに言い付けるよ」

<……ちっ>


龍は御子神さんを睨むも渋々と机の上から飛び降り、朝見た時と同じホワイトボード横の棚の上で丸くなった。あそこが彼の寝床らしい。

御子神さんは俺の方へ向き直り、にっこり笑った。


「驚かせて悪かったね。あいつ、うちのマスコットの(げん)ね」

「……ま、マスコット?」

「そうそう。栗花落君は付喪神って知ってる?」

「……え、ええ、まあ……」


――付喪神。

言葉は知っているが、それが何であるかは詳しくは知らない。


「長い歳月を経た道具に宿る神様って言われている奴ね。あいつはそういう類のもの、かな。ここで言う怪異の一種だね」

「……怪異、ですか」

「蓮原署が出来た時からずっと居るらしい。本体はあの置物で、時々ふらっとああして付喪神として、外に出てくる。俺も詳しくは知らないけど、危害を加えてくるようなものじゃないし、別に気にしなくていいからね」

「……はあ」


御子神さんはさらりと言うが、気にしないというのは無理がある。

実際に今も御子神さんの発言に、龍――玄は異議ありげにこちらを見ているのだから。


「――それで、仕事の方は進んでる?」


そんな俺の心境などお構いなしに話が切り替わる。

ここでは――大抵のことは気にしたら負けなのかもしれない。


「……ええっと、はい。一冊目のファイルは一通り終わりました」

「優秀、優秀。中身、見せてもらえるかな?」


玄の視線を感じつつ、俺は分類済みのファイルを御子神さんに手渡す。

彼は中をざっと確認しながら、何かを思い出したようにふと顔を上げた。


「そういえば、さっき刑事課の前がちょっと騒がしかったんだよね」

「……何か事件でもあったんですかね?」

「多分。聞いた話だと、蓮原駅の方で何かあったみたい。北口の方で~、とか騒いでたな。あそこは飲み屋街だから、よく通報があるんだよね。結構な騒ぎだったから、遺体でも上がったのかな」


――北口。その一言で、先程読んでいた資料の内容が思い起こされる。

机の上に開いたままのファイル。そこに記載された事件内容。


「……八月にも北口で遺体が上がってたらしいですよ」

「え、そうなの?」

「この資料に……」


該当箇所を指で示す。

御子神さんは身を乗り出してファイルを覗き込み、内容を目で追った。

ふわりと御子神さんの香水の香りが鼻を掠める。


「えーと、蓮原駅北口の変死事件……ああ、確かにそんなことあったね」


御子神さんはページをぱらぱらと捲りながら、軽く口笛を吹いた。


「遺体は……ミイラ化した状態で発見、と。こんな夏場に」

「……そうみたいです」

「これはとっても気になるね」


そう言って彼は軽く伸びをしてから、腕時計を確認する。それから少し考えるような顔をして、俺の方へ視線を戻した。


「じゃあ、折角だし刑事課のところに確認しに行こうか」

「えっ、刑事課ですか?」

「この事件の進捗と、ついでに騒ぎの原因について聞きたいからさ」


俺が返事をするよりも早く、御子神さんは部屋の扉に歩いて行く。


「ほら、栗花落君、早く~」

「……は、はい!」


俺は急いで立ち上がり、彼の後を追う。


同じ階にある刑事課のフロアは、御子神さんの言う通りガヤガヤと騒がしかった。

電話がひっきりなしに鳴り、ホワイトボードの前では数人の刑事が地図を広げて打ち合わせをしている。

通路を行き交う刑事たちの顔には疲労の色が浮かび、空気がどこか張り詰めていた。


御子神さんはその間を器用に縫うように進み、奥の方のデスクに座る男に声を掛ける。


「真田さん、ちょっといいですか」

「……御子神」


彼――真田さんは御子神さんの顔を見るなり、物凄く嫌そうな表情を浮かべた。


「そんな顔しなくてもいいじゃないですかぁ」

「お前が来る時は大抵厄介なことが起きるんだよ」

「まあまあ、そう言わずに」


御子神さんはにこにこと笑う。

その様子に呆れたように溜息を吐くと、真田さんは俺の方に視線を向ける。


「見ない顔だな」

「今日付けで特案に配属された新人くんですよ」

「栗花落です。以前は穂坂署に所属してました」

「へえ、穂坂から――刑事課の真田だ。特案に異動とは……ご愁傷様で」


憐れむような視線を送られて、俺は苦笑いする。


「――で、真田さん。お伺いしたいことがありまして、今いいっすかね」

「……手短に頼む。こっちも今、現場対応中なんだ」

「忙しいっていうのは、蓮原駅の件で?」

「何で知ってんだよ……って、特案は地獄耳だったな――北口の飲み屋街で遺体が発見された。これで、二件目だ」


真田さんは前髪を掻き上げる。その顔には、焦燥感が滲み出ていた。


「これで一課の連中も出張ってくる。上はもうカンカンで胃が痛ぇ」

「もしや、例のミイラ化事件ですかね?」

「ああ。どうやって殺されたのか、犯行動機は何なのか――全く分からん事件だよ」


騒ぎの原因は北口で発見された遺体――しかも、八月中旬に起きたミイラ化事件と同様のものだった。

俺と御子神さんは顔を見合わせる。

その時、刑事課の奥にある会議室のドアが開いた。


出てきたのは甘崎さんと、その後ろにスーツ姿の男が数名。

甘崎さんはこちらに気が付くと、少し驚いたように眉を上げる。


「おや、君たちも来ていたのか」

「ちょっと騒がしかったので様子を見に」

「なるほど。それなら話は早いな」


そう言うと、甘崎さんは手にしていた資料の束を軽く叩きながら俺たちの方へ歩み寄った。


「今の会議で、特案にも現場確認を頼みたいという話になった。――蓮原駅北口の変死事件だ」

「ミイラ化事件ですか」

「その通り。手詰まりになりかけているらしい」


その言葉に、真田さんはバツが悪そうに肩を竦めた。

それとは対照的に、御子神さんの口元が僅かに緩む。


「現場確認、行っていいってことですね?」

「ああ。ただし、捜査権はあくまで刑事課にある。そこは留意するように」

「へいへい」

「栗花落君も同行してくれ。異動初日の上に初現場になる。無理はするなよ」

「了解です」


穂坂勤務の頃も少ないとはいえ、何度か現場には訪れたことはある。しかし、それはあくまでも現場保全という立場で、自らが捜査を行う立場ではなかった。

そう思うと、急に緊張感が足元からふつふつと湧き上がってくる。


御子神さんはにやりと笑いながら、俺の方を向いた。


「――というわけで、栗花落君の初任務、行ってみようか」

「……任務って言われると、変に緊張するんですけど」

「大丈夫、大丈夫。俺がちゃんとフォローするし、安心してよ」


ぽんぽんと肩を叩かれるが、まだ気が重い。


「じゃ、現場行ってきます」

「ああ。くれぐれも無茶はするなよ」


甘崎さんの言葉に背を押され、俺たちは刑事課を後にした。

廊下を進む途中、ガラス越しに外を見やると、晩夏の陽射しは既に傾き始めていた。


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