第三話 書類の山と、
署内の案内が一通り終わった頃、気が付けば時刻は昼休みに差し掛かっていた。
「いい時間だし、このまま昼休みに入っちゃおうか。食堂の使い方も説明しなきゃだし」
そう言う御子神さんに連れられて、蓮原署の食堂に足を向ける。
穂坂署と違い、ここの食堂は遥かに広い。所属している人数が多いと言うのもあるが、それでもかなりの広さがある。
「ここ、意外と飯うまいんだよ」
御子神さんは食券売機の前で、メニューを眺めながら言った。
「食券を買ってカウンターに出すだけだから、説明っていう説明はないんだけどさ。あ、一番人気は日替わり定食。次が唐揚げ定食だったかな。カレーはちょっと甘め」
「……メニュー、多いですね」
「県内でも食堂にはこだわりがあるらしいよ、無駄に」
そう言って、鯖の味噌煮定食のボタンを迷いなく押す。
俺は無難に日替わり定食を選んだ。
トレイを受け取って列に並ぶと、数人の職員がちらりとこちらを見た。
皆、俺と御子神さんの顔を交互に見た後、すっと視線を逸らす。
「……何か、見られてますけど……」
「気にしない気にしない」
御子神さんは澄ました顔で言う。
「うちは”何してるのか分からない部署”だから。噂のネタにされてるわけよ」
「噂、ですか?」
「幽霊を捕まえるとか、除霊してるとか、祈祷してるとか……」
「なんですかそれ……」
「なんだろうねぇ。俺らにそんな霊感商法みたいなこと、できるわけないのにね。そんな部署に新人が配属になったなんて言うんだから、皆気になってるんじゃないかな」
そう笑いながら、御子神さんは定食をカウンターから受け取り、足早に空いている席に腰を下ろした。
俺も向かい合うようにして、席に着く。
今日の日替わり定食は、チキン南蛮だった。甘酸っぱい匂いが、緊張で失いかけていた食欲を刺激する。
「まあ、実際のところ視えない連中からしたら、俺らがやってることは全部胡散臭いだろうね」
「……胡散臭い」
「穂坂の事件もそうだけど、いきなり現場に乗り込んで、よく分からないうちに終わりました、なんて言われたらねえ」
「た、確かに……」
「互いに深入りせずに、っていうのが一番いい。事件が片付いたら、後は刑事課や生安に引継ぎで終わり。それが平和の秘訣」
御子神さんは箸を動かしながら、あっけらかんと言った。
あまりにも簡単に言うものだから、俺はずっと気になっていたことを彼に問いかけた。
「……御子神さんは、怖くないんですか」
「ん?」
「その……怪異と関わること、が」
一瞬だけ、箸の動きが止まる。
けれど、彼は直ぐに肩を竦めて笑った。
「得体の知れないって点は、確かに怖いかもね。でも、それは対人間も一緒だろ?」
「……そうでしょうか……」
「初対面の奴は何考えてるのか分かんねえし、犯罪者なら尚更。だから、怪異も人間も変わらないと思ってる」
「……なるほど」
そういう考えもあるかもしれない。けれど、異形の存在と人間を同一に考えることは、今の俺には難しい。
「――栗花落君は怖いの?」
御子神さんは味噌汁を啜りながら、こちらに視線を送る。
「……今まで視えないものとして、無視してきましたので――自分から関わるとなると、少し怖いです」
正直に答えると、御子神さんは軽く笑った。
「それが普通の反応。場数を踏んだら、慣れてくるよ」
「そうですかね」
「そうです」
御子神さんは短く言い切ると、箸を進め始める。
あまりにもあっさり断言するものだから、そういうものか、と何故か腑に落ちる自分がいた。
「――仕事の話に戻るけど、午後は少し俺の仕事を手伝ってもらうよ。書類整理とかね」
「分かりました」
「うちには署内の事件の情報が一気に集まるから、外に出てない時は殆どが書類整理になるんだよね」
御子神さんは溜息混じりに、定食の最後の一口を口に運ぶ。
「署内の事件の情報というのは……?」
「そのままの意味。いつでも首を突っ込めるように、事件の概要をまとめたり、怪異が関わっていそうな内容を確認したり――これが結構、大変なんだよね」
特案の部屋が何故あそこまで混沌としていたのか、その片鱗が見えた気がした。
御子神さんは空になったコップをトレイに置いて立ち上がる。
「よし、戻ろうか。新人恒例の書類地獄の時間です」
「……地獄なんですか」
「優しい言葉で包んでも地獄は地獄だからね」
飄々と笑う御子神さんについて立ち上がると、さっきまで緊張で強張っていた体が、少し軽くなっていた。
不安要素は山ほどあるが、それでも今は目の前の仕事を覚えることに集中しなければ。
俺は小さく息を吐いて、覚悟を決めるのであった。
***
「栗花落君のデスク、こっちね」
特案の部屋に戻ると、御子神さん書類を跨ぎながら、妙に整理された机を指差した。
「俺の隣の席ね。昨日の内に綺麗にしておいたから、汚れてない筈」
「ありがとうございます」
「直ぐに書類に飲まれるだろうけど、なるべく長持ちさせてね」
「……が、頑張ります」
机の上にはペン立てとノート、スマートフォン、新しいPC以外には何も置かれておらず、逆にこの混沌とした部屋の中で浮いて見えた。
御子神さんは自身の机の上に積まれた分厚いファイルの中から何冊か手に取る。
「手始めにここら辺から始めてみようか。現在進行形で捜査中のものだから、取り扱い注意」
「了解です」
手渡された一番上のファイルを開く。
黒いゴシック体で印字された表紙には『蓮原区 水柿駅前交通事故(八月)』と書かれていた。
――水柿駅前の交差点にて、同時刻に複数回交通事故が起きている。
冒頭からかなりインパクトが強い内容が続いており、俺は読み進めるのを躊躇する。
御子神さんはそんな俺の様子を見て、口元に笑みを浮かべた。
「それは、交通捜査課から回ってきたやつだね」
御子神さんは自分の椅子を半回転させ、背凭れ越しに俺のファイルを覗き込む。
「一見ただの交通事故みたいだけど――同じ時刻、同じ場所で事故ねえ」
「……偶然、ですよね?」
「だったらいいんだけどね。こういう”説明がつかない内容”は、俺たちが拾う案件に引っかかることが多い」
御子神さんはファイルの端を指先で軽く叩いた。
「特案の書類整理ってのは、こうやって――各課から上がってきた報告書を読みながら、”普通じゃない部分”を見つけて分類していく作業なんだ」
そう言いながら、御子神さんは自分の机に積まれた紙束を手にとって見せる。
そこには事件ごとにマーカーでA、B、Cと分類されていた。
「Aは怪異関与の可能性が高い案件。超常的な報告が多く寄せられている事件はこの部類。Bは不審死、失踪など、物理的に説明は出来るけど、要観察が必要そうな案件。Cは明らかに人間の手による事件や事故で、俺たちの出番じゃない案件」
御子神さんは軽く笑い、ペンを回す。
「この交通事故に関しては、Bだろうね。交通事故が起きやすい環境なのか、それとも別の要因か――交通の方で詳細が挙るまで観察が妥当」
「……なるほど」
「基本的には、BとCの案件が多いかな。Aに当たるとしたら……大体、碌でもない。とりあえず、今日はこの分類をお願いしたいんだけど、できそう?」
「……やってみます」
「いいね、素直で助かる。他に分からないことがあったら声かけて」
御子神さんはそう言うと、自分の書類の山を崩し始める。
署内全ての情報を見る機会なんて早々ない。
俺は好奇心に後押しされながら、最初に持ったファイルの分類に取り掛かる。
御子神さんの説明通り、特殊詐欺や引ったくり、盗難等――BかC程度の事件が資料の大半を占めていた。
繁華街もある地域のため、お世辞にも治安が良いとは思っていなかったが、自分の住む街で毎日のように何かしらの事件が起きていると思うと、何とも言えない気持ちになる。やはり穂坂は平和な地域だった。
一冊目のファイルの分類が終わりに近付いた頃、御子神さんが席を立った。
「ちょっと席外すけど、作業続けてて。誰も来ないと思うけど、来たら適当に追い返していいから」
「……追い返すって。いいんですか、そんなことして」
「課と名前だけ聞いて、あとで行きます~って言っとけばいいよ」
「……分かりました」
それでいいのかと思いつつも、俺は部屋から出ていく御子神さんの背中を見送る。
半日ずっと御子神さんについて回っていたが、仕事の説明もきちんとしてくれるタイプの先輩のようで安心した。特殊な課とは言え、刑事部の下に位置する課故、スパルタな職場を想像していたので有難い。
まあ、若干軽すぎるのでは、と思うところもあるが……。仕事をする上では全く支障はない――多分。
より一層静かになった室内に、若干の居心地の悪さを感じながらも、俺は黙々と分類作業に励む。
紙の擦れる音と、壁かけ時計の秒針の音がやけに大きく部屋に響く。
二冊目のファイルの途中で、妙な一文に目が止まった。
蓮原駅北口近くの飲み屋街で起きた――変死事件に関する記載だ。
――遺体は著しい乾燥状態にあり、皮膚は土色に変色。筋肉は収縮し、骨格の一部が露出。腐敗臭は殆どなし。
とどのつまり、ミイラのような状態の遺体が発見されたという内容だ。
湿気の多いこの季節に、そんな遺体が出るとは奇妙な話である。俺は捜査資料に目を滑らせる。
<――ふむ、興味深い内容だな>
「そうですね。死亡推定時刻からして、こんな短期間にミイラ化するのは異常です」
資料の内容から被害者の男性は発見時、死後三十分前後の状態だったとのことだ。そんな短い時間で、ここまで遺体を乾燥させるのは、何か特殊な方法でも使わない限り不可能なのではないか。
俺はそこまで考えてから、ハッとする。
――御子神さんは、席を外している。
この部屋には、今、自分しかいない。
思わず周囲を見渡す。
部屋の扉が開いた音はしなかった。誰かが入って来たということはない。
<お主が、新入りだろう?>
もう一度、声がした。
先程と同じ、低く落ち着いた男の声。
俺はゆっくりと声のした方へ、視線を向ける。
直ぐ隣――御子神さんの机の上。高く積まれた書類の山の頂に、三十センチほどの黒い龍の置物が鎮座していた。
光沢のある黒曜石のような鱗。それが蛍光灯の光を反射して、ぼんやりと光っている。
右の角は折れており、それが少し年季を感じさせていた。
<随分と腑抜けた顔つきだな>
動いてはいない。
だが確かに、その声はその龍から発せられて、琥珀のような黄色い瞳は俺を捉えていた。
息が詰まる。
心臓が耳の奥でバクバクと脈打つ音を立てる。
思考が追い付かないまま、俺は呆然とその龍を見詰めた。
進みが良かったので、投稿。
次話は今度こそ来週末になるかと思います。




