第二話 特異案件捜査課
今日はいつもより早く目が覚めた。
カーテンの隙間から差し込む光が眩しすぎて、目を細めながら体を起こす。
窓の外では、蝉の鳴き声が途切れなく続いていた。
時計を確認しつつ、洗面台で身支度を済ませる。
昨晩のうちにクローゼットから出していた黒いスーツ。仕事中は制服を着ていたから、あまり着る機会がなく、新品のようにまだ肩が硬そうだった。
白いワイシャツに腕を通し、ネクタイを締めながら鏡越しに自分の姿を見つめる。
交番勤務の頃とはまるで違う。
鏡の中の自分が、どこか他人のように思えた。
玄関を出ると、朝の空気は既に湿り気を帯びていた。
アスファルトから立ち上がる熱気に、革靴の底が少しずつ溶けていくような気さえする。
通勤時間といっても、署までは徒歩十五分程。
元々、蓮原駅近くの大学に通っていたため、自宅は穂坂署よりも蓮原署の方が近い。しかし、住み慣れた筈の街なのに、今日はなんだかよそよそしく感じる。
駅前の大通りを真っ直ぐ道なりに進むと、蓮原署の庁舎が見えた。
庁舎は穂坂署よりも二回りは大きい。
ガラス張りのエントランスには制服警官が数名立っていて、出入りする職員達が挨拶を交わしていた。
そんな雰囲気に気圧されながらも、俺は受付で要件を伝える。
「――ああ、話は伺ってます。特案の方ですね。あちらのエレベーターで三階に上がって頂いて、左手の奥の部屋までお願いします」
名前を出した瞬間、職員が怪訝そうな表情を浮かべたような気がしたが、気のせいだと思うことにした。
――三階。刑事課と同じフロアの一番奥。
通路の突き当りに、金属製のプレートが掛けられたドアがあった。
『特異案件捜査課』
黒い文字の塗装が所々剥げ、長く使われてきたように見える。
俺は一呼吸置いてから、軽くノックをしてドアを開けた。
部屋の中は、酷く散らかっていた。
積みあがった資料の山、飲みかけのペットボトル、開けっ放しの引き出しからは書類がはみ出している。
壁のホワイトボードには地図と、メモが無秩序に貼られ、古いファイルがいくつも床に落ちていた。その横の棚には、一際異彩を放つ黒い龍の置物が鎮座している。誰かの私物なのだろうか……。
雑多なその光景に、若干引きながら辺りを見渡していると、書類の山の向こうから見慣れた顔が現れる。
「――げ、もうそんな時間だった?」
雑多な部屋の雰囲気に似つかわしくない整った顔立ちの男――御子神さんが、書類の山を飛び越えながら、こちらに歩いて来た。
「二ヶ月振りくらいかな? 久し振りだね」
どこか掴みどころのない雰囲気は、出会った時と変わらず――けれど、あの時のようなよそよそしさはない。
「お久し振りです。今日からお世話になります」
「緊張してんの? 表情硬い」
「……それなりには」
「まあ、初日からこんなきったない部屋見たら、誰でも面食らうわな。これでも片付けた方なんだけど……」
御子神さんは苦笑いしながら、机の上のペットボトルを退けると、ソファに座るよう促した。
「……それで、課長は……?」
俺は腰を下ろしながら、辺りに視線を巡らせる。
まずは特案の課長と顔合わせをするようにと、白樫係長から言われていた。
「あー、甘崎さんなら直ぐ戻ってくるんじゃないかな」
御子神さんは緩く笑って俺の向かいのソファに座った――丁度その時、ドアがノックもなく開いた。
「――おや、もう来てたのか」
落ち着いた低い声。
振り向くと、がっしりとした体格の男が立っていた。
背が高く、肩幅が広い。整ったスーツの襟元から覗くネクタイの結び目まできちっとしていて、全体の印象は穏やかなのに、どこか威圧感があった。
「噂をすれば――この人がうちの課長。甘崎さん」
御子神さんがそう紹介すると、男は緩やかに手を差し出した。
「凪浜県警刑事部、特異案件捜査課の甘崎だ。ようこそ、特案へ」
「は、はい。栗花落といいます。今日からお世話になります」
俺は慌てて立ち上がり、握手を交わす。慣れないやりとりに、体の動きがどこかぎこちなくなる。
「初日から落ち着かないだろう。本当は事前に説明を済ませておくべきだったんだが、こっちも立て込んでいてね」
「いえ、恐縮です」
「穂坂での件は御子神から報告を受けている。一般人を守ったとか」
「いえ、そんな大したことは……」
戸惑う俺に甘崎さんは微笑み、御子神さんの隣に腰を下ろした。俺も促されて再び腰を下ろす。
「さて――まずはうちの説明からしようか。ここ、特異案件捜査課は、県警本部刑事部の直轄だ。ただし、全員が本部に詰めているわけじゃない。私たちのように所轄に駐在する班がいくつかあってね。私たちは”蓮原区担当”。実際は、他の区も担当していたりもするんだが、細かい説明は追々するとして――とにかく、私たちは本部の命令系統に属しつつ、現場はここ、蓮原署を拠点にしている。ここまでいいかな?」
甘崎さんの問いに、俺は静かに頷いた。
「我々が扱う仕事は、刑事課が扱うような事件とは毛色が違う」
「そうそう、他の奴らが処理したがらない厄介事の窓口です」
「おい、言い方……」
御子神さんの茶々に、甘崎さんは苦笑いしつつも否定はしなかった。
「栗花落君も穂坂で経験した通り、”通常では説明がつかないような事象”が絡む事件――そういったものを取り扱っている課だと思ってくれればいい」
「……説明がつかないような事象、ですか」
俺が問い返すと、甘崎さんは小さく頷いた。
「この課では、それらを引き起こすものを総じて『怪異』と呼んでいる」
「――かい、い?」
思わず復唱する。
耳慣れない響きだった。
「簡単に言えば、”普通の人には視えないもの”のこと。栗花落君が穂坂で視た――”花のオバケ”みたいなやつね」
御子神さんは軽い調子で言う。
――花のオバケ。
色褪せ始めていた異形の姿が、記憶の底から呼び起こされる。
「我々の仕事は、怪異が絡む事件の捜査というわけだ」
真剣な面持ちで異形の存在を肯定する甘崎さんたちに、強烈な違和感を覚える。
今まで俺が視てきたあれらを、存在するものとして語る人は居なかった。だからこそ、彼らの言葉を素直に消化することが出来ない。
「……あれは、幻覚ではないんですか」
絞り出すように問い掛ける。甘崎さんは、ふっと少し微笑んでから口を開いた。
「普通はそう思うだろうね。世の中には”視えない人”の方が圧倒的に多い。だから、視えていたとしても、幻覚の類ではないか――で済まされる。けれど、怪異は確かに存在している」
「俺も甘崎さんも、視える側の人間ね。だから、ここの課に所属しているんだけど」
「……特案にいる方は、アレが視えるってことですか?」
「そうそう」
御子神さんがさらりと答えたあと、甘崎さんが補足する。
「この課は、そうした“視える者”だけで構成されている。普通の警察官では感知できない現象を、現場で扱う必要があるからだ。怪異は証拠も残さないし、痕跡も曖昧だ。それでも確かに“起こる”。――だから、我々のような人間が必要なんだ」
静かに、けれど力強く言い切るその口調に、
冗談めいたところは一切ない。
「……そんな部署が、県警にあるなんて……」
「一課や生安の連中も、名前は知っているけど、俺たちが”何をやっているのかは知らない”。――そういう、便利な立ち位置」
御子神さんがそう肩を竦める。
「――と、まあ……うちの説明は大方こんなところかな。何か質問はあるかな?」
甘崎さんが俺の顔を覗き込む。
「……すみません、まだ理解が追いついていなくて……」
「そりゃそうだ」
御子神さんが愉快そうに笑った。
「初日に全部飲み込める人間の方が怖いって。慣れりゃ、そのうち”そういうもんか”ってなるよ」
「……”そういうもんか”で済むんですか」
「済ませるしかない。ここではそれが生きるコツ」
甘崎さんは穏やかに笑いながら立ち上がった。
「まあ、細かいことは仕事をしながら、かな。――ちなみに、うちでは基本的に二人一班で行動する。危険が多いからね。そういうわけで、君は御子神の下についてもらって、まずは基本的な仕事を学んでもらおうと考えている」
「よろしくね、栗花落君」
「……は、はい。よろしくお願いします」
「硬い、硬い。もっと気軽にしなよ」
「……善処します」
「他のメンバーは――今は出払っていて署内に居ない。追って紹介するよ」
甘崎さんは腕時計をちらりと見て、軽く頷いた。
「説明としては以上になるかな。私はこれから出るから――御子神、あとは任せる」
「はいはい。ごゆっくり~」
甘崎さんが出て行ったあと、部屋は静まり返った。
現実とは思えない話を一気に聞いた所為か、頭が少しぼんやりとする。
そんな俺の顔を覗き込みながら、御子神さんはにっこりと笑った。
「――じゃ、新人歓迎ツアーでもやりますかね」
「……ツアー?」
「署内の案内と、うちの仕事について軽ーく教えてあげよう。まずは、ロッカールームに荷物を置かなきゃね」
そう言うと、御子神さんはどこか楽しそうに立ち上がった。
俺もそれに続いて立ち上がる。散らかった特案の部屋をもう一度見渡すと、さっきまでの実感のなさが、少しずつ形を持ち始めてきた。
次話はまた来週末あたりにでも。
Xの方で更新時期などについて呟いたりもしてますので、そちらを参考にしていただければ幸いです。




