閑話 白い花は静かに舞って
お屋敷の中はとても広い。
長い廊下がいくつもあって、真ん中には大きな庭があって。
そんなお屋敷のお勤めは、村の中でも数人しか担えない立派な役目であると、小さな頃から両親に言われ続けていた。
だから、私がその役目を担えることになった時、二人は泣くほどに喜んでいた。それは、今でも覚えている。
――私は、嫌だったのに。
村の外には、学校というものがあるらしい。子どもたちは、そこで勉学に励むのだと言う。私はそれに酷く憧れを抱いていたのだ。
しかし、外に出られるのは硲家の人と一部の村人だけ。他の村人は生涯、この村から出ることはない。
それが『二守様』との契りであり、この村の人間は何人たりとも破ることは許されないのだ――と、父が言っていた。
一度だけ。
一度だけ、興味本位で村の外に出ようとしたことがあった。
けれど、歩いても歩いても、最終的に村に戻ってきてしまう。その時に、私はこの村から逃げることができないのだと理解した。
「真白、どうしたの?」
ふと、声を掛けられて、私はゆっくりと視線を動かす。
その先で少年――夏樹様は、小首を傾げながら心配そうな表情を向けていた。
夏樹様。硲家次期当主。私が仕える、主人。
「すみません。少し考え事をしていました」
「何を考えていたの?」
「この役目を頂いた時の両親のことを、思い出していました」
「瓜生さん、凄い喜んでたもんね」
「はい。とても」
瓜生というのは、私の姓だ。
昔から、この硲家に仕えている家系。とは言え、私のように屋敷勤めとなれる人間は、早々居ないらしい。
「そんなことより、夏樹様。そろそろ、屋敷の中に戻った方がよいと思います。雨脚が強くなってきました」
屋敷の中庭。
梅雨の季節は、紫陽花が美しい花を咲かせて目を楽しませてくれる。
しかし、こんな大雨の日にわざわざ庭に出てまで見るものではない。
差した傘にざあざあと雨が打ち付けては流れていく。
「この雨じゃ、明日にでも花は散ってしまうかもしれないだろ? だから、今のうち眺めていたいんだ」
そう言いながら、夏樹様は紫陽花を眺める。
変わった方だな、と思う。
硲家の人たちは、正直、他の村人とは少し違う――異質さがあった。どこが、と問われれば回答に苦しむのだけど、”私たちとは違うものを見ている”――そんな気がするのだ。
その点、夏樹様は他の硲家の人たちと違うように思えた。
歳も私と近い十四だというから、親近感もあるのかもしれないけど。
「ほら、真白。この花も見てみなよ」
紫陽花に飽きたのか、夏樹様は中庭の端の方へと歩いて行く。
そこには白い花が、紫陽花に隠れてひっそりと咲いていた。
近付くにつれて、その甘い香りが鼻を掠める。
「梔子という花なんだ。白くて綺麗だろ」
「そうですね」
夏樹様はそっと花に触れる。
「喜びや幸せを意味する花らしいよ」
「……てっきり、もっと悪い意味を持っているものかと」
梔子と聞いて、私が連想したのは喜びや幸せなんて綺麗な言葉ではなく――。
「死人に口なし、だろ? 梔子なんて名前だから、悪い意味に捉えてしまうよね」
「……はい」
「可哀想だよね。こんなに美しいのに、名前だけで縁起が悪いと思われてしまって」
可哀想――なのだろうか。
花に対して、そんなことを思ったことがないから分からない。
「でも、真白は名前のままだよね」
「……?」
夏樹様はふわりと笑う。
私に向けられるべきではない、柔らかく甘い笑顔だ。
「僕に嘘を吐かないし、清純で。真白という名前は君にぴったりだ」
「……そうでしょうか」
「うん。他の人は皆、嘘を吐くし、”秘密”も言ってしまうけど、君はずっと黙っていてくれただろ?」
――秘密。
その言葉だけで、胸の奥がひやりと冷えた。
夏樹様は気が付いている。
あの時、私が見たものを。
「先日、僕が”離”に行ったところ、見てたよね?」
「……は、い」
雨の音がやけに煩く聞こえる。
傘を持つ手に、嫌な汗が滲むのを感じた。
「ごめんね。ただ、確認したかっただけだから、そんな顔はしないで欲しいな」
少し困った顔で夏樹様は言う。
私は見てしまった。
立ち入りを禁じられている離へと、夏樹様が訪れる姿を。
使用人であるならば、止めるべきであった。けれど、私はそれを怠った。
ただ、いつも規則正しく過ごしている彼が、何の理由もなしに禁忌を破る筈がない。だから、声を掛けることもなく、離から戻ってくる彼を素知らぬ振りで待った。
「僕はね。君はここに居るべきではない、と思っているんだ」
「それは、どういうことでしょうか……?」
突然の話に、私は体が強張るのを感じた。
居るべきではないと言うのは、つまりこれは解雇の話なのだろうか。
それは非常に困る。両親にどう説明すればいいのだ。
焦る私を他所に、夏樹様は穏やかな声色で続ける。
「四日後の祭事は執り行わない」
「……、……は?」
その言葉の意味が理解できずに、私はぽかんと口を開けた。
いや、意味は理解できる。できるが、”祭事を行わない意味”が分からなかった。
「何を、言って……」
村の祭事は、もうずっと昔から続く大事な行事だ。
それを行わないなんてことは、あり得ない。
ましてや、それを主宰の硲家の人間が口にして良い事ではない。
「君に、見せたいものがある」
思考が停止しかけている私を他所に、夏樹様はそう言うや否や私の手を引いて中庭から屋敷に入る。
「夏樹様、どちらに行かれるのですかっ」
私の問いに、彼は答えない。
廊下ですれ違う同僚たちへの挨拶もそこそこに、私はただ主人に連れられるままに歩みを進める。
そうして連れてこられたのは――件の離であった。
***
私は知るべきではなかったし、彼を止めるべきだった。
そうすれば、隔離された世界であっても、ずっとずっと幸せだった筈だ。
私は夢見るべきではなかった。
外の世界への憧れと、彼と共に平穏な暮らしが送れるかもしれないという希望。
それらは全て、幻想だった。
彼が『虚』に落とされる時、目の前が真っ暗になってしまった。
ああ、私はどこで間違えてしまったのだろうか。
あの時――離に入る夏樹様を止めていればよかったのだろうか。
“あの獣”《けだもの》と夏樹様が出遭わなければ、きっと、この結末は避けられた。
“あの男”に唆されなければ、きっと、この結末は避けられた。
憎い。憎い。
あいつが憎い。
頭がぐちゃぐちゃになって、世界がどんどん歪んでいく。溶けていく。
憎い。憎い。
早くあれを連れ戻さないと。
あの獣を早く此処へ。この場所へ。
私の夏樹様をかえシても、らわナいト――。
真っ暗な視界の端で、ゆらりと白い何かが揺れる。
――梔子の花。
甘い香りに包まれながら、私の意識は、そこで途絶えた。
第一章これにて完結になります。
次回は本当の本当に来週末になるかな……。ゲリラ投稿すみません。
また、一部誤字があった話に関して修正をかけています。話の内容は変わりません。




