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異相の理  作者: 赤鰯 はこぼれ
第一章 思い出の花
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閑話 白い花は静かに舞って

お屋敷の中はとても広い。

長い廊下がいくつもあって、真ん中には大きな庭があって。

そんなお屋敷のお勤めは、村の中でも数人しか担えない立派な役目であると、小さな頃から両親に言われ続けていた。

だから、私がその役目を担えることになった時、二人は泣くほどに喜んでいた。それは、今でも覚えている。


――私は、嫌だったのに。


村の外には、学校というものがあるらしい。子どもたちは、そこで勉学に励むのだと言う。私はそれに酷く憧れを抱いていたのだ。

しかし、外に出られるのははざま家の人と一部の村人だけ。他の村人は生涯、この村から出ることはない。

それが『二守ふたもり様』との契りであり、この村の人間は何人たりとも破ることは許されないのだ――と、父が言っていた。


一度だけ。

一度だけ、興味本位で村の外に出ようとしたことがあった。

けれど、歩いても歩いても、最終的に村に戻ってきてしまう。その時に、私はこの村から逃げることができないのだと理解した。


真白ましろ、どうしたの?」


ふと、声を掛けられて、私はゆっくりと視線を動かす。

その先で少年――夏樹なつき様は、小首を傾げながら心配そうな表情を向けていた。

夏樹様。硲家次期当主。私が仕える、主人。


「すみません。少し考え事をしていました」

「何を考えていたの?」

「この役目を頂いた時の両親のことを、思い出していました」

瓜生うりゅうさん、凄い喜んでたもんね」

「はい。とても」


瓜生というのは、私の姓だ。

昔から、この硲家に仕えている家系。とは言え、私のように屋敷勤めとなれる人間は、早々居ないらしい。


「そんなことより、夏樹様。そろそろ、屋敷の中に戻った方がよいと思います。雨脚が強くなってきました」


屋敷の中庭。

梅雨の季節は、紫陽花が美しい花を咲かせて目を楽しませてくれる。

しかし、こんな大雨の日にわざわざ庭に出てまで見るものではない。

差した傘にざあざあと雨が打ち付けては流れていく。


「この雨じゃ、明日にでも花は散ってしまうかもしれないだろ? だから、今のうち眺めていたいんだ」


そう言いながら、夏樹様は紫陽花を眺める。

変わった方だな、と思う。

硲家の人たちは、正直、他の村人とは少し違う――異質さがあった。どこが、と問われれば回答に苦しむのだけど、”私たちとは違うものを見ている”――そんな気がするのだ。


その点、夏樹様は他の硲家の人たちと違うように思えた。

歳も私と近い十四だというから、親近感もあるのかもしれないけど。


「ほら、真白。この花も見てみなよ」


紫陽花に飽きたのか、夏樹様は中庭の端の方へと歩いて行く。

そこには白い花が、紫陽花に隠れてひっそりと咲いていた。

近付くにつれて、その甘い香りが鼻を掠める。


梔子くちなしという花なんだ。白くて綺麗だろ」

「そうですね」


夏樹様はそっと花に触れる。


「喜びや幸せを意味する花らしいよ」

「……てっきり、もっと悪い意味を持っているものかと」


梔子と聞いて、私が連想したのは喜びや幸せなんて綺麗な言葉ではなく――。


「死人に口なし、だろ? 梔子なんて名前だから、悪い意味に捉えてしまうよね」

「……はい」

「可哀想だよね。こんなに美しいのに、名前だけで縁起が悪いと思われてしまって」


可哀想――なのだろうか。

花に対して、そんなことを思ったことがないから分からない。


「でも、真白は名前のままだよね」

「……?」


夏樹様はふわりと笑う。

私に向けられるべきではない、柔らかく甘い笑顔だ。


「僕に嘘を吐かないし、清純で。真白という名前は君にぴったりだ」

「……そうでしょうか」

「うん。他の人は皆、嘘を吐くし、”秘密”も言ってしまうけど、君はずっと黙っていてくれただろ?」


――秘密。

その言葉だけで、胸の奥がひやりと冷えた。

夏樹様は気が付いている。

あの時、私が見たものを。


「先日、僕が”はなれ”に行ったところ、見てたよね?」

「……は、い」


雨の音がやけに煩く聞こえる。

傘を持つ手に、嫌な汗が滲むのを感じた。


「ごめんね。ただ、確認したかっただけだから、そんな顔はしないで欲しいな」


少し困った顔で夏樹様は言う。


私は見てしまった。

立ち入りを禁じられている離へと、夏樹様が訪れる姿を。

使用人であるならば、止めるべきであった。けれど、私はそれを怠った。

ただ、いつも規則正しく過ごしている彼が、何の理由もなしに禁忌を破る筈がない。だから、声を掛けることもなく、離から戻ってくる彼を素知らぬ振りで待った。


「僕はね。君はここに居るべきではない、と思っているんだ」

「それは、どういうことでしょうか……?」


突然の話に、私は体が強張るのを感じた。

居るべきではないと言うのは、つまりこれは解雇の話なのだろうか。

それは非常に困る。両親にどう説明すればいいのだ。

焦る私を他所に、夏樹様は穏やかな声色で続ける。


「四日後の祭事は執り行わない」

「……、……は?」


その言葉の意味が理解できずに、私はぽかんと口を開けた。

いや、意味は理解できる。できるが、”祭事を行わない意味”が分からなかった。


「何を、言って……」


村の祭事は、もうずっと昔から続く大事な行事だ。

それを行わないなんてことは、あり得ない。

ましてや、それを主宰の硲家の人間が口にして良い事ではない。


「君に、見せたいものがある」


思考が停止しかけている私を他所に、夏樹様はそう言うや否や私の手を引いて中庭から屋敷に入る。


「夏樹様、どちらに行かれるのですかっ」


私の問いに、彼は答えない。

廊下ですれ違う同僚たちへの挨拶もそこそこに、私はただ主人に連れられるままに歩みを進める。

そうして連れてこられたのは――くだんの離であった。




***




私は知るべきではなかったし、彼を止めるべきだった。

そうすれば、隔離された世界であっても、ずっとずっと幸せだった筈だ。


私は夢見るべきではなかった。

外の世界への憧れと、彼と共に平穏な暮らしが送れるかもしれないという希望。

それらは全て、幻想だった。



彼が『うつろ』に落とされる時、目の前が真っ暗になってしまった。



ああ、私はどこで間違えてしまったのだろうか。

あの時――離に入る夏樹様を止めていればよかったのだろうか。


“あの獣”《けだもの》と夏樹様が出遭わなければ、きっと、この結末は避けられた。

“あの男”に唆されなければ、きっと、この結末は避けられた。


憎い。憎い。

あいつが憎い。


頭がぐちゃぐちゃになって、世界がどんどん歪んでいく。溶けていく。


憎い。憎い。

早くあれを連れ戻さないと。

あの獣を早く此処へ。この場所へ。


私の夏樹様をかえシても、らわナいト――。


真っ暗な視界の端で、ゆらりと白い何かが揺れる。

――梔子の花。




甘い香りに包まれながら、私の意識は、そこで途絶えた。

第一章これにて完結になります。

次回は本当の本当に来週末になるかな……。ゲリラ投稿すみません。

また、一部誤字があった話に関して修正をかけています。話の内容は変わりません。

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