プロローグ
今年の夏は、やけに長い。
朝から蝉が鳴き止まず、研究室の壁にまで音が染みついている気がする。
机の上の温度計は三十五度を指したまま動かない。君の街はどうだろうか。
君が卒業してから、もう二年が経つらしい。
あの頃の君は、よく夜更けに研究室を訪ねて来ては、篠宮と三人でくだらない話をした。
私の手にした資料を覗き込み、本当に実在するのかと目を丸くしていた顔を、今でもよく覚えている。
君の好奇心に、私はいつも助けられていた。
私は今、少し遠くの地方を回っている。
古い伝承と、それにまつわる土地の調査だ。こちらは中々上手く進んでいないのが、現状だ。
当たり前だけど、基本的に立ち入りが禁止されている区画が多くてね。流石に子どもがいる身で、法に触れることは出来ないと、己を律する毎日だ。
ついこの前の話だが、知人の伝手で気になる集落の話を聞いた。
霞峰の山間にあるらしいが、何でも珍しい祭事が行われる地域のようで、今の調査が落ち着いたら、そちらを訪ねてみようと思っている。
そんなこともあり、また暫く連絡が取りづらくなるかもしれない。もし君がこちらへ来ることがあっても、無理はしないでくれ。山は美しいが、時に人の心を飲み込む。
君も、どうか身体を大事に。
そして、見えるものを恐れず、見えないものを疑いすぎないように。
人はその両方に支えられて生きている――君なら、きっと分かるだろう。
漆江紅洋
二〇〇一年 八月晦日




