『婚約破棄?では【変身】させていただきます』~前世が撲殺系魔法少女だったので、浮気王子を正拳突きでブッ飛ばしたら、王国最強の騎士にパワーを愛されました~
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王立学園の大広間。煌びやかなシャンデリアが放つ光の洪水の下、わたくし、シルヴィア・フォン・ヴァルローズは限界を迎えていた。グラスに注がれた葡萄ジュースの水面が、さざ波を立てている。武者震いではない。殺意による共振だ。
(……落ち着け、私。広背筋が強張っているわ。リラックス。笑顔、笑顔よ)
周囲では扇子を手にした令嬢たちが談笑し、貴族の子息たちが将来の派閥について囁き合っている。平和で、退屈で、澱んだ空気。だが、わたくしの内側では、前世の記憶が暴れ出そうとしていた。
ここではない世界で「撲殺系魔法少女ラブリー・フィスト」として恐れられ……いえ、愛されていた頃の闘争本能。今世では伯爵令嬢という「淑女の皮」を被り、拳ではなく扇子を握り、魔獣の頭蓋を砕く代わりに淑女の心得を叩き込まれる日々。
ああ、何かを殴りたい。硬い岩とか、強そうな魔獣とか、あるいは――目の前の、この茶番とか。
優雅なワルツの旋律が、不自然に途切れたのはその時だった。
「シルヴィア・フォン・ヴァルローズ! 貴様との婚約を、この場で破棄する!」
壇上から響いたのは、この国の第一王子、ジェラルド殿下の金切り声だった。ざわめきが静まり返り、何百という視線がわたくしに突き刺さる。殿下の隣には、小動物のような愛くるしさを武器にする男爵令嬢、ミナ様がぴったりと寄り添っていた。
「ジェラルド様ぁ……私、怖いですぅ。シルヴィア様、また私を睨んで……」
「大丈夫だ、ミナ。君は僕が守る」
ジェラルド殿下はミナ様を抱き寄せ、わたくしをビシッと指差した。
「シルヴィア! 貴様がミナに行った数々の陰湿な嫌がらせ、もはや看過できん! 教科書を隠し、階段から突き落とし、あろうことかお茶会でドレスにワインをかけるなど……言語道断だ!」
周囲から「まあ、なんて酷い」「やはり悪女だったのね」という囁きが漏れる。わたくしは、ゆっくりと瞬きをした。
教科書を隠す? ――そんなみみっちい真似、するわけがない。わたくしなら、教科書ごと机を微粒子レベルまで粉砕している。
階段から突き落とす? ――わたくしが触れれば、彼女は重力に逆らって成層圏まで飛んでいるはずだ。
すべて、身に覚えのない冤罪。ミナ様が自分の立場を良くするために流した嘘と、それにまんまと乗せられた愚かな王子。本来なら、ここで泣き崩れるのが「淑女」の正解なのだろう。あるいは、必死に無実を訴えるか。けれど、わたくしの瞳孔が収縮する感覚を自覚した。代わりに、腹の底から熱いマグマのような力が湧き上がってくる。
(あ、これ……毎週日曜の朝に現れる、『怪人』のパターンだ)
理屈の通じない悪意。平和を乱す理不尽。それは、対話によって解決するものではない。かつて幾多の敵を葬ってきた「魔法少女」の論理が、わたくしの脳内で結論を弾き出す。
――悪、即、浄化。
脳内で「パチン」と何かが弾ける音がした。堪忍袋の緒という名のリミッターが外れ、戦闘モードへの回路が接続される。わたくしは扇子を閉じ、優雅にカーテシーをした。そして、顔を上げる。そこに涙はない。あるのは、獲物を前にした捕食者のごとき静謐な笑みだけ。
「承知いたしました」
凛とした声が、広間に響き渡る。
「私の言葉など、最初からお聞きになるつもりはないのでしょう? 言葉が通じないのであれば、仕方がありません」
わたくしは両手をドレスの腰元に添えた。
「――それでは殿下、『変身』させていただきます」
「は? へん、しん……?」
殿下が間の抜けた声を上げた、その瞬間。
バツンッ!!
何かが破裂するような音が響いた。わたくしが大きく息を吸い込み、腹斜筋と広背筋を一気に膨張させたことで、ドレスの下のコルセットが耐えきれずに弾け飛んだ音だ。拘束具の破片がパラパラと床に落ちる。ああ、空気が美味しい。横隔膜が喜んでいる。
「な、なんだ今の音は……!?」
「失礼。少し窮屈でしたので」
さらに、わたくしはドレスの裾を両手で掴んだ。
ビリィッ!!
絹の裂ける派手な音が会場の空気を震わせる。動きの邪魔になる重たいフリルとレースの塊を引き裂き、わたくしの姿は膝上丈のミニドレス――極めて動きやすいチュニック状の姿へと変わる。仕上げに、カツカツと足音を立てていたハイヒールを脱ぎ捨てた。素足が大理石の床を捉える。指先が地面の冷たさと摩擦係数を確かめ、ふくらはぎのヒラメ筋が収縮の準備を整える。
「な、ななな、何をしている貴様! 乱心したか!?」
「乱心? いいえ、準備体操ですわ」
わたくしは首をコキリと鳴らし、右手を握りしめた。ミシミシと骨が鳴る。その拳は、宝石よりも美しく、鉄球よりも硬い。
「愛と正義の名において……その腐った性根、わたくしのパワーで叩き直して差し上げます!」
「ひっ……! 衛兵! 衛兵! この狂女を捕らえろ!」
殿下の悲鳴に応じ、会場の警備をしていた衛兵たちが槍を構えて殺到してくる。その数、十名。一般の令嬢なら悲鳴を上げて卒倒する場面だ。しかし、覚醒したわたくしの動体視力には、彼らの動きがコマ送りのように映っていた。
(遅い。重心が高い。体幹がブレている。隙だらけ。それより、なにより──)
わたくしは床を蹴った。ドンッ、と爆発音が生じる。その場にいる誰もが、わたくしの姿を追えていない。
「──愛が! 足りない!」
「え?」
先頭の衛兵が素っ頓狂な声を上げた時には、わたくしはすでに彼の懐に入り込んでいた。槍を振るう暇も与えない。わたくしは彼らの顎先に、優しく、本当に優しく、掌底を添える。
「お眠りなさい」
トン、トン、トン。最小限の力で脳を揺らす。彼らは糸が切れたマリオネットのように、次々とその場に崩れ落ちた。怪我はさせていない。彼らは仕事をしただけ。軽い脳震盪。いずれ素晴らしい目覚めが待っているはずだ。十人の衛兵がわずか数秒でダウンを取られた。その光景に、会場は水を打ったように静まり返り、やがて悲鳴に変わった。
「ま、魔法か!? 詠唱もなしに!?」
「いいえ、魔法少女ではありますが……いまのは、ただの物理です」
わたくしは残心の構えを解き、ゆっくりと壇上へ歩を進める。障害物はもういない。残るは、ラスボスである──というにはいささか格が足りない──王子と、その側近のみ。
「く、来るな! 化け物! 魔女!」
ジェラルド殿下は腰を抜かし、無様に後ずさる。ミナ様は「きゃあああ!」と叫んで、なんと殿下を盾にして後ろに隠れた。美しい愛の形である。
「貴方がおっしゃいましたね、殿下。私が気に入らないと」
「そ、そうだ! お前には可愛げがない! ミナのようにか弱くもない!」
「ええ、左様でございますね。わたくしはか弱くありません」
わたくしは瞬き一つ分の時間で距離を詰め、殿下の鼻先数センチまで肉薄した。
「ですが、国を背負う王の伴侶に求められるのは、『守られる弱さ』ではなく『守り抜く強さ』ではありませんこと? それすなわち、『愛』であると!」
信念を口にしながら、わたくしは右の拳を引き絞る。右足の親指が床を噛み、大腿四頭筋から腰、広背筋へと爆発的な運動エネルギーが連鎖していく。狙うは顔面――の、寸前にある空間。世界から音が消える。極限の集中が生む静寂。
「必殺! ラブリー・ナックルッ!!」
ドォォォォォォォォン!!
拳は殿下の鼻先に触れていない。だが、生み出された圧縮空気の塊――衝撃波が、目に見える砲弾となって殿下を襲った。
「ぶべらっ!?」
殿下の顔面が風圧で粘土のように歪む。体ごと後方へ吹き飛ばされた彼は、放物線を描いて優雅に空を飛び、会場後方に設置された巨大なビュッフェテーブルへと突っ込んだ。しばしの静寂の後――。
ガシャァァァン!
皿が割れ、シャンパンタワーが崩壊し、スポンジケーキが舞う。特大のウエディングケーキもどきに頭から突っ込んだ殿下は、全身を生クリームとフルーツまみれにして、ピクリとも動かなくなった。犬神家のような見事な着地だ。
「……ふゥーッ」
わたくしは拳に息を吹きかけ、残心を解く。スッキリした。数年分の鬱憤が、あのクリームまみれの王子の姿と共に浄化されていくようだ。だが、さすがにやりすぎただろうか。
会場は冥府のように静まり返っている。誰も動かない。誰も声を発さない。これは、廃嫡どころか処刑コースかもしれない。わたくしが覚悟を決めて、衛兵に拘束されるのを待とうとした、その時。
ガシッ。
熱い感触があった。一人の騎士がわたくしの前に立ちはだかり、わたくしの右手を――さきほど殿下を吹き飛ばした拳を、両手で包み込むように掴んだのだ。漆黒の礼服に身を包んだ長身の男。この国の近衛騎士団長にして、「王国最強の剣」と謳われる英雄、ラインハルト様だ。
(さすがに本当のボスキャラのお出ましね……)
わたくしは再び構えを取ろうとする。だが、ラインハルト様は剣を抜いていなかった。見上げると、いつもは氷のように冷徹なラインハルト様の頬が、興奮で紅潮している。その瞳は、まるで推しのアイドルを見つけた古参ファンのように、あるいは獲物を見つけた変態のように怪しく輝いていた。
「素晴らしい……!」
「は……?」
「これほど力強く、それでいて美しい一撃は初めて見た……! 足底による床のグリップ、脊柱起立筋のしなり、そしてインパクトの瞬間の完璧な脱力……すべてが芸術だ! 人体の構造を極限まで使いこなした『武』の結晶だ!」
ラインハルト様は早口でまくし立て、わたくしの拳を頬ずりせんばかりの勢いで見つめる。
「あの、ラインハルト様? わたくし、王子殿下を……」
「あんな脆弱な男などどうでもいい! それよりシルヴィア嬢、いや、シルヴィア師匠!」
「師匠!?」
彼はその場に跪き、まるで聖遺物を捧げ持つかのようにわたくしの拳を掲げた。
「どうか、この僕にその『強さ』の秘訣を教えてくれないか。いや、一生をかけてその拳の軌道を見ていたい。僕と……結婚してほしい! 妻として、僕を導いてくれ!」
会場が、今日一番のどよめきに包まれた。捕縛ではなく、まさかの求婚。しかも理由が「拳の軌道を見たいから」。
その混乱の中、ケーキの成れの果てから這い出してきたクリームまみれの殿下が呻き声を上げる。
「う、うう……ら、ラインハルト! 何をしている! その女を斬り捨てろ! そいつはミナをいじめた悪女だぞ!」
その声に、ラインハルト様の表情が一瞬で氷点下に戻る。彼は立ち上がり、道端の石ころを見るような冷ややかな目で殿下と、その近くで震えるミナ様を見下ろした。
「悪女? 笑わせないでいただきたい」
ラインハルト様は床に散らばっていた数枚の紙切れと、小瓶を拾い上げていた。それは、殿下が吹き飛んだ際の衝撃波に巻き込まれ、ミナ様のドレスの隠しポケットから飛び出したものだ。
「これは、シルヴィア嬢の筆跡を真似て書かれた『いじめ計画書』の書き損じ。そして、こちらの瓶は、違法な魅了作用を持つ薬物ですね」
「なっ……!?」
ミナ様の顔色が蒼白になる。
「そ、それは……シルヴィア様が私に持たせたもので……!」
「嘘をつくのが下手だな。このインクはまだ新しい。それに、この筆跡の癖は、貴女が提出した学園のレポートと同じものだ」
ラインハルト様は証拠品を周囲の貴族たちに見えるように掲げた。
「シルヴィア嬢の拳には、一点の曇りも迷いもなかった。そして何より、殿下の顔面を直撃させず、風圧だけで吹き飛ばすという極限の『愛』があった。彼女は怒りに任せて暴力を振るったのではない。貴様らの腐った目を覚まさせるために、あえて泥をかぶったのだ!」
……ええと、まあ、半分くらいは単に殴りたかっただけなのだが。けれど、ラインハルト様の解釈はあまりに美しく、誰も反論できない空気が出来上がっていた。
「そ、そんな……」
ミナ様はその場にへたり込み、ジェラルド殿下は「僕が……利用されていただけだと……?」と呆然としている。そこへ、騒ぎを聞きつけた国王陛下が重い足取りで現れた。クリームまみれの息子と、凛と立つわたくし、そして証拠を握る騎士団長を見て、陛下はすべてを悟ったようだった。
「ジェラルド。顔を洗って出直してこい……しばらく地下牢で頭を冷やすといい」
「ち、父上ぇぇぇ!」
殿下は衛兵に引きずられていく。ミナ様もまた、「野蛮よ! 暴力女!」と叫びながら連行されていった。その去り際、ラインハルト様は冷たく言い放った。
「彼女は野蛮なのではない。真の強者なのだ。卑屈な弱者に理解できる領域にはいない」
騒動は、文字通り「秒」で解決した。残されたのは、ドレスとコルセットをパージした身軽な姿のわたくしと、熱っぽい瞳の騎士団長だけ。わたくしは、ふと我に返り、恥ずかしさがこみ上げてきた。淑女失格だ。物理で解決してしまった。もうお嫁にはいけない。そう思って俯きかけた時、ラインハルト様が再びわたくしの手を取り、真摯な瞳で告げた。
「シルヴィア。その強さを、国のために……いや。愛のために、僕の隣で振るってくれないか。君となら、史上最強の家庭が築けると確信している」
それは、前世も含めて孤独な戦いを強いられてきたわたくしにとって、初めて聞く「共闘」の申し込みだった。守られるだけのヒロインではない。背中を預け合えるパートナーとしてのプロポーズ。わたくしの胸の奥、戦闘本能とは別の場所が、ドクンと高鳴った。
「……手加減は、できませんわよ?」
「望むところだ。僕も頑丈さには自信がある」
わたくしは小さく笑い、そのマメだらけの無骨な手を握り返した。
◇ ◇ ◇
「必殺! ラブリー・ナックルッ!!」
それから数ヶ月後。辺境の荒野にて、巨大なドラゴンが悲鳴を上げて吹き飛んだ。
「ふッ!」
気合一閃。王国随一の職人の特注品であるマジカルメリケンサックをはめた、わたくしの右ストレートがドラゴンの硬い鱗を粉砕したのだ。これまた特注のスパッツをドレスの下に履いたわたくしは、土煙の中で汗を拭う。
「ナイスブローだ、シルヴィア! 腰のキレがさらに鋭くなっている! 今のインパクト音、何度でも聞き直したいくらいだ!」
「あら、ラインハルト様こそ。今の剣撃、まるで水の流れのごとく流麗でしたわ!」
隣には、同じく返り血と泥にまみれた夫、ラインハルト様。私たちは視線とハイタッチを交わし、戦場だというのに熱い口づけを交わす。新婚旅行は魔獣討伐。デートスポットは危険地帯。王都では「最強の夫婦騎士」として、その名は──主に女児たちのあいだで──伝説になりつつあるらしい。魔法少女も悪くなかったけれど、こうして愛する人と共に暴れ回る「可憐な姫騎士」というのも、案外悪くない。
「騎士団長様、伝令です! 東の山岳地帯で強大な魔獣が出現したとの急報が!」
「息つく暇もないな……行けるか、シルヴィア?」
「ええ、もちろん。ラインハルト様。あなたとなら、どこへでも!」
わたくしは幸せな笑顔を浮かべ、次なる悪の討伐に向けて、愛と正義の拳を構えた。




