英雄の帰還と、少女たちの決意
プシューッ……。 油圧式の減圧音が地下室に響き渡った。冷たい蒸気が漏れ出し、ガラスのハッチがスライドして開く。
「くんくん!」 ドラカリスの鼻が動いた。 「この匂い! 間違いないのじゃ!」
煙が晴れるより早く、ドラカリスはバネのように飛び出した。
「主が帰ってきたぞおおお!」 「やっぱり!」リンも飛び跳ねる。「お兄ちゃんは無事だって信じてた!」
ジェイズはカプセルから一歩踏み出そうとして、よろめいた。急激な現実への帰還に吐き気を催す。 「うっぷ……変な旅だったな……目が回る……」
回復する間もなかった。柔らかく、しかし強烈な衝撃が彼をシートに押し戻した。 ドラカリスが独占欲丸出しで抱きつき、首筋に顔を埋める。リンも腰にしがみつく。
「主よ! 他の女の匂いがするが……五体満足で何よりじゃ!」 「おかえりなさい、英雄さん」 後ろからシャルロットが腕を組み、満足げに微笑んだ。 「また自殺ミッション達成ね。癖になってるんじゃない?」
反対側では、もう一つのカプセルが静かに開いた。 タニアが起き上がり、眩しい光に目をしばたたかせた。長い青髪が肩に流れる。長い昼寝から覚めたかのように穏やかだった。
「私の天使!」 ルドルフが涙を流して駆け寄った。ヴァレンティナとエステティカも続く。 「パパ!」 タニアが弱々しく微笑む。
「ああ、私の可愛い娘! 無事だったか!」ルドルフは壊れ物を扱うように彼女の顔を包んだ。「痛みはないか? 量子整合性は安定しているか?」 「従姉妹よ!」ヴァレンティナが安堵の息を吐く。「心配させないでよ。気分はどう?」
エステティカが濡れタオルでタニアの頬を拭った。 「タニアお嬢様。家事と勉強が山積みですよ。お部屋も散らかり放題です。すぐに取り掛かってください」 「ふふっ」タニアは鈴のような声で笑った。「パパ、ヴァレンティナお姉ちゃん、エステティカ……ただいま。ジェイズお兄ちゃんを送ってくれてありがとう。彼がいなかったら……目覚めなかったかも」
「全て上手くいってよかったわ!」ラファエラが胸をなで下ろす。
だが、ジェイズはドラカリスの抱擁を優しく解き、真剣な表情で科学者に歩み寄った。祝賀ムードを断ち切るような目だった。
「ルドルフ博士」 ジェイズの声は低かった。 「いくつか説明してもらいたいことがあります」
ルドルフは涙を拭いて眼鏡を直した。 「ん? ああ、もちろんだとも。何かな?」
ジェイズとタニアは視線を交わした。 ジェイズは事の顛末を話した。システム、強制ミッション、そして世界の浸食。 だが、あの名前を出した時、ルドルフは呆気にとられた顔をした。
「『キャピ』?」 博士は禿げ上がった頭をかいた。 「そんな名前のアシスタントをプログラムした覚えはないぞ……。そもそも、ワシのシミュレーションに自我を持つAIなどいない。ただのスクリプトじゃ」
タニアが顔を真っ赤にして俯いた。髪をいじりながら呟く。 「それに……あんな、その……エッチなミッションを出すシステムなんてないわ。これ、NTRゲームですらないの! 本来は純愛アドベンチャーのはずだったのに……」
「はあ?」 ジェイズの背筋が凍った。 「じゃあ、『触れ』とか『キスしろ』とか『寝取れ』って命令は……?」
「嘘じゃない」ジェイズは食い下がった。「キャピは実在した。タニアも最後に声を聞いたはずだ。こちらの世界で会おうと言っていた」 「うん……」タニアが神妙に頷く。「私も聞いたわ。プログラムとは思えない、楽しそうな女性の声だった」
ルドルフは青ざめた。 (外部存在による次元技術へのハッキングだと……? 魅力的だが、恐ろしいことだ)
「まあよい」 ドラカリスが大あくびをして割り込んだ。 「主が無事なら、幽霊の話など後じゃ」
「ゲーム内での経過時間は?」ルドルフが科学者モードに戻る。 「そうだな……向こうでは5日から8日くらい経った感覚だ」 「興味深いわね」ヴァレンティナが時計を見る。「ここでは数時間しか経ってない。時間拡張が証明されたわ」
「とにかく、二人は休むべきよ」ヴァレンティナが仕切った。「精神転送で疲れてるはずだわ」
「待ってくれ、もう一つ」 ルドルフが娘を心配そうに見た。 「あの『魔神』とかいう奴らは……お前に何かひどいことをしなかったか?」
タニアは首を振り、どこか懐かしそうに微笑んだ。 「ううん、全然……すごく良くしてくれたわ。美味しいご飯に、読書の時間……。魔神さんは教養があって優しい人だったの。ただ、寂しがり屋なだけで」
(優しい魔神だと?) ジェイズは思った。 (じゃあキャピが、俺を動かすために舞台を書き換えて戦争に見せていたのか……)
「驚いたな……」 エステティカが手を打った。 「さあお嬢様、お風呂を沸かしてあります。ジェイズ様もどうぞ。ゲスト用のバスルームがありますので」
「ああ……風呂は天国だな」 ジェイズは疲れを感じながら歩き出した。 「一緒に行くー!」リンが足にしがみつく。 「妾も背中を流してやるぞ!」ドラカリスが続く。
ルドルフはその光景を見ていた。少女と最強のドラゴンに慕われる若者を。 「この少年……黒竜に『主』と呼ばせるとは……それに娘も……」
タニアは動かなかった。ジェイズの背中を熱っぽい目で見つめている。頬は赤く、その瞳にはルドルフが見覚えのある光が宿っていた。 「ジェイズお兄ちゃん……本当に特別……」
「むむっ」ルドルフが唸る。「その目は危険じゃぞ! 被験者に恋なぞしてはいかん!」 「えへへ……」
***
ジェイズたちが去った後、指令室に沈黙が落ちた。 ヴァレンティナがゆっくりと振り返り、腕を組んで叔父を見据えた。
「さて、叔父さん。大きな借りができたわね」 彼女の声は断固としていた。 「私の大事な冒険者を危険に晒したんだから……今度は貴方が助ける番よ」
ルドルフは白衣を正し、厳粛に頷いた。 「分かっておる。約束は約束じゃ」
シャルロット、ラファエラ、リタが一斉に前に出た。 彼女たちの目に迷いはなかった。
「ついて来なさい」 ルドルフが隠しパネルを操作した。 「見せたいものがある」
開いた扉の奥には、『ベール・ピアサー(次元穿孔機)』と呼ばれる巨大な金属リングが鎮座していた。
「それで、可能なんですか?」 リタが杖を強く握りしめて尋ねた。 「自然発生を待たずに、『時間凍結のダンジョン』に入ることは」
「この機械を使えばな」 ルドルフの顔が青い光に照らされる。 「だが実験段階じゃ。一度入れば、ワシの方から出すことはできん。内部から出口を見つけるか、ダンジョンの周期が終わるのを待つしかない」
彼は三人を見渡した。 「中では……数年が経過するかもしれんぞ」
「数年……」シャルロットが息を飲む。
「こちらの時間では数日じゃがな。だが最大のリスクは時間の不安定さじゃ。お主らが数十年修行しても歳をとらない『完全凍結』かもしれんし、逆に数分で老婆になって死ぬ『加速』かもしれん。命がけの賭けじゃよ」
重い沈黙。青春を、命を失うかもしれない恐怖。 だが、ラファエラは揺らがなかった。エルフのオーラが新たな決意で輝く。
「やります。ジェイズは私たちより遥かに強大な敵と戦っている。このままじゃお荷物よ。彼が私たちを守って死ぬなんて、絶対に嫌」
「その通りです」 シャルロットが顔を上げた。かつてラウルのことで泣いていた少女の面影はない。 「守られるだけの女はもう卒業します。私は彼の剣になりたい。そのために命を懸ける必要があるなら、安いものです」
「私も……」 リタが震える手で眼鏡を直した。 「ミタお姉ちゃんの真実を知りたい。歪んだ時間の中で姉さんが生きている可能性があるなら……行きます」
ルドルフは感嘆した。 「若き英雄には告げないのか? 彼なら止めるだろう」
三人は悲しげに微笑み合った。 「だから内緒なんです」リタが涙を拭った。「彼が来れば、また一人で背負ってしまう。これは私たちの戦いですから」
ラファエラがヴァレンティナに向き直った。 「マスター……彼には伝えて。特訓に行くだけだと。そして彼の隣に立つに相応しい強さを手に入れて戻ると。……心配しないでって」
ヴァレンティナは誇りと心配の入り混じった顔で頷いた。 「伝えるわ。でも必ず生きて戻りなさい。ジェイズにハーレムが消えた理由を説明したくないもの」
ルドルフがスイッチを入れた。ヴォルテックスが回転し、現実を引き裂く。 「いいだろう。地獄への旅は10分後に出発じゃ。幸運を祈る!」
(続く)




