「彼女が……彼女がここにいる!」
「希望と絶望は、紙一重だ。
英雄の血は黒く濁り、聖なる光さえも飲み込まれていく。
迫りくる漆黒の爪、届かない叫び。
だが、運命の歯車はまだ止まってはいない。
少年の覚悟と、姫の口づけが重なるとき――
次元を超えた『最強』が目を覚ます。」
英雄ラウルは、その真新しい悪魔の肉体の全重量を乗せて、主人公へと襲いかかった。
だがジェイズは、激痛と恐怖に耐えながら、土壇場で錬金術を発動させる。
「今だッ!!!」
渾身の叫びとともに、魔力を練り上げる。
炎の錬金術による純粋な変成で生み出された、鋭く輝く槍がその手から放たれた。それは一瞬にしてラウルの胸を貫き、心臓を刺し通した。
「ぐあぁぁぁぁぁっ!」
ラウルの口から鮮血が噴き出す。
「好き勝手にはさせないぞ!」
滝のような汗を流しながら、ジェイズは叫んだ。
しかしその直後――ラウルは笑った。広く、不気味で……人間とは思えない笑みだった。
「ジェイズ、危ない!」
アレリスが叫んだが、もう遅かった。
**シュパッ!**
黒く鋭い触手が、ジェイズの脚を深々と貫いた。
「ぐあああああああっ! くそ……痛ぇ……痛すぎるッ!」
ジェイズは激痛に悶え、膝をつく。
「捕まえたぜ……!」
ラウルは嘲るように言い放つと、凄まじい力で拳を叩きつけた。ジェイズの身体は数メートル吹き飛び、岩に激突した。
「ぐふっ……!」
衝撃で血を吐き出す。
「ジェイズ、いやぁぁっ!!! お願い、死なないで!」
アレリスが駆け寄ろうとする。
だが、彼女がたどり着くより早く、別の触手がその首を捉え、宙へと吊り上げた。ギリギリと締め上げる力が強まる。
「あ、ぐぅ……っ!」
姫は苦痛に呻き、呼吸を求めてもがく。
「姫さま……」
ラウルは醜く歪んだ顔を近づけ、耳元で囁いた。
「大人しくしていたほうが身のためだぜ。さっさとその目をくり抜かなきゃならねぇんだ……もう時間がねぇんでな!」
「い、いや……っ!」
アレリスの顔は圧迫で赤く染まり、言葉にならない悲鳴を上げる。
ラウルの手が彼女の顔へと伸びる。黒く輝く鉤爪が、“運命の眼”まであと数センチに迫っていた。意識が遠のきかけているジェイズは、その光景をぼんやりと見つめていた。
「至高姫……だめだ……守らなきゃ……」
震える手を伸ばす。
「立て……立つんだ……」
だが、身体は言うことを聞かない。視界が霞んでいく。
その時だった。鮮血の飛沫が空に散った。
ジェイズの視界が赤く染まる。世界が止まったかのように感じた。
「ギャアアアアアアアアアアアアッ!!!」
断末魔のような絶叫が戦場に響き渡った。
姫の身体が地面に落ちる。
だが、何かがおかしい……。
彼女の目は、無事だった。
「ああああッ、クソアマがぁぁッ! 先に殺しておけばよかったぜ!」
ラウルが膝をつき、苦痛に身をよじって咆哮している。
ジェイズは何が起きたのか理解できなかった。聞き覚えのある声が、彼を混乱から引き戻すまでは。
「ジェイズ、立って……。あの悪魔に、姫さまを傷つけさせるわけにはいかないわ……」
「その声……あんた……アリスか?」
影の中から、優雅な姿が現れた。魔法の包帯をまとい、その手には黄金の輝きを放つ聖剣が握られている。
「ええ、私よ」
アリスは毅然とした口調で答えた。
「間に合ったわね。あの悪魔、もう少しで姫さまの目を奪うところだったわ……」
「ぐ、ああぁ……痛ぇ……! テメェ、何をしやがった……!?」
ラウルは腹部を押さえて叫ぶ。そこには聖なる傷が刻まれ、永遠の炎のように灼けついていた。
「今のあなたは、以前とは違う」
アリスは剣先を彼に向けたまま告げる。
「その新しい姿……確かに強力だわ。でも、だからこそ私の聖剣が通じるのよ。あなたは受肉した悪魔。その肉体そのものが、魔の肉だもの」
「そうか……!」
ジェイズは痛む身体を起こしながら納得した。
「だからか……! あいつから放たれるミアズマに、血の匂いが混じっていたのは!」
「その通りよ」
アリスは聖剣を高く掲げる。
「受肉した悪魔を傷つけられるのは、聖なる武具だけ……そして私の剣は、高位の聖遺物よ」
ラウルは歯ぎしりし、怒りに震えながら二人を睨みつけた。
(クソが……)
彼は内心で毒づいた。
(ただのミアズマならあのガキに中和されちまう……かといって、より強力な受肉悪魔になれば……聖剣持ちが出てきやがる!)
その時、彼の脳内にどす黒い声が響いた。
「時間がないぞ」
アクロンだった。
「殺せ! 今こそ“カオス”を解き放つ時だ。伝説の英雄の血を15%も引いているお前なら……できるはずだ!」
「嫌だ……!」
ラウルは眉をひそめ、低い声で拒絶した。
「カオスなんか解放したら……俺は俺じゃなくなっちまう。復讐を楽しみたいんだよ。俺はあの裏切り女どもを殺したいんだ……俺の目の前にいるこいつらを……俺自身の手でな!」
「仕方あるまい……」
重々しい口調でネクロンが割って入る。
「アクロン、強制的にカオスを発動させるぞ。術式を展開しろ。たとえ英雄の人格が壊れようともな」
「そうだな」
アクロンが答えた。
「もう後戻りはできん」
その瞬間――二体の悪魔が同時に手を掲げた。
空中に禍々しい紋章が浮かび上がり、黒い炎の輪となって辺り一面を取り囲む。鼻をつく腐臭が瞬く間に広がり、空気が重く淀み始めた。まるで世界そのものが息を止めたかのようだった。
「やめろ……」
ラウルの額を冷や汗が伝う。
「そんな約束じゃなかったはずだ。俺は……意識を失いたくないんだよ」
「貴様の意志など知ったことではない」
アクロンが冷酷に言い放つ。
「我らが望むのは……あと一歩のところで失敗しないことだけだ」
「この空気……」
アリスは地面を踏みしめ、呟いた。
「悪魔召喚の儀式だわ。とてつもなく邪悪な何かが来る」
「召喚だって?」
ジェイズは姫の腕を強く掴んだ。
「でも、聞いてた話じゃ、こっち側の世界じゃ悪魔はそこまでの力を使えないはずだろ」
「彼らは無理ね」
アリスは黒く染まっていく空から目を離さずに答える。
「でも、あなたの部隊の隊長の血なら話は別よ。英雄の血の純度が高ければ高いほど……強力な依り代になる!」
「何か聞いたことはあるけど……」
ジェイズは顔をしかめた。
「そもそも英雄の血ってなんなんだよ?」
「説明は後よ」
アリスが遮る。
「来るわ、構えて!」
ラウルが喉を詰まらせたような咆哮を上げた。肉体がねじれ、変形していく。口からは燃える煙のようなミアズマが噴き出している。もはや以前の人間の面影はどこにもない。彼は震える自分の手を見つめていた。まるで初めて見るもののように。
「ラウル……ではないな。ヴァンカー」
アクロンが宣言する。
「あの人間どもを殲滅せよ……そして運命の眼を持ち帰るのだ」
「ゴォォォォォォォォッ!!」
怪物は太古の獣のごとき咆哮を上げた。
人間離れした速度で、彼らへ向かって突進してくる。
「トゥテラ・カエリ(天の加護)!」
アリスが障壁を展開した。
彼女と悪魔の間に聖なる盾が出現する――だが、それは鋼鉄に触れたシャボン玉のように、一瞬で砕け散った。
「馬鹿な……」
彼女は信じられないといった様子で呟く。
「私の聖なる盾が……」
ヴァンカーは低く笑い、強烈な蹴りを叩き込んだ。アリスは岩壁まで吹き飛ばされ、空中に鮮血の跡を残した。
「アリスさん!」
ジェイズが叫ぶ。
「強すぎる……!」
悪魔は止まらない。倒れた女戦士に襲いかかろうとした瞬間、ジェイズが割って入った。
「変成!」
巨大な鉄の盾が目の前に形成される――が、それもまた一撃でスクラップへと変えられた。
「お前……」
ヴァンカーは赤い瞳で彼を射抜き、唸った。
「俺の女たち……」
「あ?」
ジェイズは驚いて瞬きした。
「まだラウルの意識が残ってるのか……? 説得できるかもしれない」
「ラウル、諦めるな。おい……まだ間に合うぞ。シャーロットや他の子たちも……お前を待ってるんだ」
悪魔の目がさらに見開かれ、憎悪の雄叫びが大地を揺るがした。
「お前が……憎い。俺の女たち……シャーロット……ぶっ殺してやる!!」
「……逆効果だったみたいだな」
ジェイズは無表情で呟いた。
「少年……」
アリスが意識を保とうともがきながら喘ぐ。
「逃げて……姫さまを連れて……ここから……」
ジェイズは至高姫を見た。心臓が早鐘を打っている。背後ではヴァンカーの咆哮が雷鳴のように轟いていた。
(姫さま……何としても守らなきゃ……でもアリスも見捨てるわけには……)
(くそっ……力がねぇ……これっぽっちも……俺はなんて弱いんだ……!)
その時、不意に至高姫が彼の顔を両手で包み――キスをした。
(ひ、姫さま……?)
心臓が破裂しそうになる。
(なんで今……キスなんて……?)
運命の眼が眩いばかりの光を放ち、二人の顔を黄金の輝きで照らし出した。
「言ったでしょう……」
アレリスは彼の目を見つめて囁く。
「あなたは私の救世主よ。何が起きても……私の眼は決して間違わないわ」
「いや、姫さま……俺じゃ……守れないよ……弱すぎるんだ……」
アレリスは微笑んだ。
「まだ切り札があるじゃない。眼が教えてくれたわ」
「召喚よ!」
「召喚だって……?」
ジェイズは信じられないという顔をした。
「でも……錬金術の中でも、俺は召喚が一番苦手なんだぞ。今まで一度も成功したことないし! 記号だって覚えてないし……ましてや、強力な魔物と契約なんてしてないのに……」
「集中して」
彼女は力強く言った。
「あなたならできる」
「私の眼が……道を示してくれるから」
彼女はもう一度キスをした。今度はより深く。世界が消え失せた。
ジェイズの脳内でイメージが炸裂する。幼い頃の自分。召喚陣の練習をしている姿。手でルーンを描き、失敗しては立ち上がる日々の記憶。
「なんだこれ……?」
彼は呟く。
「記憶……? いや……知識だ!」
ヴァンカーはすでに彼らの目前に迫り、トドメの一撃を振り上げていた。
「死ねェッ! クソ虫がァァァ!!」
だが、溢れ出すイメージの混沌の中で、ジェイズはある姿を見た。
背が高く、威厳に満ちた……湾曲した角、赤い瞳、炎のように揺らめく黒髪。
「……あいつは……」
彼はカッと目を見開いた。
**ドオォォォォンッ!!**
衝撃波が周囲に炸裂し、悪魔を数メートル後退させる。
「グルルッ!」
ヴァンカーは思わず目を覆った。
「なんだ、このエネルギーは!?」
遠くから見ていたアクロンとネクロンも、呆然と立ち尽くしていた。
「あのガキ、何をしやがった!?」
アクロンが叫ぶ。
「あり得ん……」
ネクロンが呻く。
ジェイズは両手を地面に押し付けたまま、眼下に輝く燃えるような魔法陣と、その中心から立ち昇る威圧的なシルエットを見つめていた。
「や……やった……」
声が震える。
「来て……くれたんだな」
ドラゴンの尾が地面を叩き、岩を砕き、土煙を巻き上げた。
煙の中から現れたのは、野性的な美貌を持つ女。鋭い角、危険な笑み、完璧な肢体、風になびく黒髪、熾火のように赤い瞳……そして、力と色香が純粋な状態で混じり合ったオーラ。
「あら……」
深く、蠱惑的な声が響く。
「やっと会えたわね、人間」
「俺の愛しいドラゴン……ドラカリス!」
彼女は牙を見せてニヤリと笑った。
「我が主……参りました」
「さあ……これで全て解決よ」
――続く。
召喚の光が消え、戦場に顕現した黒き竜。
その美しくも恐ろしい姿に、世界が息を呑む。
暴走する悪魔『ヴァンカー』と、伝説の『ドラカリス』。
規格外の力が対峙するとき、運命の歯車は再び回り出す。
少年の切り札は、絶望を覆すことができるのか――?
次回、激突。」




