炎の錬金術師は何もしていない――ラウルは復讐を求める!
夜のざわめきが明け切らぬまま、会議室は騒然とした。
至高姫の来訪、遺体に残る瘴気、そして渦中に立つ炎の錬金術師。
疑惑は晴れぬまま、ただ一人――英雄ラウルの瞳だけが、暗い復讐の色で満ちていく。
ジェイズはびくりと身を震わせ、椅子から落ちかけた。だが、その頭をフードの女の一人が荒々しく掴み、ぐっと押さえつける。
「騒ぐんじゃないよ、クズ。ここで首、落とされたいのかい?」
「落ち着いて」もう一人の女が、穏やかな声で制した。「そんなに荒っぽくする必要はないわ」
「ちょ、ちょっと! ここ、人でいっぱいなんだけど! 目立つだろ!」
ジェイズは周囲に気取られぬよう、必死に身をよじる。
しかし、すでに遅かった。会場の視線は一斉に彼らへ向いていた。
「ジェイズ。あの得体の知れない連中は、誰?」
ヴァレンティナが片眉を上げ、明らかな警戒をにじませる。
「いや、その……ボス、俺も分からない。勝手に隣に座ってきて――って、いってぇ! 頭離せって!」
ヤマト・サトウが、露骨に不機嫌な咳払いを一つ。
「参加者ジェイズ。会合に出る気がないのなら、退席してもらおう」
「い、いえいえいえ! 総長、違うんです!」
ジェイズは脂汗をにじませ、早口で弁明する。「この人たちがいきなり現れて――」
ヴァレンティナは額に手を当て、長くため息を吐いた。
「……あなたって子は、本当にもう」
フードの少女は、静かな顔のまま小さく息をついた。
「しかたないわね。身分を明かすしかないか」
そう言うと、彼女はサングラスを外し、フードを下ろし、キャップを取った。
次の瞬間、会場に絶対の静寂が落ちる。
「皆さん、こんにちは」
彼女は瑞々しい、無垢な笑みで言った。
「何をしていらっしゃるの?」
どよめきが爆ぜる。目という目が見開かれ――
「――至高姫殿下だ!!」
観覧席から一斉に叫びが上がった。
「し、至高……だ、誰って……?」
ジェイズは血の気が引き、魂が抜け落ちたような顔でうわずる。
気づけば、彼は盛大にぎこちない動きで膝をついていた。
「こ、これはご無礼を! 陛下、無礼をどうかお許しください!」
アレリス・ヴァルタリアは、どこか悪戯めいた目で彼を見下ろす。
「もし近衛を連れて来ていたら、あなたの首は今ごろ無いわ。――でも、今日は運がいいわね」
「あ、ありがたきお言葉……っ!」
ジェイズは口から魂が出そうな顔で、震えながら礼を述べた。
「これは由々しき事態です」
ヤマトが歩み寄り、低く進言する。
「どうか、これ以上の混乱をお招きになりませぬよう――」
「心配はいらないわ」
アレリスは顎を上げ、堂々と宣言する。
「今日は忠実なる従者――ヨセフィナ・グラントチェスターを伴って来たの」
もう一人のフード姿が前へ出て、顔を見せた。
「陛下の無作法、どうかご容赦ください。まだお年頃でして……成長途中なのです」
ヨセフィナは礼儀正しく頭を下げる。
「ちょっと!」
アレリスはぷくっと頬をふくらませ、愛らしく抗議した。
「彼女って……まさか、そんな……!」
ラファエラが目を見開き、思わず声を上ずらせる。
「知ってるの? 誰なの?」
リタが戸惑い混じりに尋ねる。
「もちろん。グラントチェスターの大魔女よ。強すぎる――不死身だって噂されるくらい。彼女の武勲は、数えきれない」
「うおお! ヤバ! ホンモノの魔女だ!」
リタは子どものように目を輝かせる。
その頃、ラウルは妙な表情でアレリスを見つめていた。胸の奥で、何かが蠢く。今にも噴き出しそうな、暗いものが。
「ラウル? 大丈夫? どこか悪いの?」
シャルロットが心配そうに覗き込む。
「ああ……もちろん。すこぶる快調だ」
ラウルはすぐにきびすを正し、いつもの調子を取り戻したように見えた。
「これ以上ないくらい、ね」
しかし、その視線はすぐにアリスへ滑った。
教会ギルドの代表として席に着く彼女――虚ろな瞳に、口元だけが不気味に吊り上がる。
「――ああ、いい気分だよ」
ラウルは、どこか底冷えする声で繰り返す。
「今夜は……最高の夜になる」
「そ、そう……なら、よかったけど」
シャルロットはうなずいたが、その声にはわずかな不安が混じっていた。
アレリスは指先を唇に当て、いたずらっぽく微笑むと、ゆっくりと大広間の中央へ歩み出た。
「議論は続けてちょうだい」
彼女は肩の力の抜けた口調で言う。
「私はこの子の隣に座るだけだから」
「え、えっ……どうして俺の隣に?」
ジェイズは露骨にうろたえ、言葉をつかえさせる。
アレリスは彼へ身を傾け、誰にも聞こえないほどの囁きで甘く告げた。
「もう言ったでしょう――わたしの“運命”は、あなたのそば」
返事を待たず、彼女は当たり前のように隣へ腰を下ろした。
一部始終を見届けたヤマト・サトウが、場を戻すように咳払いを一つ。
「……では本題に戻ろう」
声色を引き締める。
「イエローストーン公園で起きた事案は、死亡した者たちと、〈B-コーション〉――通称〈イエロー・レイ〉に分類される小隊の二名、若きジェイズ殿とシャルロット嬢を巻き込んでいる。
予備調査と聞き取りによれば、交戦が発生した。――当事者、もしくは代表者による説明を求めたい」
ヴァレンティナがすっと立ち上がる。姿勢は凛然、視線はまっすぐ。
一瞬で、場の注目が彼女ひとりに集まった。
「経緯はこうです」
彼女は揺るがぬ声で語り始める。
「ジェイズとシャルロットが公園を散策していたところ、参加者のダンに襲撃されました。故なき加害です。これに対し即時の同等反応を以て応じ、魔術および錬金術が行使されました。その結果として、遺体の一方からマナの残滓が検出された――それだけのこと」
短く息を置き、ヤマトを正面から見据える。
「うちの子たちは被害者です。後に発見された瘴気との関連は一切ありません。
当該時間、シャルロットは頭部に軽傷を負っており、医療施設で処置を受けています」
彼女が目線で合図すると、リアが無言で頷き、ヤマトの机へ歩み出る。
封蝋で閉じられた封筒を、確かな手つきで置いた。
「以上を立証する資料です。精査をお願いします」
ヴァレンティナは静かに締めくくった。
一秒だけ、ヤマトの思考がふわりと浮つく。
(ヴァレンティナちゃん……最高すぎる……)
すぐに我へ返り、こほん、と改めて咳払い。
「承った。提出書類をもとに、英雄ラウルの所属チームを失格とするか否か、大会の継続可否と併せて判断する」
少し離れた場所で、ヴァドゥルス・ヴァンダーホールド伯もまた“至高姫”に視線を固定していた。
額に出た不機嫌の影は、隠そうともしない。
「サトウ総長。私は一旦、席を外す」
伯爵は乾いた調子で言い放つ。
「賢明な決断を、期待している」
「ご体調でも?」
ヤマトが眉をわずかに上げる。
「まあ、そういうことだ。今夜は休ませてもらう」
「承知した……では、すぐに結論を告げよう」
ヤマトは二歩進み、場内に響く声量で告げた。
「諸君、静粛に! 大会の扱いについて決定を下した」
ざわめきは瞬時に消える。期待の気配が満ちる。
「大会は続行する。中止はしない!」
歓声、口笛、拍手。抑えきれない喜びに、思わず跳びはねる者もいる。
「予定どおり明日も進行する。各隊――準備せよ!」
ほどなくして会合は解散となり、各隊はそれぞれの任へ戻る。
同時に、当局は死亡事案の捜査に本格着手した。
その頃――。
ジェイズは隊のみんなと並んで、明るい照明の回廊を歩いていた。
ふと、足を止める。小規模な召喚術を展開する錬金術師が目に入ったのだ。
術式の前に、猫に似た小さな生き物がぽん、と現れる。
「……会いたかったよ」
少年がその子に優しく呼びかける。
「きゅうう!」
小さな生き物は嬉しそうに跳ね、少年の胸へ飛び込んだ。
「ははっ、かわいいな」
ジェイズは黙って、その光景を見つめた。
気づけば、意識は幼い日の記憶へと沈んでいく――
「おじいちゃん、助けて!」
「召喚だ――錬金術師なら、道具の転送も、小さな生き物の呼び寄せも使いこなさねば、危機からは生還できん」
「どうやるの? どうなってるの、ねぇおじいちゃん?」
「いいか、坊や――まず“対象”に、錬金の『印』を刻むのだ」
「それから――どこにいようと、その“印”を刻んだ物なら呼び出せる。大きければ大きいほど、消費するマナは増える」
「じゃあ、ぼくのワンコを呼び出して、そばにいてもらうのは?」
「できるとも。ただし“生き物”は物とは違う。契約を結ばねばならん。相手の同意が要るのだ」
「そっか……! じゃあお友だちみんなと契約して、寂しい時は呼んで――パーティしよ!」
「ははは、そうはいかんよ。残念ながら、人間の召喚は不可能だ」
「えぇ~、つまんない!」
「はっはっはっ!」
「……結局、あれだけは一度も身につかなかったんだよな」
ジェイズはどこか寂しげに呟いた。
「小さな物一つだって呼べない。召喚は、どうも俺向きじゃないらしい」
「ジェイズ、はやく! 今日は動物園に行くんだから!」
前を歩くリタが振り返って叫ぶ。
「えっ……待って! 今行く、行く!」
彼はぱっと顔を上げ、すぐさま足取りを軽くした。
* * *
少しして――。
一行はこの惑星の固有種を見て回り、笑い声と冗談、ささやかな歓声で満ちた。黄金色の陽が傾き、午後の光がやわらかく広場を包む。
だが、群れから離れ、木陰の石のベンチに腰かけたラウルだけは動かなかった。
かつて傲慢に満ちていた眼は、今や空洞だ。
遠くで、三人の仲間――リタ、ラファエラ、そしてシャルロットが、ある少年に穏やかな眼差しを向けている。
彼女たちの心をさらっていった少年――ジェイズに。
一瞥で、すべてが分かった。
彼は、すべてを失ったのだ。
「……もう、取り戻せるものは何もない、か」
ラウルは押し殺した声でつぶやく。ひび割れた息が混じる。
「今夜、みんなに“恐怖”を教えてやる。リタ、ラファエラ、シャルロット……お前たちが選んだ。あとで俺を責めるなよ」
* * *
その少し後。
ジェイズは手の中で硬貨を弄びながら、のんびりとアイスの屋台へ向かっていた。
「今日、けっこう暑いな……帰る前に海にも寄りたい」
穏やかな笑みを浮かべ、独りごちる――その時、ふいに誰かとぶつかった。
「わっ、ごめん――俺が悪い。えっと、君は……」
「その“気配”……私を倒した少年ね?」
気品ある女の声が返す。
「ま、待って、それ言い方やめてください……!」
ジェイズは後頭部をかき、気恥ずかしそうに笑う。
「俺、卑怯な小細工に頼りましたし。真正面じゃ、あなたには絶対に勝てない」
聖剣の勇者――アリスは、ふっと優しく微笑んだ。
「あなたは優しい子ね。……心も、綺麗」
「き、きれい……」
思わずこぼれた独り言に、自分で頬が熱くなる。
「いま何か言った?」
アリスが首をかしげる。
「い、いえっ! なんでも! その……アイス、買いに?」
「ええ、みんなの分を。公園の奥のテントにいるの。人が少なくて静かな場所よ。よかったら来る?」
「行きたいですけど、女の子たちのアイス待たせてて……遅れたら、ボスに殺されるかも」
ジェイズはこめかみに汗を滲ませて苦笑した。
「そう……じゃあ、その……一つだけ、言ってもいい?」
「はい、もちろん。なんでも」
アリスは一歩近づき、真っ赤になった顔を彼の耳へ寄せる。
「この前の勝負以来、ずっとあなたのことを考えてた。……“きれい”って言ってくれて、ありがとう」
言い終えるやいなや、彼女は顔を覆って駆け出した。
「……ま、まさかの展開……!」
ジェイズは呆然とつぶやいた。
* * *
ほどなくして、アリスは仲間たちを置いた場所へ戻ってきた。
――だが、何かがおかしい。
「みんな……? どこ?」
不安の色が声に滲む。
周りを見渡す。どこにも、仲間の気配がない。
「冗談はやめて……どこに隠れてるの!」
そのとき、足元に小さな物体が目に入った。
魔法のメモ――触れた瞬間、強制的に座標情報が脳裏へ流れ込んでくる。高度な術式による“埋め込み”だ。
「……まさか、そんな」
アリスは逡巡を捨て、示された方角へ一直線に駆けた。
歩みは次第に速く、鋭く。目的地が近づくにつれ、胸の鼓動が高鳴る。
そして――見つけた。
「どういうつもり……これは――!」
アリスの顔から血の気が引く。
歪んだ木々の枝にぶらさがる、暗い粘膜の繭。
仲間たちが、その中に蛹のように閉じ込められている。
「くっ……!」
アリスは迷わず剣を抜く。
銀の閃光が空を裂き、ひと振りで一人を解放した。彼は意識を失ってはいたが、生きている。
すぐさま二つ目へ――
その刹那、金属の刃が風を裂き、彼女の頬をかすめる寸前で通り過ぎた。
アリスは猫科の獣のように後方へ跳躍し、構えを取り直す。
「誰――そこにいるの? 出てきなさい!」
声は冷たく、鋭い。
低く濁った、傲慢と悪意に満ちた声が闇から滲み出た。
「やれやれ……“完璧な”聖剣の乙女。私の小手調べを避けるとは。さすがだね」
アリスは眉を寄せ、その声を思い出す。
「その声……あなた、英雄の血を持つ――ラウル!」
黒い靄をまとい、輪郭を歪ませた影が木立の間から歩み出る。
その霧は皮膚に張り付く第二の皮のように、男の全身を覆っていた。
「やあ――君を殺しに来た」
――つづく。
歪む木立、黒い繭が不気味に揺れた。
聖剣の乙女アリスの前へ、闇を纏ったラウルが歩み出る。
「――今夜、すべてを終わらせる」
静かな宣告が、長い夜の幕を開けた。
――つづく。




