第4話 私の好きなこと
私はあれから図書館だよりの原稿のことをつらつら考えていて、今日も朝から頭を悩ませていた。
何度考えても私には熱中していることも、伝えたいこともない……カラッポだわ。今回はお断りしようかしら……でも、誘って頂いたのに無下に断わるのも悪い気がするし。
私はふと図書室だよりのバックナンバーのことを思い出した。私は事務室に入り、図書館だよりの束を手に取る。そこには好きが溢れていた。植物のこと、天文学のこと、文学のこと、詩を書いている人もいるわ。頁をめくれば知らない世界がこんなにもあるのかと驚く。それと同時にとても眩しかった。ここには自分の世界を持っている人がいる。情熱に溢れて。
私は思わずため息を吐く。自分の中身の無さをこれでもか、と思い知らされて。私には書けるほどのものがない。私には一体、何があるのかしら? それを問われている気がする……貴族令嬢としてのたしなみ……ではないわね。今現在貴族令嬢としては規格に外れてしまったし、誇りに思っているわけでもないもの。情熱を持っている、とはとても言い難い。
私が悩んでいると、事務室の扉が開く音がして、私ははっと視線を向けるとライナスさんが入ってきたところだった。
「ライナスさん。今日はずいぶんお早いですのね」
今はまだ午前中だわ。私と違って皆は授業に出ている。この時間に来るのは珍しい。
「教師がやっかいな風邪を引いたとのことでな。休みになった。君は修理の途中だったか」
「いえ……ちょっと悩んでいたところですわ」
「ふむ、悩みとは若者らしいな」
「ライナスさんもその”若者”だと思いますけど」
私が苦笑すると、ライナスさんは肩を竦める。
「アメリアさんに図書館だよりの原稿を書かないかと、お誘い頂いているのですけれど、私には何もなくて。一体私には何があるのか考えているところですの」
「なるほどな。自分探しの旅、というわけだな」
「自分探しってそんな……」
何だか気恥ずかしい言葉だわ。そんな私の態度に気が付いたのか、ライナスさんが目がきらっと光った。何かを長々解説したいときの特徴だわ。
「なに、恥ずかしがることはない。若者にはつきものだ。文豪と名高いトーレンスも若い頃は、自分が何者か悩み、方々に喧嘩を吹っ掛けたり、密輸の片棒を担いだり、貴族の妻を誘惑したり、それがバレて船乗りになって逃げ回ったり、数年間乞食のような生活をしたり、とまぁ色々やった結果物を書くことに落ち着いたわけだ」
「……それは自分探しというより、若気の至りではありませんの?」
小説家のトーレンスの存在は私も知っている。読んだことはないけれど、人の業を鋭く抉る作風だと聞いたことがあるわ。ただ私の今の悩みとは関係あるのかどうかは分からない。
「ま、まぁ何事も無駄ではないということだ」
ライナスさんは誤魔化すように咳払いした。
「それに自分の好きな物を探すのは無駄ではない」
「それはそうですけれど。ライナスさんは哲学や文学がお好きなの?」
「ふむ。それらも好きだが、たいがい読み物なら何でも」
「読書という行為がお好きみなのですね」
私の言葉にライナスさんは頷く。
「そうとも言えるかもしれん。図書委員になったのも自由に本が読めるからだ。週末なら邪魔もそうそう入らんしな」
私は通いで学院に着ているけれど、図書委員の三人は寮で暮らしている。週末も当然、図書室に入り浸っているみたい。週末は授業もなくて、生徒も少ないから本を読むには良い環境なのよね。
「本は誰でも読めますわよね?」
私は首を傾げた。図書室に利用の制限はない。生徒なら誰でも好きに利用出来るはずだわ。
「開架の図書ならな。だが、閉架図書の本は気軽には読めない。そもそも存在すら知らない者も多いが。しかし、図書委員なら閉架書庫にも入りたい放題だ」
「前にもそのようなことを言ってらしたわね。それでは今日も?」
「そうだ」
ライナスさんが閉架書庫の扉を開ける。そう言えば私はまだ入ったことがなかったわ。折角なので私もついて行くことにした。中は棚が何列も整然と並んでいて、人気のないその部屋は薄暗く埃っぽい。棚に並んでいる本は、どれも古そうだわ。
「閉架書庫に保管されている資料は、古くなって外の棚に出しておくと劣化が進むものや、卒業生や学校関係者から寄贈された貴重な本や冊子などだ」
「つまり、おいそれと開架には置いておけない、ということですの?」
「そういうことだ。無論、読みたいと請求されればここから出して提供するが、あまり頼まれることはないな。残念なことだ」
ライナスさんが不服そうに鼻を鳴らす。確かに、私も図書委員になるまで閉架図書の存在は知らなかったわ。少々気まずい。
私は何となく近くの棚に目をやり、置いてあった一冊を引き抜く。革張りの黒い表紙の本で、金の箔押しが施されていたけれど、ところどころ擦れて薄くなっている。慎重に開くと、ページのあちこちに欠けや穴があり、彩色を施されたと思われるところも塗料が剥がれていた。それに黒い革の表紙も劣化していて手に細かな粒子がつく。
この状態なら確かに外に置いておけないわね。けれども、人の目に触れないのも本としてはどうなのかしら?
「修理は出来ませんの?」
「学校にも予算というものがある。君が手にしている本の頁は、羊皮紙で出来ている。動物の皮を本の頁に仕立てるのは今も昔も手間が掛かるし、とても高くつく。それに専門の修理工房に任せなければならないからな。年に数冊、修理に出せれば良い方だ」
「そうなのですね……」
私は手にしていた本を棚に戻す。
「いっそ、君が修理を極めてみたらどうだ? 好きなんだろう?」
「えぇっ……」
私は目を丸くした。確かに本の修理は好きな作業だわ。ノーマン先生には、頁の欠けた部分を補う方法や、手垢で汚れた頁を綺麗にする方法を教わっている。それにもっと難しい修理も覚えたいわ。でも、そんな簡単に古くて貴重な本を修理出来るようになるとはとても思えない。修理できるようになったら、良いなと思うけれど。そうしたら古い本がもっと人の目に触れることも出来るかもしれない。もっと知りたいし、やってみたい。
壊れた本や汚れた本が綺麗になるのは達成感があるわ。それに何かを直す、というのは楽しい。もっと腕をみがいて、知識を得たい。今、私はそう思っている。
私は唐突に閃いた。修理のことを書けば良いんだわ。
書きたいものは決まった。でも、文章なんて手紙や試験のレポートくらいでしか書いたことがない。うまく書けるかしら……。
私は不安になる。けれど、やってみなくてはどうにもならないわ。だめなら、だめできっと皆が教えてくれるもの。まずは、情報を集めて、どんな風に書くか、それを決めないと。そうなると、ノーマン先生にお話を聞いて、 あとは本の修理に関する本、なんてあるのかしら? それは分からないけれど、もしそういうものがあるなら読んでみたいわ。
俄然やる気が出てきた私は閉架書庫を後にした。ライナスさんは自分の読みたい本を既に開いていて、私が部屋を出て行ったことには気が付いていないみたいだった。
私はまず何をどう書くのかを考えることにした。本の修理の方法? それとも修理の歴史? それとももっと本を大事に扱うように啓蒙する?
うーん、と私は頭を悩ませる。私はノーマン先生に修理のことをもっと詳しく教えてもらおうと、先生が来た日に話を伺うことにした。
***
「修理のことをもっと知りたい、とな」
「はい。実は今度の図書室だよりに何か書きたいと思っておりますの。それで、私が今一番楽しいと思っている本の修理のことをもっと知りたいのですわ。実技だけではなく、理念や理論、歴史なども知りたいと思っておりますの」
「そうさの。これは本に限った話ではないが、修理の基本は可逆性じゃな」
ノーマン先生の口から出た聞きなれない言葉に私は首を傾げる。
「かぎゃくせい?」
「そうじゃ。例えば本の頁が破れたときに糊付けするが、その糊とて、もっと強くくっつき、かつ早く乾くものも世の中にはあるんじゃ。じゃが、それでも天然の糊を使うのは、水をつければ糊を簡単に剥がせるからじゃ」
「剥がしてしまって良いのですか?」
「そこじゃよ。要点は」
私の質問にノーマン先生はにこりと微笑む。
「この後、もっと負担が少なく、性能の良い糊や他に何か良い方法が開発されたときに、今ついている糊をすぐに剥がせるじゃろう?」
「確にそうですわね……」
「資料の保存というのは、物そのものをなるべく長くオリジナルの状態に保つということが大事じゃが、その為には修理はなるべく最低限で元に戻せる、ということも重要なんじゃ」
「なるほど」
私は話を聞きながら、メモを取る。
「まぁ、印刷技術と製紙技術の目覚ましい発展で本が大量に出回る現代では、そこまで修理に神経を使うのは、よほどの本好きか資料の保存を司る図書館や博物館くらいなものじゃがの」
そう言って、ノーマン先生は苦笑した。どことなく寂しそうな感じがした。
「以前は違ったのですか?」
「そうじゃの。本が今よりももっと貴重な頃、と言うてももう数百年以上の前のことじゃが。その頃は街のあちこちに写本の工房があったそうでな、そういうところに自分好みの装丁を頼んだり、修理を頼んでいたのじゃ。ま、勿論ワシもそんな時代は知らんがね」
「そんな時代もあったのですね」
確かに家にも書斎があって蔵書だってそれなりにあるけれど、修復工房に本の修理を依頼するほど大切にしているかと言えば、そうではない。家の中ではほとんど置物のような扱いだわ。
「修理を本格的に学びたいなら、製本や本の構造を知ることから始めるが良かろう」
「本の構造、ですか?」
「そうじゃ。やみくもに直せば良い、というものではないからかの。本のどこに力が掛かるのか、どこが弱いのか、それを知ることが大事じゃ。 それに使われている素材にも注意を払わねばならんの」
「素材、ですか? 本って紙から出来てますわね」
「紙と言っても、一口に言っても薄いものもあれば、厚いものもある。ざらつくものもあれば、つるっとしたものもある。紙の原料になるものも複数ある。つまり、種々様々な紙があるということじゃ」
そう言ってノーマン先生は何種類か本を持ってきてくれた。
「頁を触ってみると良い。違いが分かるじゃろう」
私は、ノーマン先生が持ってきてくれた本を開いてページを撫でてみる。辞書のようにぶ厚い本の紙は薄く、図版が入っているような画集はやや厚くつるつるしている。色も白っぽいものからやや黄みの強いものもあった。
「修理をしていましたけど、そこまで気にしたことがありませんでしたわ……」
己の無頓着ぶりに、私は恥じ入った。
「今までは簡易なものしか修理しておらんかったからの。仕方あるまい」
「いえ、情けない限りですわ」
「先ほども言った通り、もっと高度な修理を行ないたいなら本の構成を知る必要がある。無論、本と言っても装丁や綴じ方も様々じゃ。一つ一つ理解していく必要がある」
学ぶことがたくさんありそうだわ。先生の言葉に私はくらくらした。図書室だよりに原稿を書けたらと漠然と思っていたけれど、とっても奥深い世界が広がっているんだわ。
これは覚悟を決めて臨まなければ。




