第1話 図書委員やってみませんか?
「君が伯令嬢の身分を笠に着て、いじめとは。情けない女だ。そんな人だとは思わなかったぞ。レティシア。婚約の話も無かったことにする」
私は夕暮れ、教室でクラスメイト達に囲まれ一方的に詰られていた。今のはその中の一人、アレハンドロ様の言葉。理解が追いつかなくて、私はただただ困惑した。
「皆さん、やめて下さいっ。私が、私が悪いんですっ……!」
そこへジョアンナさんが栗色の瞳を潤ませながら私とクラスメイトの間に割って入って来る。
「私が至らないからっ……」
「ジョアンナは悪くないっ! 意地の悪いしティシアが悪いんだっ」
アレハンドロ様は見目の良い顔を歪ませ、私を睨んできた。ジョアンナさんは、この学院に最近転校してきた少女で、彼女のお母様が伯爵家の方と再婚したのでこの学院に入学することが可能になった。それまでは庶民とほとんど変わらぬ生活をされていたそう。その所為か、上級貴族の振る舞いがよく分かっていない。私は良かれと思って、色々とアドバイスしていた。
何と言っても、上流貴族に求められるのは規律と規範なのだから、みだりに家のことを尋ねたり、誰彼構わず砕けた物言いをしてはいけない。親族でもない男性に軽々しくボディータッチをするべきではない、庶民の暮らし方と同じように振舞ってはいけない等々、必要なことを彼女に教えてきた。
学園の中なら許されても、きちんとした振る舞いが出来なければ外に出て恥をかくのはジョアンナさん本人だけでない。養父となった伯爵とその家名にも傷がつく。だからこそ、学園にいる間に上流貴族の振る舞いを身につけた方がジョアンナさんの為だと思っていた。けれど、それをジョアンナさんとクラスメイトはいじめだと受け取っているようだわ。
「違いますわ、私は……ジョアンナさんの為にと思って……」
「今さら言い訳なんて、聞くに耐えないな。君との婚約の話も父と話して白紙にしてもらうよ」
そう言ってアレハンドロ様はジョアンナさんの肩を抱いた。アレハンドロ様の家は公爵家で王族とも縁が深い。我がアルジェント家との縁談の話が進んでいたタイミングだった。私も明るく金髪碧眼の美しいアレハンドロ様と縁談の話が進んでいるのを、内心喜んでいた。下品になるから、顔には出していなかったけれど。
「ジョアンナが可憐でひたむきで可愛いから嫉妬していたんだろうが、貴族の恥晒しは君の方だぞ」
「なっ……!」
それはあまりに屈辱的な言葉だわ。確かにジョアンナさんはヘーゼルの瞳がくりくりとした小柄で愛らしい方で、対して私は背が高くて、顔だって特別に可愛いわけでもないし、親しみがあるとは言えない性格だけど。嫉妬なんてありえないわ。
「そんなことを言われるのは心外ですわ。私は決して嫉妬などという低俗な……」
「もう良い。見苦しく取り繕うな。行こうジョアンナ。外でお茶でもしょう。素晴らしいラッカム産の紅茶があるんだ」
私の話も聞かず、アレハンドロ様はジョアンナさんの肩を抱いて教室を出て行った。そのジョアンナさんが一瞬ちらっと私を見て、勝ち誇ったような表情を浮かべたような気がした。
他のクラスメイトも追従するように出て行って、私だけが教室に取り残された。どうしてこうなってしまったの? 私の親切は独り善がりの産物だったの? それとも心の奥では嫉妬していたということ? だから、婚約話も白紙になったというの?
……分からないわ。分からない。あまりにも唐突なことに私は混乱して、呆然と立ち尽くした。
***
次の日から私は教室内で孤立して、クラスメイトの冷たい視線とひそひそと話される悪意の中で過ごすことになった。
……よくも教室に入って来られるわね……厚顔無恥とはこのことだな……私ならとても素知らぬ顔で教室になんて入れないわ……図々しい……。
心無い言葉がぐさぐさと私の心を刺した。
アレハンドロ様とジョアンナさんは人目を憚らず仲睦まじい姿を見せている。私は居たたまれなくて、学院を辞めたいと父に直訴した。けれど父からは、婚約を白紙にされた上におめおめと負けたまま辞めるなど許さん、卒業まで我慢しろ、と言われてしまった。それで私は教室にいずらくて毎日、図書室に入り浸ることになった。あと半年もどうしろと言うのかしら。
教科書を開いて自習したり、何となく手に取った本をぼんやり眺めたり、と毎日を漫然と過ごす。余りの虚しさに、私はため息を吐いた。
……一体どうしたら、元に戻れるのかしら?
「あのー……」
そんなことを漠然と考えていたら、唐突に話しかけられて私ははっと振り返った。そこには三人の生徒が立っていて、いずれも青色の制服をきている。白色の制服ではないってことは貴族ではない生徒だわ。
……もしかして私はここでも何か迷惑を掛けてしまっているのかしら? ここからも出ていけと言われるのかしら?
私は内心びくびくして無言で三人を見つめる。真ん中の三つ編みに眼鏡の少女がロを開いた。
「あの、図書委員になってくれませんかっ!」
そう言って、突然私に頭を下げてきた。
「えっ……?」
私は余りに意外なことを言われて、反応に困る。
「やっぱり失礼だったんじゃない?」
私が黙っているのを見て左のもじゃもじゃの頭の少年が真ん中の眼鏡の女の子に囁く。鳶色のもじゃもじゃの髪が目元まで覆っていて、邪魔じゃないのかしらと少々失礼なことを思った。
「ふむ。こちらの方は貴族だからな、委員なんて低俗な仕事は下々の者がやることと思っているのではないか?」
右の黒髪を丁寧に撫でつけたもう一人の少年が、仕方ないという様子でため息を吐く。
「ここのところ毎日来てるから、図書室が好きなのかと思ってたけど……そうですよね、ごめんなさい」
三人は私の前から去ろうとする。
「い、いえ、待って。あまりに突然言われたから驚いただけです。貴族だからどうということではございませんわ」
この学院には、白い制服を着る貴族と青い制服を着る一般生徒がいる。一般といってもこの学院に入ってくるのは、爵位がないだけで財閥や高級官僚などの、いわゆる市井の上澄みの子たちが主ですけど。
ただ、貴族とそういった生徒は制服以外にも違いがある。食堂も寮も教室も貴族と一緒にはならない。ただ、図書室は共用だった。三人は私の言葉にほっとしたようで、表情に安堵が広がる。
「それで、その図書委員って何かしら?」
ここのところ誰とも会話していなかった私は、話し掛けられたことが何だか嬉しくてとりあえず三人の話を聞いてみることにした。
「この図書室を管理するお手伝いをする委員なんです」
「管理の手伝い?」
「そうなんです。本の貸出の手続きをしたり、返却された本を書架、つまり本棚に並べたりすることです」
「それであなた達はその委員なんですの?」
「はい! あ、私はアメリアで、こっちがテオでこっちはライナス」
真ん中の女子生徒がアメリアさんで、もじゃもじゃ髪の男子生徒がテオさん、生真面目そうな黒髪の男子生徒がライナスさんね。
「私はレティシア・アルジェント。アルジェント伯……いえ、何でもございませんわ」
伯爵家の娘だと言おうとして、私は止めた。今の私には家名を誇りに思う気持ちにはなれなかった。
「図書委員は小生達三人しかおらぬのでな。所謂飢餓状態というもので、これは生物学者オラドゥの言うところの環境要因を原因とする種としての危機的……」
「要するに人手が足らないんです」
何だか長くなりそうなライナスさんの言葉をアメリアさんが遮った。
「だから、レティシアさんが一緒にやってくれたら良いなって……」
「……嬉しいお申し出ですけれど……その、私は評判のよろしくない身ですのよ」
私の言葉に三人はきょとんとして、顔を見合わせる。何のことだか分かっていないみたいだわ。
「よく分かんないけど、それってたぶん僕達には関係ないよね?」
テオさんが首を傾げながら尋ねてきた。それはまぁ確かにそうだわ。貴族ではない彼らにとって、私の醜聞なんて話題になることもないでしょうし。そう思うと、急に今まで属していた世界を狭く感じた。
「ですが、私が一緒だと他の生徒から色々言われることになるかもしれませんわよ、よろしくて?」
「私達、そういうのは馴れっこなんで、大丈夫ですっ」
アメリアさんがにこっと笑うと、左右の二人もうんうんと頷いた。
「僕達暗い、とかオタク、とか面白くないとかよく言われるし」
「ふむ、理屈っぽいやお堅いヤツもよく聞くな」
「まぁ、なんてひどい……」
人に向かってそのような悪口を平気で言うなんて。なんて失礼な人達なのかしら。見たことのない相手だけれど、そのようなことを言う人に私は怒りを覚えた。少なくとも目の前の三人は、そのような非難に値するようには見えない。いえ、値しない、するに関わらず悪く言うのは良くないのだけど。
「なので私たちの評判のことは心配しなくて大丈夫です」
笑顔で言うアメリアさんに、私はまだ迷っていた。折角誘って頂いたけれど、迷惑を掛けるだけかもしれないし、そもそも役に立てるのか自信がないわ。だけど、このままただ卒業まで無為に過ごすのも、果たして良いことなのか、とも思う。
「お願いしますっ!」
アメリアさんがダメ押しのように再び私に頭を下げてきた。
「頭を上げて頂戴……私で良かったら力になりますわ……」
その姿を気の毒に思って、私はついに言ってしまった。図書委員が何をするのか、全く分かっていないのにも関わらず。
「でも、本当に、私の存在が迷惑になるようだったら、正直に言って頂戴ね」
「そんなことないです! ありがとうございます!」
三人は私の返事に喜色を浮かべる。こうして、私は図書委員なるものになることになった。
「えーと、それでまずは、ですね……」
私は三人から図書委員の仕事のレクチャーを受けることになった。
「まずは貸出と返却の受付で……」
図書室の入口近くにはカウンターがあってそこで本の貸出返却を受け付けている。それくらいは私も知っている。私は三人の説明を聞きながら、ふむふむと頷いた。
図書室は大きく分けて二つのセクションに分かれている。入口に近い場所には閲覧席が並んでおり、採光用の窓を大きく取られ、解放感がある。一方、図書室の奥の方は本の収蔵スペースになっており、本棚が何列も並んで壁も棚になっている。
「それじゃ、まずは配架からだね」
「はいか?」
聞き慣れない言葉に、私は聞き返した。
「本棚のことを書架って言うんだけど、返却された本をその書架に戻すのが配架」
「なるほど……」
「で、本の背の下部に四角いラベルがあるのは知っているだろう。それを参考に本をしまっていくのだ」
書架には番号が振ってあって、それが大分類。本の背のラベルにも更に細かく小分類の番号が振られている。それを見ながら、ということね。
「分類や並べ方にも理論と規則があるんです。でもとりあえず、同じ番号のところに入れて下さい」
「分かりましたわ」
「あと、もし横倒しなっている本とか斜めになっている本とか見つけたら直して」
図書委員の三人に説明されたあと、金属製のブックカートに載せられている本を一冊一冊確認しながらしまっていた。図書委員は、流石に慣れているのか私よりもずっと配架が早い。
私が棚と背表紙のラベルを見比べながら一冊をしまうまでに、皆十冊はしまっているわ。私も頑張らなくては。そんな私の気持ちが顔に出ていたのか、アメリアさんが励ますように微笑む。
「大丈夫です。始めは皆そんな感じですから。そのうち慣れたら早くなりますよ」
こうして私の図書委員活動が始まった。
新連載始めました!全6話のさらっと短めの連載です。
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