株式会社なるシム
「休みなんて久々だな」
美琴は休みという名の調査で有休消化中だった。先週のことを思い出して美琴は一人で苦笑いしてしまう。
「峰島さん!」
「あれ、経理部の――」
「拝島です」
「そうそう。拝島さん」
「あの。峰島さん、有給休暇を一日も消化していないんですが」
「はは、忙しくて」
「今年からそういうわけにはいかなくなりました。ですので、明日から一週間、有給休暇を消化してください」
そう拝島から言われたことで、『無遺体連続殺人事件』の調査中にも関わらず休みになってしまった。そのため先日、橋本と話していた『村田成人』が経営しているハウスクリーニングの会社に依頼をしに行く名目で、本人に会えればと考えていた。
そのせいで美琴は珍しくオシャレをして、待ち合わせ場所である時計台の下に立っていた。
今日は風が強い。風に乱される前髪を左手で撫で付けて、ひらひらと左右に揺られる慣れないスカート。そのスカートを落ち着きがないと叱りつけるように抑えては周囲を見回していた。夏の暑い日だ。寒いなんてことはない。
だが、美琴は寒気に似たぞわぞわを感じては、スカートの裾が短くないか確認してスカートを撫で付ける。あまり経験していない事象への答えを持っていないが故に、周りの視線がやたらと気になって仕方がない。
ふと、手首の腕時計へ目を落とす。約束の時間だ。顔を上げるより早く、聞き馴染みの声が美琴の耳に届いた。
「待たせたな」
「待っていない。私は今、君を待つよりもこのスカートから覗かせる素足の羞恥心との向き合い方を考えていたところだ」
「つれないねぇ」
美琴は色黒の男を横目に、すぐに歩き出す。この色黒男は美琴の彼氏で、捜査一課一係の『山本たくみ』だ。美琴は彼への感情をあまり表向きに出すことはしないが、精神面ではかなり助けられていた。だからこそ今回の旦那役を山本へお願いした。
山本が小走りでそれについていき、美琴の顔を覗き込む。少しぶきっちょにアイラインが引かれ、いつもよりも赤みがかった頬に口元が緩む。美琴はゾワっとする感覚に横目で山本を見る。気味の悪い笑みが横並びに見える。美琴はむすっとした顔で、その顔を押し退ける。
「なんだ。気色悪い」
「いや、美琴の普段の姿って珍しいなって。だから嬉しいんだ」
山本は首を左右に振る。美琴はなんといえばいいのか分からず、口ごもる。少しの沈黙の後、山本の方から話を切り出した。
「今日行くところなんだけど、映画とかじゃなくてなんでハウスクリーニング店?」
「はぁ。何度も話しただろう? 今回はデートじゃなくて、仕事だよ。ハウスクリーニングの社長に会うことが目的だ。この時間に行けば社長が受付にいるって話でね」
「ああ。美琴が担当してる事件ね。てか、あれマジだったのかよ」
「ああ。警視総監殿のご指名だ。ありがたく事件の捜査に従事している」
山本は顎に触れる。ゆっくりと撫で付けるように触れながら、眉間に皺を寄せた。その視線を感じながら美琴は少し足を早めた。
「だがよ、俺は反対だぜ」
「君に反対されたって、私は自分の仕事をやり遂げるよ。私の願いは――――」
「でもよ!!!」
山本の大きな声に周囲の人間が一斉に振り向く。美琴も後ろを振り向いてから咳払いをする。山本へみせるようにわざと大きく左右へ首を振って視線をやる。それから山本を見据えて口端を下げた。
「よしてくれ、たくみ。君の気持ちも十分に理解しているつもりだ。その気持ちはありがたいが、私の願いはやはり事件の犯人逮捕だ。凶悪犯の多くは何処か人間としての資質を失ってしまったものたちだと私は考える。『無遺体連続殺人事件』の犯人もまた同じだ。だから、逮捕してしっかりと罪を償わせる。それが正しい罰というやつだ。私はそれが死刑でも無期懲役でも受け入れるさ」
「そうか……俺はどんな時でもお前の味方だからな。美琴」
「ありがとう」
美琴は微笑んで見せた。やはり彼は優しすぎる。世の中には真っ直ぐすぎる正義を軽く折る凶悪な犯罪者が存在している。彼にはそいつらに対抗するには真っ直ぐすぎる。美琴は憂いを帯びた瞳で山本を見つめていた。
「おっと」
「?」
いつの間にか目的地についてしまったようだった。美琴は背後に目をやり、株式会社なるシムの看板を見つけた。美琴は山本の方へ向き直り、片目を閉じていたずらに笑った。
「なんだよ」
「着いたよ。色々痴話喧嘩してたら、着いていたみたい」
「俺は痴話喧嘩なんてちゃちなもののつもりは――」
美琴は山本の口を覆うように手のひらで口元を掴んで黙らせる。手のひらの中でもごもごと話している。吐息が手のひらに当たって、少しくすぐったい。パッと手を離して山本の肩に手を置いた。
「はいはい。さ、行こう。僕らの狙いはここのCEOだよ」
自動ドアが開き、一人の案内人が笑顔で出迎える。
「なるシムへようこそ! お客様に癒しの空間を。本日はどのようなご用件で?」
山本は美琴へ視線を向ける。美琴は案内人への視線を逸らさないまま話し始める。
「それが……恥ずかしながら家がかなり散らかっていて。その掃除を手伝っていただきたいと思い、こちらに」
「そうですか! 数ある企業の中から当社を選んでいただき、誠にありがとうございます。ところで当社はどちらで?」
「あ――、社長と知り合いで」
「!?」
美琴は口を滑らせた山本へキツイ視線を向ける。山本はその視線に気付かず、案内人の顔を見ながらヘラヘラと後頭部をさすっていた。案内人は張り付いたような笑顔だったが、吃驚してから少し押し黙り真剣な表情で山本を見た。
「申し訳ございません。そのような連絡を承っておらず……村田の方へ確認してまいります。しばらくお掛けになってお待ちください」
二人の背後にあるソファーを指して、受付の裏へと回っていった。美琴は睨むように山本の顔を見て、周囲を見回した。聞こえる距離に従業員がいないことを確認すると、小声で最大限声を荒げる。
「何をしているんだ! これで村田に会えなくなったらそれで終わりなんだぞ!!」
「あー。いや、そうなんだが、周りに村田がいる様子はないし、接触する機会がなくなるだろ?」
「それにしたって無謀すぎる。そうするつもりならアポを取ってたさ。そうしてないってことは相手にバレないように見るつもりだったんだよ」
迫ってくる美琴の顔の前で手を出して、片目を瞑った。山本のその態度にため息をつきながら、口を閉じた。
「お待たせいたしました」
二人の前に現れたのは五十代前後くらいの男性。ワックスで髪を固めて前髪をあげ、スーツの上からでもわかる体格の良さは年齢をぼやけさせる。しかし、顔の皺や、手の甲を見ればなんとなくその人の年齢を察することができる。当たるかどうかは別なのだが。推測するに五十前後くらいだろうか。そうすると事件当時は三十後半から四十前半ほどだろう。爽やかな笑顔はとても殺人犯だなんて思えない。
「私、株式会社なるシム代表 村田成人と申します。えーっと、どちらが私と知り合いで?」
「ごめんなさい。うちの旦那が、社長さんが今日店舗に来ているって知ってたみたいで、その人から話を聞きたいってわがままを言い始めて――」
「ああ! そうそう。社長さんは一代でこの会社をこんなに大きくした方でしょう? 僕はそういう人に話を聞きたいんだよ」
美琴の目配せに、慌てて山本は口を開く。村田はその話をニコニコと、笑顔を絶やさず聞いていた。一般的に面倒な客の分類に入るはずの山本にその素振りを一切見せず、山本の話が終わると正面の椅子に腰掛けた。
「失礼。いやー、私もね自慢の一つや二つしたいものですが、ここの従業員ときたら社長の話はつまらないだの長いだの言って聞いてくれなくて困ってたんですよ」
村田が後ろを振り向くと、案内をしてくれた女性社員を含めて社員全員からどっと笑いが起こる。美琴はその景色に呆然としてしまった。村田はこの社内でもかなり人望が厚く、接しやすい人物だとこの数分でも分かった。
「そうなんですか……でもこんなこと失礼でしょう? たかだか、クリーニングの依頼に社長さんが応対するなんて」
「いえいえ! 我々はそれで従業員にお給料を支払って運営している会社ですから! 皆様のご注文あってこそのなるシムです! 私でよければご注文含め見積もりからなんなりと承りますよ!」
はつらつと話す村田に、美琴は合わせるように両手を胸の前で合わせて目を輝かせる。
「まぁ。噂に違わない素晴らしい社長さまね。私も実はネットで見てしまったんです。本当はお話しできたらと思ってましたから。お話できて光栄です」
美琴は満面の笑みを村田へ向ける。芝居掛かった美琴の態度に驚きを隠せない山本は、口をぽかんと開けたまま固まっていた。
「あははは。本人はそういうネットの噂は怖くて見ることもできません。でも、今度から村田の知人など嘘をつかずとも、村田と話したいと申していただければすぐにでも対応いたしますのでお呼びくださいね。依頼内容については他のスタッフがしっかりと聞きますので、私に変わって――」
村田が後ろを向くと、すぐ後ろで待機していたスタッフが駆け寄り、美琴と山本へ視線を向ける。村田が二人に向き直り、駆け寄ってきたスタッフに指先を合わせて手のひらを天井へ向ける仕草をした。
「初めまして。古市と申します。ここからは村田に代わり私、古市が承ります」
「古市は優秀な部下ですので。彼ならお二人のご希望に添えるかと思います」
「あとで資料をこちらに頼むね」
村田は小声で古市にそう言うと、彼の肩を叩き立ち上がる。去り際も二人への会釈を忘れず、オフィスの奥へと消えていった。二人の意見は珍しく一致し、声に出さずにはいられなかった。
「「完璧だ」」
二人の声が重なると、対面していた古市が口元を押さえるような仕草をしてふふっと笑った。
「当たり前ですよ! 社長は完璧超人なんて呼ばれる人ですから。この会社は、あの人あってこそです」
「随分と慕われていますね。私も先ほどでだいぶ圧倒されてしまいましたが」
「ああ。だな。俺も知人だなんて嘘ついたのが恥ずかしいくらいだ」
「いえいえ。私が言うのもなんですが、そんな気にすることじゃありませんよ。社長はそうやってお客様と接する機会を大切にしている方なので。接客業を生業とする社員へ接客業を怠る社長が言葉を発したところで形骸化した譫言にしか聞こえないだろうと仰っていたくらいですから」
「まるで宗教だな」
美琴は隣に座る山本にも聞こえないくらいの低い声音で呟いた。
社員たちの信頼はもちろん、社員たちへの教育、理念など細かいところで社長が素晴らしいという形を作っている。しかし、橋本や美琴の読みが当たっていれば村田は極悪人だ。見事に自身の言葉を遂行している。殻の信頼。美琴は今にも出てきてしまいそうな笑みを押し殺して、古市の話を聞いていく。
今日は見積もりだけ取り、後日自宅へ発送するという算段で落ち着いた。必要事項を記入して、山本と二人で打ち合わせた、山本宅の住所を記載した。
「峰島美琴様ですね。はい。確認いたしました。それでは、本日は以上となります。長い間、お時間頂戴いたしましてありがとうございました」
古市は書類をまとめるように机にトントンと資料の端を当てると、二人へ深くお辞儀をした。二人も合わせるようにお辞儀をして、玄関の方へ歩みを始める。
「こちらこそありがとうございました。本日は、主人が大変無礼な真似を……」
「ああ、ごめんなさい。本当に社長さんには申し訳ないと謝っておいていただけますでしょうか?」
「はは。大丈夫ですって。それより旦那様。奥様を大事になさってくださいね。とてもお似合いのご夫婦だと思います」
「え」
山本が後頭部をさすりながらデレデレとしている姿を見て、美琴は山本の後頭部を素早く叩き古市の方へ視線を向ける。
「あら、古市さんはお上手ですね。あの村田社長が優秀だとおっしゃることが分かります」
「いてっ…………あははは。そうですねー、優秀ですね」
古市は「そんなそんな」と二人に声をかけながら自動ドアのボタンを押した。それから深くお辞儀をする。ベストタイミングで自動ドアが開く。二人が古市や他の従業員にも聞こえるくらいの声で「ありがとうございました」と伝えて会社を後にした。
よければ!
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