プロファイリング
美琴は署内の第三会議室である人物を待っていた。珍しくノートパソコンを開いて、この後ある打ち合わせの資料を準備していた。外から聞こえてくる足音の一つが、扉の前で止まったのを感じる。少し間を置いてドアの向こうからノック音が聞こえた。美琴はその音に反応して顔を上げた。
「今開けます」
「ああ、問題なければ入るぞ」
美琴が慌てて立ち上がると、ドアが開かれる。急いで扉の取っ手を掴んで扉を押さえた。橋本が中へ入ると、訝しげな表情で部屋の中を見回した。それから誰もいないことが分かると、美琴のパソコンが置いてある席の向かい側に腰かけた。美琴もそれを見届けてから扉をゆっくりと閉めて、パソコンのある席へと腰を下ろした。
「お忙しいのに、御用とは何でしょうか?」
「うむ。父親として言いたいことが二つ。上司として話しておきたいことが一つといったところか」
「随分と言いたいことがあるようですね。私は、見ての通り忙しいんだけど」
美琴はいたずらに笑い、目の前にあるパソコンへ視線を向ける。橋本はそれを見てため息をつき、「お前は昔からそうやって面倒な話を、避けようとするのが得意だったな」と微笑んだ。橋本は手を伸ばしてパソコンの背面からそっと閉じた。
「あれ。仕事中だったんだけど」
「嘘つけ。捜査資料は青いファイルだ。確認しただろ。これから調査することを報告するならこの場で聞くぞ?」
「はいはい。パパにそういう嘘は通じないって話ね」
美琴はパソコンを避けて、正面の橋本へ視線を向けた。
「はぁ。美琴、先日の警視総監殿から受けた件。何故断らなかった」
「いきなりパパとして? はぁ。いいでしょ。私の勝手なんだから。もちろん、パパが言いたいことも理解はしてるよ?」
「私はな――」
「分かってるよ。私だって考えなしに動いてるわけじゃない。今回のことは私が決着をつけたいの」
美琴は少し頬を強張らせて橋本を見た。橋本はその目を見返した。その瞳の輝きは確かに煌々と燃える炎のように熱を帯びているように感じた。意志は固い。そう受け取った橋本は降参したと首を振った。
「分かった。もうこれ以上何も言わない。でも、無茶だけはするな。私はな、お前――――美琴の父親だからな」
「はいはい」
適当な返事をして、橋本から視線を逸らすようにパソコンを脇に抱える。部屋を出ていこうとすると、橋本はその手を掴んで引き止めた。
「待て。まだ、話がある」
「なに? 聞いたよもう。父親としてはなんで松柴さんの話聞いたんだってことと、無茶するなでしょ? 上司としては早く報告書を提出しろってことでしょ?」
「違う。座れ。これからまだ話すことがある」
「はぁ」
美琴はため息をつきながら席に戻る。橋本は美琴を厳しい視線で見据えていた。美琴は橋本の視線を受けて口をすぼめる。パソコンを脇に置いてから「なんだよぉー」と弱気な声を出した。
「父親として二つ目だが、母さんが心配しているぞ。久しぶりに家へ戻ってこないか?」
「朱音さんが……」
「……久しぶりに会ったらどうだ」
先ほどの厳しい視線と打って変わって、橋本の瞳は懇願するように少し潤んでいた。よほどのことなのだろうか。大学生になって家を出てから、家に迷惑が掛からない様に一切のコンタクトを取ってこなかった。しかし、美琴の心境とは裏腹に両親の中で娘には会いたいということらしい。家を出てから一回も向こうからの連絡がなかったのも、彼らなりの気遣いだったのだと美琴は気づかされる。
「いや、うん。もちろんママに会いたい気持ちはあるけどさ。なんていうか……」
「私たちの娘はお前ひとりだぞ、美琴」
美琴は橋本の目を見られなかった。両親に真っ向から接してこなかった自分と、その逆の両親。両親の方から来てしまったことで美琴自身は何といえばいいのか分からなくなってしまった。理由を付けて会いに行けないと言えば、パパも、ママも納得はしてくれるだろうが、何も進展しないままなのは変わらない。面倒くさがらずに一度会ってから考えればいいのだろうかと考えながら美琴は口を開いた。
「分かったよ、パパ。ママにもちゃんと会う。時間も作るよ」
「美琴…………」
美琴は観念したかのように橋本へ視線を向けて、首を縦に振った。それから橋本はしばらくの沈黙ののち言葉を続けた。
「それで、仕事のことなんだが」
「うん」
「私が15年間調べて分かったプロファイリングについてだが、犯人は非常に残忍であるが幼稚さが残る。更に、特定のだれかではなく殺人を無差別に行っていることから衝動的欲求に忠実な人物と考えられる」
「そうだね。私も捜査資料を見てそう感じたよ」
「15年の捜査でその核心までいけなかった私が言うのもなんだがな、欲求というのは人間の生まれ持った穢れだと思う。その穢れは後を引き、その痕跡を必ず残す。それを制御するために人間は理性を備えたわけだが、この犯人からそれは感じられない。そこから分かる私の見解。これはあくまで私の見解だから報告書等にも載せていない。犯人は複数いる。実行犯とは別に指示役がいる。そうでなければあり得ない。凄惨な現場を残すのは自己顕示欲の表れに他ならない。死体を隠す行為は捕まりたくないという自己欲。そうであるのに、殺人自体は単調なものであるのを見ると、実行犯にない欲求を指示役側が持っており、そう仕向けているとしか考えられない」
「さすがはパパだね。その見解、大いに参考にさせてもらうよ」
「まぁ待て。そこから私が気になっているものが1つある」
「気になっているもの?」
橋本は自分の脇に置いていたA4サイズの茶封筒を美琴へ渡した。その茶封筒を怪訝な表情で覗くと、何枚かまとまった資料が入っていた。
「これは?」
「ある事件の捜査資料だ」
「ある事件?」
「犯人はさっきも言ったが、非常に欲の強い人間だ。そして、その特徴は現場に現れている。そして、遺体がないことからこの殺人事件は『無遺体連続殺人事件』と呼ばれている」
「知ってるよ」
「まぁ聞け」
橋本は美琴の顔の前に手を突き出した。美琴は顔の前で手のひらを突き出されて口ごもる。
「その『無遺体連続殺人事件』に唯一、死体があったと言ったら驚くか?」
「!?」
美琴は立ち上がり、前のめりに橋本へ顔を近づけた。
「まぁまぁ落ち着け。これはあくまで私の推測だ。何年もこのことは上層部にも、同僚にも話さなかった。だが、お前には話すのが道理だと思って話している。手元の資料をみて見ろ」
美琴は封筒から資料を取り出して、表紙のタイトルへ視線を落とす。
「…………村田婦人殺人事件」
「第一発見者は村田成人。被害者『村田愛子』は、村田成人の妻であり、村田所有の山に建てた別荘で暮らしていたらしい」
「だけど、別荘に住んでいたならそれを知っている村田成人が犯人としか考えられないけど?」
「……ああ。それは私も考えたよ。だけど近隣の村や町へ降りて買い物をしたり、その山の所有者であることからも村田夫妻は知られていた。だからその線は確定ではなくなったんだよ。それに…………これはあくまでも聞き込みからの話だが、村田愛子の評判はさほど良くなかった」
「良くはなかったって?」
橋本は難しい顔で一瞬、美琴を見た。あまり口にしたくないのか言葉を詰まらせていたが、すぐ真剣な顔つきに戻り話を続けた。
「いや故人の悪口なんて気分の悪いものだが、やれ傲慢だとか、ケチくさいだとか、偉そうだなんてのは聞き込みをした大半の人間から聞いた。それ以外は……売春をしてるだとか……とにかく碌なものが出てこなかったよ」
「かなり恨まれていたわけか。それならパパの言う通り、絞れないね」
「だろう? 仮に実行犯が村や町の中にいても、守られてる可能性すらある」
「さらに、妻と比べて旦那の方はかなり評判がいい。周囲からは女を見る目がない優男なんて言われてた」
「旦那が犯人でも証拠が出てこない限り、周囲の人から話は聞けないってわけだね」
「それから十五年だ。未だ解決していない。しかし、この事件の不可解な点は私からすれば二点ある。先に話した通り『無遺体連続殺人事件』と犯行の手口が似通っているにも関わらず遺体がある点。犯人は間違いなく周囲の人間か、旦那しか考えられない点だ」
「犯人が絞られる根拠なくない?」
「あるさ。五ページ目」
美琴は橋本に流されるようにページをめくっていき、五ページ目を開く。そこには村田愛子の周辺事情などが事細かく書かれていた。橋本は「続けるぞ」と言葉を添える。
「村田愛子が別荘に住み始めたのは、事件から1ヶ月前であること。村田愛子はとても用心深い人物で、執事に車を運転させて、食材などは自分で買うほどだった。その人物が容易に別荘の場所を教えるはずもない。知っているのは配達員や、ヘアネイリスト、コックなど数名の人間だけだった。おまけに部屋から取られたものは一切なし。強盗殺人の類ではないと考えられる。怨恨等の線しか考えられない」
「なるほどね。しかし、それで決定的な証拠がないとなると、犯人は…………」
「村田成人…………私もそう考えている」
美琴は資料をペラペラとめくり、あるページで手を止めて橋本へ見せるように突き出した。
「だからか」
「村田成人の資料だ。私はこの十五年間、それだけの資料がありながら犯人を突き止めることも為せなかった能なしだよ。だからこの資料は全て、美琴へ預けるよ」
「ありがとう」
美琴は橋本へ微笑みを向けた。それから資料をじっくりと見ながら巡っていき、最後のページで手を止めた。そのページは村田成人のプロフィールとその顔がクリップで留められていた。そのクリップをいじりながら美琴は口の中で転がすようにその名前を口にした。
「村田……成人」
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