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旅立ちの日に

 僕は、『彼』に次の殺人の資料をもらった。今度は家族三人殺害。難易度が少しだけ高いと『彼』が言っていた。男が一人と、女が一人……そして赤ん坊が一人らしい。僕は赤ん坊と聞いて少し戸惑った。彼女に出会ってしまったせいだろうか。赤ん坊という存在は、僕のように一人では生きていけない。その命を奪うことは自分自身も傷つける気がした。


「情でも湧いたか?」


『彼』は鼻で笑うようにそう口にした。確かに他人から見れば滑稽だろう。今までいくつもの命を盗ったというのに赤ん坊だけは見逃してほしいというのは、『彼』は愚かだと感じていたのかもしれない。


「わざわざ殺すほどでもないと言ったんです」


『彼』はため息交じりに「好きにしろ」とだけ言った。


 タバコ屋の角を曲がり、三つ目の信号を左に曲がった正面のマンション。薄紫色の塗装の六階建てのマンションだった。正面玄関は事前に貰った地図から、監視カメラがあることは確認していた。地図上で監視カメラがないのは、裏の駐輪場から外階段へつながる通路だけだった。僕は駐輪場からそのまま外階段へと向かう。

駐輪場を直進して外階段へ向かう寸前で足を止めた。


「おっと」


よくよく上を見ると監視カメラが取り付けられており、駐車場から外階段へと向かう人間が分かるようになっていた。この地図上ではないのにと身体をくるりと翻す。

周りに他の道がないか一周見回した。あれか。駐輪場とマンションの通路の間には草木を挟んで、子供でもよじ登れば乗り越えられる程度の柵が設置してあった。柵の向こうは外階段に続く通路があり、よく見ればそちらは監視カメラの設置がない。


「ちっ」


舌打ちをして、仕方なく柵に手をかけてよじ登る。柵が設置してある土台の高さも含めると百七十センチくらいで乗り越えるには少し身体を持ち上げて足を思いっきり上げておかなければならない。

日ごろの運動不足がたたり、柵を乗り越えるだけで一苦労だった。マンションの通路に足を付いたころには呼吸が荒くなっていた。

コンクリートの外階段は、夜中に上ると足音がよく響くので慎重に一段一段踏みしめる。僕も昔、似たような階段を上っていた記憶がよみがえる。フラッシュバックというやつだろう。当時は違う意味で慎重に一段一段上がっていた。小さかった僕は階段を上がるのも一苦労だったから。それが今じゃ、ターゲットにばれないように音を立てず階段を上がるなんて、成長したものだと自分で思う。


「感傷に浸るってこういうことかな」


場違いな感慨が頭を埋め尽くす。一歩一歩着実に上へあがっていき、三階のプレートが目についたところで足をとめた。三階のプレートがある横で、バッグから黒手袋とサバイバルナイフを取り出し、腰の後ろに隠した。


「……」


家族。その感覚がどこか懐かしい。僕にも母と父がいた。もう何年も前の話だ。彼らがどうなったか考える労力すらも控えさせる程度の存在だ。まぁそんなことは、どうでもいいか。

黒手袋をはめてドアノブに手をかけるが、開いていない。もちろんしっかりと戸締りがされているのはいいことだが、僕はその場でため息をついた。鍵を開けるという作業が入ると、どうしても音が出てしまう。誰か一人でも起きてきたら面倒だなと苦笑しながら鍵を捻った。当たり前だが、毎度どこから手に入れたのか分からない『彼』からもらった鍵で施錠は解除された。


「はぁ。関心してしまうな」


嘆息を漏らしてドアノブを捻った。ガチャっという音は仕方ないが、ドアは油の差しが悪く高い声で鳴いた。迷惑な話だと、僕は再度嘆息を漏らす。


「わっ」


内側から声が聞こえて、僕はまた一つため息をついた。起きていた上に、外へちょうど出ようとしていたのかと。僕は呆れながら扉を開くと、無精ひげの男が渡り廊下に及び腰で立っていた。

しかし、僕の顔を見るや否や、みるみると表情を変えていき目つきがつりあがる。僕はその男の顔を見て、首を横に振った。


――呆れた男だ。


自分より下の人間だとでも思ったのだろうか。サバイバルナイフを持っている相手にのそのそと近づいて来る。


「お、おい坊主! びっくりさせんなよな! なに勝手に入ってきてんだ!!!」


男は威勢よく怒鳴り声をあげる。夜中によく響く声だった。この男は愚かなのか、理知的なのか。この状況であればあながち間違えではない。ため息をつきたくなるほどだ。しかし未知への恐怖が格下だと分かった瞬間、百八十度態度を変えて迫ってくるところを見ると、危機管理能力は低いらしい。僕が何歩か前に足を進めても、彼は全く動じた様子も警戒している様子もなく、ただ横柄な態度でのそのそとこちらへ向かって来ていた。

僕はその手に握ったサバイバルナイフを突き出して、節穴にも分かるようにしてやった。


「何してんだよ!!!」


男は距離を取るどころか、さらに距離を縮めてナイフを取り上げようと右手を突き出した。伸びてくる右手を素早く切りつけて、真横から右腕にナイフを突き刺した。


 僕はその瞬間に「しまった」と思った。真横から腕を狙うと、必ずと言っていいほど橈骨(とうこつ)にぶち当たる。勢いがついた状態での骨への衝突は少しだけ隙を生んでしまう。そうしたことを頭の中で考えながらナイフを少し下げて突き刺した。


――ホッとした。


運よく手首から肘までの間に刺さり、骨には当たることはなかった。男は驚愕の表情を浮かべて僕を見ると、悲鳴をあげて奥の台所へ逃げ込んだ。攻撃された男が次に考えることは逃げることじゃない。きっと男の頭の中にあるのは反撃だ。


「面倒だなぁ」


ゆっくりと歩いて台所と渡り廊下を仕切る暖簾をくぐると、シンク下の棚に手を突っ込んでいる男の背中が見えた。何と警戒心もない滑稽な姿か。


僕は笑いがこみ上げそうになるが、その気持ちをグッと押し込める。

右手の傷口を左手で庇いながら、棚から何かを取り出そうとしていた。庇う指趾の隙間から滴る血液が棚の縁に付着して下へと垂れる。


血液が下へ流れるよりも先に男へ近づくが、男は僕に気が付かないどころか何かを取り出すのに手間取っているようだった。サバイバルナイフを首の付け根より少し下あたり目がけて振り下ろす。


噴水のように飛び上がる血液を浴びる。


しかし、顔にかかってしまえば視界が悪くなるため、そこだけを避けるように最小限横に逸れた。不意に切りつけられて気が動転したのか、包丁が取り出せなく仕方なくか、シンク横の台に置かれたステーキナイフやら、フォークやらスプーンなどを巻き込みながら腕を振るった。そんなものが僕に当たることもなく、床に激しく音を立てて散乱した。ようやくその音に気が付いた人物が、台所とリビングを隔てる襖を開ける。男の方はもうすぐ絶命する。気にかける必要はない。


 僕は襖にできるだけ近づいて扉と同じく平行移動して息を殺した。女が襖を開けると、血まみれでシンクの棚に片手を突っ込んだままの男を発見する。悲鳴をあげて彼に駆け寄ろうとする。その動線であるリビングと台所の段差を下りたところで、横から女の首を目がけてサバイバルナイフを振り下ろした。


「きゃ」


女は小さく悲鳴をあげてバランスを崩した。暗闇だったからか、慌てていたからなのか分からないが、足をもつれさせて前かがみで倒れそうになる。そのせいでサバイバルナイフは目的の位置で空を刺し、そのまま彼女の首筋を掠めた。


「いたっ!!」


女は声を上げて、僕へ視線を向ける。女は一瞬、ぎょっとした表情で僕を見た。しかし僕と男の死体を交互に見回すと、女は僕から離れるように尻やら脚やらを滑らせて進む。足を捻り痛みで立つことができないようだ。一所懸命に這いずっている女は、背後も確認せず進んでいたせいで内壁に背中をぶつける。彼女は小さく呻き声を上げてから、ゆるゆると首を振り呼吸が荒くなる。


「……なんで」


「仕事です」


僕は女の質問をぴしゃりときった。早く終わらせなければ、男の悲鳴で誰か来てしまうかもしれない。女は顔を歪めて、自身の肩を抱くように腕をクロスして僕を睨んだ。僕は女がもう逃げ場のないところに行ったことへ安堵した。ゆっくりと近づき、女を見下ろしながらナイフを振り上げる。今度こそ、一撃で仕留めよう。僕がそう決意して振り下ろそうとした瞬間、彼女の目が変わった。


「私は――」


彼女は何かを口にしようとしているところを僕は構わず振り下ろす。彼女の瞳はかすかに潤いがあり、暗闇の中で窓から僅かに差し込む月光を浴びた。その頬を伝う涙がキラリと光った。僕は間隙、振り下ろしていたサバイバルナイフを止めた。彼女はその隙に振り下ろしていたサバイバルナイフを掴み取った。まさか刃のところを掴み取って取り上げられるなんて想像もしていなかった。僕不機嫌を顔に出しながら一歩下がると、女はさっきまでの表情を一変させて凶悪な笑みを浮かべた。


「はっ! 私がなんで死ななきゃいけないのよ! そこの男と心中するなんてごめん! このままあんたを殺して逃げてやる!」


威勢よく啖呵を切って彼女は僕との距離を縮める。これで形勢逆転だ。僕を殺せる。彼女はそう思っているだろう。僕は俯いて、彼女の足元へ視線を向ける。じわじわと彼女が近づいてくるのがそれだけで分かる。上を向けない。


「はは。あんた、武器が無くなったら急にしおらしくなっちゃって。きもいんだよ」


「――」


――僕は何もかもがおかしくて、抑えきれずに笑ってしまった。上を向いて目尻に涙を浮かべながら腹を抱えて。


「あはははははは」


「? なに笑ってんだよ。気味悪いガキ、しね!」


彼女はサバイバルナイフを振り下ろす。一直線に振り下ろされたサバイバルナイフは、手に取るように動きがわかる。

僕がどれだけ『彼』からナイフ捌きを教わってきたことか。彼女の肘と手首を掴んで逆に曲げる。女の握ったサバイバルナイフの矛先は自分の胸へと向く。先刻の笑いもあってか、興奮状態で勢いよくサバイバルナイフを振るった女は勢いを殺せなかった。そのままサバイバルナイフは女の胸に突き刺さった。サバイバルナイフを握っていた手首を押しこんで、ぐぐぐっと奥へ進める。彼女は呻き声をあげながら、ずっと「――――だよ」と呟いていた。


僕はおかしくて押す力が少し弱まってしまった。


「やめてくださいよ。早く、死ねませんよ。本当に」


「――――何さんでしたっけ?」


僕は女の胸に突き刺さるナイフが、骨に当たったところで止めた。もうこれ以上刺す必要もないし、女の手はおかしな方向に曲がって動きたくても動けないだろうから。しかし、女は最後まで僕を睨みながら歯を食いしばっていた。僕のことがよほど恨めしいのか、最後にはつばを吐き捨てて声を上げる。


「ぷっ。死ね!」


僕は女が喚き始めたところで顔面を殴りつける。


「ぶっ」


鼻が折れたのか鼻から血を流しながら僕を睨んでいた。僕は女の胸に突き刺さったサバイバルナイフを抜いて、最後の一撃で首へ刺した。

騒ぐなよ。うるさいな。そう思いながらシンクの方を一瞥する。男の方もピクリとも動かずそのままだ。


――死んだのだろう。


あとは赤ん坊だけだ。半分開いた襖からリビングを覗き込んだ。中には引きはがされた布団と、こんな騒ぎで一言も声を上げなかった赤ん坊の姿があった。彼に近づく。彼の白い肌には無数のあざがあり、火傷の跡が残っていた。


 さらに肌には赤みがなく、薄っすらと黄ばんですらいた。腐敗が進み、異臭すら放つほどに。僕が嗅いでも鼻がひん曲がりそうなほどの異臭。


「君も僕と同じだったんだな」


僕は彼の前で手を合わせた。意味はない。死体を前にした時の儀式のようなものだ。僕には何の意味もない。


「旦那、仕事はおしまいで?」


「ああ。片づけ頼むよ」


僕は家の前に止まっていた黒のバンに乗り込み、交代で腰の曲がった老人が出ていった。

僕は老人の仕事が終わるまでボーッと車の中で待っていた。しばらく経って嫌な感覚に頬を手で拭ったが、まだほんのり温かい血液が手についた。


よければ!


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