氷漬けのマリアナージュ3
美しい氷の彫刻と化したレイノルド様を前に、思う。
いくら美しさはそのままでも、彼の本当の価値は、見た目ではないのだ。
彼の高潔さや優しさを、私は心から尊敬しているし、大変好ましく思っている。
そして、最近のレイノルド様についても。
10年の付き合いで、突然剥き出しになった愛情表現に驚き、戸惑ってばかりだったけれど、やっぱり嬉しかった、と。全力で気持ちを伝えられて、彼への気持ちは増すばかりだった。
でも、私はまだ何も返していない。
自分の気持ちを伝えると、決心したのに。
こんな形で失うなんて、やり切れない。認められるはずがないのだ。
────絶対に、諦めない!
「ノア! エリー! もう一度、力を貸してちょうだい!」
「…………姫君。私もエリー様も、もう、魔力が」
「魔力なら、私のをあげるから! 倒れるまで搾り取っていいわ!」
「姫君には光属性がありません」
「わかってるわよ!!」
そんなことはわかっている。
何度も思ったことだ。私に光魔術が使えれば、と。
「…………お願いよ。助けて」
悔しくてたまらない。
私だけの力では、どうにもならない。絞り出すようにそう言って、懇願することしか出来ない。
項垂れる私の手をとって、力強く握ったのはエリーだった。
「私、もう一度やります!」
「! ありがとう、エリー」
愛らしくも逞しい笑みを湛えるエリーの手を、強く握り返した。魔力をほとんど使い切って疲れているはずなのに、私に応えようとしてくれている、心優しい聖女。
「……エリー様。私以上に姫君からの信頼を勝ち取ろうとするのは、ご遠慮いただきたいものです。無論、姫君のご要望とあれば、私も全力を尽くします」
ノアが私とエリーの手を取った。
ノアと、エリーと、私。
三人で手を繋いで、目を閉じた。
光属性がないから何だというんだ。
魔力量だけは、最強魔術師メイソン先生のお墨付きである。
出来ないなんて思わない。
絶対にレイノルド様を助ける。
そして、マリアナージュ全ての氷を溶かす。
氷を溶かすなら、光でなくてもいいはずだ。
私にだって出来る。やってみせる。
あの日見た、私が思う世界一美しい奇跡の光景────。
体中からごっそりと魔力が抜け落ちていく感覚がする。
私の魔力を、ノアが使ってくれているなら、それでいい。
私の持つ全てを、全部使い切ってくれて構わない。もう二度と魔術を使えなくてもいい。
私が起こしたい奇跡は、今この時以上のものなんてないはずだ。
だから、どうか────。
目を開けると、既に暗くなり始めた空から、光の粒がまるで雨のように降ってきた。
光の雨が、マリアナージュの全域へ降り注ぐ。
余すことなく全てに等しく。
きらきらと輝き、夜の訪れを拒むように優しい光で一帯を照らし、幻想的な景色を見せてくれる。
ノアとエリー、二人が放った光魔術とは違う光景に、目を瞬いた。
雨を想像したのは私だけれど。でも。
…………これは、成功したと思ってもいいのかしら……?
レイノルド様は──。
「リア」
耳をうつその声に、呼吸さえ忘れた。
振り返らなくても、私はこの声の主を知っている。そのよく通る美しい声。そして、たった一人しか呼ばない私の愛称。
この目で無事を確認したい。
そう思うのに、胸に熱いものがこみ上げてきて、動けなくなる。
その直後、体が何かに包み込まれて、物理的に動けなくなった。
レイノルド様に、後ろから抱き締められている……。
その香りも、頬にかかる彼の髪も、体に回された腕に微かな体温を感じることも、何もかもが彼が生きてここに居ることを教えてくれる。
願いが叶い、何より喜ばしいことなのに、突然のゼロ距離に、緊張と羞恥心が勝った。
心臓が止まりそう。せっかくノアに助けてもらったのに、別の死因で死にそうだ。
沸騰する頭の横で、小さく声がした。
それは思いもよらない言葉。
「ごめんね」
「……どうしてレイノルド様が謝るのですか?」
「すぐ近くに居たのに、君のことを守れなかった」
余りにも苦しげなその声に、身を捩って振り返り、レイノルド様と向き合った。
「私はこの通り、傷も治してもらいましたので、大丈夫ですよ?」
「…………夢じゃないよね」
眉を下げて、珍しく自信なさげに呟くレイノルド様を見ていたら、なんだか可愛らしくて笑みが零れた。
「はい、レイ様」
「君を失ってしまうと思ったら、とても感情と魔力のコントロールが効かなかった。エリーも共に倒れて、二人とも助からないと諦めた。私は本当に愚かだったな」
後悔を口にするレイノルド様の目の前に、ふわりと小さな光が舞い落ちてくる。
その優しい光につられて、私たちは空を仰ぎ見た。
無数の光の粒が、止むことなく降り続いている。
遠くに見える三つの塔や森も、今は固い氷ではなく、光に包まれて淡く照らされている。
「これはリアが起こした奇跡だよね。君が決して諦めなかったから。まるで光の雨だね。こんなに美しい魔術が作り出した景色は、生まれて初めて見たよ」
レイノルド様の青い瞳の中にも、沢山の光が煌めいている。
私が世界一美しいと思っているのは、レイノルド様が初めて見せてくれた魔術の雨だ。
あの日彼が魔術を使うのを見て、魔術師に憧れた。その姿を思い出し、初めて魔術を使った。
あの日の奇跡の光景は、ずっと胸に残り続けている。
いつまでも止まぬ光が降りしきる中、ようやく状況が飲み込めつつある周りの人々が、徐々に騒がしく動き出した。
視界の端で、サミュエルとアルロが捕らえられ、拘束されている。だけどとても目を合わせられなかった。
メイソン先生とルカが、何か言いたげにこちらを見ていることにも気付いている。怒りとも諦めとも見える、複雑な表情で私たちの様子を窺うグレースにも。
背後に立っているはずのエリーとノアがどんな顔をしているかなんて、想像もつかない。
きっと今、こんなことを言っている場合じゃない。色んな人の視線が痛いし。
しかし私は決めていた。レイノルド様に会ったら、真っ先に告げよう、と。
人の視線や今の状況なんて、そんなものばかり気にしてまた怯んでしまえば、今までと何も変わらない。
この人を失うかもしれないなんて、そんな恐怖を前にすれば、行動を起こさなかった後悔ばかりが押し寄せたのだ。
だから────。
「レイ様。私もあなたを失うと思った時、何よりも恐ろしかったです。微力ながら私も、守られるばかりでなく、レイ様をお守りしたいと思っています。それこそが、王太子妃としてあなたに相応しい姿だと思っているからです」
「そんな風に思ってくれていたの? 嬉しいけど……リアは王太子妃って立場に、理想を追い求め過ぎてない? そんなに自分を追い詰めると辛くなるよ」
「違います」
立場には責任が伴う。当たり前のことだ。
けれど私が努力を続けたいと思えるのは、彼の隣に立った時に背負うことになる、その責任のためだけではないのだ。
「レイ様が好きだからです。あなたのためだから、頑張りたい。それが一番の理由です」
レイノルド様が、光を映すその美しい目を見開いた。
いつもの余裕の笑みが消え去り、しばらく固まっていたかと思うと、さっと目を逸らされた。
…………何故だ。思っていた反応と違う。
喜んでもらえるのでは、と期待してしまっていたが、間違いだった……!物凄く勇気出して言ったのに……!!
「れ……レイ様…………?」
「…………ごめんね。ちょっと、予想外すぎて」
そっぽを向いているレイノルド様の顔が、よくよく見ると少しだけ赤くなっている。
……まさか。
あのレイノルド様が、照れていらっしゃる……?
魔術の奇跡も霞む稀有な事態に、そのお姿を目に焼き付けようと思わず顔を近づける。
その途端に、再び正面から抱き締められた。
「ひぇっ!」
恥ずかしすぎて変な声が出た。
一瞬で形勢逆転した。無念。
「私をその気にさせたんだから、もちろん覚悟は出来ているよね、リア?」
妙に艶っぽい声で囁かれて、耳が火傷するかと思った。
その気ってどの気。覚悟って何の。
何ひとつわからない。
色んな意味で疲労困憊すぎて、もう頭も働かない。
ぼんやりと霞がかった頭で、レイノルド様の腕の中、僅かに残った光が空から降る様子を眺める。
最後の光が落ちた時、マリアナージュの静かな夜が、ようやく帳を下ろした。




