氷漬けのマリアナージュ2
何もかもが氷ばかりとなってしまったマリアナージュ。
目の前に立っていても、私の姿は誰の目にも映っていない。氷漬けになった人は皆、その瞬間に時を止めてしまったようだ。
「ノア……! これって……」
「この氷は、放っておいたら100年も溶けないでしょう。自らをも凍らせてしまうなんて、余程姫君の死を受け入れられなかったものと思われます」
「い……生きてるのよね? 皆」
「今は仮死状態ですね」
────今は。
その言葉選びに、嫌な感覚が背中をぞわぞわと這い上がる。
「このままの状態では、すぐに死が訪れます。これは光魔術の結界のように、完全に時を止めて閉じ込めるようなものではありませんから」
「だったら助けるのよ! あなたの光魔術なら、それが可能でしょう?」
返事をすることなく黙り込んだノアの表情は固く、酷く不安になる。
現代のどの魔術師も敵わない力を持つノアが居るならば、困難なことなどないはずなのに……。
「姫君。申し訳ありませんが、お役に立てるか分かり兼ねます。私は既に魔力を大量消費しております。あの男の魔力はかなりのものでしょう。全てを無効化するには、今の私では力不足と言わざるを得ません」
「それなら……!」
すぐ近くで横たわるエリーのそばまで走り、眠る彼女を遠慮なく揺さぶった。
「エリー! 起きなさい! 聖女としての務めを果たすのよ!!」
「ひゃっ! あ、アメリア!? 生きてる!!」
エリーは元気そうに飛び起きた。
寝起きの上に、事態が飲み込めず困惑しきりのエリーをそのままに、ノアに向き直る。
「エリーは聖女と呼ばれる程の光魔術の使い手よ! エリーと力を合わせれば、皆を助けられるはずだわ!」
「無茶を仰る。器は違えどやはり変わりませんね、貴方様は」
「ちょっと! 私をあんな傲慢で我儘な皇女と一緒にしないでちょうだい!!」
そう叫びながら、はっとした。
大変なことが起こって、ずっと気は動転していた。その上、遙か昔のノアとの記憶に引っ張られすぎて、私のノアへの態度は、傲慢で我儘そのものだったのではないか。
私はいつも気が付くのが遅い。
皇女だった私も、誰よりも大切な存在だったノアに、何も伝えていなかった。
そればかりか彼の気持ちを無視し、彼だけを逃がした。その顛末こそが、魔力暴発を引き起こしたというのに────。
「…………ごめんなさい、ノア」
ノアが目を瞬かせる。
彼の知る「私」は、自分の非を認めたことなど、ただの一度もないのだ。
「皇女だった私は、あなたのことをたった一人愛していたわ。誰よりも大切な存在だった。だからこそ、あなたにだけは生き延びて欲しかった。でも、私のしたことは間違っていたわね。あなたに酷い苦しみを与えることになるなんて、考えもしなかった。本当に申し訳ないことをしたわ」
私の気持ちなんて、ノアはわかり切っているだろう。それでも、ちゃんと言葉にしたかった。
伝えたい言葉を伝えられないまま別れがやって来れば、後悔しか残らないのだ。
皇女として生きた生涯で、それを痛感した。
「きっと私は今、過去のあなたと同じ気持ちでいると思うの。魔力暴発しないで済んでいるのは、あなたがそばに居るから。あなたが居てくれるだけで心強いし、私の話をちゃんと聞いて、冷静に答えてくれている。そのお陰だわ」
「勿体ないお言葉です」
ノアが恭しく頭を下げる。
ノアは、私がたった一人愛した人。でも今は、今の私は、ノアだけなんて言えない。
「今の私には、このマリアナージュに大切な人が沢山居るのよ。どうしても助けたいの。無理だと言われても、諦めたくはないわ」
皇女の私と奴隷のノアは、お互いが唯一の存在であり、依存し合っていた。私だけが他に大切なものを見つけてしまうのは、ノアを裏切ったようで心苦しい。
でも、正直に伝えた上で、命令ではなく、ノアの意思で協力を得たい。
ここにはもう、皇女は居ない。アメリアとして生きる、私でしかないから。
「お願い、ノア。力を貸して」
ノアの金色の瞳を真っ直ぐに見詰めて言うと、彼はちっとも嫌な顔をせずに微笑んだ。
「姫君がそこまで仰るのですから、私も精一杯お力になれるよう尽力致します」
「ありがとう!」
ぽかんとしているエリーの前に、ノアが歩み寄る。
「エリー様、でしたね。お手を拝借しても?」
「ひゃああ! さ、『災厄』……!!」
「エリー、『災厄』はもう居ないわ。彼はノア。氷を溶かすために、あなたとノアの光魔術の力を使って欲しいの。このままだと、マリアナージュに居る皆、命を落とすことになるわ」
「へっ? えっと、……はい!」
ろくに状況も理解していないはずなのに、エリーは少しだけ戸惑いを見せながらも、しっかりと頷いた。
素直で優しい彼女は、人の命がかかっていると聞いただけで、自分に出来ることをやろうと思えるのだろう。彼女の人となりこそ、その属性魔術以上に、聖女と呼ばれるに値する。
ノアが差し出した手に、エリーもその手を重ねた。
「エリー様。貴方様の魔力を私に預けてくださいませんか。目を閉じて、光魔術のその力を、強くイメージしていただくだけで構いません」
「はい……!」
エリーが目を閉じた。
するとすぐに、二人の周りから光が出現する。
視界が、温かい光でいっぱいになった。
初めて教室で見た時と、同じ。
きらきらと輝く光が、辺りを包み込むように広がっていく。
ずっと遠くまで。
どうかマリアナージュ全体に届いて、全てのものを溶かしますように────。
夜はもう間近だというのに、真昼のように温かで優しい光で満ちる。氷に覆われた全てのものが、光をきらりと反射して輝く。
美しい奇跡の光景に目を細めて、ただ祈った。
光が小さくなり、やがて消えるまで。
────そして。
「お嬢!!」
誰よりも俊敏な動きで、体の自由がきくようになったルカが、私の目の前に飛び出して来た。
「怪我は!?」
「な…………治ったわ…………」
突然のことに驚きすぎて、まともに返事も出来ない。
ルカは勢いよく正面から私の両肩を掴み、目視で全身を確認している。本当に傷がないと判断すると、わかりやすくほっとした顔で息をついた。
「…………死んだかと思った…………」
「あなたには、いつも心配かけてばかりね」
「わかってんなら、もうちょっとなんとかしろよ。オレの心臓がもたない」
今回ばかりは反論する気も起きず、苦笑してルカの肩越しに周りを見渡せば、ぐったりと疲れ切った様子のノアとエリーを中心に、すっかり氷は溶けていた。
メイソン先生やグレースが、ノアに向かって魔術を放とうとするのを、エリーが必死で止めている。
私もエリーに加勢しようと、ルカから離れ足を踏み出し、けれどぴたりとその足を止めた。
「レイノルド様…………」
全て溶けたとばかり思っていたが、違ったのだ。
この場所でレイノルド様だけがただ一人、氷の中で時を止めたままだ。厚い氷に覆われて、その青い瞳には何も映さない。
──どうして、レイノルド様だけが。
「申し訳ありません、姫君」
立ち尽くす私の隣に、いつの間にかノアが並んでいた。
よく見れば、学園奥にそびえ立つ三つの塔や、その奥のマリアナージュの森は、未だ凍ったままだ。
魔力が、足りなかった……?
「ノア……! どうして!」
「なるべく広範囲に光魔術を行き渡らせようとしましたが、全てに、というのは叶いませんでした。更にその男は、最も魔術が濃くかかっておりましたので、無効化する前に私どもの魔力が尽きました」
────では、今も氷の中に残されたままの人は。
レイノルド様は、助からない……?
ノアの告げた現実はとても残酷で、確かにここに立っていても、再び大地の割れ目の底に突き落とされたような気分だった。




