もう一人の危険思想者
最強の魔術師さえも歯がたたない、恐ろしい『災厄』を前に、聖女は背筋をぴんと伸ばし、しっかりと前を向いている。
「エリー……。結界を、張れるようになったの?」
「昨日、夕食の前にリロイさんに、少しコツを教えてもらっただけです。でも、やります!」
どうしてだろう。
エリーの根拠のないその言葉を、信じたい……信じられると思うのは。
つい最近まで自信なく、魔術を使うことも出来なかったのに、今はとても頼もしく見える。
こちらを見てにっこり笑ったエリーが、しかし一瞬で青ざめた。
「あっ! でも……! ピアスがない!!」
「あ……!」
そうだった。
エリーも私もアルロも、皆魔石のピアスをしていない。
ただでさえ繊細な魔力調整を必要とするという結界、ピアスなしでは困難なのは明らかだ。
「どうしようアメリア!」
「どうって……ええ!? どうするのよ!?」
さすがにどうしようもない。
「仕方ないわ。とにかくやってみるのよ!」
「えぇ……!? そんな……」
さっきまでの自信はどこへやら、エリーが不安げな表情を浮かべる。
それでも左耳へ手を当てた時、ふわりと優しい風が吹いた。
「あっ……!」
エリーの前に、風に乗ってピアスが運ばれて来た。エリーが両手を出すと、その手のひらの上にそっと落ちて、風が止む。
青にも緑にも見える、魔石のピアスだ。
この色のピアスは────。
「レイノルド様!」
ルカのすぐ横に、レイノルド様が立っていた。
「ルカ。お前、今まで何してた?」
「申し訳ありません」
ここからは二人の会話は聞こえないけれど、ルカが勢いよく頭を下げているのが見える。
ルカを一瞥したレイノルド様が、こちらへ視線を向け、笑顔を見せた。
「エリー。私のピアスを使うといいよ。君なら出来るはずだ。私たちも、ここからサポートするから」
「がっ……がんばります! ありがとうございます!」
エリーはピアスを大事そうに包み込み、耳につけている。その様子を隣で見守っていると、強烈な視線を感じた。
一瞬で笑みを消したレイノルド様だ。
「リア。君は本当に目が離せないよね。『災厄』にまで手を出すなんて、いい加減にしてくれないかな」
「違いますからね!?」
私のせいで『災厄』が目覚めたみたいに言われるのは不本意すぎる。
レイノルド様は小さく溜め息をつきながらも、魔術で竜巻のような風を発生させ、ノアに命中させた。
その風もふっと光となり消えたものの、ピアスなしで正確に魔術使用をしてしまうなんて、恐るべきコントロールである。
他の魔術師たちも、エリーのサポートのため、少しでもノアの魔力を削ろうと魔術を使う。
……私も。
虚ろな目をするノアを前に、決心した。
魔力コントロールは上手くいかないかもしれないけど、何もせずに見ているだけなんてやめよう。
ノアは苦しんでいる。
皆に恐れられ、忌み嫌われ続けているノアの本当の姿を、私は知っている。
彼だって望んで魔力暴発を起こしている訳ではない。その大き過ぎる魔力故に大陸全土にまで危険を及ぼす存在となってしまったが、それは彼の意思ではないのだ。
皇女であった高慢な私ならば、ノアを一言叱りつければ済んだだろう。
聖女であるエリーのように特別な力があれば、自身の手で、ノアを再び静かに眠らせることが出来ただろう。
どちらも叶わない今の私には、ただ他の魔術師と同じように、エリーをサポートするしかないけれど。
「ルース」
私の放った魔術は、ノアの頭上にごく小さな滝を出現させた。とにかく正確に当てる、ということに集中したので、攻撃力は二の次だ。
儚く光となり消えると思われたが……。
その滝は、頭からノアに降り注いだ。
大して威力のあるものでもなかった。
それなのに、何故────。
水が止まり、全身がぐっしょり濡れたノアの目が、大きく見開かれている。
その金の瞳はもう虚ろなものではなく、はっきりと私の姿をとらえた。
「ノア!」
今度は大きな声で、名前を呼ぶ。
ノアの口が、姫君……と、形作った気がした。
「なんだかわからないけど、魔力暴発が止まったわよ!?」
「エリー! 今のうちに!」
グレースとメイソン先生の声が耳に届く。
エリーが頷き、ピアスに触れた。
その様子を見て、サミュエルが焦ったように声を上げる。
「やめろ! 俺のために、ソレは世界を壊すのだ!!」
勝手なことばかりを言う男。
何を言ったところでまともに聞きはしないのだろうが、ひとつだけ、はっきりさせておきたい。
「あなたの言うソレは、あなたの指示には従わない。私にくれたことだけは感謝するけど、ノアは私のものよ!」
「……お前。まさか」
サミュエルが何か言いかけて、口を閉じた。
ようやく私が前世で自分の娘であったと思い至ったのだろうが、どうせ名も思い出せないのだろう。
ノアもまた、驚いたようにこちらを見たまま動かない。その瞳は、確かによく知る大好きな人のもので。
そんなノアに向かって、エリーが両手を突き出した。
ノアをもう一度、結界の中へ閉じ込めてしまうために。
ノアは、確かに今、正気を取り戻しているのに……?
「ちょっ……と、待ってちょうだい!!」
思わず叫んで、エリーの前に飛び出した。
──けれど。
その瞬間、体に鈍い衝撃が走った。
すぐ目の前にある、エリーの桃色の瞳が苦痛に歪む。
何が起こったのか、すぐにはわからなかったけれど……。
「ごめんね。エリー、アメリア」
耳元で聞こえたのは、アルロの声だ。
謝っているのに、ちっとも悪びれない、どこか楽しげな声。
私とエリーは、アルロの持っていた大きな剣で串刺しにされていた。
彼は背後から、私の体もろともエリーの胸を貫いたのだ。
何故……どうして、アルロが。
優しくて気弱で、可愛い友人。素直で純粋な彼を、守ってあげたいと思っていた。
アルロがこんな場面に相応しくない、無垢な笑顔で私の顔を覗き込む。
「アメリアが悪いんだよ? 君のことを巻き添えにするつもりなはかったのに……。僕はね、サミュエル様の言う魔術師のための世界とかはどうでもいいんだ。ただ、大陸が滅ぶ程の魔力暴発というのを、この目で見てみたいんだよ」
その目は純粋そのもので、きらきらと楽しげに輝いている。
魔術師狩りや奴隷契約の魔術に興味があると笑っていた、その時と何も変わらない。
「だから、邪魔しないでね」
アルロが剣を引き抜いた。
痛みを通り越した激しい衝撃を感じて、血飛沫が舞う。
エリーと重なり合って、体が倒れていく。
その時、体が凍りつきそうな程にひやりとする冷気を感じた。
……死ぬ時は、こんなにも凍えそうなくらいに寒く感じるものなのかしら……。
こんなに血が出ては、とても助からない。
唯一光魔術を使って治すことが出来るはずのエリーのことも、庇い切れなかった。
ゆっくり瞬きをして、最後の景色を目に焼き付ける。
そこにあった世界は、全てのものが凍り付いていた。
地面も崩れた教会も、マリアナージュの森も、目に映るもの全てが。
何もかもを凍らせてしまったのは、レイノルド様だ。怒りとも悲しみとも見える激しい感情を、その青い瞳に宿している。
ピアスを外した彼が、魔力暴発を起こしてしまった──。
それを理解し、絶望が胸に広がる。
けれどもう、指一本も動かない。
瞼が閉じる寸前、大地の割れ目が大きく崩れ、足場を失った私とエリーは、底の見えない闇の中へと落ちていった。




