名前はノア
「ごっ、ごめんなさい……! アルロに病気で苦しんでいる人が居るって言われて、ここに来てすぐ、あの人に光魔術を使ったんです。その後は剣で脅されて、どんどん地下道の奥に連れて行かれて……」
エリーから事の経緯を聞いておくべきだった。
彼女の素直さ、純粋さが、悪い方へ作用してしまった……!
慌ててサミュエルに向き直る。
「ちょっと待ちなさい! あなたもピアスをしていないじゃないの! こんな場所で魔術を使っては危険よ!?」
私も魔術を使ったが、かなり魔力量を調整したつもりだった。それであの結果である。
サミュエルは白星塔トップを狙えた魔術師だと聞いている。何属性だか知らないが、そんな魔力量で安易に魔力を放出されれば、大変なことになる。
しかしサミュエルは、笑みを崩さない。
「潮時だ。この真上には、何があると思う?」
「…………まさか」
彼は地下迷宮の崩壊を恐れていないのだ。
それどころか……。
この場所の真上にあるもの。
考えられるのは、ひとつしかない。
教会だ。
サミュエルは、この地下迷宮もろとも、『災厄』の結界を破壊しようとしている────!
「駄目……!」
サミュエルの口が、魔力放出の呪文を唱えるために開かれた、その時。
しっかり握られていたはずの剣が吹っ飛び、派手な音を立てて転がった。
同時にサミュエルの体も、崩れ落ちて地面に両膝をつく格好となる。
「ルカ!」
サミュエルを背後からあっという間に押さえ込み、拘束したのはルカだった。
その後ろで、アルロが落ちていた剣を急いで拾い、サミュエルから距離をとる。
待ち望んでいた助けが、ようやく到着した。
「遅いじゃないの、ルカ」
「ピアスしてると先に進めないって気付くのに時間がかかった。あとお嬢、水流して居場所知らせるのはいいけど、量もうちょっと加減しろよ。流されるとこだった」
あれでも最大限調整したつもりだった。無理を言わないで欲しい。
ルカと軽口を叩きあっていたが、ふとサミュエルを見ると、その表情は薄ら笑いを浮かべている。
ルカとアルロの登場で、すっかり肩の力が抜けていた。
──けれど。
もともとルカさえ居れば大丈夫、と思えていたのは、サミュエルが魔術を使えないと思っていたからだ。
サミュエルは今、魔力放出の呪文の詠唱中だったのに……!
「ルカ! その男から離れて!」
「は?」
「ルース」
サミュエルの低い声が響いた。
地響きのような音が、辺りに響きわたる。
不気味な音が大きくなるにつれ、立っている地面がぐらぐらと揺れ始めた。
目の前に土の壁がぼこり、と現れる。
それを皮切りに、足元から大量の土が湧き出るように現れ、私たちの体を乗せたまま高さを増していく。
とても立っていられず、膝と手をつく。
それでも湧き上がる土は止まない。
「きゃああ!」
「エリー!」
すぐそばに居るエリーの手を掴んだ。
互いの体にしがみつくように支え合う。
ルカはこんな状況でもまだサミュエルの体を押さえ続けようとしているようだが、不安定な足場で思うように動けない。気をとられていると、湧き上がってきた土に足をすくわれてしまう。
アルロも拾った剣を杖がわりにして、地面に突き刺してなんとか耐えている。
勢いそのままに上へ上へと押し上げられていくうちに、とうとう地下迷宮の天井から光が漏れた。
地上に出る……!
眩しい、と思ったのは、太陽の光ばかりではなかった。
何かが割れるような、鋭い音が耳をつんざく。
この音を聞くのは、二度目だ。
結界が壊れる音────!
強い光と音が消え、恐る恐る目を開いた。
そこには、完全に崩れ落ちた教会と、そして────。
すぐ目の前に、「彼」がいた。
閉じ込めるように「彼」を包み込む淡く光る石に、大きなヒビが入っている。
「アメリア! エリー!」
振り返ると、メイソン先生とグレースが、突然地中から姿を現した私たちを、驚愕の眼差しで見ていた。
教会を警戒していたのだろう、複数の白星塔職員の姿もある。
「メイソン先生! サミュエル・ポーターが、魔術を……!」
「サミュエル・ポーター……! これはお前の仕業か!?」
ルカがメイソン先生の前まで、サミュエルを引きずるように連れて行った。大掛かりな魔術を使用したせいか、抵抗も出来ずぐったりしている。
「サミュエル……! よくも我が白星塔の名に、泥を塗ってくれたわね。その挙げ句、遂に『災厄』に直接手を出すなんて! 今度は魔術封印だけでは済まないわよ!」
グレースが、憎悪に満ちた瞳でサミュエルを見据えている。
そんな中、背後でぴしぴしと音がした。
『災厄』を閉じ込めていた石が、みるみるひび割れていく。
「そこを離れろ!」
メイソン先生が叫んだ。
その横で、ルカに押さえつけられたサミュエルが笑う。
「『災厄』が目覚める。お前たちがよしとしている世界が変わる。アレが、私のために全てを壊すだろう」
石が、とうとう真っ二つに割れた。
『災厄』が、「彼」が、その瞳を開く。
遠い昔に見慣れた金色の瞳────。
その瞬間、「彼」の圧倒的魔力を感じた。
人の魔力など、感知したことは今まで一度もない。けれども「彼」のそれは、余りにも大きく強く、その場の空気を支配するには充分だった。
息苦しくさえ感じる強烈な魔力を、どこか懐かしくも思う。
ずっと昔にいつも傍にあった、この気配。
だからこそ思い出した。
「彼」の名を。
名前は────。
「ノア……!」
必死で呼んだ声は、暴発した魔力が起こした地割れによってかき消された。
ノアの目は虚ろだった。
こっちを見ているのに、私のことも、誰のことも見ていない。何もその目に映していない。
魔力暴発を起こしたいつかのシリルのように、強い憤怒は感じられない。むしろ、諦めや、深い悲しみ────。
轟音と共に、地面が大きくひび割れる。
その割れ目は大きく深く、まるで世界が二つに別れてしまったのかと思う程に。底が見えない程深く、先がわからない程どこまでも続いている。
大規模な地割れによって、私とエリー、アルロの三人だけが、『災厄』となったノアの前に取り残されてしまった。
「頭を下げなさい! ルース!」
割れ目の向こうから、グレースが火魔術を放った。
見たこともないくらいに大きな火球は、私たちの頭上を掠め、ノアへぶつかる直前に光となって消えた。
「ちっ。やっぱり無効化されてしまうわね」
「それでも攻撃は続けろ。『災厄』の魔力を削るしかない!」
メイソン先生の指示で、白星塔職員たちが次々と魔術を放つ。
いずれもノアに当たる前に消えていくその様子を、取り残された私たち三人は、呆然と見つめるばかりだ。
そんな中で、メイソン先生の放った魔術は、隕石と見紛う程のものだった。
ノアの遙か頭上に現れた巨大な岩が、猛スピードで突っ込んでいく。
メイソン先生の本気の魔術を見るのは初めてで、その規模の凄まじさに、瞬きも忘れた。
メイソン先生に限って、コントロールに失敗することなどないとわかっていても、すぐ目の前まで岩が迫ってくる恐怖で足がすくむ。
最強の魔術師と言われるその力は、『災厄』をも飲み込んでしまうに違いない。
──けれど、その予想は裏切られる。
ノアの前では、あっさりと幻のように消え去った。
一体、どれ程の魔力を秘めているのだろう。
どれだけの魔術を使えば、ノアは力尽きるのだろう。
大切な人が、魔力を暴発し続けるしかなくなったその姿を、何も出来ずに見ているしかないなんて……。
自分の無力さを呪う。
ただ強く拳を握りしめるばかりの私の隣で、エリーがすっと立ち上がった。
背筋を伸ばし、凛と立つその姿は、聖女そのもの。
「私が……結界を張ります!」




