書棚の秘密2
開け放たれた扉の前に立っていたのは、我が家の執事長だった。
「旦那様の部屋で何を……!?」
しまった。
思い切り見られた!!
「えええと! なっ、なんでもないわよ!?」
問いただされても動揺の最中である私は、情けない事に言い訳ひとつ出てこない。
焦る私に対して、執事長は冷静だった。
鍵がかけられている書棚の扉が開いていることに気がついたようだ。
「…………お嬢様。そちらには、非常に重要な書類が入っていたはずですが」
知ってます!
とんでもない書類が入っていたわね!!
執事長が厳しい顔でこちらへ歩みを進める。
……まずいことになった……。
極秘書類を見てしまったが為にわかる。
この状況は、娘が当主の部屋でこっそり家の情報を盗み見た、なんて生易しいものではないのだ。
今の私はイルヴァーナ伯爵家とは何の関係もない。
このまま捕まれば、間違いなく罪に問われる。
何しろ私は、ただの平民なのだから!!
執事長がじりじりと距離を詰めてくる。
しかし私の後方には逃げ道はない。
私の体に、大きな手が伸びてくる。
───捕まる!!
ぎゅっと目を閉じた。
昨日までは、レイノルド様といずれ結婚するのだと信じて疑わなかった。
それが、どうしてこんな事になってしまったのか。
婚約者に裏切られ、叔父に売られ、遂には罪人として捕まってしまう。
私が一体何をしたというんだろう。
しかし、待てど執事長の手が私を捉えることはない。
そうっと目を開けてみれば、執事長が床に転がっていた。
「………………えぇ………………!?」
「何してんの? お嬢」
倒れた執事長の後ろに立っていたのは、頼れる護衛のルカだった。
おかしい。
ルカは確かに馬車に乗って王城へ戻ったはずだ。
「ルカ! あなたこそ何してるの!? 帰ったはずでしょう!」
「戻って来たから」
「は……!? どうして?」
「殿下にあそこまで言われて、お嬢を置いて帰れるわけねーし」
さすが忠実な王家の犬。帰ったふりをして、きっちり私を見張っていたのか。
更には私の危機と見て、執事長の気を失わせてくれたようだ。
お陰で助かった。
しかし完全に安心出来たわけではない。
こんな状況に追い込まれた以上、私に残された道はひとつしかない。
このままここに残れば、いずれ執事長が目を覚まして私の行いは明るみになる。
ルカが守ってくれるのだって、レイノルド様の婚約者という立場あってこそだ。
そのレイノルド様の手によって平民となってしまっているのだから、この立場とて危ういと考えるべきだろう。婚約を解消するつもりで、私の地位を落としたのではないか。
…………そうとしか思えない。
────それならばもう、逃亡するしかない!
「ルカお願い! 黙って見逃して!!」
「待って。何の話?」
「今までありがとう。私の最後の我儘よ。何も言わずに行かせてちょうだい」
「いや、だから。どこに?」
………………どこに?
考えていなかった。
「どこでもいいわ! とにかく、ここにはいられないのよ。どいてちょうだい」
転がった執事長を避けて扉へ向かおうとしたけれど、ルカに腕を掴まれた。
「お嬢、今日おかしいよ? 何を企んでんのか知らないけど、まずは殿下に相談した方がいいんじゃねーの」
「それ、一番だめなやつなのよ!!」
今やレイノルド様を敵認定した私は、焦ってルカの腕をふりほどこうとしたけれど、背丈も私とそれほど変わらず細身に見える彼の腕はびくともしない。
思い切り引き抜こうと足に力を入れ踏ん張っていると、馬鹿にしたように鼻で笑われた。
悔しいいいい!!!!!
私よりよっぽど子どもみたいな顔をして、力じゃちっとも敵わない!
そうして一悶着していると、階下から複数の人の声が聞こえてきた。
二人で顔を見合わせ、耳をすませる。
「……誰か! この屋敷の者はいないか!?」
客人のようだ。
しかし…………どこかで聞いたことのあるような声だ。
「ルカ。今の声って、もしかして」
「チッ……。しょうがねーな。お嬢はここにいろよ。この屋敷の者に用があるらしいから、こいつ連れてくわ」
そう言うと、ルカは気を失ったままの執事長の足を掴み、ずるずると引きずりながら出て行った。
執事長…………。
名前も覚えていないけど、酷い扱いだ。お気の毒に。
それより私も、自分のことを考えないと。
幸運にもルカの腕から逃れられたわけだし、どうにかしてこのまま逃亡を図ろう。
とはいえ、ここは二階。
窓から逃げられるはずもないし、玄関には客人。
──となれば、使用人用の勝手口か。
それほど広くない屋敷内。どう動けば、ルカに見つからずに辿り着けるだろう。
考えを巡らせながらも、念の為書棚に書類を戻す。
元通りにしたって、執事長に決定的現場を見られたのだから、誤魔化し切れないのはわかっているけれど。
それでも、この書類を人の目に触れる場所に放置することは躊躇われた。
ふと、書棚の奥にもう一枚の紙が見えた。
もうこれ以上悪いものなどありはしないと思い、軽い気持ちで手に取ってみる。
「まぁ……。これは、ゾイドの文字ね。どうしてこれだけ……?」
ここにある全ての書類が、自国であるシャパル語か、大陸三国の共通語で書かれている。
その中で唯一隣国ゾイドの文字で書かれたこの紙は、異質としか言いようがない。
しかし見られたくないものならば、ゾイドの文字は有効だ。
三国共通語がある以上、わざわざ他国の文字を勉強する者はそうそういない。
そう、例えば…………。
王太子妃教育なんてものを受けていない限り、ね。
…………ふっ。こんなところで王太子妃教育が役に立とうとは。
「何かの契約書のようね」
レイノルド様と叔父が交わした契約書と同じ。
叔父と、誰かのサインが見てとれる。
知らない名前だけれど。
時間をかければ、完璧に翻訳は出来る。
しかし今はそんな暇もないので、真ん中の最も重要な契約項目だけを注視する。
「………………聖女?」
自分の目を疑う。
そこには、決して書かれていてはいけない内容が記されていた。
──それは、聖女の暗殺を依頼する書類だった。