遠い昔の夢をみる2
少しだけ退屈で、当たり前に続くはずだった日常は、唐突に幕を下ろした。
深夜、深い眠りについていた私の自室を、「彼」が急に訪れたのだ。もちろん、そんな無礼をはたらいたことは今まで一度もない。
「彼」は余裕のない表情で息を切らし、許しの言葉を得ないままに、ずかずかと踏み込んできた。
「……何事?」
「皇宮が襲われております」
同時に、破壊音が耳に届いた。
「彼」の言葉を、裏付けるように。
ベッドから降り、窓の外を確認する。
私の居る東宮からは、中央宮と北宮が見える。どちらも大きく崩れ、黒い煙がもくもくと空高く上がっている。
「随分派手にやられているわね。皇宮の警備は、一体どうなっているのよ」
「全く機能しておりません」
「役立たずが……。敵に寝返ったというの? 相手はどこの国?」
「シャパル王国でございます」
「まぁ。この私を嫁にと要求しておきながら、裏切ったのね」
シャパル王国との間に諍いは絶えなかったが、私の輿入れと同時に、同盟を結ぶ予定だと聞いていた。
それを間近に控えたこのタイミングでの襲撃、油断させるための作戦だったのかもしれない。
「大変申し上げにくいのですが……。ティンブルク帝国民は、長らく皇帝陛下の権力による弾圧に苦しんでおりました。この皇宮内でも、私のような下賎な者の耳にも届く程に、その不満の声は大きくなっていたのです。この件、扇動したのはシャパル王国の手の者に間違いありません。しかし主体的に動いているのは、帝国民であると推察致します」
「ならば、民の反乱にシャパル王国が力を貸したということね」
皇家は民に見限られたのだ。
皇族全員の処刑は免れられない。
「……知らなかったわ。そんなに恨まれていたなんて、ちっとも」
皇宮の外のことを、私は知らない。
女である私は、この国がどのように治められ、民がどのような暮らしをしているかなど、知る機会を与えられなかった。もっとも、積極的に知ろうともしなかったので、そういう意味では自業自得だ。
皇帝は自分のやり方に口を出されるのを嫌った。男である五人の兄たちが何を知り、何を進言していたとしても、聞く耳を持たなかったのだろう。
「彼」と話している間にも、激しい音は続いている。
じきに、ここにも辿り着くだろう。
「姫君。いかがなさいますか?」
「わかり切ったことを……。逃げられやしないわ」
「いいえ! ご命令ください。私の命尽きても、御身をお守りします」
「やはりお前は愚か者ね。ここで逃げても、どこまでも追われるわよ」
「…………だとしても、お守りします」
月明かりが差し込むだけの暗い部屋で、それでも「彼」の金の瞳は宝石のように美しい。その真剣な眼差しに、胸が抉られるような気持ちになる。
「彼」だって、わかっているはずだ。
私は皇族として処刑されるべきなのだと。
民の悲鳴を聞かず、皇宮で何の苦労も知らず、贅沢だけをして生きた我儘な皇女。
私は傲慢で我儘には違いないが、自分の価値と立場を、ちゃんと理解している。
皇族として生まれ、生きてきたのだから、それなりの責任をとらなければならない。
民が望むのならば、この命をもって。
「では、命じるわ」
「彼」が期待を込めた瞳を向ける。
「逃げなさい。お前一人で。絶対に、生き延びるのよ」
「……!!」
命令が想定外だったのだろう。「彼」は途端に絶望的な表情を浮かべた。
「何故ですか、姫君! 最後まで私をお傍に置いてください!」
「うるさい。私の前から消えなさい。命令よ」
すがりつこうとする「彼」を払い除け、窓を開け放つ。すると「彼」は、ふらふらと覚束無い足取りで窓辺へと立った。
「彼」の首元の奴隷紋が、うっすらと発光している。
私は「彼」に命令した。「彼」は、皇家の人間には逆らえないのだ。
「姫君…………」
「彼」の瞳に、涙が溜まっている。そんな顔で見るのはやめて欲しい。
その美しい金の瞳は、この皇宮内で醜い争いばかりを見てきた。絶対に手放したくなくて、そばに置いていた。
でも本当は、賢くて優しくて美しい「彼」には、もっと相応しい場所があるはずなのだ。
一際大きな音がして、私の部屋に大きな穴が空いた。
────もう、時間切れだ。
「ここに戻って来ることは許さないわ。そして、自死を選ぶことも。命令したわよ」
「ひめぎ……」
「行きなさい!」
「彼」を窓から思い切り突き飛ばした。
落ちていく「彼」の目から、涙が零れる。
「彼」の体は、地面に叩きつけられる寸前に、ふわりと浮かんで着地した。
私が命令したのだから、「彼」は本意でなくとも、魔術を使って身を守る。
「彼」一人ならば、容易くここから逃げられるだろう。「彼」の魔力量は、帝国の一等魔術師兵さえ敵わないと聞いたから。
「彼」は、私とは違う。
民の恨みをその身に受けて、命を落とす必要などないのだ。
いつの間にか、私の目からも涙が零れていた。
────ああ、どうして最後まで私は、「彼」に優しい言葉のひとつもかけられなかったのだろう。
どうかこの先の未来、「彼」の瞳が、沢山の美しい世界を映しますように。「彼」が私のことなどいつか忘れ、希望に満ちた幸福な日々が訪れますように────。
そう願ったところで、室内に複数の人間が踏み込んで来る気配がした。
そこで私の意識は、ぷっつりと途切れた。




