番犬は不在です6
「ルース」
ティーカップになみなみと水が湧き出て、溢れることなく止まった。
その様子を見て、メイソン先生が満足そうに微笑む。
「完璧だ。素晴らしい」
メイソン先生の指導のお陰で、私の魔力コントロールはかなりの精度になった。
予想通り私の魔術使用は禁止とされ、教師に『魔術コントロール基礎』という教科書をしっかり読み込むようにと言われた。
なんとも雑な教育方法だ。メイソン先生が教えてくれなければ、私は今でも滝しか出せなかっただろう。
「ありがとうございます。メイソン先生のご尽力の賜物です」
実際、メイソン先生は教え方がとても上手い。
指導初日は魔術練習場まで足を運び、先生私物の魔道具を使って練習させてもらっていた。
また壊してしまうのではないかと心配だったが、手を取られ丁寧に魔力調整のコツを教えてもらっているうちに、すぐに水の量は減っていった。
その後も練習を重ね、たった数日でこうしてメイソン先生の部屋で危なげなく魔術を使用出来るようになったのだから、素晴らしい指導力だ。
「いや。アメリアは才能がある。おまけに努力も惜しまない。お前は間違いなくマリアナージュトップクラスの魔術師になるだろう。お前に魔術を教えることが出来て幸運だ」
褒め殺しだ。
メイソン先生は私に甘い。甘すぎる。
ついでに顔も甘々だ。
初対面の時の冷たい印象は鳴りを潜め、柔らかい笑みを浮かべて見つめてくるのだから。
こう褒められて優しくされては自信もつくというもの。
ルカの魔力コントロールは相当なものだったから、早く見てもらいたい。彼が私の魔術をどう評価するのか、聞いてみたくてうずうずする。
こんなに私の能力を伸ばしてくれて、更に大袈裟に称賛して浮かれさせてしまうのだから、メイソン先生が教壇に立たないのが本当に勿体ない。
先生からの指導を受ければ、誰だって才能が開花しそうだ。
「あの、メイソン先生。ご提案なのですが、私はもう充分教えて頂きましたし、今度はエリーに魔術の指導をなさってはどうでしょう……?」
「……エリー?」
「ご存知だとは思いますが、エリーはまだ魔術が使えないのです。私よりも彼女こそ、一刻も早く先生の教えのもと成し遂げるべきことがあるはずです」
『災厄』から、世界を守るために。
そんな思いを込めた私の言葉を正しく理解したであろうメイソン先生は、深く溜め息をついた。
「全く、お前は……。学生の身で世界平和に関心を持つことには敬服するが、そうして気に病むと辛いだろうから忘れるよう言ったのに」
相変わらず私のことを過大評価している。
別に最初から世界平和なんて大それたことに関心を寄せていた訳ではないし、四六時中気に病んでいる訳でもない。
私に教えるくらいなら、と思いつきで言っただけだ。
魔術を使えず苦しんでいるエリーを目の当たりにし続けるのも心苦しい。彼女は自信がないだけなのだ。
メイソン先生は渋い顔をしながら、「それに」と続けた。
「知りすぎているのは危険だ。ここにいる間は俺が守れる。だがマリアナージュを出れば、各国の王族しか知らない『災厄』の秘密を知るお前がどんな目に遭うかわからない」
恐ろしい脅し文句に、『災厄』について思ったまま考え無しに言葉にしてしまった自分を呪ってしまいそうだ。
しかしそれを知るのはメイソン先生のみ。
先生が私の身を危険に晒すとわかっていて口を滑らせる人だとは思えないし、私が黙っていればいいだけの話だ。
「エリーが無事に聖女としての役目を終えれば、私も全て忘れることにします。ですから先生、エリーへの個人指導、考えておいて下さいませんか。先生のお力添えがあれば、きっとすぐに上手くいくと思うのです」
「……そうならばいいがな。考えておく」
メイソン先生の前向きな返答に満足した私は、その日も教会に寄ってから帰路につくことにした。
教会はあの日から変わらず、朽ち果てそうになりながらもその姿を保っている。
懲りずに教会に通い続ける私だが、今ではきちんと祈りを捧げている。
どうか、『災厄』が起こりませんように──と。
◇◇◇
翌日のお昼休み。今日もアルロと教室に残っている。
「アメリア、今日はなんだかご機嫌だね」
「……そうかしら?」
アルロに指摘され、翻訳を進めていた手を止める。
私は傍から見てもわかるほど、浮かれているのだろうか。
「うん。何かいいことあった?」
「そうね。明日からようやくルカが登校出来るから、会えるのが楽しみなの」
謹慎期間は今日で終わりだ。
ルカのいない一週間は長かった。
色んなことがあった気がするし、話したいことも沢山ある。
あと一日、と思ったら朝から気分は良かったし、明日が楽しみで仕方ない。
しかし私の答えに、アルロははっきりと表情を曇らせた。
「どうかした?」
「あ……ごめんね。アメリアが喜んでるのに……。その……アメリアって、いつもあの、ルカ……さん、と一緒に居たよね……」
話しながらアルロの声はだんだん小さくなり、俯いてしまう。
そのまま黙り込んでしまったのだが、気弱な彼の言わんとしていることはよくわかった。
「ルカが怖いのね。大丈夫よ。確かにあの子は口も態度も悪いけれど、無闇に吠えたり噛み付いたりしないわ。あなたなら、きっと仲良くなれるはずよ」
「う……うん……?」
どうにも納得していないような様子ではあるが、アルロは頷いた。
アルロに頼まれた箇所の翻訳を終え、教科書を閉じる。
「終わったわ。食堂へ行きましょうか」
「ありがとう。そうだね……」
答えながら、アルロが前方の席へ視線を移し、困ったような顔をした。
「アメリア……。どうする?」
「…………」
いつもは二人きりになるはずの教室に、今日はもう一人残っているのだ。
シリル・エデルが斜め前の席で、机に突っ伏して気持ち良さそうに眠っている。
性格はアレだが、シリルは真面目な生徒だ。
王立学園時代から居眠りしているところなど一度も見たことがなかったのだが、今日は昼休みの前の授業中からウトウトし始めた。
そして昼休みになった途端、我慢の限界だとでも言わんばかりに熟睡してしまったのだ。
同級生が声をかけたりもしていたが起きる気配もなく、こうして眠り続けている。
珍しいこともあるものだ。夜更かしでもしたのだろうか。
だが、私の知ったことではない。
「放っておきましょう」
席を立って、扉へと向かう。
「でも……今起きないと、お昼ご飯を食べ損ねてしまうよ……?」
「一食くらい抜いたって死にはしないわ」
シリルのことだ。親切心で起こしてあげても、私の顔を見れば何かしら突っかかってくるに決まっている。
知らん顔で教室の外へ足を踏み出した私とは対照的に、アルロは恐る恐るといった様子でシリルの席へと歩み寄っていた。
「シ……シリル様……」
蚊の鳴くような声で呼びかけ、優しく肩に触れている。
そんなやり方では、絶対に起きないだろう。
それでもきっと、それがアルロにとっては精一杯なのだ。
彼は自分から、まして貴族に話しかけるのが怖いはずなのに、シリルが昼食を食べ損ねないように勇気を出して声をかけているのだから。
なんて思いやりに溢れた優しい人間なのだろう。
心が洗われる。私とは大違いだ。
しばらくそうしてシリルの傍で頑張っていたアルロだったが、やがて諦めて教室から出て来た。
洗われたはずの私の心にはまだまだ汚れがこびり付いているらしく、シリルを起こす手伝いは一切してやらなかった。




