番犬は不在です5
翌日は朝から雨だった。
厚い雲に覆われた空を見ていると、憂鬱な気分に拍車がかかる。
専ら本日の私の悩み事は、お昼休みにテオドール様との遭遇を避けられるかどうかだった。
昨日のアレは一時の気の迷いで、綺麗さっぱり忘れ去ってくれていればいいのだが……。
ルカ、早く戻って来て欲しい。
傘を片手に女子寮から出ようとすると、誰かが立っている姿が目に入った。
傘をさしているので顔は見えないけれど、それ程背丈の高くない男子生徒だ。
「…………まさか…………」
毎朝こうしてここに立ち、私を待っていたのはルカだ。
でも、そんなはずはない。
ルカの謹慎期間はあと二日残っている。
わかっていても、心臓が早鐘を打った。
はやる気持ちを抑えて、男子生徒へ歩み寄る。
「あ…………アメリア、おはよう」
私に気付いて振り返ったその人は、アルロだった。
当たり前だけど、ルカじゃなかった…………。
がっかりしてるんじゃないわよ、私。
「おはよう、アルロ。ここで何をしているの?」
「待ってたんだ。アメリアを」
「………………。私?」
「うん。昨日は、ちゃんとお礼を言えなかったから……。ありがとう」
アルロは恥ずかしそうに俯いている。
昨日翻訳してあげた教科書が役に立ったようで何よりだ。
雨の中待ち伏せしてまでお礼を言うなんて、なかなか義理堅い。好感が持てる。
「どういたしまして。わざわざここまで来なくても良かったのに」
「早く言いたくて……。昨日、アメリアはすぐに帰ってしまったし……」
確かに私は、放課後すぐに教室を出るようにしている。
約束通り、毎日メイソン先生のところへ魔力コントロールを教えてもらいに行っているからだ。
「あの、それで、アメリア……。もし良かったら、なんだけど……」
アルロはずっと俯いたまま、言いづらそうに切り出した。
「今日も、翻訳をお願いしてもいいかな……? その、全部じゃなくて、わからないところだけでいいから……」
「別に構わないわよ」
「えっ本当に!?」
アルロが勢いよく顔を上げた。
大したことでもない。ルカのいない休み時間は退屈なのだ。
それに今まで無駄だと思っていた王太子妃教育が役に立って、嬉しいくらいだ。ただ意味無く時間を潰しただけの教育だったのならば、私が哀れすぎる。
そんな私の内心を知らないアルロは、目をきらきらさせて喜んでいるように見える。
無償で人に尽くす女神でも見るような顔はやめて貰えないだろうか。
「まだ朝早いから、教室に着いたら授業開始までに午前の授業分は翻訳してしまうわ。午後の分は、昨日のようにお昼休みにすればいいわね」
「アメリア…………!本当にありがとう……!」
感動しきりな様子のアルロに、なんだか心が抉られるような心持ちになる。
こんな風に素直で純粋を絵に書いたような人間、私の周りには居なかった。
貴族特有の嫌なところを濃縮したようなものばかりを相手にしてきた私には、眩し過ぎる。
思わず胸に手を当て、目を逸らす。
そんな私の様子を見て、アルロの顔が曇った。
「あの……アメリア、……ごめん……」
「? 何故謝るの?」
「僕は、今まで君のことを避けていたから……。皆で寄って集って君のことを避けて、いけないことだとわかっていたのに、何も出来なかった……」
「別に気にしていないわ。私の家のことは事実だもの。貴族なんてどんなことで足元をすくわれるかわからないのだから、例え学生同士だとしても、付き合う相手を選ぶのは当たり前のことだわ」
「でも、僕は貴族じゃない……」
「…………」
アルロが苦しそうに俯いている。
見ているだけで、こっちまで苦しくなってしまう。
こんなにも純朴そうな彼には人間の汚いところになんて触れずにこのままでいて欲しいが、貴族ばかりの魔術学園に入学してしまった以上、難しいのかもしれない。
こういう心情は初めてだけど、守ってあげたいとはこういうことを言うのかもしれない。
「アメリアのこと、ずっと怖いと思っていたけど、本当は優しいんだってわかったよ。だから、こんな僕だけど、仲良くしてくれる……?」
「まぁ! もちろんよ。知っていると思うけど、私、入学してから一人も友達が出来ていないのよ。嬉しいわ」
「ふふ。……実は、僕もエリー以外とは話したこともなくて……。エリーだけなんだ、僕に気軽に話しかけて、優しくしてくれるのは」
さすが心根も美しい聖女様は、同級生皆と仲良く優しく接しているようだ。
私とは大違いだわ。
「だから、僕も嬉しいな。ありがとうアメリア」
そう言って、アルロは笑みを見せた。
頬を微かに赤く染めるその様子が可愛すぎる。
私が男だったら、男同士だとわかっていながらうっかり恋に落ちてしまいそうな程の愛らしさだった。
その日の昼休み、私とアルロは食事の時間を他の生徒とはずらし、午後の授業分の翻訳を済ませてから食堂に向かうことにした。
そのお陰でテオドール様に遭遇せずに済んだ。
アルロと仲良くなったことによる嬉しい誤算だ。
アルロは勉強熱心で頭も良く、よくよく聞けば三国共通語もかなり理解が進んでいることがわかった。
複雑な部分のみ翻訳すればいいので、それ程時間はかからない。
私の助けが必要なくなるのも時間の問題だ。
アルロのお陰で、ルカが登校出来なくなってから初めて、寂しさを感じない一日を過ごせている。
しかもアルロはとてもいい子だ。
「アメリア。良かったら、これ」
人もまばらになった食堂で、向かいに座るアルロが、私の前にデザートのプリンを差し出した。
「甘いもの好きだよね……? 翻訳のお礼だよ。明日もよろしく」
にっこりと笑いかけてくるアルロは、天使のようだ。可愛い。可愛すぎる。
入学以来初めて、楽しい学園生活を送れそうな予感に胸が弾んだ。




