王子様の手下
私たちは王家の馬車に揺られていた。
私の隣にルカ、正面にはディラン様とヒューゴ様が座っている。
ぐっしょり濡れた三人を見れば、申し訳なさばかりが募る。
私のせいで、随分酷い目に遭わせてしまったわね……。最後にきちんと挨拶くらいしておきたい。
「ヒューゴ様、ディラン様。ルカも。今までありがとうございました」
「急に何? 別れの挨拶? こわっ」
ルカが嫌そうに顔を顰める。
こいつは本当に……。感謝されて素直に返せないのか。可愛くない。
「そうね。私はもうレイノルド様の婚約者でなくなるわけだし」
三人は目を見開いた。
ディラン様がその勢いで立ち上がろうとして、馬車の天井に思い切り頭を打ち付けて悶絶している。
そんな彼を呆れを含んだ横目で見て、ヒューゴ様はその逞しい体を僅かにこちらへ寄せ問いかけた。
「それは、レイノルド様との婚約を考え直すということか?」
「考え直すも何も、もう仕方のないことです。レイノルド様のことは、きっぱりすっぱり吹っ切りました」
「いってて……。まっ、待ってください! 早まらないでください!!」
「ディラン。アメリア嬢がこんな事を言うなんて、余程の覚悟があっての事だ」
覚悟も何もない。レイノルド様への感情が死に絶えただけだ。
私が彼に切り捨てられようとしていることを、側近の二人は知っているだろうか。
話していいものか一瞬思案したけれど、この三人にはきちんと伝えておきたいと思った。
「私は、もうイルヴァーナ伯爵家の人間ではありません。平民だということです。それも、レイノルド様の仕業だと、知ってしまいました」
私の言葉に、ディラン様は真っ青になって頭を抱えた。
「すみませんすみません! 確かに殿下は、アメリア様の気持ちを置いてけぼりにするというか、先走りすぎなとこがありますけどね!?」
「ディラン様はご存知だったのですね?」
「ええ……まあ……一応……」
きまり悪そうに目を逸らすディラン様を、ヒューゴ様とルカが睨みつける。どうやら知っていたのはディラン様だけのようだ。
屈強な騎士と、見た目こそ子どもであるが有能な護衛に睨まれ、ディラン様は震え上がっている。
「義母たちも、今回の事件の事情を聞くために王城へ向かっていますよね? 着いたら会わせていただけます? 私、義母たちに頼み込んで平民としての暮らしに慣れるまでは世話になろうと思うんです。一人で市井に放り出されても、生きていく自信がありませんから」
話しながら、それが一番いい、むしろ他に方法はないと思えてきた。
どうせ家が取り潰しなら、みんな仲良く平民だ。今更家族らしくやっていけるか不安は大きいけれど、他に頼れる人もいない。
ディラン様は私の言葉を聞いて、益々顔色を悪くした。
「アメリア様……!! 本気なんですね。こんな事になるなんて……! だから殿下には、ご自分の感情ばかりを優先しないようにあれ程言ったのに……!!」
「お前言ったのか。不敬だな」
「言いましたよ! そして全く聞き入れて下さいませんでしたね、あの方は! その結果がこれですよ……!!」
ヒューゴ様に冷静に指摘されながらも、ディラン様は大いに嘆いている。
ディラン様はレイノルド様と幼馴染みでもあり、長年の付き合いがある。それにしてもここまで気安い仲だったとは知らなかった。
私がレイノルド様とどのような交流をしてきたかと言えば、顔を合わせてお茶するくらい。
彼は私の話をいつも笑顔で聞いてくれたし、質問にも笑顔で答えてくれた。
婚約者として一緒にパーティーやお茶会に参加したことも何度かあるけれど、笑顔の彼の横で、私もただにこにこしていただけだ。
感情を思うままにぶつけたことも、ぶつけられたこともない。
改めて、つまらない関係だったな、と思っていたら、ヒューゴ様がとんでもないことを言い出した。
「あのレイノルド様のことだから、きっと何かお考えがあるのだろう。アメリア嬢の気持ちを思えば大変心苦しいが、これからも変わらず殿下を支えてもらえないだろうか」
「…………本気でおっしゃってます?」
耳を疑うとはこういうことだろう。
ヒューゴ様は公正な思想の持ち主だと思っていたが、所詮レイノルド様の手下。心を許した私が馬鹿だった。
「僕からもお願いします! アメリア様」
ディラン様まで頭を下げるので、つい冷ややかな目を向けてしまう。
私がこれからもレイノルド様を支えるってどういうことだ。ツッコミどころが多すぎる。
どこから指摘してやろうかと思案していると、それまで黙りこくっていたルカが、ぽつりと言った。
「お嬢はどうせ、何したって殿下から一生逃げられない」
馬車内に沈黙が落ちた。
「…………あの、ルカ。それは、どういう意味で?」
「そのままの意味。死ぬまで追われるだけだ」
えっ怖い。
わからないけど怖い。
「婚約破棄では済まされないってこと……?」
「済むわけねーだろ。そんなの殿下が許すわけない」
…………何故ですか?
私はそこまで嫌われるようなことをした覚えも、重罪を犯した覚えもない。
しかしディラン様もヒューゴ様も、否定してはくれない。
むしろディラン様は、どこか遠くを見て呟いた。
「アメリア様……。お気の毒に」
「やめろディラン。アメリア嬢、俺はあなたの味方だ。出来る限り……いや、本当に出来ることは限られるが、力になりたいと思う。…………期待はしないでくれ…………」
ディラン様を咎めたはずのヒューゴ様まで、最後には遠い目をしていた。
この三人は、一体誰の話をしているんだ。
国民の憧れと尊敬を一身に受ける王太子殿下は、個人的恨みで一人の令嬢を追い詰める人だったとでも?
「お嬢、本気で逃げたい?」
隣に座っているルカに目をやれば、藍色の瞳と目が合った。
その表情からは、びっくりするほど真剣な思いが伝わってきた。何故だか胸がぎゅっとなる。
私が逃げたいと言えば、ルカはどうするだろう。
まさか、助けてくれる……?
ルカはいつだってレイノルド様の命令を何より優先していた、紛れもない王家の犬だ。
そんなルカが、私のために主人に逆らおうというんだろうか。
王家に盾突くなんて恐ろしいことを、ルカにさせてしまっていいものか……。
どう答えるべきかわからず俯いた私の目に、ルカの火傷が映る。
痛々しい火傷。
私を助けようとして無茶をしたルカ。
ルカが燃えているのを目の前で見た時は、生きた心地がしなかった。
──そうだ。
私はもう、ルカに傷ついて欲しくない。
私は顔を上げ、再びルカの顔を見た。
ゆっくりと、首を振る。
「いいえ、ルカ。私は逃げないわ」
ルカを危険な目に遭わせたりしない。
わからない未来を恐れて逃げ出すよりも、ちゃんと向き合わなければいけないものが残っている。
馬車が城門を抜けた。
行く先には、シャパル王国の象徴である白亜の王城がそびえ立っている。