王子と聖女
馬車から降り立ったのは、それはもう絵になるお二人だった。
美貌の王子様は、圧倒的な存在感と気品を放っている。
陽に当たり輝く金の髪も、夏の空を映したような青い瞳も、微笑みを浮かべた美しい顔も、何もかもが眩しく感じる程に完璧な麗しさだ。
その隣には、素朴な服を纏いながらも、非常に可愛らしい顔立ちの少女。
肩口までのミルクティーブラウンの髪は毛先がくるりと内巻きになり、可憐さを際立たせている。零れそうな程大きな瞳は桃色で、彼女の愛らしい雰囲気にぴったりだ。
王子様が美しい少女をエスコートして、馬車から降り立つ。
王子様は大切なものを守るようにそっと少女に触れ、優しい笑みを向けている。
対する少女も頬をほんのりと赤く染め、そんな王子様を潤んだ瞳で見上げている。
まるで絵本から飛び出してきたかのような光景に、その場にいた誰もが言葉を失い、見惚れたのだった。
────美しい王子様の婚約者であるはずの、私を含めて。
我がシャパル王国の王太子殿下、レイノルド・ルーファス様。
完璧王子と名高い彼こそが、私の婚約者だ。
レイノルド様の隣にいる少女は初めて見るが、何者かはすぐにわかった。
きっと、『聖女様』に違いない、と。
目の前の光景に、私は声も出せずに立ち尽くす。
なんてお似合いの二人なんだろう。
皆が待ち望んだ聖女様がこんなに可愛らしければ、レイノルド様の心が奪われるのも仕方がないと思う。
それに比べて、私ときたら。
ぐっしょりと濡れたドレスが冷たく重い。足が地面に貼り付いたように、一歩も動けない。
無様な姿を晒し、立ち尽くすとこしか出来ないでいる。
ふと、棒立ちになっている私にレイノルド様が目を留める。
私の酷い有様を見た彼は僅かに目を見開き、はっきりと眉根を寄せた。
ああ、なんと嫌なものでも見たというお顔をなさるのか。
聖女様に向けていたような笑顔は、半年ぶりに会う私には向けてはくださらない。
二人が見つめあう様子を見れば、お互いをどう思っているかなど明白だった。
私はレイノルド様の口が開くまでもなく、彼から発せられる言葉を予感していた。
───────婚約破棄だ!!!
◇◇◇
まず、私の自己紹介をしておく。
私の名はアメリア・イルヴァーナ。しがない伯爵家の令嬢でありながら、頭脳明晰、容姿端麗、おまけに多大な魔力をお持ちの王太子殿下、レイノルド・ルーファス様の婚約者という肩書きを持つ。
何故私が?
そう思うけれど、何かしら政略的な意味があるのでしょう。我が家は貴族派閥の中でも、所謂中立派というやつなので。
この婚約が結ばれたのはもう十年も前のことだし、当時の当主だった私の父も、そして母も、二年前に馬車の事故で亡くなってしまったので、今となっては詳しく聞くことも出来ない。
現在は父の弟である私の叔父が、イルヴァーナ伯爵家当主となっている。そして私は叔父の養子となり、父と母亡き後も変わらず同じ屋敷で暮らしている。
……とはいえ、王立学園と、王太子妃教育を受けるために王城を往復する毎日で、屋敷へは寝るためだけに帰るような忙しい日々だ。
忙しすぎて逃げ出したいと思ったことは数え切れない。
そんな私に対して、婚約者のレイノルド様といえば、優秀という言葉では言い表せない。
王太子教育は王立学園入学前に終え、在学中は王太子としての執務を任されていた。忙しい身にも関わらず、王立学園での成績は常に首位を保ち、その人柄も素晴らしく、皆に慕われていた。
レイノルド様とは歳がふたつ離れているので、三年制の王立学園では一年ご一緒しただけだが、悪い評判は聞いたことがない。
更に完璧を極める王太子殿下は、王立学園卒業後、マリアナージュ魔術学園に入学された。
マリアナージュ魔術学園といえば、かなり特殊な学園だ。
王立学園のように、貴族全員が通うようなものでなく、魔力が特に優れている者しか入学出来ないとされている。
大陸三国の丁度境に位置し、どの国の権威も届かないとまで言われる学園。
地理的な理由からも、全寮制となっているため、年二回の長期休暇の際にしか帰国することは出来ない。
そんな入学するだけで名誉となり、卒業する頃には有能な魔術師になれることが約束されている学園を、晴れて一週間前、二年の在学期間を経てレイノルド様は卒業された。
彼に僅かに遅れ、私の王立学園卒業も、とうとう明日に控えている。
卒業後のパーティーでは、婚約者がいればエスコートしてもらうのが通例。
にも関わらず、レイノルド様から何の音沙汰もないのだ。
帰国からもう一週間も経とうというのに一度も会えていない。
お互い毎日王城にいるはずなのに、だ。
もう嫌な予感しかしない。
私とレイノルド様の関係は、まぁ良好と言えると思う。
十年間、それなりに仲を深めてきたのだ。
しかし愛とか恋とかは生まれなかった。
まぁ政略だし、そこは仕方がない。
私はレイノルド様と違ってとっても平凡だけれど、そんな私にも彼はいつも優しい。
というか、誰にでも優しい。完璧すぎて隙がない。正直、何を考えているのかわからない。
執務が立て込んでお疲れ気味なことはあっても、不機嫌な様は私に見せたことがない。怒られたこともない。
要するに、無難な付き合い方しかしてこなかったんだと思う。
私は聖人のようなレイノルド様を尊敬しているし一切不満はないが、彼はそうではないだろう。
彼が急に私を蔑ろにするようになった原因。
心当たりがないわけでもない。
レイノルド様帰国のほんの少し前、大陸全土で大きな話題となった出来事があった。
我がシャパル王国に、『聖女』の存在が確認された────と。