入学前準備~なぜか、王家が我が家に入り浸っているのだが?
「では、ジーナ様は、剣や魔法の訓練をしていないということなのですか?貴族でありながら?」
最初の謁見から、二年が過ぎた。
俺は無事、王女の崇拝者の一人になり、王子の婚約者という立場についた。
あと一年で、三人そろって、学園に入学するわけだが、まだ子供として扱われているため、自由な時間も多く、王族の二人がそろって、伯爵領に訪問しに来ているという訳だ。
貴族家に訪問するのも、王位についていない王族の仕事として重要なものだし、王族をもてなすのも、貴族の名誉ある仕事なので、周囲からはむしろ称賛されることですらある。
では?いったいなにを?という問いを、王女の口元をほころばせる仕草が発している。
「はい。わたくしは、ものを書くのが好きなので、普段は日記などをつけております。すると、文字を書くのが上達いたしまして、わたくしの領内では、役立っております。」
貴族として、恥ずかしくない態度を示せ。というのが王族に対する、貴族の礼儀である。
実は、この世界では、各貴族は、王家に対して税の支払いをしていない。
王家は、独自の税収で王国を運営しているし、領地をもっている貴族は、各々独自の税収で領内の運営を賄っている。
ならば、王国全体を保証する、王家にたいして、貴族は、その地位に値することを示さなければならないというのが、この社会での了解なのだ。
パンを上手に焼けないパン屋や、畑を耕すのが下手な農民、金儲けが下手な商人に価値がないのと同様に、民衆の税によって生活している貴族が、価値がないといわれないようにするには、わかりやすいところは、はずかしくないといったことになってくるのだろう。
もちろん、俺からしてみれば、恥ずかしかろうが、恥ずかしくなかろうが、うまい飯が食べられて、目下、来年の学園生活の一年目を生き残ることができれば、なんでもよいのだけれど、そうした事情をしらない、王子や王女からしてみれば、剣や魔法を鍛えずに、いったいこの令嬢はどうしたいのだろう?という疑問なのだ。
二年を過ごしてわかったことだが、識字の発達していないこの世界では、文字や図を使って他人に何かを伝えるという技術があまり発展はしていなかった。
どういうことかというと、例えば、地図や図面といった概念がなかったのだ。
商人たちに、領地の発展の指示をだしたあと、俺は彼らの報告をきいているときに、ふと疑問に思って、彼らのいう地名や、場所を聞きながら、名前を報告するだけでなく、なぜ地図を見せないのかと思い、問いただしてみると、そもそも、この世界には、地図や図面に該当するものがなく、場所やものの作り方は、言葉で伝えられているのだということに気が付いた。
当初は日記、といっても、屋敷に書物がないので、神話や貴族の動向など。知り得たことを、忘れないようにつけていたものから、周辺の地図や、これから作っていくものの図面をひくといった作業をすることが、俺の仕事になっていた。
この世界には、水魔法をつかうものもいるので、水場で水魔法を使えば、大気から水分を集めることができるので、飲み水や生活用水自体には、不自由はしない。だが、大量の水となってくると、話が変わってくる。
水魔法で創り出すよりも、近くの川から、水道を作り、引いてくる方が、はるかに効率がいい。そして、水道を作るには、等高線が引かれた地図がなければ、長い距離を引くのは困難なのだ。
王子と王女は、この二年で、見違えるほど豊かになったナサス領のありように、驚いていた。
通りには、噴水や樹木が並び、つい先月には浴場が完成しており、市民の暮らしは、より快適で、清潔なものになっているさまを見て、驚きを隠せないでいた。
その、秘訣が、二年前に王女がその才能を認めた、ジーナ・ナサスの「日記」、日記といっていいのかは怪しいものだが、にあると言っているのだ。
「それにしても、素晴らしいわ。このありよう。ジーナ、あなたは本当に最高よ。王子、あなたの婚約者は素晴らしい才覚を持っているわね。」
王女は、窓から街並みを眺めながらうっとりとした表情で、王子に言葉だけをおくる。
このサイコパスが本心で、幸せそうにしている民衆を幸せだからこそ、不幸にした時の落差が楽しみでしょうがないという意味で、喜んでいるということは、作者である俺は知っているのだが、そんな感性を持ち合わせていない、王子は、素直に民の幸せを喜ぶ自分の姉の喜びを喜んでいた。
「からかわないでくださいよ。姉上。僕だって、ジーナに負けないように、一生懸命、剣や魔法の稽古にはげんでいるのですから。」
このハイスぺはどこまでも、ハイスぺなのだ。魔法のあるこの世界では、確かに鍛えれば、一人でも、10人や20人を相手にして引けを取らない実力をつけることができる。しかし、それでも、せいぜい、10人や20人を相手にできるのに過ぎない。
将来、王になる男のやることか?と、前世の俺なら言ってやりたいところではあるのだが、貴族社会でありながら、平等な公教育が普及しているこの国では、学園に通う最初の段階で、その10人や20人を相手にすることができるという、わかりやすさが、貴族として恥ずかしくない振る舞いになるのだろう。
貴族が貴族であるために、学園で最初の印象をつけるために、幼少期の大半を費やす。なんて、無駄なことをするのだ?と、俺の日本人的な感覚から、いってやりたくもなくなるのだが、それを表情にはあらわさない程度の分別を俺はわきまえている。
と、同時に、幼少期から、世界を滅ぼすために邪神の復活を企てている、目の前のモンスターに対して、怖れと同時に、羨望を抱いてもいる。
「ですが、とにかく来年からは、わたくしたちには学園生活が待っております。王家として、ジーナ、あなたも弟の婚約者である以上、伯爵家としてではなく、将来王家の一員になるものだと自覚を改めて、あと一年、入念な準備を怠ることがないように。わかっているわね?」
ははは、ほんと、世界を滅ぼすことに快楽を感じるサイコパスでさえなければ、王女教というものがあるなら、入信したくなってしまいたくなる、王女様だ。
俺たちは、茶菓子と紅茶をしばきながら、その後も和やかに談笑を続けるのだった。
学園を卒業して、王子と結婚が済んだなら、いつか、この国とは別の外国にもいってみたいものだ。この世界がどうなっているのか、そもそも、どんな外国があるのかすらよくわかっていないのだが、見てみたい。そして、美味い飯を食いたい。