王族の謁見~サイコパスとの交渉は命がけ
「よく来てくれた。デナーリス。」
国王陛下は、父の名を呼ぶ。国王に謁見で呼ばれたのはナサス伯爵家であっても、その謁見の間には、当然、多くの貴族家が参列している。国王から、親しく声を掛けられるという関係性を、他の貴族の前でも示すということが、他の貴族の名誉心を煽り、父もまたそういった意味で貴族なのだ。
「王国を担う責務を、デナーリス。君と、こうして分かち合うことができてうれしく思う」
このセリフは、小説には出てこなかったシーンだが、王という立場を利用して、目下の伯爵を侮辱しているかのような物言いに聞こえそうだけれど、そうではなく、これはこの世界の貴族制ありようを象徴している。責任は侵すことのできない尊いものであり、その責務を果たすためにそれぞれの爵位が存在する。そして、爵位にあるものは、その責任ゆえに、したのものに命じることができ、命じられたということ、それ自体が名誉なのだ。という仕組みとして、俺はこの世界の設定を用意した。だからこそ、悪役の公爵は、ずいぶんとトリッキーな振る舞いで、王位を簒奪しようと企てることができるのだし、ただの平民である主人公をなんのためらいもなく、王子が配偶者に選ぶことができるようにしておいたのだ。こういう仕掛けがなければ、なぜ、王子は主人公をただの愛人にして、本妻としては、地位のあるものにしなかったのか?という疑問に納得のいく説明ができないだろうと、思ったのだ。だから、この言葉は、王が父を侮辱しているのではなく、最大限に称えた言葉なのである。
そんなことより、俺は、この会場に、宗教的な指導者の服装をしたものがいないか伺っていた。
小説を書くときに、とりあえず、教会はあるという設定にしようとは考えた。王女が邪神を復活させようとしているということは、邪神がいる以上、神もいるのだろうし、一神教の世界よりかは、何か主神のようなものと、その他複数の神々がいるような世界の方が、物語は進行しやすいだろうと思ったからだ。
だけれど、その教会がどのような立場で、この世界に影響をあたえているかということまでは、物語の進行にあまり影響を与えないので、あまり考えていなかったのだ。
俺がこの一週間で、準備しなければ、ならなかったことは、邪神というけれど、その邪神はどのような邪神で、また、他の神はどんな神がいて、また、神が人間の世界にどうやって影響をあたえているのかということを、あのサイコパスと会う前に、調べておく必要があった。
だが、その試みは、一週間では、とても足りないものだった。
まず、この世界では、貴族の家といえども、本というものがないのだ。
自分で書いていた小説の世界に転生してみて、まず、思ったことが、この世界では、王権神授説は採用されているのだろうか?ということである。もしくは、世界の形は?地動説は?中世の世界で信じられていたと思っているようなことがらは、中世ファンタジーの世界では、どう処理されているのだろう?という、これは俺の興味だが、不思議に思った思い付きに対する、答えがまず知りたくなった。
だが、伯爵邸の中にはそうしたことについて書かれている本はなかった。
識字率が低いから、という訳ではない。
三年後に通い始める、学園に平民であっても貴族と同様に通えるという、公教育の普及した環境では、貴族も平民も、同じように文字を読むことはできる。
ただ、魔法がある、という働きからか、この世界での最高学府は学園を卒業した後に、一部の者だけがなる、宮廷魔術師が、最大の知見であって、そこで、魔法が使えるかというのは、使えると想うかということひとつが、問題だったので、要するに、文字は存在するのだけれど、文字を通じた知識というものを共有することに、あまり重きを置かれることがなかったというように、処理されたようである。あなたは魔法を使えると想いますか?が、最大の真理なら、文字に書くのはバカバカしいと思って当然だろう。と、本を探して、三日目で気づくまでは、俺は自分の書いていた小説に似た世界に来ただけで、もしかしたら別の世界に来たのではないだろうか?と疑ったほどだ。貴重な時間を返せ。。チクショウ。
さて、今この場にいる、100名ほどの姿に、宗教指導者らしき姿が見えないことを視認すると、俺は、次のプランを決めた。
可能性のひとつであったが、国王と主だった貴族が今いる100名の中に、宗教指導者の姿が見えないということは、この世界では、政治と宗教は、完全に分離したものとして、扱うのが妥当なのだろう。
日本でイメージすれば、この世界での教会は、宗教組織ではなく、NGOやNPOのような、非政府組織のひとつで、祭りや、結婚式、けが人の治療、告解は行うけれど、民衆を組織したり、扇動したりする働きは、特に持たないということのようだ。
では、金はどうしているのか?となりそうだけれど、教会で働くものの多くは、治療魔法を使えるものが多く、医者や薬もあるこの世界にあっても、移動中にモンスターに襲われる者は一定数おり、そうした人々を助ける役割を教会が担っているようだ。
俺からしてみれば、目下の問題は、とにかく、あのサイコパス王女との面談である。
あいつは、本気で自分の快楽の為に邪神を復活させようと想っているし、そして、さらにそれができるとも想っているのだ。
では、どうやってそれができると想っているのか?
奴に会う前に、ある程度、それを推察しておく必要が俺にはあった。
「こ度の謁見は、王女のたっての希望でな。わが娘ながらに、想いがとても強くてな。親ばかなのを差し引いても、娘のいうことに納得する部分が多いのだ。」
えぇ、えぇ、強いでしょうとも。邪神を復活させようとね。
「何より、民を想う気持ちでは、余をはるかに超えておる。恥ずかしい限りじゃ。」
よぉぉぉぉぉおおく、想っていますよ。滅ぼそうとね。
王様の言葉に、心の中で突っ込みをいれ終わると、俺は、王の隣に笑顔でたたずんでいる王女の微笑んだ顔に目をやった。
いやぁ、これは、これは、崇拝者になるわぁ。
優しく可憐で、想いが強く、王族でありながら、下々の者を気にかけてくれる。
邪神を復活させて、自分の快楽の為に世界を滅ぼそうとしているという設定がなければ、彼女が次の国王になって、双子の弟に公爵家でも継がせて、軍務と政務を任せれば、いい女王になったのだろう。
今からでも、小説のあらすじを書き直せないだろうか?
この王女の元に兵を結集させて、王位を簒奪しようとしている、アキラに対抗する方が、生存スートとして、イージーだとしか思えない自分がいた。
いや、でもそうなると、学園の一年目で俺が死ぬ未来しか考えられないんだよなぁ。
俺は、この世界に転生してから、まだ、剣と魔法の訓練をしていない。
そして、一年目を乗り越えるまでは、この分野で自分の能力を伸ばすつもりも、ない。
通常の異世界転生ものでは、主人公は転生したら、とにかく、体を鍛えるか、魔法を鍛えて、チートな力を手に入れて自由に生きるものだと、読者諸君は思い込んでいるだろうけれど、鍛えたところでチートな力を手に入れることが、できるとでも思っているのだろうか?普通に鍛えたところで、普通にしか成長しないのではないだろうか?
そして、俺の死亡フラグは、普通にしか鍛えていなかった、ジーナ・ナサスが、王女の崇拝者になったが為に、扱うこともできない魔法を使おうとして、自分の身を焼いてしまう。というフラグなのだから、俺の問題は、王女の崇拝者になるか、ならないか。使えない魔法を使おうとするか、しないか。このふたつが、一年目を生き残るポイントになってくるのに違いないと確信している。
その先ポイントに、王子の婚約者になるのかならないのか。
王子に影響を与える人物として、アキラをいかにして排除するのか。
世界を滅ぼそうとしている、王女をいかに阻止するのか。
といった、問題があるわけだ。
そして、俺は、王女の崇拝者になって、魔法は使わない、ルートに決めた。